山本皓一のレビュー一覧
-
ネタバレ 購入済み
サクサク読めました。酷寒の地、ヤクーツク(ロシアのどこか)に取材に行った時の体験談。
マイナス50℃を越える場所、世界一寒い国での生活を知れて面白かったです。
・魚釣りでは魚を釣り上げて10秒後には魚が凍ってしまう。
・スパイクタイヤやタイヤチェーンは使っていない。スキーやスケートは春先の暖かくなった時の遊び。「寒いと氷は滑らない」がヤクート人の常識。
・鼻の頭やほおにできる真っ白な斑点は凍傷。消えるまで手でもんでから暖かい部屋へ入らないと細胞が死んでしまう。
・鉄などの金属製品に決して素手で触れてはいけない。瞬間やけどで皮膚がくっついて切り離せなくなる。
・マイナス68℃でも洗濯物は外に干す。水分が凍って固まるから、取り入れる時にちょっとたたいて氷を落とす。
・ビニール、プラスチック、ナイロンなどの石油製品は、マイナス40℃以下の世界では通用しない。
・屋内プラス20℃、屋外マイナス50℃という70℃の温度差があり体への負担がすさまじいものの、ヤクートはコーカサスにつぐソ連第二の長寿国。
人間が生活できること、この本を読んでも不思議でならないです。 -
Posted by ブクログ
とっても面白かったです!
地球上で、一番寒いのは北極じゃなかったんですね。
永久凍土の上の層が夏になると溶けるせいで、家は傾いてしまうんですね。
マイナス50℃の世界では、スケートって出来なくて、チェーン無しでもスリップしないんですね。。
摩擦熱ごときでは氷は溶けない。。
食べ物の話(狩猟民族の食事、日本人たるもの、日本食から離れられない話など)や、川や湖の話、プラスチックやビニールは通用しないという話など、どれも興味深く読みました。
住めば都ということで、人間の慣れ、順応力って物凄いものがありまふ。。
久しぶりの米原万里でした!こんな本もあったんですね。知らなかった!
粋な日本語センス、私も身につけたいなあ。 -
Posted by ブクログ
1984~85年にかけて、TBS取材班はソビエト連邦のヤクート自治共和国(現在はロシア連邦のサハ共和国)を訪れた。本書はこの取材班に同行したロシア語通訳・米原万里さんによる酷寒のシベリア紀行文である。
「世界一寒い国」と言われるヤクートに降り立った朝、外気温はマイナス39℃。鼻の中の水分がたちまち凍って痛みが走り、自分の吐く息が空気中で凍って眉毛やまつ毛に真っ白になって張りつく。
首都ヤクーツクではマイナス40℃以下になると人間や動物の吐く息や車の排ガス、家庭から出る湯気などが全て凍って街中が霧に覆われる。日照時間は一日4時間足らず。バスは停車するとエンジンが凍ってしまうため絶えず動いている。私たちには全てが新鮮に思われる世界が、豊富なカラー写真と共に紹介される。
民家は木造平屋で窓は三重、当然セントラルヒーティングで玄関が冷蔵庫を兼ねる。洗濯物は外に干し、凍った水分を叩き落として取り入れればいいという。風呂は村で共同、なんとトイレは家の外にある。地面に穴が掘ってあるだけだが、全て凍るので臭気はない。
ヤクートの人々はそれでも「モスクワやレニングラード(当時)のマイナス30℃より、ヤクーツクのマイナス55℃の方がしのぎやすい」と言う。日本でも雪国出身の人が東京に来ると寒がるのに似ている。
