虎岩朋加のレビュー一覧

  • 学校の「男性性」を問う 教室の「あたりまえ」をほぐす理論と実践

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    学校の「男性性」を問う 教室の「あたりまえ」をほぐす理論と実践。大江未知先生の著書。学校は男女平等に見えて、実際には男性を有利に取り扱うジェンダー不平等世界。学校がジェンダー不平等なのだからいつまでたっても日本がジェンダー不平等なのは当たり前のこと。学校関係者も文部科学省もジェンダー不平等の現実から目を背けている人が多すぎるからいつまでたっても何も変わらない。

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    2025年12月31日
  • 学校の「男性性」を問う 教室の「あたりまえ」をほぐす理論と実践

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    自分自身の教室での原風景を思い浮かべながら、言われてみれば構造的に男性優位のただ中にいたことに気付かされた。
    メンタルを崩してはじめて構造的課題に気づいた女性教員、男子校で教鞭を取る女性教員らの経験に基づく示唆が生々しく迫ってくる。

    > 「現実の男性(そして女性たちも)全員が同じものを目指しているわけではない。それでもなぜ一定の性別秩序がー男性優位の秩序がーできあがってしまうのか?それこそが説明されなければならない」  

    まだまだ、自分が認識していないアンコンシャス・バイアスがそこここにある。

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    2025年09月24日
  • 学校の「男性性」を問う 教室の「あたりまえ」をほぐす理論と実践

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    教員だけでなく、親御さんにもちょっと難しいかもしれないけど読んで欲しいですね。
    初めの方の「学校で行われていることは暴力的」っていうあたりは、胸が痛いのですが、教員の自分の経験や、学校教育における改善点など、愛にあふれた本でした。
    高校は男子校は「○○高校」だが、女子校は「○○女子高校」と男子校には「男子高校」とつかない。とか全く気づいていなかったです。

    以下、ネタバレです。
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    ・高校は男子校は「○○高校」だが、女子校は「○○女子高校」と男子校には「男子高校」とつかない。(p.10)
    ・教員は、生徒に恐怖を与え、生徒の自由を奪い、生徒をコントロールするための手段として、様々な暴力を用いていないだろうか(p.21)
    ・教員は、「成長」を願うが、この成長は教員の価値観で測定されがち。(中略)学校外での「成長」は軽視されがち(p.22)
    ・男性教員が生徒の心や身体、思考などをコントロールしようとしたとき、体罰に限らず暴力的な手段(大声、バカにする、にらむ、無視するなど)を用いてしまいやすい背景に、男性と暴力の近さがあることは間違いない(p.25)
    ・子供のこえを聴く、子どもに応答することは、弱い教師の甘い実践に貶められる。それが習慣化されれば、子どもたちは、力関係に敏感になる。できない、わからないと言えなくなり、こえを聞き合って分かりあうことや、関係を結んで協力することを経験できなければ、強い教師に従う家父長制的な価値観が強化され、応答関係や女性を軽視する態度形成が進む(p.57)

    加害的な男児の心のほぐしかた
    ・「人ってされていることを誰かに返しちゃうんだよ。意地悪されると誰かに意地悪したくなるし、やさしくされたら、やさしくなれる。だから、誰かを傷つけたってことは、君自身が傷ついているのではないかと思って心配なんだ。だいじょうぶ?」(p.80)

    ・性別にとらわれない、とあえて性別に目を向けるのあいだを行きつ戻りつしながら、子供達の尊厳と可能性を守っていく。決めつけない柔軟さ。(p.83)

    ・教師自身が生徒の前で、悩みや困りを吐露し、表現することが貴重な経験だった(p.143)

    ・「男性の女性化」と「女性の男性化」は非対称(p.147)

    ・社会があらゆる人に対して、信頼感をもてるような場にならなければならない。こんな社会に生きるのがいやだ、こんな社会なら生きてもしょうがない、という場になってはならない(p.150)

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    2025年08月31日
  • 学校の「男性性」を問う 教室の「あたりまえ」をほぐす理論と実践

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    男性性が「まだ」残っている学校現場。
    男性性に塗れてきた世代が
    ごっそり入れ替われば、
    その潮流から脱していく気運は高まる、はず。

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    2026年02月07日
  • 学校の「男性性」を問う 教室の「あたりまえ」をほぐす理論と実践

    Posted by ブクログ

    独身未婚中年男性の自分が読んでみました。
    こういう本が出るようになったこと自体は高く評価できますが、いかんせん出発点がリベラル(さらには従来型フェミニズム)だと、かえって問題をややこしくしている感が否めないなと思いました。

    自分がフェミニズムを独学で学ぶようになったのは今世紀に入ってからですが、その理由は、自分がいわゆる(心身ともに)マッチョな男性ではなく、生きづらさを感じていたわけで、おそらく女性にとって生きやすい社会は男性にも生きやすいはずだ、という思いからでした。
    ところが今世紀に入ってフェミニズムが認知されると、なんだかかえって女も男も生きるのが辛そう・・・。

    例えば雇用関係で見ると、結局個々も強者男性(経済界の重鎮)らがやはり一枚上手だったように思います。というのも、本来であれば経済的な男女の平等は、それまでの男性の賃金同等に女性の賃金を引き上げなければいけなかったところを、男性の賃金を女性に合わせて低くしてしまった。また、あくまでも相対的ではあるけれども、どちらかというと男性はシングルタスク、女性はマルチタスクが得意な傾向がある気がするのですが、男性にもマルチタスク(家事も仕事も)を課してしまい、全員が不得手なことを引き受けざるを得ない状況になってしまったことが、戦後日本のフェミニズム、リベラルの失敗だったように思えてなりません。

    男子校生徒への性教育が必要なのは言うまでもありませんが、よくヤフー記事になる、私立男子校で「逃げ恥」を題材に考えさせるという話、必ずヤフコメで書いてくださる方がいますが、あれは星野源さんが演じる役が、ハイスペ男子であるという前提があるから成立しているという指摘は、やはり無視できません。女子からしてみれば「ただしイケメンに限る」なのです。
    また、男子校は現在はほとんど私立で、進学校の傾向にあると思います。そうすると、男女交際も、相手女性のことを考えるというよりも、「いかに不同意にならないように法的に回避するか」という、自己防衛のことばかり考える方向に行ってしまっている気がしてなりません。
    恋愛結婚が前提ならば、本来、好きな人と一緒になりたい、というところが根源的であって、人を好きになれることは素敵なことだと思うのですが(自分はゲイ寄りのアロマンティックでアセクシャルではありませんが、恋愛至上主義が刷り込まれているので、恋愛できる人間に生まれたかったと思っています)、そうした論点がすっぽ抜けて、理論ばかり優先しているのではないのでしょうか。これでは本質的、根本的な性加害・被害を減らすというところには至らないでしょう。

    あと、心身ともにマッチョでない男子の生きづらさへの言及はほとんどなかったですかね。この点については、内田雅克先生の自伝的著書が比較的論証にもなっていることが思い出されました。

    とはいえ、端緒に就いたばかり。男女はじめ、どの性も生きやすい学校、日本社会、世界になることを願うばかりです。

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    2025年12月13日