あらすじ
もし明日、急に重い病気になったら──
見えない未来に立ち向かうすべての人に。
【濱口竜介監督 最新作】
映画『急に具合が悪くなる』
2026年6月19日全国公開
第79回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品決定!
哲学者と人類学者の間で交わされる
「病」をめぐる言葉の全力投球。
共に人生の軌跡を刻んで生きることへの覚悟とは。
信頼と約束とそして勇気の物語。
もし、あなたが重病に罹り、残り僅かの命言われたら、どのように死と向き合い、人生を歩みますか?
もし、あなたが死に向き合う人と出会ったら、あなたはその人と何を語り、どんな関係を築きますか?
がんの転移を経験しながら生き抜く哲学者と、臨床現場の調査を積み重ねた人類学者が、死と生、別れと出会い、そして出会いを新たな始まりに変えることを巡り、20年の学問キャリアと互いの人生を賭けて交わした20通の往復書簡。
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1便:急に具合が悪くなる
2便:何がいまを照らすのか
3便:四連敗と代替療法
4便:周造さん
5便:不運と妖術
6便:転換とか、飛躍とか
7便:「お大事に」が使えない
8便:エースの仕事
9便:世界を抜けてラインを描け!
10便:ほんとうに、急に具合が悪くなる
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宮野真生子(みやの・まきこ)
福岡大学人文学部准教授。2000年、京都大学文学部文学科卒業。2007年、京都大学大学院文学研究科博士課程(後期)単位取得満期退学。博士(人間科学)。専門は日本哲学史。著書に『なぜ、私たちは恋をして生きるのか──「出会い」と「恋愛」の近代日本精神史』(ナカニシヤ出版)、『出逢いのあわい──九鬼周造における存在論理学と邂逅の倫理』(堀之内出版)、藤田尚志との共編著に『愛・性・家族の哲学』(全3巻、ナカニシヤ出版)などがある。
磯野真穂(いその・まほ)
国際医療福祉大学大学院准教授。1999年、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業。オレゴン州立大学応用人類学研究科修士課程修了後、2010年、早稲田大学文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。専門は文化人類学、医療人類学。 著書に『なぜふつうに食べられないのか──拒食と過食の文化人類学』(春秋社)、『医療者が語る答えなき世界──いのちの守り人の人類学』(ちくま新書)、『ダイエット幻想──やせること、愛されること』(ちくまプリマ―新書)などがある。
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Posted by ブクログ
泣いた。2人のかっこよさ。すごくよかった。
いい本って、何が書いてあったかをひと言で言えない本だと思う。読みながらいろんなことを考えて、いろんなところに考えが飛んで、すごく読みやすいのに結局何度も読んで意味がとれるような。
グラデーション、信頼、覚悟、向き合うこと。
私の中で、2026ベスト5に入る本だった。
Posted by ブクログ
人が考え、感じるものはすべて言語化することができるのかもしれない。
北欧、暮らしの道具店の佐藤店長のIGで『急に具合が悪くなる』の映画と本の感想を観てからずっと、気になっていた。
読みたい本が途切れず、買えていなかったけどようやく読めた。
本当は映画→本の順番にしたかったけど、3時間の映画を観るの疲れてしまうかもと自信がなくて、迷っていたら上映期間終わってしまっていた…悔やまれる。
本を読む気満々だったから、敢えてどういう本なのかの情報はシャットダウンしていた。真っさらな気持ちで読めて、ストンと入ってきた。
往復“書簡”とは?と思っていたけど、手紙のやり取りのもう少し格式ばったやつです(合ってる?)。
言語化能力に長けた二人の貴重な書簡。
人が考え、感じるものはすべて言語化することができるのかもしれないと思わせられるほどの思考力。
言葉にしないほうが美しいとか強いとか(特に根拠もなく)思っているんだけど、その考えを覆されそうなくらいには言葉を尽くして書かれていて、考えるプロの力を見せつけられた。
磯野さんと同じく、わたしも船の移動が好き。電車の移動も好き(乗り換えが多くて時間が多少かかっても、割安な移動を選択する。ただの貧乏性?)。どこかへ向かう時間って、わくわくする。大抵は本を読んでいるまたは寝ているのだけれども。14時~15時に乗る電車は、それはそれはぽかぽかしていて、電車に乗っている人は大体お昼寝している光景も好き。
【メモ】
1便
可能性やリスクに縛られた人生は嫌だ。だがリスクを回避した道には安心がある
未来でしかない死から今を生きるのは違うのではないか?
