宮野真生子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ人が考え、感じるものはすべて言語化することができるのかもしれない。
北欧、暮らしの道具店の佐藤店長のIGで『急に具合が悪くなる』の映画と本の感想を観てからずっと、気になっていた。
読みたい本が途切れず、買えていなかったけどようやく読めた。
本当は映画→本の順番にしたかったけど、3時間の映画を観るの疲れてしまうかもと自信がなくて、迷っていたら上映期間終わってしまっていた…悔やまれる。
本を読む気満々だったから、敢えてどういう本なのかの情報はシャットダウンしていた。真っさらな気持ちで読めて、ストンと入ってきた。
往復“書簡”とは?と思っていたけど、手紙のやり取りのもう少し格式ばったやつです(合ってる?)。
言語化能力に長けた二人の貴重な書簡。
人が考え、感じるものはすべて言語化することができるのかもしれないと思わせられるほどの思考力。
言葉にしないほうが美しいとか強いとか(特に根拠もなく)思っているんだけど、その考えを覆されそうなくらいには言葉を尽くして書かれていて、考えるプロの力を見せつけられた。
磯野さんと同じく、わたしも船の移動が好き。電車の移動も好き(乗り換えが多くて時間が多少かかっても、割安な移動を選択する。ただの貧乏性?)。どこかへ向かう時間って、わくわくする。大抵は本を読んでいるまたは寝ているのだけれども。14時~15時に乗る電車は、それはそれはぽかぽかしていて、電車に乗っている人は大体お昼寝している光景も好き。
【メモ】
1便
可能性やリスクに縛られた人生は嫌だ。だがリスクを回避した道には安心がある
未来でしかない死から今を生きるのは違うのではないか?
→可能性やリスクに抗っていたいのはそうだけど、実際に死に向かう病気になったとき、果たして抗える元気があるかな。抗うことには体力と気力が要る。そして抗わないと安心と楽が手に入る。
2便
「選ぶ」って何だろう?
選ぶって大変、決めるの疲れる
→自然体で選びたい気持ち、本当によくわかる。
3便
患者の意思である同意書への署名
選び、その選択の結果を引き受けるのは自分だけど、選ぶまでのプロセスは一人で担う必要はない
→目から鱗!もっと自分のことを主治医に相談していいのか。
わたしも医者にとって「良い患者」であろうとしがちだ。それが自分に良いとは限らないのに。
4便
必然の先にある偶然
5便
不運でも不幸ではない
不運を受け入れなくてもいい。理不尽だと怒っていい。でもそれはわからないことに対して怒ることだからエネルギーを要する。合理的な理由に飛びつき、わかるとされていることに流される
→理不尽だと怒ることはよくあるけれど、怒ったところで書いてあるように「わからないこと」に対して怒っているのであり、怒ったことで解決に繋がる訳ではないので、怒るだけエネルギーが消費されてしまうという仕組みになっている。かなしい。そうして、合理的に説明がつくものに飛びついて、どうにか解決しないかな、と望んでしまう。
6便
だらっとした会話が必要
0パーセント患者で会話したいけど、症状が進んで行くと0パーセントではいられない。ほどほど患者でいたい
→患者と非患者のコミュニケーションの難しさ。患者と非患者であるということよりも、個人と個人の関係性がどう成り立っているかの先にコミュニケーションがあることが理想なんだろうな。
患者であるとき、どういう言葉がかけられることを望んでいるのか、わからない。わからないことだらけだから、一緒にとまどってくれることが良いのかも。
7便
予防は最低限で、場当たり的でいいのでは?
