あらすじ
もし明日、急に重い病気になったら──
見えない未来に立ち向かうすべての人に。
【濱口竜介監督 最新作】
映画『急に具合が悪くなる』
2026年6月19日全国公開
第79回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品決定!
哲学者と人類学者の間で交わされる
「病」をめぐる言葉の全力投球。
共に人生の軌跡を刻んで生きることへの覚悟とは。
信頼と約束とそして勇気の物語。
もし、あなたが重病に罹り、残り僅かの命言われたら、どのように死と向き合い、人生を歩みますか?
もし、あなたが死に向き合う人と出会ったら、あなたはその人と何を語り、どんな関係を築きますか?
がんの転移を経験しながら生き抜く哲学者と、臨床現場の調査を積み重ねた人類学者が、死と生、別れと出会い、そして出会いを新たな始まりに変えることを巡り、20年の学問キャリアと互いの人生を賭けて交わした20通の往復書簡。
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1便:急に具合が悪くなる
2便:何がいまを照らすのか
3便:四連敗と代替療法
4便:周造さん
5便:不運と妖術
6便:転換とか、飛躍とか
7便:「お大事に」が使えない
8便:エースの仕事
9便:世界を抜けてラインを描け!
10便:ほんとうに、急に具合が悪くなる
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宮野真生子(みやの・まきこ)
福岡大学人文学部准教授。2000年、京都大学文学部文学科卒業。2007年、京都大学大学院文学研究科博士課程(後期)単位取得満期退学。博士(人間科学)。専門は日本哲学史。著書に『なぜ、私たちは恋をして生きるのか──「出会い」と「恋愛」の近代日本精神史』(ナカニシヤ出版)、『出逢いのあわい──九鬼周造における存在論理学と邂逅の倫理』(堀之内出版)、藤田尚志との共編著に『愛・性・家族の哲学』(全3巻、ナカニシヤ出版)などがある。
磯野真穂(いその・まほ)
国際医療福祉大学大学院准教授。1999年、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業。オレゴン州立大学応用人類学研究科修士課程修了後、2010年、早稲田大学文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。専門は文化人類学、医療人類学。 著書に『なぜふつうに食べられないのか──拒食と過食の文化人類学』(春秋社)、『医療者が語る答えなき世界──いのちの守り人の人類学』(ちくま新書)、『ダイエット幻想──やせること、愛されること』(ちくまプリマ―新書)などがある。
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Posted by ブクログ
話題書なので、読もう読もうと思いつつ、手を出せていなかった本。理由は勇気が出なかったから。タイトルから、生と死を描いた本であることが容易に想像がついた。
なので、休日の日中明るい時間に、外でごはんを食べながら読み始めた。すごく読むことを恐れていたけれど、読んでみると、一気に読み切れた。
生と死を描いていながらも、著者が哲学者と人類学者としての信念を持っていたからなんだと思う。読んでよかった。
Posted by ブクログ
映画の原作と思い読みました。書簡集とは思わないで読みました…
でも、先がもう見えている私には…(病気ではない…)色々そうだね…よくわかると思うところもあり‥‥映画は多分見ない・・・
Posted by ブクログ
映画を見てから本を読んだ。ストーリーの内容は全く異なる。しかし物語の終着で得る感情は映画と本で深く共通しており、宮野さんと磯野さん(そして映画における主役2人)の骨太な精神性、揺るがない魂の繋がりに美しさが宿っていた。この先何度も読み返したい。
Posted by ブクログ
*この本を残してくれてありがとうございます。
と心から思う。
宮野さんが磯野さんと出会えて良かった。
命がけで言葉を渡してくる宮野さんも、逃げ出さなかった磯野さんも尊敬する。自分が何をするべきかを己の命が求める使命感と絶対に逃すことのできないその瞬間、瞬間に適切な形で想いを言語に変えられる力には、私の魂に響くものがあった。人間ってすごいんだな、と思う。
