宮野真生子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
映画を見て原作が気になり読んでみました。
この本に出会えたことに感謝したくなる、
素晴らしい一冊でした!
人類学者の磯野真穂さんと
哲学者の宮野真生子さんの往復書簡。
宮野さんはガンを患っていて、
“急に具合が悪くなるかもしれない”と医師に告げられる。
2人の書簡から導き出されるのは、
病を患うのは不運ではあるが不幸ではない、ということ。
がんになることは必然ではない、偶然である。
急に具合が悪くなる“かもしれない”という確率論の話だ。
父は「遺伝子のせいで申し訳ない」と言うし、
未来の可能性が狭められたと思うことで悲観的になる。
そういう偶然に起きたことの前後に脈絡をつけることで、単なる -
Posted by ブクログ
この本を読んでふと嫉妬している自分がいることに気がついた。この本に、というか宮野氏に、だろうか。「魂を分け合った」なんていえる相手に出逢えること。こうして彼女の「生」と「死」が刻まれた書籍が出版されたこと。はたまた。
「死」という偶然性を孕んだ必然。「かもしれない」が個人の日々の在りようを一変させる、未来の可能性を封じてしまうこと。僕が「老後2000万円問題」に感じる違和感はこれだ。「安全な」未来に向けた「(己による)リスク管理」の重要性が騒がれるいまに、「今を生きること」を見直す時間。
この本を読んでいて、以前読んだ「選挙に行こう」 という文句の根本的な誤りについてをどうしてか思い出した -
Posted by ブクログ
むちゃくちゃすごい本だった。これは魂が宿っている。
映画化もされたけどこの本自体は物語ではなく哲学者と人類学者の往復書簡という形式でこういう本は初めて読んだ。
ガンを患った哲学者の死生観や病気への受け入れ方、日々の生活という部分にフォーカスしてその考え方を深ぼっていくのが往復書簡を始めた経緯だとは思うが、本当に哲学者の方が具合が悪くなってしまい、そこから展開が急スピードで進んでいき最終的には2人の魂の触れ合い、その出会いに感謝に帰結するという凄まじい濃さの本になっている。
病気への受け入れ方をここまで言語化出来るのが単純にすごいし、それでも尚必死に生きている哲学者である宮野さんの様はかっ -
Posted by ブクログ
映画を先に見て購入。
「いつ死んでも悔いがないように」という言い方に欺瞞を感じるという宮野さん。合理的に選択することはできるけれど、私たちは本当に「選ぶ」ことなんてできるのだろうか、という問い。「かもしれない」という確率論やデータに囲まれて「意思に基づいた選択」を迫られている人が、そのデータに基づかない一つの選択をした時、良い結果になれば「何も悪いことがなくてよかった」と言い、悪い結果になれば「そんな選択をするからだ」と責めることができる「弱い運命論」。これにからめとられていると感じることは確かに多い。
宮野さんは、人に迷惑をかけずに自己責任で生きていくために、できるだけ客観的にリスクとベネフ -
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人と人とが関係し合う事の意味
私はこんなにも誰かと真剣に線を描こうとしたことがあったかな。
ボールを投げられても、受け取れないフリをしてヘラヘラと「ごめーん」と言いながら逃げ続けてきていたような気がする。
いつか、運命的な人が現れてくれないかなぁなんてそう思っていたけれど、偶然の出会いがもたらされた時に、それを掴み離さず必然的な運命に引き寄せる力。
どうなるかなんて分からない人生にここまで命を使って生きることが私にできるのだろうか。
きっと、その先にある景色をこの2人はしっていたから(それがどんな景色かはわからずとも)その景色を見ようと足掻くことができたのだと思う。 -
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ネタバレ『急に具合が悪くなる』のは誰にでも起こりうるけど、まさか著者の宮野さんがホスピスを探すように医師から言われた時の言葉だとは思いもよらなかった。
哲学者の宮野真生子さんと、人類学者の磯野真穂さんの20通の往復書簡。
映画が公開されることを知り、手に取った。
宮野さんにとって、医師の言葉はどれほどの衝撃だったことだろう。
でも宮野さんは患者として固定されるのを良しとせず、哲学者として考え続ける道を選ぶ。
偶然なのに、人がそれ以前と変わるほどの出会いがある。
二人の誠実さ、真剣さ、覚悟が怖いくらいだ。
最後はやはり込み上げてくるものがあった。
心に残った言葉を少しだけあげておく。
「分岐ルート -
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ネタバレ10便 ほんとうに、具合が悪くなる