→自分が傷つきたくないから、自分がいい気持ちになりたいから、人は行動すると最近思う。他人に優しくするのも、自分がいい気持ちで生きたいからそうするんだって思って行動している。
予防線を張ったコミュニケーションは定型にはめてしまうことになる。
信頼は、「わからないはずの未来に対してあらかじめ決定的な態度をとること」
約束は、本来取れるはずのない「決定的態度」を「それでも」取ろうとすることであり、こうした無謀な冒険、賭けを目の前の相手に対して、「今」表明することに意味がある
あなたがいるからこそ決めたのだという、「今」の決断こそ「約束」の要点
→信頼と約束の意味。ちょうど(?)『室井慎次 敗れざる者』を観ていたので、信じることや約束について、考えていた。
9便
「〇〇に対する適切な接し方」による多様な社会や人々の繋がりの達成への疑問
人と人の間にあったはずの(とまどいを含めた)動きがなくなってしまう
10便
なにかを選択することで、自分が明らかになっていく
偶然だと思った出会いも、自分が選択した結果なのかもしれない。そうして他者と出会っていく
→出会いに偶然はあるかもしれないけど、その相手と付き合っていくかどうかは、偶然に見せかけて、自分の、そして相手の中のなんらかの力が動いているのかもしれない。そう思うと、いま周りにいる人たちや、これから出会って関わっていくかもしれない可能性がとっても愛おしくなる。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ1回目は読破できなかったけれど、映画が素晴らしかったので、再チャレンジ。クラインマンの哲学的には、専門職セクタ、民俗セクタ、民間セクタの3つに分けられる話がとてもよくて、宮野さんの母親が医師に「あなたの家族だったらどうしますか?」と聞くのはルール違反、専門職セクタの人を民間セクタに引きづり下ろしている、というのがとても良かった。また不運は点、不幸は線、だとか、患者と健康な人との関わり方について、偶然と選択について、点から点への移動とラインの違いについて、など、深く考察されていて、本当に面白かった。100%患者でいること、患者である自分から離れられること、患者に対して健康な人にはルールに沿って会話をしていること、など、人との付き合い方をもう一度考えるきっかけをくれる本だと思う。また読みたい。
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ネタバレ良すぎた。まごう事なき⭐️5、手元に置いて何回も何回も読みたい本。
序盤は元気があるから、がん患者に収まりたくない!の強い気持ちがすごい。8年も癌と付き合ってたらそんな風に思うのか?全身状態も深刻じゃないみたいだし、全ての癌患者には当てはまらんなーって白けた頭で読む医療者目線の自分がいた。磯野さんも失礼だなー、なんで宮野さんを逆撫でするような事ばっかり、と思ってた。→これは患者と非患者に2人を固定して、理想の関係とのギャップに不満を感じていたから!と気づく。
〇〇の接し方、多様性の話(9便)では、ハッとすることが多かった。言語化できない違和感が輪郭を持ったように感じた。医療者として働く自分とそうじゃない自分が棲み分けられてなかったんだと理解。医療者でないときに、役割固定して点にならなくて良い、ラインを描くことこそが大事なんだ、と。
他にも選ぶこと、不運と不幸、徒歩移動と輸送どれも心に刺さった。私はこんな風に生きたいんだ、と思った。登山が苦手でハイキングが好きなのもこの理由だよー、と嬉しくなった。
どんどん具合が悪くなると、心情も刻々と変わる。あんなに強気の宮野さんとストレートを投げ続ける磯野さんではなくなって、、ただ、2人はずっとまっすぐ向き合って言葉を紡いでいた。かっこ良い。素敵な関係を2人で作っていくのがとても良かった、、 -
Posted by ブクログ
映画を見なかったら読まなかった本。というのは、映画を見た頃、資本主義のシステムのなかで働くことに疲れていた。映画のなかで、全く同じ課題について自分の感じていたことが言語化されていて感激したので、改めて文章で読みたくて本書を買った。が、映画とは、二卵性双生児ですらなく、かなり歳の離れた姉妹みたいなものと思ったほうがよい。
それでも、読んでよかった。二人の学者の魂の往復書簡は、事態の緊迫とともにドライブ感が増していく。人と生きること、世界に自分を開くこと、未来に誠実につなげることができている二人の交わす言葉は、大袈裟でなく、胸を打つ。
もう一度映画を見たい。 -
Posted by ブクログ
濱口竜介監督の同名映画を観て、面白かったので、原作として購入。
内容について、とても良かった。
一便一便が短くまとまってて読みやすく、それもよかった。
2/3ほど読んだところで、各書簡の日付を確認して、時間の濃密さに驚いた。
第一便の宮野さんの、リスクと可能性を知ることによって、細分化された人生の分岐が示されたようでいて、本来の無限の可能性を見落としてしまうのでは無いか という話で、かなり引き込まれた。
医師の診断・説明を正しく理解し、そこから今後の人生の道筋を決めるのが患者の自律、自己決定であり大切だと思っていたので、別角度からのこの問いかけは、目から鱗だった。
偶然の話、運命の話、どれも面白かったが、特に心を動かされた言葉は(心は常にうごされっぱなしなのだが)、9便での磯野さんの 「関係性を作り上げることは〜〜次の一歩を踏み出してゆく。」のところ。
「ラインを引くこと」「にも関わらず」この書簡で出てきた色々な言葉、やり取りが、流動的に二人の関係性を構築したことがわかる一節。そしてこれは、10便の宮野さんの、選択した先で自分が立ち現れてくる という話と繋がったいる。
とても面白かったです。おすすめです。 -
