住田祐のレビュー一覧
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読書ログとして自然な流れにしつつ、率直でユーモアのある語り口をそのまま残したスタイルです。
馴染みの薄い、江戸時代の比叡山を舞台にした物語。「日々穏やかに規則正しく生活をしながら、精神を練っていたのだろう」程度の認識であったが、どうやらそうでもないらしい。命の危険を伴う荒行を行ったりもする。
本作は二人の僧の対立が話の軸となる。ちょっと極端な対立ではあるが、行く末は想像と違っていて感動した。「怒鳴ったり、ひどい体罰をしたり、胸ぐらを掴んだり、ギラギラした野心を持ったり……全然精神が練れてないじゃん!」とは思ったが、実際の歴史や人間臭さはそんなものなのかもしれない。
あまり世間に認知されていな -
Posted by ブクログ
読み方の分からない難しい漢字が多い。こういうのは読んでいてストレスになり、読書リズムが生まれにくいものです。でも、それを差し引いてもすごい本でした。
「千日回峰行」。40年ほど前に酒井雄哉さんがNHKのドキュメンタリーでその行を達成されたとき、すぐ本でも読み、深い感銘を受けました。その本はそれきり読んでいませんが、ずっと書棚の高いところに架しております。
この物語はその行についての仔細はあまりなく、その行を取り巻く人間、社寺、師弟間の内部事情といったものを描いております。
一見神聖かと想われる社寺でも、国を民を救い、おのれの精神を磨き上げるという宗教本来の姿を忘れて、わが身の保全、世間 -
Posted by ブクログ
他には無い、特殊かつ絶対的なルールを持った、閉じられた世界を舞台にした歴史小説なんですけれど、読んでいく内に本書は特別な環境で生きることを余儀なくされている、現代の人たちにも響くものを感じながら、尚且つ生きる勇気が沸々と湧き上がってくる、そんな力があるのだと思います。
江戸時代の比叡山延暦寺にて千年もの歴史を刻み続けており、これを満ずれば大阿闍梨という高僧の称号が与えられ後進の僧侶を導く立場となる、過酷な仏道修行「北嶺千日回峰行」では、大阿闍梨となれるか死ぬかの二択のみで、決して例外など起こり得ないと思われていた中、それが起こってしまったのは『特別扱いされた』という事情があったのです。 -
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叡山の苦行、北嶺千日回峰行を為さんとする2人の僧の物語である。達成できなければ自害という過酷な千日回峰行にあと一歩というところで昏倒し失敗した恃照。女帝後桜町天皇の実子という出自のため、朝廷を恐れて自害を忌避、半行満という待遇を与えられ生き延びた恃照。その恃照の弟子として預けられたのが先帝御桃園天皇のご落胤だという太之助。ともに存在を公にはできないこの世にはおらぬはずの者だった。戒閻と名を改めた太之助もまた北嶺千日回峰行を満行し大阿闍梨となることを望んでやまない。生きた証を求め千日回峰行に囚われる戒閻と師の恃照は半目し憎みあい、しかしやがて共鳴する。
そんなお話。
過酷な修行の描写は鬼気迫っ -
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北嶺千日回峰行は、失敗(行不退)となれば自死が避けられない荒行だ。成功すれば僧侶としての格は上がる。帝の血を引く恃照(じしょう)は比叡の立場としては死んでもらっては困る状況ではあるが恃照は最後の最後で行不退となる。特例で死なずにすんだ恃照である。そしてこの同じく帝の血を引く戒閻(かいえん)が比叡の預かりとなる。反目し合う恃照と戒閻であり、特に戒閻は自分の血を呪うかのように荒行へと入っていく。この二人の関係はライバルと言えるのかもしれないが、なかなか普通には理解できない極限状態の中での人間関係である。そこにもしかすると何かを超えたものがあるのかもしれない。
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千日回峰行をあと一歩のところで遂げられなかった恃照。彼にとってその挫折は途切れて終わったものではなく、それからの人生において続く終わりのない苦行そのものだった。
その恃照にさらなる苦行を迫るのが、同じ出自を持つ戒閣(得度前の名・太之助)の存在だ。ただひたすらに「自分の心にまっすぐな人」。そのまっすぐさゆえに胸中に「業火」を燃やす彼の眼差しは、「半行満阿闍梨」という烙印を抱え続ける恃照の心に、静かに重く響き続ける。
恃照が戒閣を見たくないほど嫌うのは、まるで合わせ鏡のように、相手の中に自分自身の見たくない姿を見てしまうからではないだろうか。
本作は仏に仕える者たちの物語でありながら、どこま