「くもをさがす」でも、自分のアイデンティティが病気に支配されてしまうことに言及されていた。
そして、これが自分だと思っているものは実はいろんな偶然性からその道へと運ばれたことも往々にしてある。
意図することが全て正義ではなくて、他者との関係性を柔らかく、特に何かを意図せず、ともに揺らぎながら、でも確実に「今」を共有している感覚を大切にすること。それが互いの「生きる」につながるのだな、と身体的な感覚として伝わった。
究極のわからなさを持つ2人がここまで繋がれる・シナジーを生み出せるのは、互いを信頼して直接的な言葉だとしても「あなたの言葉が欲しい!」を渡せたから。きっとそれは、あらゆる関係性にも言えること。
わかったようなふりはしない。を、まずは親子関係に当てはめて対話に生かしていきたいと思う。
Posted by ブクログ
乳がんが多発転移し、急に具合が悪くなるかもしれない宮野さんが、講演依頼をきっかけに知り合った磯野さんとやり取りした20通の手紙。
学者同士の客観的なやりとりではあるが、ユーモアあり、踏み込んだ質問あり、時に粗削りな言葉を投げかけたり、「魂」という言葉まで使いながら、「正しい医療について」「良い患者について」「がんを患った人との接し方」など、徹底的に語り合う。読後はエモーショナルに揺さぶられ、思わず泣きました。
主治医、ホスピス関係者、病気になった当事者やその知人、色んな人に読んでほしい一冊です。
Posted by ブクログ
生きてきて、出会えてよかったと思う本がある。
私にとってそのうちの一冊です。
たくさんの既成概念に苦しんでいるひとがいる。苦しみはいつもとても個人的なものだと思う。
普通の枠に孤独感を持つ、怒りや孤独は深い痛みになる。
死を迎えるひとと、生き残るひと。その二人は大きく隔てられて言葉も無くしてしまう。
それでも、「ただのあなたと私」で繋がり続ける物語(往復書簡)です。
病気にどう向き合うか、向き合わないか、受け入れるか、抗うか。
病気に自分らしさを削られているひとのそばに、臨床に立つものとして、自分の考えを新たにする必読の一冊だと思いました。
今年映画化され、そちらはまだ観ていませんが、映画を観て満足するだけではもったいない、原作をぜひとも読んでいただきたいです。
Posted by ブクログ
同タイトル映画の主演女優2人がカンヌで賞を取ったことにより、書籍の存在を知り、映画を見る前に読もうと本を手に取った。
同時期に自分の母が急に具合が悪くなり、このテーマを読むことに抵抗を感じだが、この偶然?必然?を受け入れようと読み始めた。
学者同士、人間同士、女性同士の深い言葉のやり取りに、引き込まれるように読んだ。彼女たちが書いていることは、たくさんの人たちも考えていることだが、彼女たちのように言語化できずにいるのだと思う。自分では言語化できなくても、魂のレベルの話だから、読みながら「ああ分かる」となった。かなり深い内容で消化不良感はあるが、読んで良かったし、また読み返したいと思う。
読み進めることは、宮野さんの死に近づくことでもあり、それがとてもつらかった。しかし、どんな人にも死は訪れるのだ。宮野さんのようにまではいかなくとも、自分の人生を自分なりに精一杯生きようと思わせてくれた。
Posted by ブクログ
カンヌ国際映画祭で受賞されたことが話題になっていた。
そこでわたしが驚いたことがあり、
服飾の専門学校の頃は、よくコレクションを観てて、
その中で日本人のモデルtaoさんを何度も観てたから、彼女が女優と活躍されていて驚いた。
授賞式では、CHANELだっけ?のドレスに、
またふっくらとしたお腹がより神秘的で美しかった。
さて、本棚。
宮野さんは哲学者で、磯野さんは人類学者
お二人が普段感じている世の中はこうも違うのかなぁ?と
考え方が哲学的だったりして、
正直、話が難しかったりしてついていけない部分もあった。
でも、よく考えてみたら、
余命宣告もされて、具合が悪くなっている方と、
こんなにも伴走し続けるお互いの姿がなんともいえなくて。
往復書簡だけではなく、その他のやり取りもあった様子で、
読んでいて不思議な感覚だった。
