斎藤信治のレビュー一覧

  • 死に至る病

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    実存主義の創設者と言われる哲学者キェルケゴールの主著。

    死に至る病とは、要するに絶望(死にたくても死ねない状態)のことで、これを解決するには信仰しかないとのこと。

    読み始めて、早速このような難解な書を読むためにはどうすれば良いかという問題に直面したので、無理矢理にでも自分自身の問題に置き換えるという方法で読み進めた。

    まずは第一編の以下の冒頭は「自己」に別の言葉を入れることで、読者各々の実存(生きるとはどういうことか)を取り出すことが可能だと思った。

    「人間とは精神である。精神とは〇〇である。〇〇とは〇〇自身に関係するところの関係である」

    (私は〇〇に「運命」や「笑い」を当てはめて読

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    2024年09月24日
  • 死に至る病

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    キルケゴールを解説書などではなく、直接読むのは初めてだが、その信仰に身震いした。この歳まで読まずに来たことを悔やむ。つくづく読書は若いうちからはまるべきだ。これまで人生の何分の一かを損した気持ちになった。ただ私のラッキーは聖書に馴染み生きてきたことだ。多くの日本人にとって難解な書と思うが、聖書のバックグラウンドがあることで一文字一文字が沁みるように入ってくる。文体そのものは一見古いが、キルケゴールの言葉運びそのものは、要点が分かりやすく、それをさらに砕いていくのでとても読みやすい。

    人間の最初の姿は絶望である。神の前に犯した罪の故にエデンを追い出されて必ず死ぬものとされた人の姿は絶望そのもの

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    2021年12月20日
  • 死に至る病

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    文章は哲学調で読みにくいが、趣旨は明快。実際、本書が示す段階に沿って一段二段と歩を進め、生きてきた人は少なくないのでは。哲学と馬鹿にさせないだけの見事な現実洞察があると思いました。

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    2020年09月19日
  • 死に至る病

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    引用のされ方によるかもしれないけど、その姿勢や感覚は好印象。読み通すのは大変だけど読み通してよかったと思える。前提に対する共感がある程度必要かなと思う。そうでない人には響かないかもしれない。しかし、やはり名のある哲学者だけあり感じたことは有意義だった。

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    2017年12月18日
  • 死に至る病

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    絶望は自分が存在するというこの驚異的な当たり前を知ろうとしない、そのこともまた絶望。
    絶望ということを知るからこそ、ひとははじめて死というものの存在に驚ける。死に至る病が絶望というのは、生きること死ぬことが、偏に、この絶望から起こるからだ。生に至る病と言ってもいい。存在するということを知ってしまう、当たり前に驚いてしまう、これが病的だと彼は言う。生きることに自覚的になるとき、それまでと同じように生きることなどできない。死ぬことさえできないと知ってしまうのだ。これを病気と言わずに何と言えばいいのか。
    学問的で教化的、彼ははじめにそう言った。
    絶望から罪へと至るプロセスとその状態の分析、そして罪か

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    2016年04月09日
  • 死に至る病

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    「人間とは精神である。精神とは何であるか?精神とは自己である。自己とは何であるか?自己とは自己自身に関係するところの関係である。」有名な冒頭文だがこれだけ読んだ時点でさっぱり分からないが、読み進めていくと何となく分かるような分からないような・・・。
    実存主義者の先駆けとなったデンマークのキェルケゴールの「キリスト教」における「罪」や「絶望」そして、「自己」の「関係」ということを深く考察している。
    死に至る病と言うのは、それでは決して死ねない病、死ぬに死ねない病を指す。それがちょうど「絶望」と呼ばれるものである。死ぬに死ねず、絶えず死に面し死に至りながら永遠に死を死ななければいけないというこ

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    2013年08月05日
  • 死に至る病

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    ―自己が自己自身に関係しつつ自己自身であろうと欲するに際して、自己は自己を措定した力のなかに自覚的に自己自身を基礎づける。