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「リスクの話をしましょう。病気を得た人は、常にさまざまなリスクと可能性の語りのなかにいます。」
それぞれに引き出す勇気を持ち、偶然を必然として、引き受ける覚悟を持って出会えたからです。だから、不可能だったかもしれない偶然が生まれた。偶然を「邂逅/出会わせた」のです、私たちのそれぞれの勇気と覚悟が。
具合が悪い人の日常は、具合が悪いことだけで埋め尽くされているわけではなく、そこに異なったものが入るスペースが残されています。それは具合が悪くなるにつれ、どんどん少なくなるかもしれないけれど、具合の悪い人と、そうでない人たちが、互いの間でそれを守り続けようとすること。そこに出会いの中で生きることが意味がある。私はそう感じます。 -
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同タイトル映画の主演女優2人がカンヌで賞を取ったことによって書籍の存在を知り、映画を見る前に読もうと本を手に取った。
同時期に自分の母が急に具合が悪くなり、このテーマを読むことに抵抗を感じだが、この偶然?必然?を受け入れようと読み始めた。
学者同士、人間同士、女性同士の深い言葉のやり取りに、引き込まれるように読んだ。彼女たちが書いていることは、たくさんの人たちも考えていることだが、彼女たちのように言語化できずにいるのだと思う。自分では言語化できなくても、魂のレベルの話だから、読みながら「ああ分かる」となった。かなり深い内容で消化不良感はあるが、読んで良かったし、また読み返したいと思う。
読み進めることは、宮野さんの死に近づくことでもあり、それがとてもつらかった。しかし、どんな人にも死は訪れるのだ。宮野さんのようにまではいかなくとも、自分の人生を自分なりに精一杯生きようと思わせてくれた。 -
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『急に具合が悪くなる』を読み終えて
今まさに病を患っている人にとって、本書は生と死、今と未来に思いを巡らせ、残された時間をどのような心持ちで過ごすのかを考えさせられる一冊ではないだろうか。
40代の人類学者と哲学者による往復書簡は、個人的な経験にとどまらず、それぞれの学問を通して培われた知性と深い考察に裏打ちされている。死を意識せざるを得ない「今」だからこそ湧き上がる感情や思いが、丁寧に、そして客観的に綴られている。
病を悲観することも楽観することもなく、ニュートラルに見つめる。その受け止め方は、年齢や人生経験によっても異なるのだろう。
当事者にしか分かり得ない感情を、同じ経験を持たない磯野さんが深く考察し、寄り添い、問いかけ続ける。その対話は、宮野さんにとって、哲学者としての最期の時間をともに過ごすにふさわしい、魂の深い交わりとなったのではないだろうか。
突然降りかかった不運は、なぜ自分に起きたのか、その原因も責任の所在も分からないことがある。それでも人は、時間をかけて誰かのせいにすることなく、自分に起きたこととして受け入れていく。
宮野さんは、磯野さんと言葉を紡ぎ合うなかで、自らの最期をより明確に意識しながら過ごしていたのではないかと思う。
痛い、辛い、悲しい、苦しい、恨めしい……。凡人の私がいつかその時を迎えたなら、きっとそんな言葉で周囲を困らせてしまうのだろう。
いつか自分自身が死と向き合うとき、もう一度手に取りたい一冊。そのときには、今とはまったく違う思いで読むことになるのだろう -
Posted by ブクログ
こちらを原作とした映画「急に具合が悪くなる」がカンヌ国際映画祭で主演女優賞に輝き話題になって知った本(でも映画は見れてない)。
哲学者である宮野真生子さんと、人類学者である磯野真穂さんの20通に渡る往復書簡を収録した一冊。宮野さんは30代で癌を発症して8年、医師から「急に具合が悪くなるかもしれません」と言われた上でこの企画に臨んでいて、主に生と死をテーマに、二人の学者の言葉のやりとりが、時にユーモアも交えつつも、真剣勝負であることが感じられた。特に終盤(といっても書簡のやりとりをしているのは2ヶ月程度)には、本当に宮野さんの具合が悪くなってしまい、宮野さんと磯野さんそれぞれの魂の叫びが文章から聞こえてくるようで心を揺さぶられた。 -
Posted by ブクログ
ガンを患い死に向かう哲学者の宮野さんと人類学者の磯野さんとの生と死に関する往復書簡。病を患った方との接し方や運命を説明づけるための妖術の役割、人生における偶然性の意味、不運と不幸の違いなど話題は多岐にわたる。
私が特に印象に残ったのは偶然性に関する対話だ。私たちの日々の生活は偶然性に満ち満ちている。ガンになること、風邪をひくこと、恋人や友人と出会うことだけでなく、何を食べるかどの経路を歩くかなど自分の選択であっても偶然性とは切り離せない。
一方で私たちの社会も経済も偶然性を極力排しようとする。学生の時から合理的な進路とキャリアデザインを求められ、消費行動は合理的に設計されたアルゴリズムとドーパミンに支配されている。無駄をなくせ生産性をなくせ。すべて合理的に生きよという具合だ。
でも本当に私たちは偶然性から解放されうるのだろうか。可視化可能なものから偶然性を一時的に排することは可能だろうが、世界をすべて理解できているわけではない人類に偶然性を排することは不可能だろう。神になったかのような傲慢な錯覚ではないかと思う。
偶然を許容しない社会は息苦しいし、偶然を受け入れられない人生は脆弱だろう。九鬼周造を研究してきた宮野さんは偶然性を受け止め、だからこそ死と向き合い最後まで強く自分の人生を歩まれたんだと思う。偶然を大切にしたい。