ちょうど、可愛がってくれていたおじさまが亡くなることがあって。
癌が身体にどんどん侵食していって、
息がしづらくなったりすることとか、
きっと辛かっただろうなぁとありきたりなことしか思えないけど、
そんなことを想像した。
宮野さんは、リアルに具合が悪くなっていることを書いているのではなかったのが印象に残っていて、
最後の手紙に、運命やタイミングのことについて書かれていたのが印象に残った。
でも、正直まだわからなくて、
映画を観て、またもう一度読み直したいと思った。
宮野さんと磯野さんのプロフィールが面白くて、
なんかパワー溢れる面白いかたなんだなぁと思った。
写真も素敵で。
人が亡くなるのは、何歳でも悲しい、寂しいことだね。
Posted by ブクログ
哲学者と人類学者の往復書簡ということで、抽象的なやりとりも多く少し難しく感じましたが自分なりに感じたことを書きます。
人は不運なことが起きた時に「◯◯したからこうなった」みたいな原因結果論を持ち出して自分を納得させようとする生き物ですが、生きるってそもそもそんな単純明快じゃないしコントロール可能なものじゃない、もっと偶然とか運命的なものに導かれるものだよということを言ってくれていたのかなと思います。
私は子供を妊娠したときに、実母から「◯◯をしたら障害児が生まれる(育つ)」というプレッシャーを妊娠中から産後までずっとかけられて、人間ってそんな「AすればBになる」みたいな単純な方程式が成り立つのか?と常々疑問に思っていました。
病気になったり障害を持って産まれたり、あるいは被災したりなど、不運な経験をすることへの原因結果論的な導きはとても残酷だし、もっと偶然や運命的な出会いを受け入れながら生きていきたいと思いました。
そして、出会ってまだ短いにも関わらず、この深さで抽象的なやりとりができる運命的な相手に出会えて、お二人はとても幸運だなと思いました。
Posted by ブクログ
映画を観て、原作を読みたくなった。最近の私の読書と重なり、何か壮大な物語というか、繋がりを感じている。モモで時間について考え、聞く技術聞いてもらう技術で聞くことについて考え、映画を観て、今この本を読み終えた。
この本を読まない選択もできた。にもかかわらず、私は本を読み、哲学者宮野と人類学者磯野との書簡に出会った。出会う前の私とは違う私。本を読みながら、乳がんで亡くなった友を想い、今関わる患者さんを想い、ケアすることを想った。直接は出会っていないが、お2人のラインは私にまで繋がり、私のラインになって踏み跡の深さが増したのではないか。そんなことを思った。お二人のラインに繋がる、なんておこがましいことなのかもしれないが、そうやって世界の人たちと繋がること、ラインの一部を共有するということが素晴らしい世界なのではないか。
そんなことを感じた。
Posted by ブクログ
映画を見て原作が気になり読んでみました。
この本に出会えたことに感謝したくなる、
素晴らしい一冊でした!
人類学者の磯野真穂さんと
哲学者の宮野真生子さんの往復書簡。
宮野さんはガンを患っていて、
“急に具合が悪くなるかもしれない”と医師に告げられる。
2人の書簡から導き出されるのは、
病を患うのは不運ではあるが不幸ではない、ということ。
がんになることは必然ではない、偶然である。
急に具合が悪くなる“かもしれない”という確率論の話だ。
父は「遺伝子のせいで申し訳ない」と言うし、
未来の可能性が狭められたと思うことで悲観的になる。
そういう偶然に起きたことの前後に脈絡をつけることで、単なる偶然の「不運」が「不幸」になってしまう。
ぼくたちは資本主義の社会に生きていて、この社会は
コントロールの欲求で動いている。だから、
合理性にのっとったもの、必然を求める。しかし、
ぼくらがここにいること自体が、原始偶然といわれるものだ。
磯野さんは「輸送と徒歩旅行」というインコルドのコトバを引用する。出発点と目的地を線でつなぐ輸送は、点をつなぎ知覚していく徒歩旅行のつながりを消失することだと。
2人ががん、死というのを目前にして、それでも言語でそれを紐解こうとしている。その姿勢に心打たれたり泣きそうになりました。そしてそんな言語化からこぼれ落ちるように溢れ出る「死ぬんじゃね―ぞ」という原始的な言語が胸を打ちました。
何度となく読み返したい。そんな一冊でした!