    人が全く絶望していない状態を叙述したキルケゴールさんの定式である。

    キルケゴールさんはほとんど全ての人間は絶望していると言う。絶望していない人はほとんど存在しない。存在しているとしたら上記の定式に当てはまっているというわけである。

    この本では絶望の様々な形態が抽象的かつ具体的に細かく描写されている。それぞれの絶望が目に浮かぶ。
    何も考えることなく日々の辛い日常に埋没している人、単に享楽に浸り込んでいる人、世の中を恨み引きこもっている人、自分は成功者と人々にもっともら

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    2012年07月28日
  • 死に至る病

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    死に至る病=絶望として、
    キリスト教の観点から徹底して絶望を見つめる。
    絶望が罪であるということ、
    その罪がキリスト教にある原罪と関係があることなど、
    深い考察が行き渡っている。
    僕らが口にする絶望という言葉が、
    どれだけ多面性を帯びているか、
    それを知るだけで、暗闇に目が慣れていくように、
    絶望を冷静に見渡せるようになれるとも思う。

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    2012年01月06日
  • 死に至る病

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     いかに生きるか。絶対的な可能性という永遠者を見つめ、それに対する内なる永遠者(つまり自己)の声を聞き、その声に従って生きよ。それこそが神に近づく信仰者の道であり、真の生き方である。
     
     絶望について書いたものでありながら、そこを端緒に人間とは何か?自己とは何か?生きる意味とは?といった疑問に答える道筋を丹念に示している。
     
     信仰者キェルケゴールの著した全人類必読の啓蒙書。

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    2011年08月22日
  • 死に至る病

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    大学1年の6月頃に読んでた気がする。
    色々と付き合いや家庭の事が原因で4年間ほど湧いてた鬱な感じを、CLASHの「London Calling」のジャケットのギターのようにぶち壊してくれた。
    バカみたいだったよ、長い間抱いてた思いが数時間で壊されちゃったんだもん。
    今思い返すと、この本がきっかけで実存主義哲学に興味が湧いたんだったな。

    題名にたじろぐ人も居るかもしれないけれど、人の血が通ったとっても温かい本でした。

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    2011年07月16日
  • 死に至る病

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    人はいつも頭の中で自分のあるべき姿というものを作り出し、それになろうとする。しかし、「いまここにあるがままの自分」は決してその像とひとつになることはできない。

    あるべき自分像は、内心の要求でもあれば、社会や周囲の人々の要請から作り出してしまうものでもある。これに重なろうとすることは、長期的に自分の人生をどこにも連れて行ってはくれない。その場しのぎで向きの変わる、目的を持たない風である。

    決して達成できないこと、達成できたとしても自分をどこへも連れていってくれないこと。そんなことに向かって努力を積み重ねている生が絶望(=死に至る病)である。キルケゴールは、この絶望は自覚の有無によらずそこにあ

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    2011年06月01日
  • 死に至る病

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    世界を認識する“私”という存在。西洋哲学の中でそれに眼を向ける実存主義。まず、題名に衝撃を受けました。
    キルケゴールはキリスト教における神を通して、己の存在を受け入れる、ということになりますが、キリスト教に限らず、その“神”を別のものに置き換えて、己のあり方、それを考えるきっかけになる本でした。
    己の存在を受け入れ、社会との関わりを、その責任を全うする事――
    それを放棄してしまうことが“死に至る”事でした。

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    2014年05月28日
  • 死に至る病

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    過去課題本。文句なしの名著だが。キリスト教に興味のない人や、キリスト教に悪イメージを持っている人には、無意味な本でもある。

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    2024年12月25日
  • 死に至る病

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    さて、読み終わったが、かなり分からなかった。キリスト教的価値観についてはこれまでかなり勉強してきた筈だったがそれでもこの本には分からない表現が多かったし、哲学書としてはニーチェのツァラトゥストラのように詩的表現をされている訳でもないにも関わらずそれ以上に難解だった。