→可能性やリスクに抗っていたいのはそうだけど、実際に死に向かう病気になったとき、果たして抗える元気があるかな。抗うことには体力と気力が要る。そして抗わないと安心と楽が手に入る。
2便
「選ぶ」って何だろう?
選ぶって大変、決めるの疲れる
→自然体で選びたい気持ち、本当によくわかる。
3便
患者の意思である同意書への署名
選び、その選択の結果を引き受けるのは自分だけど、選ぶまでのプロセスは一人で担う必要はない
→目から鱗!もっと自分のことを主治医に相談していいのか。
わたしも医者にとって「良い患者」であろうとしがちだ。それが自分に良いとは限らないのに。
4便
必然の先にある偶然
5便
不運でも不幸ではない
不運を受け入れなくてもいい。理不尽だと怒っていい。でもそれはわからないことに対して怒ることだからエネルギーを要する。合理的な理由に飛びつき、わかるとされていることに流される
→理不尽だと怒ることはよくあるけれど、怒ったところで書いてあるように「わからないこと」に対して怒っているのであり、怒ったことで解決に繋がる訳ではないので、怒るだけエネルギーが消費されてしまうという仕組みになっている。かなしい。そうして、合理的に説明がつくものに飛びついて、どうにか解決しないかな、と望んでしまう。
6便
だらっとした会話が必要
0パーセント患者で会話したいけど、症状が進んで行くと0パーセントではいられない。ほどほど患者でいたい
→患者と非患者のコミュニケーションの難しさ。患者と非患者であるということよりも、個人と個人の関係性がどう成り立っているかの先にコミュニケーションがあることが理想なんだろうな。
患者であるとき、どういう言葉がかけられることを望んでいるのか、わからない。わからないことだらけだから、一緒にとまどってくれることが良いのかも。
7便
予防は最低限で、場当たり的でいいのでは?
→自分が傷つきたくないから、自分がいい気持ちになりたいから、人は行動すると最近思う。他人に優しくするのも、自分がいい気持ちで生きたいからそうするんだって思って行動している。
予防線を張ったコミュニケーションは定型にはめてしまうことになる。
信頼は、「わからないはずの未来に対してあらかじめ決定的な態度をとること」
約束は、本来取れるはずのない「決定的態度」を「それでも」取ろうとすることであり、こうした無謀な冒険、賭けを目の前の相手に対して、「今」表明することに意味がある
あなたがいるからこそ決めたのだという、「今」の決断こそ「約束」の要点
→信頼と約束の意味。ちょうど(?)『室井慎次 敗れざる者』を観ていたので、信じることや約束について、考えていた。
9便
「〇〇に対する適切な接し方」による多様な社会や人々の繋がりの達成への疑問
人と人の間にあったはずの(とまどいを含めた)動きがなくなってしまう
10便
なにかを選択することで、自分が明らかになっていく
偶然だと思った出会いも、自分が選択した結果なのかもしれない。そうして他者と出会っていく
→出会いに偶然はあるかもしれないけど、その相手と付き合っていくかどうかは、偶然に見せかけて、自分の、そして相手の中のなんらかの力が動いているのかもしれない。そう思うと、いま周りにいる人たちや、これから出会って関わっていくかもしれない可能性がとっても愛おしくなる。
Posted by ブクログ
1回目は読破できなかったけれど、映画が素晴らしかったので、再チャレンジ。クラインマンの哲学的には、専門職セクタ、民俗セクタ、民間セクタの3つに分けられる話がとてもよくて、宮野さんの母親が医師に「あなたの家族だったらどうしますか?」と聞くのはルール違反、専門職セクタの人を民間セクタに引きづり下ろしている、というのがとても良かった。また不運は点、不幸は線、だとか、患者と健康な人との関わり方について、偶然と選択について、点から点への移動とラインの違いについて、など、深く考察されていて、本当に面白かった。100%患者でいること、患者である自分から離れられること、患者に対して健康な人にはルールに沿って会話をしていること、など、人との付き合い方をもう一度考えるきっかけをくれる本だと思う。また読みたい。