著者の米原万里さんは当時ロシア語同時通訳の第一人者と言われた才媛で多くのエッセイを残したが、本書はその処女作に当たる。子ども向けに書かれた本なので文章が平易で読みやすく、イラストや写真にはキャプションがついている。私たちが恐らく決して訪れることのないであろうこのシベリアの地を身近に感じさせ、軽やかに脳内トリップさせてくれる。
この取材に同行した椎名誠さんは、シベリア各地のトイレに便座がないことを不思議に思い、『ロシアにおけるニタリノフの便座について』(新潮文庫)を書いた。こちらも抱腹絶倒の面白さだが絶版になっているため、古本なら入手は可能である。 -
Posted by ブクログ
いや~、やっと復刊してくれたよ。ロシア語通訳でエッセイスト。
2005年に亡くなった米原万里さんの幻の処女作である。
晩年、政治を語るようになってからは面白味に欠けるようになった
のが残念だったが、この人の作品のほとんどは我が家の本棚に
ある。
あ、全部読んだ訳じゃないです。積んだままになっている作品も
あります。ワインじゃないんだから寝かせるなと言われるけど。
さて、本書である。江戸時代にシベリアに漂着した日本人の
足跡を追うというテレビ番組の取材に、通訳として同行した
際のシベリア紀行である。
取材期間は1984年から1985年。ソ連邦崩壊以前のヤクート
自治共和国(現サハ共和国)での体験談である。
そこは南極よりも北極よりも寒い国。真冬には連日マイナス50℃
以下になる極寒の地だ。こうなると「寒い」って言うより「痛い」の
だよね。真冬のモスクワやサンクトペテルブルグに行った時、
痛かったもの。まぁ、さすがにマイナス50℃ではなかったけれど。
そんな極寒の地でも人々は暮らしているのである。人や動物の
呼吸、車の排気ガスが瞬間に凍って常に町には霧が立ち込め、
あまりの寒さにプラスチック等の石油製品は使い物にならない。
そんな地に、何故、人々が暮らすのか。その経緯は少々哀しい
物語だった。
元々は子供向けに書かれているので紀行文を読み慣れていると
物足りないかもしれないが、これはこれでいいのだと思う。
写真も豊富なので文庫だと勿体ないかな。でも、米原さんの
処女作をやっと読めたことに感謝。
行きたいな、シベリア。勿論、真冬に。あ、マイナス70℃も記録
した場所だからよっぽどの覚悟が必要だな。汗。 -
Posted by ブクログ
ネタバレバナナで釘が打てます。濡れタオルを振り回すと凍る……。自分の”寒い冬”の概念がことごとく覆されました。
滑って転ぶ、しもやけになる、車がスリップ等が、寒い国では日常茶飯事。
子どもは、かまくらを作って、雪合戦や雪だるまを作って遊ぶのだろうと、この本を読むまで思い込んでいました。
んがっ!全然違うのです。マイナス五〇度以下の世界おそロシア☆
とにかく世界観が違います。まるで氷魔法の使えるファンタジーな世界。
本を読みながら『マジで!?ひぇ〜』と何度も声にだし、たまげました。
あまりにも寒いと、雪は粉のようで、道路も固いので滑らないのだそうです。
スケートしたり、雪合戦は春先の遊びで、ある程度気温が上がり、湿気がないとできない遊びなのだそう。車が滑って危ないのも春先なんだとか。
マイナス五〇度の日は、無闇やたらに金属類に触ってはいけない。
瞬間やけどで皮ふがくっついて取れなくなっちゃう!