Posted by ブクログ
世に二つとない傑作と思う。インテリの営みは死に際しても面白い。最後まで質問を投げかけ続けた磯野さんと、最後までそれに哲学者として応えた宮野さん、まさに魂のやり取り。
確率論とリスク/専門職セクターと民族セクターと民間セクター/偶然に身を委ねること/不運は点 、不幸は線/整った、遊びのない言葉からの解放/哲学するものの業/運動の中でラインを描くこと
Posted by ブクログ
書かれていたことすべて読み解き切れたか定かではないけれど、とにかく魂が奮い立たされる言葉に触れて、末期癌で母を亡くした私だけれど読むことができた。映画もとてもよかったです。(映画を見る前に読んだこちらの原作もとてもよかった)
Posted by ブクログ
この本を読んでふと嫉妬している自分がいることに気がついた。この本に、というか宮野氏に、だろうか。「魂を分け合った」なんていえる相手に出逢えること。こうして彼女の「生」と「死」が刻まれた書籍が出版されたこと。はたまた。
「死」という偶然性を孕んだ必然。「かもしれない」が個人の日々の在りようを一変させる、未来の可能性を封じてしまうこと。僕が「老後2000万円問題」に感じる違和感はこれだ。「安全な」未来に向けた「(己による)リスク管理」の重要性が騒がれるいまに、「今を生きること」を見直す時間。
この本を読んでいて、以前読んだ「選挙に行こう」 という文句の根本的な誤りについてをどうしてか思い出した。それは、「選挙に行こう」と書くとき、そこには「選挙に行かない」という選択肢が〈ある〉ことになってしまう。だから、そう言い続けるかぎりは「選挙に行くことが当たり前」にはならないのだ、といったようなことだったと思う。必然があるから偶然がある。〈ある〉があるから〈ない〉がある。「選挙に行く」があるから「選挙に行かない」がある。
「選ぶ」とは落ち着く、なじむこと。合理性と快適さ・懐かしさ。不運を妖術のせいにする、という『アザンデ人の世界』の話を読んで、「妖怪ウォッチ」を思い出した。しかし同時に、怠慢は個人の責任である(当然!)らしいので「妖ウォ」ではないかもしれない。原始偶然とは「それ」が「いま」起きた理由を説明するミッシングリンク、というのは考えたことがなかった。
高い建物に人が密集していることの恐ろしさ!ここにはたくさんの「生活」が正確な直方体に押し込められて存在していると思うとき、ぼくはいつも気圧されてしまうので、宮野氏も同じことを感じていると知ってなんだか嬉しかった。
偶然性は遭遇/邂逅/出会い。ぼくは徹底的な運命決定論者だが、それはやはりそう思う方が楽だから、なのだろう。しかし、その一方で、さまざまな流れが「出会い」、偶然に「いま」が産み落とされることの美しさには納得せざるを得なかった。運命を引き受けることと漫然と生きることは決して同一なんかではないのだ。最後の最後で世界で生じることに身を委ねること、そこで手を離す強さ。そういえばぼくは「テスト」が大好きだった。どれほど勉強しようが、ヤマの張り方、「問い」になる場所や形式、当日の体調、そんないくつもの条件によって結果はいとも容易く左右されてしまう。それでも勉強をし、最後の最後でその「運命」を前に手を離すのだ!やはりテストは楽しい。「ライブ」も好きだ。その日のさまざまなコトやヒトが出逢って生まれる「いま」を猛烈に感じるから、だろう。踊ってばかりの国を見る野音、ふと見上げた空を往った飛行機がいまも妙に忘れられない。それはいいことばかりではないけれも、だからこそ「よく」なりもするのだ。そして、「映画」もそうだ。徹底的に計算されたカメラの位置や距離という「必然」に対して、被写体や風の動きといった「偶然」の美しさや面白さ。逆も然りだ。
徒歩旅行と輸送の話も興味深い。当て処なく歩く、そして歩くからこそ出逢えるのだ。点と点を結ぶ連結器でなく、「軌跡」として生きること。「運動」の美しさ。これこそまさに映画における「ショット」の美しさ、ひいては映画そのものの美しさだろう。これは「中動態」ではないか。するとされる、偶然と必然、私とあなた。これはその「あわい」に産み落とされる「いま」の話だ!