    かろうじて私が受け取れた表現で面白かったところをいくつか。

    ◎想像力とは無限化するところの反省である→→自己とは反省である→→想像力とは反省であり、即ち自己の再現であり、したがって自己の可能性である。
    …想像力(ファンタジー)を巡らせることとはつまり自分について反省することであり、逆説的に自分とは反省によって形成されているとい

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    2023年02月16日
  • 死に至る病

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    絶望とは
    ・自分の外側に自己を向けること
    ・自分自身の責任から逃げること
    ・自分への被害者意識

    自分を信じ、自分の責任は自分で取る。
    分かっているけど、できていなかったな。

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    2021年09月19日
  • 死に至る病

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    ネタバレ

    自分の内面と徹底的に向き合うみたいなところの真剣さがすごかった。の対象がキリスト教の神であるところはかなり正統派(保守派?)な感じがするけれど。
    自己意識との葛藤、どう自己意識を高めても私たちは、一人のただの人間で、不完全性から逃れられることはない、けどだからと言って、それを止めてしまうんじゃなくて、絶望を極めつつも、自分の意識と向き合い続けようとすることこそが、まさに弁証法的な生き方―彼の場合は、罪を贖う唯一の生き方―なんだ、ということを言っているのかと理解する。それには、信じること、とにかく絶望に負けない希望みたいなものの存在が必要ということにもなる。

    ちょっと違うと思うけれど、理想と現

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    2020年05月10日
  • 死に至る病

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    市民革命・産業革命が進む中、人々は自覚のあるなしに関わらず、人間中心の近代的なものの見方を身につけつつあった。キルケゴールは、そうした近代のものの見方にとらわれることなく、信仰へ飛躍しなければ、自らが本当に生きるということにはならないと説き、それに対してニーチェは、信仰にも近代的なものの見方にもとらわれるな、と説いているように思われる。本書は全編、信仰への飛躍を妨げるメンタリティを彼独特の仕方で分類整理し、その有り様を執拗に描き出そうとする。とても読みにくい。そして最後には、言葉で説明できるようなものは、信仰ではないというようなことも言う。やっかいではあるが、様々なメンタリティの描写には見るべ

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    2019年12月06日
  • 死に至る病

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    死に至る病とは絶望であるとキルケゴールは言う。

    しかも、絶望しない人間はいないとも言う。

    世間一般に言われる、願いが叶ったとか、よい人生だったとかの幸福を彼はことごとく否定する。

    その追い詰められた状態から、何が幸福かを見いだせるのか。

    その答えは、読み取ることができなかった。

    ただ、自分の欲望を満たしたり、世間の言う幸福に追従したのでは、真の幸福に巡りあえないばかりか、絶望から抜け出すことすらできないということを理解した。

    資本主義、契約社会の中では、一つの失敗が自らの人生を破滅に追い込む。

    だから、いつも転落の恐怖に晒されながら、おそるおそる生きている自分がいる。

    その姿は

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    2012年06月18日
  • 死に至る病

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    斎藤信治先生が一番よく取り上げておられた本だと思う。病気になった友人にこの本をお見舞いにあげたのは、上梓されたばかりの頃だったからだろうが、「死に至る病」は決して死ぬことはないのだから縁起がいいのだ、と強弁したという話は何度聞いても笑えたものである。

    しかし、この本の本質をよく表しているし深いのではないか。その後「死に至る病」を斎藤流に解釈した話は聞かない。みんな浅いなあ。

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    2019年01月16日
  • 死に至る病

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    宗教観を前提にしているところは宗教だなあと思うだけなのだけれど、自身らをまさに擁護するために対比せられる世間や異教徒への眼差しがなんというか思いのほか俗っぽくて、それのほかにもたとえば自己喪失のくだりなんかも書かれていることがあまりにも当たり前で、まあそのあたりはエッセイでも読むような気で読み進めたけれども、第二編にはいっていよいよ宗教色が強くなるとさすがにどうでもよくなってきてしまった。

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    2023年03月02日