森巣博のレビュー一覧
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カジノの中での修羅場が繰り返されている。その中を泳いでいる著者のものだけに、刺激的である。
大口の賭金を張る賭人たちのことを、カジノの世界では、「ハイローラー」と呼ぶ、さらに大口の賭人は「鯨」と呼ばれる。世界で、クジラと言われるのは、300頭がいる。昔は、アラブ系であったが、いまは中国系が多い。日本人は、柏木昭男、もう一人は消費者金融のT、その二人は、鬼籍に入っている。そして少し小さいクジラ 井川意高ぐらいなものだと言われる。
①カジノ賭博の基本原則 その1
「勝てば幸運、負ければ実力」「勝てば極楽、負ければ地獄」
カジノで行われるゲーム賭博は、確率計算から導かれた「ハウスアドヴァンテージ -
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在日2世で政治思想史の研究者として知られる姜尚中と、オーストラリア在住の賭博師・森巣博の2人が、ナショナリズムについて語り合った対談を収録しています。
第一部では、姜の著書『ナショナリズム』(岩波書店)の内容を振り返りながら、近代・現代の日本のナショナリズムの歴史と現状について考察がおこなわれます。第二部では、コスモポリタンとしての生き方を選んだ森巣の人生に、姜が切り込んでいます。
「民族」のアイデンティティに関する屈折した悩みを語る姜の、ともすれば重くなりがちな思索が、「無頼」に生きる森巣の自由闊達な立場に通底していることが示されています。 -
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日本人としての民族アイデンティティは近代の想像物・捏造物にすぎず、フィクションであるのだから、これを捨て去ればよい、と考えるのであれば、在日韓国朝鮮人の民族アイデンティティも「ただの共同幻想」であり、「われわれus」と「かれらthem」の間に想像上の境界線を引いた「タチの悪い病」ということになる。しかし、これでは具合が悪い。日本人の民族アイデンティティは否定したいが、在日韓国朝鮮人の民族アイデンティティは肯定したい。で、どう折り合いをつけるかというと、「排除され差別されてきた人々は民族概念をもつべき」(p.182森巣氏)であるが、多数者である日本人には民族概念はない、と考える。どうやら日本人も
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[ 内容 ]
在日の立場から、長年、「日本」について鋭い批判と分析をつづけてきた姜尚中と、オーストラリア在住の国際的博奕打ちで作家の森巣博という、異色の対談が実現しました。
テーマは、一九九〇年代以降、日本に吹き荒れている、ナショナリズムの嵐です。
第一部で、日本型ナショナリズムの歴史を通観。
第二部で、グローバル化によって変質する国民国家像と、国境なき後の世界の未来について、刺激的な意見交換を繰り広げます。
国家とは何か、民族とは何か、故郷とは何か。
本書は、ナショナリズムを理解し、何者をも抑圧しない生き方を模索するための入門書です。
[ 目次 ]
第1部 ナショナリズム/自由をめぐる対話