山鳥重のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「わかる」ってどういう状態を指すんだろう、と思って読みはじめた。
認知という意味で、物事の意味や概念を把握することには、経験や記憶が関わっている。
経験や記憶を適切に処理するためには、言葉のように共有できる記号が役に立つ。
それらが結び付いて、確かな心象となった時に「わかった」という感じが得られる。
脳の一部が損傷してしまうと、この認知が出来なくなって、空間把握や時間把握、言語障害や記憶にまとまりがなくなってしまう。
なるほど。
もう一つ、見えないものを心象にしてしまえる人間固有の想像力にも触れている。
たとえば虚数であったり、中性子であったり。
これってある意味、幽霊みたいなものなのに。
「わかっていること」を敷衍すると、「ない」ものを信じられるわけだから、すごいよなぁ。
そこで、私はやっぱり共通感覚に至らざるを得ないんだけど、この話の一番感動した部分はエントロピーのくだりだった。
形を保つにはエネルギーが必要で、エントロピーは常にそれを拡散させていく。
人間が形を保っていられるのは、必要なものを取捨選択して取り込んで、エントロピーに逆らっているのだという。(説明間違ってたらごめん、平衡同定の話も思い出した)
この、整理された必要なものを「情報」といい「秩序」と言い換えている。
「わかる、というのは秩序を生む心の働きです。秩序が生まれると、心はわかった、という信号を出してくれます。つまり、わかったという感情です。その信号が出ると、心に快感、落ち着きが生まれます」
人間にとって「わかること」が必要なのは何でなんだろうと、先天的にそれに共鳴する器官が備わっているのは何でなんだろうと思っていた。
それは、快いことなんだなと思う。
そして、美しいとか素晴らしいとか感じることには、秩序や摂理が働いていて、それは生物的に自分が生きているということと密接だということなのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレわかるということは当たり前に起きている出来事だけど
それができるようになるためには
それはそれはたくさんの段階が必要になること。
時には繰り返し、繰り返し行って
定着させることが必要になることが
ままあります。
と、思うと人の理解というものは
長い時間をかけなければできないということ。
そして、きちんとそこに目的や
考えがなければ身につかないということ…
何気に恐ろしいこと言っていますよね。
この中には深い言葉が1つあります。
それはわかるということは理解できたものの、
それをおろかな手段に使い
後世にもさらし者になった人たちに対する
批判です。
分かりやすい集団ですけどね。
あの人たちは理解できても
その理解の応用を間違えてしまったわけで。
結構哲学的かも。
でも言わんとすることはわかるはず。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ『本当にわかったことは応用できます』とある。『うまくまとめられると、わかったという感情が生じる』し、『わかる』と『自分のもの』にすることができる。
ただ、それがむつかしい。著者は『訓練さえすれば、われわれの知覚はすごい弁別能力を発揮します』という。いくつかポイントがある。ひとつは『見当をつける』こと。『小さな状況の理解(小さな意味)はたいして重要でない』、『遠い距離から眺め、他の問題とのかかわりがどうなっているのか』など『全体像を掴む』ことだ。ただ、『あらかじめある程度の考えを持っていないと、見当をつけらない』とのことなので、『わからない場合はまず図を作ってみる』とよいとある。人は『表現しようとするもののイメージをはっきりさせておかないと、心の外へは持ち出せない』のだそうだ。
『わかる、というのは秩序を生む心の働き』なのだそうだ。『意味とは、とりもなおさず、わからないものをわかるようにする働き』、『わかりたいと思うのは心の根本的な傾向』、『情報収集とは、結局のところ秩序を生み出すための働き』・・・素直に向き合えということなのだろう。著者は『心の声』を聞けという。これは、ただ待つということではない。『前から眺め、横から眺め、上から眺め、下から眺め、回して眺め、落として眺めて…』によって『頭が解くのでなく、いわば身体が解いてくれる』とある。
もうひとつは『「違いがわかる」という能力が知覚の基本』という点だ。『わからないことがあるからこそ、わかったという事態も発生』する。『考えなければ、わからないまま』だ。『知識の網の目が出来ると、何がわかっていて、何がわかっていないのかがはっきりする』、『わかるの原点は後にも先にもまず、言葉の正確な意味理解』・・・『繰り返し繰り返し実際にやってみることでしか、蓄積出来ません』ということなので、意識してやってゆくしかない。
要約すると、『心の声が聞こえなければ、わかるも、わからないもない』かつ『ひとつの心像だけでわかるという経験は起こりません』ということを十分に理解しておかねばならないということだ。
『生きることは、自分の足で立ち、自分の足で歩くこと』、『社会で生きてゆく、自然の中で生きてゆく、というのはその時その時、新しい発見、新しい仮説を必要』とするが、『客観的事実を扱うには、普通の心の働きとは別の心の働きが必要』であるし、『われわれの思考の単位』は心像でしかない。また、『印象に残る心像が浮かんだとしても、たいていは次の瞬間には消えて』しまうし、これを『意志の力で注意を維持するのはなかなか大変』なことでもある。
