森巣博のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
カジノの中での修羅場が繰り返されている。その中を泳いでいる著者のものだけに、刺激的である。
大口の賭金を張る賭人たちのことを、カジノの世界では、「ハイローラー」と呼ぶ、さらに大口の賭人は「鯨」と呼ばれる。世界で、クジラと言われるのは、300頭がいる。昔は、アラブ系であったが、いまは中国系が多い。日本人は、柏木昭男、もう一人は消費者金融のT、その二人は、鬼籍に入っている。そして少し小さいクジラ 井川意高ぐらいなものだと言われる。
①カジノ賭博の基本原則 その1
「勝てば幸運、負ければ実力」「勝てば極楽、負ければ地獄」
カジノで行われるゲーム賭博は、確率計算から導かれた「ハウスアドヴァンテージ」が必ず組み込まれて成立している。「必勝法は存在しないのだが、必敗法は存在する」こうすれば、確実に負けるということを、どう徹底的に避けるのか。
「不可測の未来」「不可測を予測して、賭する」
賭博は、暴力を介在させない。合意の略奪闘争である。
賭博は、科学で説明できない。科学は信じないが、非科学はもっと信じない。
賭博は、科学ではない。理不尽で、不条理なものである。
賭博は、自己責任。負ける奴が悪い。
②カジノ賭博の基本原則 その2
「勝ち逃げだけが、賭博の極意」
「波が押し寄せてきたのが見えたら、逡巡を振り切り、恐怖を忘れ去って、それに身をまかせる。大波もある、小波もある。波にうまく身を委ね、水面上に顔が出た時にうちとめる。席を立つ。これが勝ち逃げだ。波や潮目を正しく見切る。」経験により形を記憶する。
同じような文章がある。
「賭博は流れである。波だ。小波もあれば、大波もある。ベタ凪の時だってある。流れを読む。塩を見極める。そして潮目を見切る。あとは小波に身をまかせる。(それが勘である)虚勢を張らない。無理をしない」
③カジノ賭博の基本原則 その3
勝負の機微は、駒(賭金)の上げ下げ。
「打たれ、打たれ続けて、打たれ越す」
行き越をする。受身ができるか?
④カジノ賭博の基本原則 その4
勝ち気には、大きく張り、負け手には小さく張る。
「確率の劣位」を「確率の優位」に変える。
⑤カジノ賭博の基本原則 その5
勝ち逃げは難しいが、負け逃げはもっと難しい。
「人間は、必ず間違える」
「今晩の1000万円より、いま握っている100万円の方が大切である」
負けるという言葉は、「ガシル、沈む、腐る、走る、クスボル、転がる、すべる、死ぬ」と多いが、勝つ言葉は、「浮く、ウカル」とわずかだ。負けても立ち向かうのは、負け勝負が続くだけ。
「ズブズブにはまっていく自分に愉悦を覚える。堕ちていく自分に快感を感じる。落ち続けながら見る地獄の道程ってやつは、結構楽しい。」NO GUTS、NO GLORY
熱くなければ、大勝できない。(ホットロール状態)
また、同時に 熱くなりすぎれば、勝負に負ける。
賭場では、目に血がはいるという。賭場の肥やしになるしかない。
「弱い打ち手は喰われる。その屍肉をくらい、強い打ち手は生き残る」
器量は、負けた時にこそ示されるのである。
一度 到達した高みから、自分の現在の位置を見下ろす。
それは、勝つという満足感から ほど遠くなるだけなのだ。
今まで負け続けたので、これから、勝つかもしれないと思うのが誤り。
今の勝利は雀の涙、焼け石に水だ。それゆえに、コツコツと小さな勝ちを積み上げられない。
勝ち分をすべて叩き込んで、大きな勝負をかけ、大きな勝利をもぎ取ろうとする。
一発逆転なんかないのだ。
⑤カジノ賭博の基本原則 その6
「運、勘、見」
「賭博は、矛盾でできている。矛盾の大海を泳ぎ切れる知力、体力、財力、運のすべてを携えたもののみが生き残れる」
賭博は、緊張、集中、高揚、分裂、放出、収縮、解放、弛緩、放心のすべてを味わえる。
だから、やめられない。
実に、賭博の行動心理と基本原則をきちんと説明していて、好感がもてる。 -
Posted by ブクログ
在日2世で政治思想史の研究者として知られる姜尚中と、オーストラリア在住の賭博師・森巣博の2人が、ナショナリズムについて語り合った対談を収録しています。
第一部では、姜の著書『ナショナリズム』(岩波書店)の内容を振り返りながら、近代・現代の日本のナショナリズムの歴史と現状について考察がおこなわれます。第二部では、コスモポリタンとしての生き方を選んだ森巣の人生に、姜が切り込んでいます。
「民族」のアイデンティティに関する屈折した悩みを語る姜の、ともすれば重くなりがちな思索が、「無頼」に生きる森巣の自由闊達な立場に通底していることが示されています。 -
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日本人としての民族アイデンティティは近代の想像物・捏造物にすぎず、フィクションであるのだから、これを捨て去ればよい、と考えるのであれば、在日韓国朝鮮人の民族アイデンティティも「ただの共同幻想」であり、「われわれus」と「かれらthem」の間に想像上の境界線を引いた「タチの悪い病」ということになる。しかし、これでは具合が悪い。日本人の民族アイデンティティは否定したいが、在日韓国朝鮮人の民族アイデンティティは肯定したい。で、どう折り合いをつけるかというと、「排除され差別されてきた人々は民族概念をもつべき」(p.182森巣氏)であるが、多数者である日本人には民族概念はない、と考える。どうやら日本人も海外に行き、少数者として虐げられれば、日本人としての民族アイデンティティが急に「非・想像物」になるらしい。
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Posted by ブクログ
[ 内容 ]
在日の立場から、長年、「日本」について鋭い批判と分析をつづけてきた姜尚中と、オーストラリア在住の国際的博奕打ちで作家の森巣博という、異色の対談が実現しました。
テーマは、一九九〇年代以降、日本に吹き荒れている、ナショナリズムの嵐です。
第一部で、日本型ナショナリズムの歴史を通観。
第二部で、グローバル化によって変質する国民国家像と、国境なき後の世界の未来について、刺激的な意見交換を繰り広げます。
国家とは何か、民族とは何か、故郷とは何か。
本書は、ナショナリズムを理解し、何者をも抑圧しない生き方を模索するための入門書です。
[ 目次 ]
第1部 ナショナリズム/自由をめぐる対話―東大教授、豪州博奕打ちに会いに行く(石原慎太郎の「中国人犯罪者民族的DNA」発言を容認してしまう空気は何か? 姜尚中教授の特別課外授業スタート!講座名はズバリ、「日本ナショナリズム小史」 知られざる在日韓国・朝鮮人二世の青春―経済ナショナリズム体制下の、姜尚中の個人的体験)
第2部 グローバリズム/故郷をめぐる対話―豪州博奕打ち、東大教授に会いに行く(知られざる和製イージー・ライダーの青春―グローバリズムの渚における、森巣博の個人的体験 民族概念をいかに克服するか 無族協和を目指して)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]