「コントロールの欲求」という言葉をずっと求めていた気がする。「わからない」「知らない」ことはそんなに不安だろうか。むしろその痛気持ちよさこそが面白いではないか、とぼくは思う。
だから、ぼくの持つ「運命決定論」は「未来は決まっている」という諦念ではなく、これも「運命」としてその偶然を受け入れる勇気なのかもしれない。結局は想像力をもつことが大切なんだろう。 「この勝負、絶対に勝ちに行きましょう」。ここで「絶対に」という言葉を使えるところが素敵だ。「なめんなよ、磯野真穂」。
Posted by ブクログ
むちゃくちゃすごい本だった。これは魂が宿っている。
映画化もされたけどこの本自体は物語ではなく哲学者と人類学者の往復書簡という形式でこういう本は初めて読んだ。
ガンを患った哲学者の死生観や病気への受け入れ方、日々の生活という部分にフォーカスしてその考え方を深ぼっていくのが往復書簡を始めた経緯だとは思うが、本当に哲学者の方が具合が悪くなってしまい、そこから展開が急スピードで進んでいき最終的には2人の魂の触れ合い、その出会いに感謝に帰結するという凄まじい濃さの本になっている。
病気への受け入れ方をここまで言語化出来るのが単純にすごいし、それでも尚必死に生きている哲学者である宮野さんの様はかっこいい。
そしてこの本を傑作たらしめているのは恐らく藤野さんのエグいストレートな会話のボール。8章か9章あたりの藤野さんの投げ方は相当な覚悟がないと聞けないはず、、なので不思議と感動してしまった。その投げた質問文の勇ましさに。
死生観の話がいつの間にか2人の友情に落ち着く事に、友情が死生観を超えていくような愛の深さ、そしてその出会いがわずか数ヶ月という濃さ。
こんな本がこの世にあることを全く知らなかったことを後悔するくらいのものでした。
Posted by ブクログ
- ヘルスケアシステムの構造は政治(国家や個人)と宗教の構造とも似ていて、国家を信頼できないと宗教に縋る(というよりもこれは両立できるが)という民族セクター的な役割があるように思う
- 選ぶことは一見合理的に自分が選択しているようで、実はそのように合理的に選択できてると思わせるような社会システムになっているという点は、今後aiが発達しそこにエビデンスを求めるようになってくるとより顕著になるし、massive attackのライブを見て改めて感じだが、アルゴリズムによってインプットされる情報に偏りが出るとこれは全て私の意思とは言えないし、そういったaiやアルゴリズムに塗れた人たちと関われば、脱インターネットをしても同じことだ。とすると、やっぱり0次的、1次的な体験に価値が高いという帰結になる。
- 3便まで読み、やはり全てのヒントは信頼できる他者に頼りながら生きることにあると思う。つまり人は本当に1人では人としては生きられないのだ。
- なるほど、不運は点で不幸は線と考えるとすっきりするということと、認知症患者の時間の捉え方は点であるということを考えると、認知症患者も不運ではあるが不幸ではないといえる。何故なら彼らの時間軸が点であり、記憶が線で繋がらないからだ。
- 自分の人生を「積み上げた」と感じるほどに、人生は線になり、そこへの執着を産む。この本に出ている彼女らはまさにそれだ。
- p188にあるような関係性は理想的である一方合理的ではなく利害関係が生まれる場では相性が悪く、さらには時代としても経済成長、核家族、インターネットなど利害関係としての関係性がベースとなっている我々には馴染みがない人も多数いるだろう。
- p228 決める手前にある選ぶが不確定性、偶然性を許容することとある。その前提で決めたとて、一般的にはあなたの責任であなた1人が背負うものという考えになる。そこには「決めた」先の自己が連結器として、点としての役割に固定化されてしまうことが起因しているのではないか。一方でそれを認めないと役割としての信頼は揺らいでしまう。何故確率が高い方を選ぶのか?それはその確率を根拠に自分を信じれる度合いが他方に比べて高いからに他ならないと思う。なので結局はどのルートを選ぶかそして決めるかは最終的な目的を初めから信じられていれば済む話なのだ。つまりその信仰を高めるのが手っ取り早いのだろう。そういう意味でも一神教の強さを感じる。
- 偶然を生み出すにはそこに我々がいて、それぞれに引き出す勇気を持ち、偶然を必然と引き受ける覚悟を持った時に出会える。つまり言い換えると本気になって打つからなきゃいい偶然なんて生まれないってことや。