『心は好奇心(おおまかな心の傾向)→注意(具体的な方向づけ)→知覚(正確な区別)の流れ』で働くものだから、『何事も、好きになることが大事』だそうだ。『意志の力で注意を維持するのはなかなか大変ですが、好きなことだと努力の感情なしに没頭』できるからだ。
心が落ち着かないというのは、わかっていないということなんだろう。心の声に素直に向き合い、大きな意味の違いがわかるように精進しないといけない。 -
Posted by ブクログ
筆者は神経心理学を専門とする医学博士で高次機能障害の研究を中心にしている。本書は脳を医学的な立場から分析し、心という極めて曖昧な対象を科学的に分析しようとする学問的立場を分かりやすく述べたものである。
脳の研究にはさまざまな立場があるが、不幸にして機能障害に陥った人の研究から逆に脳の機能を分析的に考えることが可能になることがある。脳の一部の機能を失ったことによってどのような障害が発生するかを観察することによって、脳の部位とその機能の関連が分かるというものだ。言語機能は数々ある脳の機能の中でもかなり高度なものであり、人間だけにことばがあるのもその脳の機能の複雑さがもたらすものである。だからこそ、さまざまな段階の障害も発生することになる。いわゆる失語症については、私も近年身近に接することがあって深い関心を持っている。一見すると健常者と全く変わらないのに、言葉を発するとその行動の異常さに驚いてしまうのが、高次機能障害である。
脳の研究はいまだ発展途上である。分析的に研究すればするほど不明な点が出てくるようだ。どの分野でも聞かれる話ではあるが、分析的な研究が進めば進むほど全体像をつかむことはかえって難しくなっていくらしい。脳を使って脳を考えるという挑戦はこれからもさまざまな展開がある事を予想させられた。 -
Posted by ブクログ
先ず、ことば、というものの性質と成分を分けて、
健常人がどのように言葉を使っているかを解説した上で
具体的な失語症の症例を分類し、その損傷脳部位を併せ見て脳と心と言葉の関係を紐解く一冊。
深く突っ込まなければとりあえずは全くの素人でも読めるました。
初めの「言葉の音」の定義や、脳部位の名前などは見慣れない単語が並んで戸惑いましたが、
著者が一般読者に伝えたいものは概要だと思うので、
脳、こころ、ことば、の関係がどのように絡み合っているかのイメージをつかめたらそれでヨシ。
失語症という病に興味のある人、言葉というものが、本来他人と共有されるはずのない心という現象を外界へ表出する、ということに面白みを感じる人にはお勧めです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ仕事をしていると、よく「分かりやすい説明」を求められます。でも、その「分かりやすい説明」は往々にして相手が代わると通じなくなります。
分かりやすいって、なんて分かりにくい概念なんだろうと思い、本書を手に取りました。
内容的には、言語学や心理学の入門書や、資料の作り方のハウツー本を、「わかる」をテーマに整理し直したものといったところ。
著者の専門である高次機能障害学も、脳損傷の方のエピソードとしては使われますが、理論的な説明に踏み込むわけではなく、読むためのハードルにはなりません。
筆致も平易に語ろうとする姿勢が感じられます。
ただ一点、個人的に目から鱗だったのが、わかる・わからないは、感情だということでした。
感情であれば、同じ事柄について同じ説明を同程度の知識水準の人にしても、深い理解、浅い理解、分からないといった様々な反応がありえます。
あるいは、何か分からないことがあって、それが自分の利益にならないことでも分かるまで追い求めてしまう、その得体の知れない原動力を浮き彫りにされたような気さえしました。
この分かりたいという感情こそが、エントロピーの増大し続けるこの世界にあって、これに抗いエントロピーを減少させようとする生命の本質、なのかは、まあ、よくわかりませんが。 -
Posted by ブクログ
む、難しい……。断片的にしか理解できてないけど、興味深い部分はたくさんありました。
特に印象に残ったところメモ。
●脳機能に異常が生じて認知機能に障害が出ると、「それが認識できない世界」がその人にとっての普通になってしまう
認知症の人が「自分の記憶や認知機能に欠けがある」ことを自覚できなくなるのって、そういうことなんだなぁって納得した。
と同時に、自分が本当に世界を正しく知覚できてるのかどうか、少なくとも危ないものをちゃんと認識できているのか怖くなってもきた……。
●脳細胞の成長=既にある記憶のアップデートしかできない
これ『独学大全』の読書猿さんもネットのコラムで言ってたりしたので、既に意識してる人も少なくないかもだけど。
新しいことを覚えるということは、基本的に新しい刺激を今ある知識に関連付けることなんですよね。
つまりこの本が難しく感じたのは、読んだ情報を自分の中に今ある知識に関連付けるのが難しかったってことなんだろうなぁ。 -
Posted by ブクログ
精神科の先生が書かれた本。
「わかる」と一言にいっても様々なグラデーションと種類がある。
同じ言葉でも人によって捉えている「心像(メンタルイメージ)」は異なり、それが共通しているとい前提が成り立つから会話も可能になるそうだ。
たしかに、誰かと会話していて、ある言葉に対する認識が違っているせいで誤解が生まれて、衝突しているケースは多い。
中には意味を理解せずに言葉だけが先走っていることもあり、コミュニケーションとは言葉の前提にあるメンタルイメージが共有できるからこそ成り立つものなのだと感じた。
とはいえ、見えないし聞こえないメンタルイメージを共有するのは難しく、話し合ったり、同じ経験を共有したりする過程で理解できていくのだろう。
そう考えると、多様性を意識して相手を理解しようとする姿勢を持ちたい!