あまり時間のかかる処置をしていると、その間に凍死の可能性があるので、最短のことをやるみたいで、恐い話がひとつ載っていました。
マイナス五〇度以下になると、飛行機が飛べないことは、はじめてしりました。
なんでも機体の水分が氷結してエンジンの動きがにぶり、機体が重くなるので墜落の恐れがあるとか。
南極よりロシアのほうが寒いようですが、だから探検は犬ぞりだったり氷破壊する船なのかと、やっと理解しました。
自然の製品しか使うことができず、マイナス四〇度以下でプラスチック製品を持ち戸外にでると、瞬間に凍って粉々に崩れ去るそうです。
うぉーっ!まるで魔法のようです。
生活の細かい描写まではなかったのですが、きっと私の生活と全く違うものがあるんだろうなぁと強く感じました。
本書はヤクート人のことが書いてありますが、温厚なヤクート人のヤクート語には、あられもない言葉がほとんどないそうで、喧嘩するときはロシア語を使うそうです。
これには、大爆笑しました。狩猟民族なのに、大人しいというところもほのぼのしています。狩猟民族の概念も覆されました。
こんなに極寒なのに、マイナス三〇度のモスクア等より過ごしやすいんだとか。
空気に湿気があると、風が吹いたときに、より寒いそうです。
そして、そして!さらにマイナス六五度以下になると、ちょっと具合の悪い鳥などが落っこちてくるそうです。
小さな点に見えるぐらいの空を飛ぶ鳥のフンが肩に落ちたときに、強力なGを感じたことのある私は恐怖に震えました。
大きな氷が空から落ちてくるようなもんだ。恐いわー。
巻末の椎名誠さんの解説も面白いです。
飛行機も大体みたいで、シートベルトがあるところとないところがある。壊れたらそのまま。
墜落したら全員死ぬんだからそんなの気にしないという考えを読み、その思い切りのよさについ爆笑してしまいました。
黒い馬で走っていると、いつの間にか白馬に変わってる!
馬のかく汗が凍るので、自然と変身してしまうそうです。
わーお!なんとファンタスティック!
凄く夢中になって読んだ一冊です。
写真もたくさんあって、わかりやすい。薄い本なのですぐに読み終わりますが、大満足の内容です。
やっぱり、自分が知らない世界のお話って興味深いですね。 -
Posted by ブクログ
少しずつ気温が上がり、夏が近づ生きたように感じますが、そんなときに「寒い場所」への紀行を読むと少し涼しくなる気がします。
本作の舞台はヤクート自治共和国(現・サハ共和国)で、世界で最も気温が下がる国。
日本史の授業で出てくる漂流民・大黒屋光太夫も訪れたことがあるとか。
釣り上げた魚が10秒で凍り、人間や動物の吐く息、車の排気ガスや家庭で煮炊きする湯気等の水分がことごとく凍ることで「居住霧」が発生し、ひどいときには4メートル先も見えなくなるという世界は、まさに異世界です。
一面凍りばかりなのでツルツルと滑りそうな印象でしたが、まったくスリップしないとのこと。そもそも、氷が滑るのは、摩擦熱で氷が融けて生じた水分によるので、-50℃の世界では摩擦熱程度では氷が解けないのだとか。雪もサラサラで雪だるまを造ることもできなければ、屋根の雪が融けることもないので軒先につららがある、という我々がイメージする「雪国」の景色とは全く異なる風景が広がっているようです。
短い本ですが、色々な発見があって面白く読むことができました。 -
Posted by ブクログ
世界一寒い国といわれるロシア連邦の中の「ヤクート自治共和国(現サハ共和国)」は、12月の平均気温がマイナス50℃にもなるそうですが、それでも町や村があって日常生活を送っている人達がいるとのことで、一体どんな国なのか、当時1984~85年にかけて、ロシア語通訳者としてシベリア横断の取材班と同行した、米原万里さんと一緒に覗いてみましょう。