Posted by ブクログ
素晴らしかったです。
本を手に取った時は小説かな?と思っていましたが開いてみると哲学者と人文学者の書簡を書籍化したものでした。
命を懸けて紡がれた、まさしく哲学や死生観の入門書。
最後は涙無しでは読めませんので家で1人ゆっくり読まれる事をおすすめします
映画も見なければ
Posted by ブクログ
映画にいたく心揺さぶられてしまい勢いで原作も。少し時間はかかったがようやく読めた。
2人の学者の間で交わされる、正直で誠実で知性に満ちた、それでいて時に赤裸々な言葉も綴られる往復書簡は、「病になる」とは「急に具合が悪くなる」とはどういうことなのか、運命や偶然の概念を解きほぐしながら解釈される。
幾多の「にもかかわらず」を覆して、あなたと出会えたこと、それを運命といわずして何と形容できるだろうか。2人の間に流れた、線的な時間ではなく、立体的に編まれた時間の尊さ、かけがえなさに涙した。
Posted by ブクログ
良すぎた。まごう事なき⭐️5、手元に置いて何回も何回も読みたい本。
序盤は元気があるから、がん患者に収まりたくない!の強い気持ちがすごい。8年も癌と付き合ってたらそんな風に思うのか?全身状態も深刻じゃないみたいだし、全ての癌患者には当てはまらんなーって白けた頭で読む医療者目線の自分がいた。磯野さんも失礼だなー、なんで宮野さんを逆撫でするような事ばっかり、と思ってた。→これは患者と非患者に2人を固定して、理想の関係とのギャップに不満を感じていたから!と気づく。
〇〇の接し方、多様性の話(9便)では、ハッとすることが多かった。言語化できない違和感が輪郭を持ったように感じた。医療者として働く自分とそうじゃない自分が棲み分けられてなかったんだと理解。医療者でないときに、役割固定して点にならなくて良い、ラインを描くことこそが大事なんだ、と。
他にも選ぶこと、不運と不幸、徒歩移動と輸送どれも心に刺さった。私はこんな風に生きたいんだ、と思った。登山が苦手でハイキングが好きなのもこの理由だよー、と嬉しくなった。
どんどん具合が悪くなると、心情も刻々と変わる。あんなに強気の宮野さんとストレートを投げ続ける磯野さんではなくなって、、ただ、2人はずっとまっすぐ向き合って言葉を紡いでいた。かっこ良い。素敵な関係を2人で作っていくのがとても良かった、、
Posted by ブクログ
哲学者・宮野真生子と人類学者・磯野真穂による往復書簡。
タイトル通り、急に具合が悪くなるかもしれない、というところから始まって、最後は本当に具合が悪くなっていく。
泣くに決まってる。
宮野さんの人生との向き合い方に、勇気をもらった。40歳そこそこで、あれほど俯瞰できるのかと。
ハイデガーは言う。「死はいつかはやってくる、しかし今ではない」と。
でも「今ではない」という猶予が、彼女には与えられなかった。
彼女にとっては、今なのだ。
でもだからこ、その「今」の中で、知的に、誠実に、言葉を交わし続けられたのかもしれない。
Posted by ブクログ
映画を見なかったら読まなかった本。というのは、映画を見た頃、資本主義のシステムのなかで働くことに疲れていた。映画のなかで、全く同じ課題について自分の感じていたことが言語化されていて感激したので、改めて文章で読みたくて本書を買った。が、映画とは、二卵性双生児ですらなく、かなり歳の離れた姉妹みたいなものと思ったほうがよい。
それでも、読んでよかった。二人の学者の魂の往復書簡は、事態の緊迫とともにドライブ感が増していく。人と生きること、世界に自分を開くこと、未来に誠実につなげることができている二人の交わす言葉は、大袈裟でなく、胸を打つ。
もう一度映画を見たい。
Posted by ブクログ
同名映画を観て感動し、原作を購入。
生き様が格好良い。
人は何かしら物語を創作しないと生きていけないもの。その究極的な課題が自身の死についてであり、そこに対して書簡のやり取りを通じて向き合っていく。
一つ一つの文章を通じて、そこには確かに力強い『踏み跡』が残っていることを感じた。
