神々が現れる。国之常立神(くにのとこたちのかみ)・豊雲野神(とよくもののかみ)から七代目にイザナギ・イザナミが現れる。▼イザナミ「自分の身体は1か所欠けている」。イザナギ「自分の身体には余っているところがあるので、私のそれであなたの足りない部分をふさぎ、国を生もう」。柱の下でイザナミから声をかけると「良くない」島(第一子、蛭子ひるこ)が生まれた(蛭子は水子を守護する神として祀られている)。イザナギから声をかけると日本列島の島が生まれた。▼イザナミが火之迦具土神(ひのかぐちのかみ)を生んだとき、イザナミは陰部に大やけどを負い死んでしまう。イザナギは怒り、火之迦具土神を斬り殺す。※神が死ぬという発想。▼死んだイザナミは黄泉の国へ。イザナギはイザナミを取り戻すため黄泉の国へ行き、イザナミと再会。イザナミ「わたしの顔を絶対に見ないでください」。しかしイザナギは全身ウジが湧いて腐乱死体となったイザナミを見てしまう。イザナミは激怒し、イザナギを追いかける。イザナギは逃げ切り、黄泉の国の入り口を岩で塞ぐ。怒りが収まらないイザナミ「これからわたしは人間を1日1000人殺します」。イザナギ「ならば私は1日に1500の産小屋を建て、新たな命を生み出そう」。▼暗くて穢れた黄泉の国からこの世に逃げ帰ったイザナギ。川の水で死の穢れを清める(*禊みそぎ・手水舎ちょうずやの由来・阿波岐原あわきはら宮崎)。左の目を洗うとアマテラス、右の目を洗うとツキヨミ、鼻を洗うとスサノオが生まれた。▼イザナギはスサノオに海を統治せよと命じるが、スサノオは「死んだ母(イザナミ)に会いたいと」泣いてばかり。イザナギはスサノオを天から追放する。▼弟スサノオの悪行に困り果てた姉アマテラスは岩屋に閉じこもる。すると世界は闇に包まれ、邪神が天変地異を起す。女神アメノウズメが胸を露わにして踊り狂うと、他の神々は大笑い。外の騒ぎを聞いて出てきたアマテラスを、力自慢のアメノタヂカラオが引きずり出す。岩屋の入り口はしめ縄をかけて封印した。▼一方、天から追放され地上にやってきたスサノオ。食の女神・大宜都比売神(おおげつひめのかみ)に食べ物を求めると、大宜都比売神は鼻・口・肛門から御馳走を出す。スサノオは肛門から出たものなど食べれないと怒り、大宜都比売神を斬り殺す。すると、大宜都比売神の亡骸から五種の穀物が生まれた。▼出雲にやって来たスサノオは老夫婦に会う。老夫婦は娘クシナダヒメが八岐大蛇(ヤマタノオロチ)に食われてしまうと嘆く。八岐大蛇は八つの頭と八つの尾、胴体に苔、体からヒノキや杉が生え、腹は血膿のようにただれている。スサノオは八岐大蛇をおびき出し、酒を飲ませ、八岐大蛇の首を斬り落とす。尾から出てきた草薙剣はアマテラスに献上した。▼スサノオは出雲に宮殿を作り、多くの子を生む。その子孫がオオクニヌシ(オオナムジ)。▼オオクニヌシは、ワニに皮を剥がされて痛がる白兎を助け、美人ヤガミヒメに求婚されるが、嫉妬した兄弟に焼き殺される。母親に蘇らせてもらったオオクニヌシは、スサノオの国へ旅立つ。▼スサノオの国へ来たオクニヌシは、スサノオの娘スセリビメと恋に落ちる。スサノオの試練を乗り越え、二人は結ばれる。▼オオクニヌシは、天にいるアマテラスから国を譲るようせまられる。オオクニヌシの息子は、天から派遣された武の神に敗れる。アマテラスの子ニニギは三種の神器を持って、日向ひゅうが(宮崎県)の高千穂峰の山頂に降り立つ。▼ニニギは地上の娘コノハナサクヤヒメと結ばれ、海幸彦(兄)と山幸彦(弟)が生まれる。『古事記 上巻』712
ニニギの孫イワレビコ(神武天皇)は東へ。日向(宮崎)を出発し、海路で筑紫の宇佐(大分)、筑紫の遠賀(福岡)、安芸(広島)、吉備(岡山)へ移動。吉備(岡山)で8年過ごす。そこから海路で、難波(大阪)へ。ナガスネヒコ軍との戦いで兄イツセが負傷。イツセ「我々は日の神の御子。東を向き、日に向かって戦うのはよくない」。そこで南へまわり、熊野の丹敷浦にしきうら(和歌山)から上陸。熊野から大和までは八咫烏(三本足)が道案内。ナガスネヒコを倒して大和を平定し、橿原(奈良)に宮殿を建て、天皇として即位。『古事記 中巻』712
奈良、ヤマト国家連合(ニギハヤヒを祀る物部氏)と合流。合流を拒絶する勢力(ナガスネヒコ)は滅ぼされる。
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※日嗣/日継(ひつぎ)。日を継ぐ。皇位を継承すること。
※神武天皇。カムヤマトイワレビコ。ニニギノミコトの曾孫。御陵は畝傍山(うねびやまの)東北(うしとらのすみの)陵(ささぎ)。橿原神宮は神武天皇を祀る。
※両面宿儺(りょうめんすくな)。二つの顔と四本の腕を持った鬼神。『日本書紀』※舎人親王(天武天皇の子)。
※百足らず八十。百にはみたない数として八十。
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金持ちの弟と貧しい兄がいた。神(スサノオ・牛頭天王)が宿を求めたとき、弟(巨旦こたん将来)は断った。兄の蘇民将来は宿を貸して粟飯をふるまった。その報いとして、弟の子孫は滅び、兄の子孫は栄えた。『備後国風土記』
継体天皇の時代、蛇の神(夜刀神やとのかみ)が現れ、開墾の邪魔をしたため、男は蛇の神を打ち殺して、山の麓に追い払った。男は麓を神の地と人の地の境界として、蛇の神をまつることで許しを乞うた。『常陸国風土記』茨城県
もし恋に死があるのなら、私は千度でも死を繰り返しましょう(笠郎女)。▼朝の寝乱れた髪にくしを入れることはしません。いとしいあの人の手(腕枕)が触れたものだから(作者不明)。▼紫草の野原で、あなたがわたしに袖を振る。見張りに見られてしまいますよ(額田王・白鳳)。▼うららかに照っている春の日に、ヒバリが空に上がっていく。独りものを思うと心悲しい(大伴家持)。▼生は貪るべく、死は畏るべし。▼大君は神にしませば天雲のいかづちの上にいおりせるかも。柿本人麻呂(白鳳)。大君は神にしませば赤駒のはらばう田居たいを都となしつ。大伴御行みゆき(白鳳)。『万葉集』759 ※天皇の歌と共に名もない民衆の歌が収録されている稀有な文学作品。
※奈良時代後期。