まずは米原さん自身が身を以て感じられた率直な印象として、初めてヤクートの地に降りたときの反応が、その凄まじさを何よりも物語っており、ここに来る前に彼女たちは、東京の魚用の冷凍庫で防寒着のテストをマイナス45℃までしていたことから、飛行機の中で外はマイナス39℃と聞いても軽く見ていたようだったが、機外へ一歩踏み出した途端、チクチクと刺すような痛みが鼻の中を走り抜けて、鼻毛や鼻の中の水分が凍ってしまい、その痛みはタラップを一段下りる毎に増していくので、たまらずマフラーで顔を覆い、他の取材班の人達を見ると眉毛も睫毛も真っ白で、よくよく見ると毛の一本一本に氷が張り付いており、その様子は山本皓一さんの撮った、表紙の米原さんの写真を見れば一目瞭然と思われる中、彼らを出迎えたテレビ局員のオフロプコフさんや空港の職員の方々の歓迎の言葉が、また衝撃的であった。
『みなさんは日本から暖かさを運んできてくれましたね。マイナス39℃なんて、こんな暖かい日は久しぶりです』
マイナス39℃というのをこれまで体験したことは無いものの、アイスの冷凍庫が大体マイナス20℃前後をキープするので、その倍の寒さかなと想像すると、とても暖かいとは感じられないのではないかと思われた、そこに私の常識なんてまだまだ井の中の蛙だという世界の広さを痛感させられて、いろんな国があるものですね。
そして、これまでの人生の中で初めて聞いた言葉に『居住霧(きょじゅうむ)』があって、これは人間や動物の吐く息、車の排ガス、工場の煙、家庭で煮炊きする湯気などの水分が、ことごとく凍ってしまってできる霧ということで、冬になると殆ど風が吹かないこともあって、マイナス40℃以下になると、ヤクーツク市内での撮影は難しくなる程の視界の悪さとなり、写真を見ている私からしたら幻想的な景色に見えるけれども、実際に暮らす人達はさぞ大変だろうなと思われる中、市営バスの排ガスパイプが、普段の場所から上に折り曲げて、屋根の上まで真っ直ぐ伸ばされているのには、後ろを走る車への気遣いとも感じられた、そこで暮らす人ならではのアイデアが印象的。
また、もう一つ印象に残ったのが永久凍土地帯ならではの『傾いた家』であり、ヤクートの大地は地表から200メートル程下まで、一万年前の氷河期の地表がこの地域にだけ残ってしまったという事実にも驚いたが、更に驚愕だったのは、夏になると地表から約1.5メートルあたりまでの層が溶けて、冬になるとそれがまた凍ってと、それを繰り返すために建物は土台からねじれて傾いていくことから、どんな建物も50年は保たないそうだが、新しい工法で4~5階建てのコンクリート住宅を建てたりと、環境に合わせた人間の様々な生きる知恵というか考え方には脱帽させられるものがあった。
そんなヤクート人の常識には『寒いと氷はすべらない』があり、一瞬「えっ!?」と思われるかもしれないが、例えばヤクートの車に、今で言うところのスタッドレスタイヤ等は付けておらず、寧ろ、全く溝のないタイヤが好ましいことに、そんな危ないことをと思ってしまうのは、あくまで日本人としての常識であり、ヤクートの冬の寒さというのが、あまりに安定したそれだということを考えれば、逆に『何故すべるのか』ということも、理論的に理解することができて安全運転にも活用できるということで、ヤクートでは春の方がすべる危険が高いのです。
それから、寒すぎることで最も影響を受けることの一つに飛行機の移動があり、ヤクートでは最早運次第とも思われた、そんな米原さん達に実際に起こった出来事を書いていきたい。
まずは、ヤクーツクから800キロほど東方に位置する、北半球の寒極オイミャコン高原に向けて出発し、無事ウスチネラ町に着陸、そこからオイミャコン町に向かう予定だったが、マイナス50℃以下になると墜落の恐れが生じるので飛行禁止を言い渡されてしまう。
その翌日、マイナス48℃だから飛べるかと思われたが、秒速15メートルの強風が吹き荒れていて飛行は無理とのこと。
そのまた翌日はマイナス54℃。マイナス55℃までは飛行特別許可が下りる場合もあるからと空港当局と交渉したものの、行き先のオイミャコン町がマイナス61℃になっているので、やはり無理だと。
それからの三日間は、マイナス58、59、56℃となり、オイミャコンどころかヤクーツクにも帰れそうにない中、町内のどのホテルも足止めを食った乗客でいっぱいだったが、皆慣れているのか、のんきな顔をしている。
翌日、マイナス54℃になったのでヤクーツク行きの便だけは許可が下り、5日間も飛行場に停止していたため冷え切ってしまった機体とエンジンを今温めている最中との知らせを受け、急いで出発準備をしたものの、結局日没の14:30までに元に戻らず、米原さんたちはトボトボと宿舎に引き返すことに。
