ヒトラーの伝記であり、研究書でもある。
今まで歴史上の謎とされたことが明らかになっていたり、今回解明された新たな事実もある。
研究書でありながら描写が小説のような迫力に満ちており、格調高い文章で素晴らしい。
ヒトラーを演じたチャップリンは「一人を殺せば殺人者だが100万人を殺せば英雄だ」と言っている。4000万人殺したと言われるチンギスハンはモンゴルでは英雄であり、同じ数を虐殺した毛沢東は天安門広場には肖像画が今も掲げられている。しかしヒットラーのことを英雄視する者はいない。近現代の戦争が起きるのは複数の要因から生まれるものだが、6600万人死亡した2次大戦だけは戦争を起こした原因も一つしかない。ヒトラーがそれを望んだからだ。ヒトラーが政権について以来その政権が揺るがない限り戦争は不可避だった。
この本で描かれるのは、本来ならば社会の片隅に忘れ去られ犯罪者にしかなれないような男が天下を取り、ある民族の滅亡を旗頭に世界征服を目指し、世界史史上最悪の事件を引き起こした、これは実際にあった物語である。
ヒトラーは、閣僚経験や知性や人間性のかけらもないような者、そもそもドイツ人ですらなかった者が、何故、合法的にドイツの首相に上り詰め、国民投票で90%以上の支持率を受け独裁者となり、世界大戦を引き起こしたのか。大勢のヒットラー研究者が目指しているのはその謎の解明であり、同じような状況を2度と再び起こさないようにするためだ。
ヒトラーの得意なのは民衆を引きつける演説だけでなく、 勝負師としての鋭い嗅覚であり、 自らを神格化し信用させ裏切る残忍さである。
一言で言うと人を騙す能力である。 一次大戦敗北で領土を失い、多額の賠償金を盗られ、内戦が勃発、そして大恐慌が起きたドイツ。大恐慌期には、社会と政府の関係が崩壊し、ヴァイマル期にくすぶり続けていた民主主義体制への反感と国辱意識が噴出する危機的状況に陥った。責任を負うべきものに深い怒りが向けられた。時代はヒトラーを必要としていた。与党の首脳陣は議会制民主主義にうんざりして、独裁制の導入を望んでいた。結局政権がヒトラーのもとへ降りて来た。彼らは大衆に人気があったヒトラーを利用しようとした。しかし利用されたのは彼らの方だった。権力を握ったとたん、ヒトラーは豹変する。「長いナイフの夜」と呼ばれる粛清であらゆる敵対者やヒトラーに嫌われた者はもちろん、かつてはヒトラーを支えた盟友達ですら虐殺される。
ヒトラーは1933年に首相になって最初の6年はすべてがうまく行った。一発の弾を撃つことなく、失われた領地を取り戻し、公共事業で景気を回復させ、労働者の待遇を改善する。国民は熱狂し、ヒトラー自身も自分は天才だと思い込み始める。当初ヒトラーは庶民のヒーローであった。「教養ある知的な人びとも含めて、多くの人びとがヒトラーの特異な人格的特徴に抗いがたく魅かれた。その魅力が演技力の賜物だった」その裏では破滅への予兆が高まっていった。
(悪は時として正義の仮面をつけて登場する。戦争が始まるとヒトラーは仮面を脱ぎ捨てその本性をあらわにした。)
上巻「傲慢」では、やることなすことすべてがうまく行き、巨大な自尊心が形成されていく様子が描かれ、下巻「天罰」ではその後絶頂期を迎え、少しづつ塩目が変わっていき、やがてすべてがうまく行かなくなり、破滅に向かっていくヒトラーとドイツが描かれる。
「ヒトラーは誇大な賞賛を無限に受け入れた。災厄を招く傲慢に陥ることは避けられなかった。その傲慢に対して、やがては受けるべき天罰が下り始める。天意が導く道が奈落へと続くものだと理解するだけの先見の明がある者はほとんどいなかった。」
経済的に疲弊していたドイツがさらに世界恐慌に見舞われ、
それに対しヒトラーが財政出動による公共事業で景気は一時的に良くし、失業者を軍隊で吸収しても、その裏では、軍備の増強に公金が湯水のように使われていれば、経済的破綻を招くのは火を見るよりあきらかである。
経済的な破綻は間近であった。それを打開する一番手っとり早い方法は、戦争により、借金を踏み出し、他国の食料と資源を奪うことだったのだ。
こうして様々な謎が明らかになってはきたが、それでも解明されない謎もある。それは悪魔的なまでに強烈なヒトラーの悪運の強さである。
当初ヒトラーは戦争をせずに領土を取り戻していった。ラインラント進駐、オーストリア併合の際にもそれを止めようとする者はいなかった。
チェコスロバキアに関しては戦争で地図上から抹殺させるとヒトラーは意気込んでいた。その時戦争を同じように望む軍部のあるグループがいた。彼らはヒトラーを暗殺するクーデタ計画を立てていた。戦争になったら彼らが親衛隊幹部とヒトラーを逮捕し、暗殺する予定だった。
ヒトラーの進軍命令を合図に首相官邸に突撃する部隊が待機していた。しかしイギリスのチェンバレン首相は譲歩し、ヒトラーも最終的にそれを受け入れ、戦争は中止になった。当時はイギリス国内の平和運動という世論の圧力があったことも理由の一つだった。ミュンヘン会議でヒトラーが要求した地域は領土として認められ、そのかわりもう領土の要求はしないという条約が締結した。ヒトラーが世界をあざむいた瞬間だった。世界は平和に歓喜し、チェンバレンとヒトラーはノーベル平和賞の候補にもなった。チェンバレンはイギリスで大喝采を受け、ヒトラーを「約束をしたことは守る男」と評した。しかしこの半年後チェコはドイツ軍の更なる占領になすすべもなく併合され、その後2次大戦が勃発する。今ではミュンヘン会談は戦争を食い止められなかった歴史の汚点とされている。
戦争反対だけでは戦争は防げない。ロシアのウクライナ侵攻は外交による失敗だと言っている人がいるが歴史を見てみれば外交の失敗だけでは戦争は説明できないことは明らかである。プーチンは明らかにヒトラーの写し鏡である。
もちろんヒトラーの狂気に気が付いている者や敵も多かった。暗殺を実行した個人もいたし、軍部においては「黒いオーケストラ」という秘密組織が常にヒトラーを狙ってた。ソ連も一時暗殺計画を立てていた。しかし42回に及ぶ暗殺計画、10度の暗殺実行も全て失敗に終わった。
この経緯が実に妙で、毒殺しようとするとベジタリアンだったヒトラーは毒物を口にしないし、演説場に爆弾を仕掛ければ、爆発直前に用事が出来て演説を切り上げて出かけてしまう、視察旅行での暗殺を計画すると暗殺スポットを素通りしてしまうし、飛行機に爆弾を仕掛ければ爆発しない。ドイツに潜入したソ連のスパイがヒトラーを尾行して暗殺が可能だと本国に報告するが、陰謀はストップされる。トム・クルーズの映画「ワルキューレ」では会議室に爆弾を仕掛けてもテーブルに遮られ生き残る。
この間一度でも運命が傾けば、平和が訪れたかもしれないのに。ヒトラーは「神の摂理が私に定めた歴史的使命を果たさないうちは、外部の手により倒されることは決してないだろう。」と述べた。その言葉通り最後の瞬間、彼の命を奪ったのは彼自身だった。ヒトラーの最後の命令は 「ドイツはもはや守る価値すらない」と自分の死の道連れにドイツと自分の遺体に火を放てと言う命令だった。