哲学者 宮野真生子
「偶然を生み出すことが出来たのは、自然発生だけではなく、そこに私たちがいたからです。」
「それぞれに引き出す勇気をもち、偶然を必然として引き受ける覚悟をもって出会えたからです。」
この言葉と宮野さん、磯野さん二人の関係性に心を打たれた。人生の中で無数に広がる出会いがある中でこの出会いを互いに「意味」をもたせることができたこと、そこには他者との出会いを引き受ける勇気と覚悟があったから。
私たちはこの世に生み落とされ、必然である「死」に向かって、流れていく時間の中を生きる。無機質に過ぎ去るかもしれない「偶然」で満ちた世界でどう「生きる」のか -
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映画を観て、気になって原作を読んだ。
映画もよかったけれど、それとはまた違う魅力があって良いい。
感動とも違うし、面白いとも違うんだけど、なんだかいいものを読んだな、という快感だけがじんわり残る。
往復書簡という形式で展開される、哲学者と人類学者の美しいやり取り。
序盤は穏やかにやり取りされる中で、ちょいちょい感心させられたり、考えさせられたりしながら進む。
しかし時間が進むにつれ、宮野氏の症状が悪化していく。
これに伴い、二人はより具体的な事象を取り扱うようになり、言葉に熱がこもっていく。
哲学者宮野の生き様はこうだ、と見せつけられ、魂を震わせられる。
ぜひご一読あれ。 -
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癌の転移を経験しながら生き抜く哲学者・宮野さんと、臨床現場の調査を積み重ねた人類学者・磯野さんが、死と生、別れと出会いについて交わした往復書簡
。宮野さんの具合が悪くなっていく過程は読んでいて辛いものがありましたが、お二人が真摯に生と死に向き合い、言葉を紡いでいることが文章からひしひしと伝わってきました。
特に印象的だったのは、6便の『転換とか、飛躍とか』で、宮野さんが日常フェーズと患者フェーズを分けて考えられていたこと。100%患者でいたくない宮野さんならではの考え方で、病状が進行すると日常が患者フェーズに塗れつぶされそうになってしまう。本来、日常生活というのは、いろいろなフェーズが混じり合 -
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小さい時に、哲学ってどういうもの?と聞いて、当たり前のことを難しく考える学問、と親か兄妹に答えられたのを覚えている。まさに、死が迫り来る、急に具合が悪くなる可能性について、時に明るく面白く、時に真剣に熱く、語り合う往復書簡はだんだんと手に汗握る様相となってくる。難しくて理解できないところもある。でも、偶然、腑に落ちると腑に落とす、選ぶ、決める、タイミング、そういった言葉のひとつひとつを吟味し考え抜き、お互いの気持ちも思いはばかりながらも正直に交わされていく往復書簡はとても読み応えがありました。映画もよかったけれど、映画よりずっと深い。お二人の結びつきが羨ましくさえ感じました。迷いが生じた時に、
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哲学者・宮野と医療人類学者・磯野の同年代の2人の女性が交わした20通の往復書簡。
それは宮野が癌宣告を受けて、講演に行けなくなる可能性があるということで磯野へ連絡したことから始まる。死とは何か、何のために生きているのか、を問う宮野に対して磯野が応答するという形で進み、わずか3か月ほどの交流が二人の間の歯に衣着せぬざっくばらんな会話で進む。宮野は九鬼隆三の「偶然とは何か」の研究者であり、偶然、不運、しかし不幸ではない!などの対話が興味深い。宮野が引用するハイデガーの「死はたしかにやってくる。しかし今ではないのだ」(存在と時間)という言葉が意味深長に響く。そして彼女は「私の生は途中で打ち切らざる -
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乳がんが転移し、有効な治療法もなく、余命を生きる哲学者・宮野真生子と、そんな彼女と出会い、どういう訳か書簡のやり取りをする事になった医療人類学者・磯野真穂。
二人はもともとはお互いにもっと色々な話題を取り上げようとしていたつもりが、やはり話題は宮野のガン患者としての生き方、死への向き合い方についての話となっていく。
死に向かう患者に寄り添うとか、なんかそういうありがちな話を想像していると痛い目に合います。
ここで交わされる書簡に書かれていることは、もっと直球です。しかも豪速球の。しかも、一度では読み取れないくらい情報量が多いし、哲学の素養がないと理解しようとしても難しいかもしれない。
これは