Posted by ブクログ
濱口竜介監督の同名映画を観て、面白かったので、原作として購入。
内容について、とても良かった。
一便一便が短くまとまってて読みやすく、それもよかった。
2/3ほど読んだところで、各書簡の日付を確認して、時間の濃密さに驚いた。
第一便の宮野さんの、リスクと可能性を知ることによって、細分化された人生の分岐が示されたようでいて、本来の無限の可能性を見落としてしまうのでは無いか という話で、かなり引き込まれた。
医師の診断・説明を正しく理解し、そこから今後の人生の道筋を決めるのが患者の自律、自己決定であり大切だと思っていたので、別角度からのこの問いかけは、目から鱗だった。
偶然の話、運命の話、どれも面白かったが、特に心を動かされた言葉は(心は常にうごされっぱなしなのだが)、9便での磯野さんの 「関係性を作り上げることは〜〜次の一歩を踏み出してゆく。」のところ。
「ラインを引くこと」「にも関わらず」この書簡で出てきた色々な言葉、やり取りが、流動的に二人の関係性を構築したことがわかる一節。そしてこれは、10便の宮野さんの、選択した先で自分が立ち現れてくる という話と繋がったいる。
とても面白かったです。おすすめです。
Posted by ブクログ
人におすすめされた&書簡のやり取りが映画化ってどない?&別の本で磯野さんを発見したことがある
上記理由により手に取りました。
おすすめしてくれた人は、途中の死に対する温度感が変わったあたりから泣きっぱなしで〜というようなことを言っていたが、私は最後の最後にうるっときました。
やはり、人の死には弱い、、、、、、、、
この書簡の背景には数多もの軽い日常的なやり取りがあるのはもちろんそうなのだろうが、それでもこの二人の関係を見て【出会うのを諦めない】気持ちになりました。
Posted by ブクログ
話題や文体がどんどん重くなり、死を意識せざるを得ないものになっていくにつれ、お二人の学者としての矜恃と言葉への真摯さもまた強く感じられるようでした。私はこんな風に自分に降りかかった事柄と向き合えるだろうか?私はただの連結器になっていないだろうか?ラインを引き、そこに深い踏み跡を残せるような生き方ができるのか、しようと努めているのか?何者かになる、とかではなく、人間としての生き方、他者との関わり方を問い直さなければならないと思いながら読んでいました。
Posted by ブクログ
「リスクの話をしましょう。病気を得た人は、常にさまざまなリスクと可能性の語りのなかにいます。」
それぞれに引き出す勇気を持ち、偶然を必然として、引き受ける覚悟を持って出会えたからです。だから、不可能だったかもしれない偶然が生まれた。偶然を「邂逅/出会わせた」のです、私たちのそれぞれの勇気と覚悟が。
具合が悪い人の日常は、具合が悪いことだけで埋め尽くされているわけではなく、そこに異なったものが入るスペースが残されています。それは具合が悪くなるにつれ、どんどん少なくなるかもしれないけれど、具合の悪い人と、そうでない人たちが、互いの間でそれを守り続けようとすること。そこに出会いの中で生きることが意味がある。私はそう感じます。
Posted by ブクログ
同タイトル映画の主演女優2人がカンヌで賞を取ったことによって書籍の存在を知り、映画を見る前に読もうと本を手に取った。
同時期に自分の母が急に具合が悪くなり、このテーマを読むことに抵抗を感じだが、この偶然?必然?を受け入れようと読み始めた。
学者同士、人間同士、女性同士の深い言葉のやり取りに、引き込まれるように読んだ。彼女たちが書いていることは、たくさんの人たちも考えていることだが、彼女たちのように言語化できずにいるのだと思う。自分では言語化できなくても、魂のレベルの話だから、読みながら「ああ分かる」となった。かなり深い内容で消化不良感はあるが、読んで良かったし、また読み返したいと思う。
読み進めることは、宮野さんの死に近づくことでもあり、それがとてもつらかった。しかし、どんな人にも死は訪れるのだ。宮野さんのようにまではいかなくとも、自分の人生を自分なりに精一杯生きようと思わせてくれた。
