宮野真生子のレビュー一覧
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映画を観た。かなり良かった。映画のなかで展開されるいくつかの対話をテキストでも確認したいと思い、すぐに原作本を買って読んだ。結果から言うと、原作というか、原案なのかな、展開されている話は、全くの別物…!あれ…あれ…と思いながら一気に読み通したけど、最後まで別物…!(びっくり)。まあ、本は本で、とても良かったです。
内容は、末期がんで余命幾ばくもない哲学者と、出会ったばかりの人類学者の、2人のアラフォー女性が、往復書簡を10往復交わすというもの。この間わずか3カ月ほど。死を前にして、余命を宣告されながら生きるということ、治療を選択するということ、病という不運と向き合うこと、不運は不幸なのかどう -
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小さい時に、哲学ってどういうもの?と聞いて、当たり前のことを難しく考える学問、と親か兄妹に答えられたのを覚えている。まさに、死が迫り来る、急に具合が悪くなる可能性について、時に明るく面白く、時に真剣に熱く、語り合う往復書簡はだんだんと手に汗握る様相となってくる。難しくて理解できないところもある。でも、偶然、腑に落ちると腑に落とす、選ぶ、決める、タイミング、そういった言葉のひとつひとつを吟味し考え抜き、お互いの気持ちも思いはばかりながらも正直に交わされていく往復書簡はとても読み応えがありました。映画もよかったけれど、映画よりずっと深い。お二人の結びつきが羨ましくさえ感じました。迷いが生じた時に、
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哲学者・宮野と医療人類学者・磯野の同年代の2人の女性が交わした20通の往復書簡。
それは宮野が癌宣告を受けて、講演に行けなくなる可能性があるということで磯野へ連絡したことから始まる。死とは何か、何のために生きているのか、を問う宮野に対して磯野が応答するという形で進み、わずか3か月ほどの交流が二人の間の歯に衣着せぬざっくばらんな会話で進む。宮野は九鬼隆三の「偶然とは何か」の研究者であり、偶然、不運、しかし不幸ではない!などの対話が興味深い。宮野が引用するハイデガーの「死はたしかにやってくる。しかし今ではないのだ」(存在と時間)という言葉が意味深長に響く。そして彼女は「私の生は途中で打ち切らざる -
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乳がんが転移し、有効な治療法もなく、余命を生きる哲学者・宮野真生子と、そんな彼女と出会い、どういう訳か書簡のやり取りをする事になった医療人類学者・磯野真穂。
二人はもともとはお互いにもっと色々な話題を取り上げようとしていたつもりが、やはり話題は宮野のガン患者としての生き方、死への向き合い方についての話となっていく。
死に向かう患者に寄り添うとか、なんかそういうありがちな話を想像していると痛い目に合います。
ここで交わされる書簡に書かれていることは、もっと直球です。しかも豪速球の。しかも、一度では読み取れないくらい情報量が多いし、哲学の素養がないと理解しようとしても難しいかもしれない。
これは -
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映画はちょっと違うのかな。見てないからわからないが。、
原作では
病気そのものより、「病気になったことで、世界の見え方や人との関係がどう変わるか」を考えているところ。
一番刺さったのはやっぱり、
「一つの身体で、そのつど心を可能性ごとに分割してゆく。」
すごく切実だと思う。
「最悪の可能性にも備えよう」「まだ大丈夫な可能性も捨てないようにしよう」って、頭ではものすごく合理的。でも、それを全部一人の身体でやろうとしたら、そりゃ疲れる。
それから、磯野さんの「人類が死んじゃうかもしれないんだよ」
ちょっと乱暴なくらいの言葉だけど、だからこそいい。
医療者は確率やエビデンスを考える。
でも家