更に翌日、マイナス54℃でヤクーツク行きの便だけは飛ぶらしく、トータルで1週間待ち、ようやく無事離陸することができたものの、この飛行場も15分後には閉鎖されたそうで、まさに綱渡りのよう。
その2時間後、居住霧に覆われて閉鎖中のヤクーツク空港に強制着陸。ちなみにこの閉鎖はこの先1週間続いたそうで、飛行機で移動できるかどうかは、まさに神頼みとも思えそうなヤクート人のその判断に、まるで自然への敬意を払っているようでもあったのが、私にはとても印象深く、それはどんなに欠航してもピリピリとした雰囲気を見せない、彼らの物腰の柔らかさからも感じられたものがあり、彼らにとっての自然というのは、常に共に存在するものだということをはっきりと認識していることが、よく分かるようでした。
他にも、寒さを防ぐために考えられた構造をした家の紹介や、毛皮がここでは日常生活に欠かせない必需品であることに加えて、彼らヤクート人の狩猟民族のイメージとはかけ離れた温和な人柄には、かつて南国に住んでいた時、周囲の攻撃的な民族に追われて北上し、やがて誰も追い立てる者がいなくなった、この極寒の地に辿り着き、そこで適合することができたという説からも肯けるものがあった、それは彼ら自身の言葉、『どうも寒くないと体の調子が悪い』や『この激しい寒さが無性に懐かしい』からも感じられて、まさに『住めば都』とはこういうことを言うのだろうと思われた。
しかし、それにしたって、屋内プラス20℃で屋外がマイナス50℃という、この70℃の温度差は、人間の身体に凄まじい負担を与えるだろうと米原さんも書かれている中、現在でもサハ共和国の平均寿命が伸び続けているという事実も含めて、人間の身体構造の常識を覆してくれるようなヤクート人の生命力には神秘的なものを感じさせる中、黄色人種で日本人そっくりな風貌であることに親しみやすさもあった、そんな彼らの暮らしには、どこか他人事とは思えない魅力を感じられたのが、本書を読んで最も感銘を受けたことなのかもしれません。
私にとって米原万里さんは、ロシア語の通訳というより、思いもかけない視点から面白いことを教えてくれる人というイメージがあり、それは以前フィクションかと思って読んでいた、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』がノンフィクションであると分かった時から感じていた、若い頃から世界の様々な顔を知ってきた彼女ならではの視点の面白さ(素晴らしさ)であり、それは本書に於いてもモスクワに到着して、まず彼女のやったことが日本人スタッフ一人一人にロシア名を付けたことからも感じられて、声の大きな人には「ガナーリン」、ニコニコしている人には「ニタリノフ」、それを解説で教えてくれた同行者の椎名誠さんには、「アキレサンドル・シナメンスキー・ネルネンコ」と、その意味を知れば、なんて遊び心のあるお洒落な方なんだろうということがよく分かる、そんな彼女の知的なキュートさは、オフロプコフさんを「オフロさん」と呼ぶようになった彼への親しみを感じられた場面にも表れていて、どうやら彼は作家の開高健さんと瓜二つだったそうです。 -
Posted by ブクログ
読売新聞の書評に載っていたので読んでみる。
ロシアという極寒の地に、撮影クルーと共に行った時のことを綴った一冊。
シーナのエッセイで読んだことあるな、と思ったら、どうも一緒に行っていたらしい? この旅の直前、シーナは真反対の半球オーストラリアで旅をしていたので、寝るばかりだったとか。
米原さんのエッセイは含蓄に溢れていて、実に読みごたえがある。今回は写真付きなので、ロシアの食べ物が想像しやすい。肉料理のオンパレードだ。
ヤクート自治共和国は北極よりも寒い地。
「お元気ですか、こちらはもうすっかり暖かくなりました。外の気温は-21℃。暑いほどです」
9℃になってひぃひぃ言っている世界とは違う世界に生きている。
この一か月で三冊の本で大黒屋光太夫の話が出てきた。
これは今読むべきと言うことだろうか。読んでみよう。