Posted by ブクログ
「宮野にしか紡げない言葉を記し、それが世界にどう届いたかを見届けるまで、絶対に死ぬんじゃねーぞ。」
全然うまく消化しきれてないですが、読んでよかった、また読みたいと思える本です。読み返しながら咀嚼していきたい。自分なりにも考えていきたい。
Posted by ブクログ
宮野さんは魂を分けた磯野さんに出会って本当に幸せだっただろう
そしてその幸せを受けて然るべき人物だったと感じた
人間関係は友達であろうと家族であろうと、愛情という名のもとに悪気なく傷つけてくる人で溢れていると感じてしまうから
哲学者の話を聞く機会は今まで無かったしどちらかと言えば避けてきたけれど、そんな私にも刺さる言葉が沢山あった
この2人の関係性は羨ましい
病気で亡くなってしまった私の友人にとって私はどんな存在だっただろうと考える
私は彼女にこんなに真っ直ぐな言葉を投げかけることは出来なかった
Posted by ブクログ
映画鑑賞済み。
映画とは人物も内容もちがうけど、伝えたいことは同じなのかなと感じた。
何がってはっきりとしたものは言えないけど。
この感想は本を貸してくれた恋人と共有したいので
ここには残さないことにしておく。
Posted by ブクログ
『急に具合が悪くなる』を読み終えて
今まさに病を患っている人にとって、本書は生と死、今と未来に思いを巡らせ、残された時間をどのような心持ちで過ごすのかを考えさせられる一冊ではないだろうか。
40代の人類学者と哲学者による往復書簡は、個人的な経験にとどまらず、それぞれの学問を通して培われた知性と深い考察に裏打ちされている。死を意識せざるを得ない「今」だからこそ湧き上がる感情や思いが、丁寧に、そして客観的に綴られている。
病を悲観することも楽観することもなく、ニュートラルに見つめる。その受け止め方は、年齢や人生経験によっても異なるのだろう。
当事者にしか分かり得ない感情を、同じ経験を持たない磯野さんが深く考察し、寄り添い、問いかけ続ける。その対話は、宮野さんにとって、哲学者としての最期の時間をともに過ごすにふさわしい、魂の深い交わりとなったのではないだろうか。
突然降りかかった不運は、なぜ自分に起きたのか、その原因も責任の所在も分からないことがある。それでも人は、時間をかけて誰かのせいにすることなく、自分に起きたこととして受け入れていく。
宮野さんは、磯野さんと言葉を紡ぎ合うなかで、自らの最期をより明確に意識しながら過ごしていたのではないかと思う。
痛い、辛い、悲しい、苦しい、恨めしい……。凡人の私がいつかその時を迎えたなら、きっとそんな言葉で周囲を困らせてしまうのだろう。
いつか自分自身が死と向き合うとき、もう一度手に取りたい一冊。そのときには、今とはまったく違う思いで読むことになるのだろう
Posted by ブクログ
こちらを原作とした映画「急に具合が悪くなる」がカンヌ国際映画祭で主演女優賞に輝き話題になって知った本(でも映画は見れてない)。
哲学者である宮野真生子さんと、人類学者である磯野真穂さんの20通に渡る往復書簡を収録した一冊。宮野さんは30代で癌を発症して8年、医師から「急に具合が悪くなるかもしれません」と言われた上でこの企画に臨んでいて、主に生と死をテーマに、二人の学者の言葉のやりとりが、時にユーモアも交えつつも、真剣勝負であることが感じられた。特に終盤(といっても書簡のやりとりをしているのは2ヶ月程度)には、本当に宮野さんの具合が悪くなってしまい、宮野さんと磯野さんそれぞれの魂の叫びが文章から聞こえてくるようで心を揺さぶられた。
Posted by ブクログ
ガンを患い死に向かう哲学者の宮野さんと人類学者の磯野さんとの生と死に関する往復書簡。病を患った方との接し方や運命を説明づけるための妖術の役割、人生における偶然性の意味、不運と不幸の違いなど話題は多岐にわたる。
私が特に印象に残ったのは偶然性に関する対話だ。私たちの日々の生活は偶然性に満ち満ちている。ガンになること、風邪をひくこと、恋人や友人と出会うことだけでなく、何を食べるかどの経路を歩くかなど自分の選択であっても偶然性とは切り離せない。