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Posted by ブクログ
宮野真生子さんの本を読み、偶然性とは何かを考えた。人は生まれてから死ぬまで、無数の選択の中を生きている。その一つひとつは、別のあり方もありえたはずのもので、決められた必然などほとんど存在しないのではないか。
私自身、国試浪人を経験し、失敗が続いたとき、もう人生は終わったと本気で思った。看護師に向いていないのではと悩んだ。だが今、十数年目を迎えている。あの失敗は、振り返れば人生の一つの点でしかなかった。そこから私は自由な選択をいくつも重ね、その積み重ねが今の自分になっている。決して楽な現状ではないけれど、どうにか生きてこられたという手応えが、静かな自信になっている。
意味は出来事そのものにあるのではなく、あとから自分が引き受けることで生まれる。あの時の私に一言かけられるなら、こう言いたい。「ばか、まだ人生なんか始まってもいないんだよ」と。この本は、それを教えてくれた。
Posted by ブクログ
かわいい表紙を本屋さんで見つけ、気になっていた本。カンヌ映画祭で主演の岡本多緒さんが最優秀女優賞を受賞されたので読んでみました。
かわいい表紙とは裏腹に、私には少し難しくて、さっと読んだだけでは理解できませんでした。
それでも宮野さんの『エース』としての毅然とした哲学と磯野さんの『妹』としての真っすぐな熱い思いを感じ、『偶然』や『約束』についてもっと知りたいと思いました。
最後の最後まで誇り高く哲学に向き合う宮野さんの姿に心が打たれました。
Posted by ブクログ
映画を先に鑑賞済。
学術的な観点と心の機微の両端から
人間と人間の関わりに潜っていき、
同時に掘り起こしていく行程を垣間見る。
かなりIQが高い内容でありながら、
その断片から生きるヒントが得られる。
映画を見て感じられた、
こんなにすぐに人は打ち解けられるだろうか、
という疑問。
原作では、
書簡のやりとりという
アナログなコミュニケーションによって、
会った回数よりも相手を想う時間の長さで
2人の蓄積に納得できる。
Posted by ブクログ
映画を観た。かなり良かった。映画のなかで展開されるいくつかの対話をテキストでも確認したいと思い、すぐに原作本を買って読んだ。結果から言うと、原作というか、原案なのかな、展開されている話は、全くの別物…!あれ…あれ…と思いながら一気に読み通したけど、最後まで別物…!(びっくり)。まあ、本は本で、とても良かったです。
内容は、末期がんで余命幾ばくもない哲学者と、出会ったばかりの人類学者の、2人のアラフォー女性が、往復書簡を10往復交わすというもの。この間わずか3カ月ほど。死を前にして、余命を宣告されながら生きるということ、治療を選択するということ、病という不運と向き合うこと、不運は不幸なのかどうかということ、死に行く人と向き合うということ、などについて、学者として真摯に思考し見解を取り交わす。
言葉を武器にする学者だからこそ、自分や周囲についての観察眼や考察は淡々としていて冷静。同時に、探求心という生きる情熱は火力強めで燃えている。最初の一往復からラストの往復までの間に2人の仲も深まっていくのが分かり、遺される者のほうもじわじわと精神に来ていることも覗き見える。なによりも二人の互いへの信頼や愛情、率直さなどが書簡から垣間見えるのが良い。
自分が末期癌になったとき、こんなに命尽きるギリギリまで自分を手放さずにいられるかしら、と思わずにはいられないラスト。不治の病というものにかかり、できる治療はやり尽くし、余命を宣告され余生を過ごすということが自分にもいつか起こる未来であると、想像の解像度がずいぶん上がった。いつか来る死。どんなルートをたどったとしても、たどるルートは確率論で語られるにしても、死という結末は必ず誰にでも来る。
映画の方は、末期がん患者の舞台演出家(=哲学者)と、介護施設の責任者(=人類学者)という2人の登場人物に転写され、ふたりは物語の中で様々なところを歩きながら対話を重ねる。
この出会いは用意されていたもの、運命のようなものだと本の中の2人は最後の方で語りあうが、映画の中の二人も、この出会いに向かってそれぞれの人生の準備はできていたのだ、と語り合う。
いずれの二人も、実際は数週間〜数ヶ月の間柄だが、時間軸を超えて関係性が築かれ、その対話が互いに深く刺さり、世界の見え方が変わった。
