宮野真生子のレビュー一覧
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余命わずかな哲学者と人類学者の手紙のやり取り。哲学の難しい議論もありつつ、なぜ(how でもwhy でもなくなぜこの人、この私が)この状況にいるのかが問われる。また病人という役割になってしまい、その他の自分が失われる危険について語られる。
この人の場合、哲学者という立場でのアウトプットを続けることに救われているようだ。でも何も語る手段を持たない一般人はこういう時どうしたらいいの、とも思ったが、人それぞれ病人以外の自分を保ち続けることを模索すべきなのかも。
冷静で論理的なやり取りの影に、友人としてのLINEや妄想に近い思い入れ、切迫した最期の様子が垣間見られ、感傷を許さない中で友情の深さが心を打 -
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自らがガンを患う哲学者宮野真生子さんとと文化人類学者磯野真穂さんの、病気になった人(当事者)とその周辺についての往復書簡。
死というものがあまりにもリアルなとき、当事者とその周りにいる人々に何が起こるのか、それはなぜ起こるのか、違う関係性の作り方はあるのか、みたいなことが書かれている。
対話の内容として気づきみたいなものももちろんあるけれども、後半になるにつれて宮野さんの具合が本当に悪くなっていって、その時に近づいていくリアルさがある中で、ご本人から綴られる言葉、磯野さんから贈られる言葉の凄みのようなものが印象に残った。
宮野さんが本当に最後の最後まで本書の校正やチェックなどをしていた様子も描 -
Posted by ブクログ
映画化すると聞き、積読になっていたものを急いで読んだ。
プロジェクトヘイルメアリー然り原作知っておきたいタイプ。
とにかく「すごいものを読んだ」という気持ちになった。
あれを読んでこんな激浅な一言でしかまとめることができない自分の語彙力、表現力の無さを恨みたくなる。
哲学に生きる人が、人類を研究する人が、研究人達が、死を身近なものとして捉えたとき
こんな発想や考え方になるんだなというのを見せて頂いたような感じがした。
哲学者や人類学者の引用もよく出てくるのだけれど、理解・共感できるものもあれば
私の知識では全く解釈が難しいものもあった。
往復書簡の中でこんな重厚感のあるやり取りをしてた -
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宮野さんは患者という役割になることなく、磯野さんは患者として接することもなく、お互いに真剣に相対する関係がうらやましい(とはいえ、そうなりたいという羨望の意味はなく)と感じた。
正直、抽象的なところは良く分からなかったけれど、誰かと出会う、つながる、ということを改めて考えてみたり。
印象に残ったところは以下
・選ぶとは
それはあなたが決めたことだから、ではなく、選び、決めたことの先で「自分」という存在が産まれてくる。
選択とは偶然を許容する行為で、選択において決断されるのは、当該の事柄でなく、不確定性/偶然性を含んだ事柄に対応する自己の生き方。
偶然を受け止めるなかでこそ自己と呼ぶに値する -
Posted by ブクログ
往復書簡というかたちで展開される、哲学者の宮野真生子と人類学者の磯野真穂のやりとり。
毎回のお手紙のタイトルのユーモアがよい。
主治医に今後の治療方針について「もし先生(の家族)が同じ状態だったらどうするか」
という質問を投げかける母親に、それはルール違反だと腹を立てる宮野真生子は、医者にとって良い患者。聞きたくなる質問ですよね、これ。医者としての意見じゃなくて、一人の人間として主治医に。
専門セクター(医者)、民間セクター(家族や友人)、民俗セクター(代替療法)の間で振り回される患者は、身の回りでも見たことがある。これは自分の身に起きた時ぜひとも思い出したい。
病気になったことは不運