一方で私たちの社会も経済も偶然性を極力排しようとする。学生の時から合理的な進路とキャリアデザインを求められ、消費行動は合理的に設計されたアルゴリズムとドーパミンに支配されている。無駄をなくせ生産性をなくせ。すべて合理的に生きよという具合だ。
でも本当に私たちは偶然性から解放されうるのだろうか。可視化可能なものから偶然性を一時的に排することは可能だろうが、世界をすべて理解できているわけではない人類に偶然性を排することは不可能だろう。神になったかのような傲慢な錯覚ではないかと思う。
偶然を許容しない社会は息苦しいし、偶然を受け入れられない人生は脆弱だろう。九鬼周造を研究してきた宮野さんは偶然性を受け止め、だからこそ死と向き合い最後まで強く自分の人生を歩まれたんだと思う。偶然を大切にしたい。
Posted by ブクログ
途中、「私は何を読まされてるんだろう」と思った。二人の往復書簡。なまじ文章を書き慣れている人たちの、暗喩や擬人法に満ちた、聞き慣れない人の文章の引用に満ちた、正直に言ってどちらも読みにくい文章で、何度も中断した。
映画化もされ、主演のひとりがカンヌで最優秀女優賞を取って話題になったので、見に行こうかと思ったけど、イマイチ気分にならなかった。
最後のやり取りのところでやっと「あー、これはラブレターなんだ」と気がついた。
映画はどういう解釈をしているか分からないが、私はそう感じた。
Posted by ブクログ
がんの転移を経験しながら生き抜く哲学者と、臨床現場の調査を積み重ねた人類学者による書簡を紡いだ至高の哲学書。
本著の「偶然を必然として引き受ける覚悟をもって出会えた」という言葉に感銘を受けました。
Posted by ブクログ
読み始めは「賢く正しくあろうとする意識」や、知性で感情を武装しているようなガードの固さが気になって少し辛かった。
でも読み進めて病状が進むにつれ、その余分な力が抜けて、使われる言葉がどんどん真っ直ぐ心に届くものへと研ぎ澄まされていくように感じた。
前半の学者としての自意識も、後半のむき出しの言葉も、どちらも宮野さんという人の本当の姿なのだと思う。対話相手としての磯野さんの姿勢も素敵だった。
Posted by ブクログ
映画からの原作。
ただ、映画とは大まかな設定は似ているものの、全く別物。
ただ、色々と考えながら読んだ。
大きな病を抱えていようが、元気だろうが、誰にも明日、もっといえば、1秒、1分先も生きてるなんて約束されていない。
そう考えながら生きることで、少しは自分の生き方だったり、他者への接し方だったり、大事に生きていける気がする。
また、行き詰まったり、何かに悩んだ時とかに読み返したい…。
Posted by ブクログ
哲学者宮野さんは各種のエビデンスと統計データを理解し,主治医を専門職セクターにいる存在としてリスペクトする、物分かりのいいがん患者である…
しかし彼女は病気で不安に駆られる中で、合理性で未来を予想して自分を守ろうとしていたことに気付く
そこで見失っていたもの,世界への信頼と偶然(まさに彼女が20年間研究していた九鬼周造の哲学)に生まれてくる「いま」に身を委ねる勇気だった
宮野さんから言葉を引き出すのが上手い人類学者の磯野さん、時間とは物理的時間✖️深さという…
2人の往復書簡はまさに宮野さんの具合がどんどん悪くなり、救急車で運ばれてICUに入り、、またほんの束の間持ち直して(おわりに)と(謝辞)をギリギリ目を通して、最期の最後まで哲学の言葉を紡いで「この世は人と人が偶然出会い、タイミングをつかみ合い、運命と変化して、他者と生きる新たな時が生まれる」この世が愛おしい,と締めくくる彼女の言葉に打たれた…
Posted by ブクログ
インゴルドの線の話が自分の考えていたことを言語化していてとても印象に残っている。
内容はかなり抽象的な話も多く、何度か読み返しながら頭を使って読んだ。なんとなくわかるからこそ、しっかり理解したいと思って時間がかかった。装丁の緩さから判断すると痛い目を見る難しさはあると思われる。