読者(鑑賞者)は幸運にも、その様子を見せてもらえたのだ、と感じた。
Posted by ブクログ
小さい時に、哲学ってどういうもの?と聞いて、当たり前のことを難しく考える学問、と親か兄妹に答えられたのを覚えている。まさに、死が迫り来る、急に具合が悪くなる可能性について、時に明るく面白く、時に真剣に熱く、語り合う往復書簡はだんだんと手に汗握る様相となってくる。難しくて理解できないところもある。でも、偶然、腑に落ちると腑に落とす、選ぶ、決める、タイミング、そういった言葉のひとつひとつを吟味し考え抜き、お互いの気持ちも思いはばかりながらも正直に交わされていく往復書簡はとても読み応えがありました。映画もよかったけれど、映画よりずっと深い。お二人の結びつきが羨ましくさえ感じました。迷いが生じた時に、パラパラと読み返したくなる本になりそうです。
Posted by ブクログ
哲学者・宮野と医療人類学者・磯野の同年代の2人の女性が交わした20通の往復書簡。
それは宮野が癌宣告を受けて、講演に行けなくなる可能性があるということで磯野へ連絡したことから始まる。死とは何か、何のために生きているのか、を問う宮野に対して磯野が応答するという形で進み、わずか3か月ほどの交流が二人の間の歯に衣着せぬざっくばらんな会話で進む。宮野は九鬼隆三の「偶然とは何か」の研究者であり、偶然、不運、しかし不幸ではない!などの対話が興味深い。宮野が引用するハイデガーの「死はたしかにやってくる。しかし今ではないのだ」(存在と時間)という言葉が意味深長に響く。そして彼女は「私の生は途中で打ち切らざるを得ない。人生は完成することなく、人間はつねに未然を生きる存在」「ラインの踏み跡となって、新しい始まりにたどりつきたい」と語るのである。宮野亡き後の磯野に与えた影響の大きさ、空白感が痛切に感じられる。この本が映画化されカンヌ映画祭の最優秀女優賞でも話題になった。一体どんな映画になったのか!
Posted by ブクログ
乳がんが転移し、有効な治療法もなく、余命を生きる哲学者・宮野真生子と、そんな彼女と出会い、どういう訳か書簡のやり取りをする事になった医療人類学者・磯野真穂。
二人はもともとはお互いにもっと色々な話題を取り上げようとしていたつもりが、やはり話題は宮野のガン患者としての生き方、死への向き合い方についての話となっていく。
死に向かう患者に寄り添うとか、なんかそういうありがちな話を想像していると痛い目に合います。
ここで交わされる書簡に書かれていることは、もっと直球です。しかも豪速球の。しかも、一度では読み取れないくらい情報量が多いし、哲学の素養がないと理解しようとしても難しいかもしれない。
これは今年公開された映画「急に具合が悪くなる」の原作というか、原案となったものです。
映画は死を覚悟している哲学専攻だった演出家と、彼女の演出した一人芝居を観て魅かれるものがあった文化人類学専攻だった介護人の二人のドラマでしたが、この書簡集とあの映画を直接関係付けるのは難しいかもしれません。
けれど、映画と同じくらいの力をこの書簡のやり取りから感じました。
Posted by ブクログ
映画化された作品なので、物語かと思いきや、手紙のやり取りを綴った作品。内容はかなり哲学的な内容に踏み込んでいて、難しいと感じる箇所もあったが、実際の患者による思いの吐露によるものであり心を打つ内容だった。
Posted by ブクログ
映画はちょっと違うのかな。見てないからわからないが。、
原作では
病気そのものより、「病気になったことで、世界の見え方や人との関係がどう変わるか」を考えているところ。
一番刺さったのはやっぱり、
「一つの身体で、そのつど心を可能性ごとに分割してゆく。」
すごく切実だと思う。
「最悪の可能性にも備えよう」「まだ大丈夫な可能性も捨てないようにしよう」って、頭ではものすごく合理的。でも、それを全部一人の身体でやろうとしたら、そりゃ疲れる。
それから、磯野さんの「人類が死んじゃうかもしれないんだよ」
ちょっと乱暴なくらいの言葉だけど、だからこそいい。
医療者は確率やエビデンスを考える。
でも家族は、目の前にいる「たった一人の大切な人」のことを考えている。
Posted by ブクログ
ウトウトしながら呼んだからフルで楽しめてない気がする
私には難しかった
信頼は点と点のコミュニケーションじゃなくて
ラインで進んでくみたいな
きっと違うだろうけどそういう内容が心に残りました。。。
偶然の話はあまり理解できなかった泣