Posted by ブクログ
無意識のうちに相手を「病人」という枠に当てはめ、勝手に「不幸な物語(線)」を思い描いてしまうかもしれない。そんな自分自身の内面にある危うさに気づき、そうなりたくないと思った。
この本は病気や社会と激しく対立するようなものではなく、病という偶然の「点」を抱えながらも、最後まで「私とあなた」として対等に言葉を交わし、自分らしい「線」を紡ぎ続けようとした二人の対話。
Posted by ブクログ
哲学者の宮野さんがガンを患い、
死に向かうまで人類学者の磯野さんと
往復書簡でやりとりをしていた内容がそのまま
書籍になっていた。
哲学者というだけあり、少し内容が難しいというか、
ガンという病や、死へと向かう過程を非常に客観的に表現する方だなぁという印象だった。
さらりと読み終えてはいけないような、そんな気がした。
一読だけでは内容が掴みきれなかったので、改めて、もう一度じっくりと読んでみようと思う。
Posted by ブクログ
哲学者の宮野真生子さんと人類学者の磯野真穂さんの往復書簡集。
学者さんなので難しくて理解できない部分がたくさんあったが、2人の関係性が素敵だった。
Posted by ブクログ
9月の読書会のテーマ
本を受け取ったのは8月初旬、にもかかわらず読み終えたのは読書会前夜…
じつは最初は内容に入り込めず(こういう往復書簡の本は初めてで)、そのまま仕事が忙しいのを理由に放置すること1ヶ月…
これはヤバい、読書会に間に合わない!とあわてて少しずつ読む。
半分近くなって、だんだん内容に集中できてきて、ふむふむ~、ほ~そういう考え方もあるのかetc
1. 単なる「美談」や「闘病記」ではない
この本は「病気に負けずに頑張る」という感傷的な闘病記でも、お互いを優しく慰め合う本でもありません。
死を目の前にした宮野さんに対し、磯野さんは一切手加減せず、研究者同士として全力の知的なボール(問い)を投げ込みます。
その「対等で真剣勝負なやり取り」こそが、病気によって「かわいそうな患者」という枠にはめられがちだった宮野さんの尊厳を支えました。
2.周りからのノイズ
病気が悪化したときに周囲から寄せられる民間療法などの情報が『親心と分かっていてもノイズでしかなかった』という宮野さんに、すごく共感しました。
ウチは子供がいないんですが、むかし親戚のおじさんに「〇〇のお守りもらってきてあげようか?」有名な子宝神社
と言われたときに、大きなお世話やー(とは言えなかったけどな)イラっとしたのを思い出しました(笑)
3. 「不運」と「不幸」の違い
作中で特に深く議論されるのが「病気になること」についてです。
不運:確率や偶然によって自分に起こってしまった「点」の出来事(誰のせいでもない)。
不幸:その出来事を「自分はなんてダメなんだ」「人生が終わった」と意味づけてしまった「線」の状態。
病気になるのは単なる「不運」であって、それをどう生きるかによって「不幸」にするかどうかは自分で選べる、という強い思考が語られます。
宮野さんは、始めは「自分は不幸ではない」と言ったけど、カッコつけすぎたかな~と後で仰ってました。
でも、カッコつけてしまう気持ちはとてもよく分かります。自分が宮野さんの立場なら多分そうしてしまうと思うの。
病気や困難に直面したとき、周りに心配をかけたくないという気持ちもありますし、「可哀想な人」「弱っている人」として見られたくない。
自分のプライドを守りたいという気持ちから、つい「大丈夫」「不幸ではない」と振る舞ってしまったり、自分に言い聞かせてしまう。
逆に、悲劇のヒロイン(言い方わるくてスミマセン)になれる人が羨ましいと思う時もあるわ(笑)
4. 「急に具合が悪くなる」という不確実性を生きる
タイトルの言葉は、主治医から告げられた一言です。
「明日どうなるか分からない(未来の予定が崩れるかもしれない)」という極限の不確実性の中で、人はどうやって希望を持ち、他者と「約束」をして生きていくのか。
二人は「不確実な未来を恐れるのではなく、今この瞬間の出会いや対話を引き受けること」に生の意味を見出していきます。