本条謙太郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
前巻ラストにて様々を諦めて、もしくは区切りをつけて遂に王として振る舞うと決めた“ぼく”
そんな彼の新たな物語がどうなるかと思いきや驚きの変化が。本作の魅力の一つは“ぼく”に拠るなよなよした文体と思っていたが、それが一切合切消え去ったね。文体を変えたというわけではなく、そもそも“ぼく”視点で描かれるシーンが消えたというか。グロワスを主にして描かれる際なんて一人称ではなく三人称視点で描かれているからね
今巻冒頭、グロワスは自室に籠って懊悩に身を費やしたけど、経た事によって彼は本当に変わってしまったようで
変化が良いものであるかは読んでいるこちらからは全く判らない。妃達にもその判断は付かない。しかし、サンテネリという苦境の多い国を背負う男の在り方としては間違いなく良い変化を迎えたと言える
彼は本当に王になったのだ
王の変化はサンテネリの変化に寄り添うかのよう
遂に枢密院会議が動き出し、王権の緩やかな委譲が行われるが、状況の可笑しさを覚えてしまう。この枢密院会議は“ぼく”が責任を分散させる目的で作り出したものだと言うのに、稼働を始める頃は既に“ぼく”ではなくグロワスになっているのだから
枢密院は閣僚が国を背負う権威者であるから効力を持つのに、まるでグロワスが居るからこそ実権があるかのよう
それが明らかになるのが“雪の王”の襲来か
枢密院は構成員が揃う事に拠って効力を発揮する。というより大権の分散を目しての会議体なのだから、構成員を無視した政治的決定は本末転倒。グロワスの決断は作中でも擁護されているように仕方のないものではあるのだけど、いざという時に誰が大権を有しているかを明らかにしてしまう
また、“雪の王”による災害は王の御裾に居る強者と庇護を得られない弱者を明確に分かつものともなるね
あと、枢密院制度の行く末ってそういう未来を招き得るのか…と驚嘆してしまったよ
枢密院制度って、王権をそのまま政治とするシステムから、王の大権を委任された会議体に拠る政治体制への移譲、つまりは超長期的には民政移管も視野に入れたものかと思いきや、その前段階として地方領主・貴族の駆逐だなんて…
以前は“ぼく”の主観によって語られていた為に、そこに穏やかな意図を見出した気に成っていた。けれど、“ぼく”が廃され冷徹なグロワスが顔を出した途端、その政策には深謀遠慮が詰め込まれているかのように思えてしまう
変わってしまったグロワスに対し、周囲の者達が畏れに近い感情を持ち始めるが、この状況はその認識が誤ったものではないと教え諭してくるかのよう
グロワスが本格的に王として存在するようになってくれば、追従する臣下も彼の理念に沿った行動を自ら行うようになる
それがアキアヌとガイユールによる徴税権の停止か…。枢密院制度が迂遠的には貴族の力を削ぐものであるならば、閣僚とて同様の方針で物事を考える必要が求められる、自然と“雪の王”を利用して更に政策を推し進めようとするわけだ
これにて王と閣僚は同じ方向を見ている事が判る。だからこそ問題となってくるのは方針の実現手段とそのタイミングか…。グロワスは平和を求めて国の改革を行っているのだから可能な限り平穏な方法を採りたい。けれどアキアヌとガイユールが徴税権停止を“内戦”と表現したように閣僚達は平和裏な手段など無いと考えている
グロワスが懸念していた閣僚達との対立が早くも現実のものとなってしまったわけだ
ただ、この状況って見方を変えれば、王としての自覚を持ったグロワスに成ったからこそ生じられたものとも言えるんだよね
以前の“ぼく”は出来る限り閣僚との対立は起こさないようにしていた。それは閣僚クラスと対立して国を割り、自身や妃達に危害が及ぶ可能性を懸念してのもの。けど、あのように枢密院会議の場で堂々とアキアヌと対立できたのはそれだけ彼が王として振る舞うと決めたからであり、「衝突を繰り返しながら、よりよいものを作り出せればそれでよいよ」という彼の言葉を裏付ける状況
他方で王と首相がこのような対立を起こすなら、それこそ政治闘争であり内戦と評するしかない。血が流れない戦争だ
王へと変じた事で冷たい印象が増したグロワス。それを少し和らげつつ、彼を支える女性陣を改めて描くようなエピソードが『王妃の証』か
アナリゼはサンテネリに来た当初から類稀なる素直さによって王の周囲にさざ波を立てかねない人物だった。特に政治的な理由で夜の交渉が行われないとなれば、彼女が焦れったさを覚えるのは当然。それが前巻における積極的な政治協力に繋がったのだろうし
そうした行為が出来ただけに、そして正妃というポジション故にアナリゼがグロワスの傍で活躍する場はそういった方面が主になるかと思われたから、“ぼく”が好む時計に格別な関心を抱くようになるとは思わなかったな
“ぼく”と似た趣味を持つ事は彼女がグロワスの精神性に近づく事も意味する。だから時計のエピソードと並行して、王の態度の違和感に気付く様子も描かれる
観念と生身、相反する存在として苦しんだグロワス。そんな彼の体験に少し通じる体験をアナリゼがした事で彼女はよりグロワスに近付いていくね。グロワスが王へ変じたように、遂にアナリゼも正妃に変じ始めた
初めて向けられた明確な敵意・悪意、温室で育てられた彼女にとっては未体験の領域。逃げ出してもおかしくないそれに対して彼女は『サンテネリ王国正妃』として立ち向かうね。彼女が無理をしたのは明らか、それでも正妃として振る舞った際には一切の恐れを見せなかった。それこそがグロワスと並び立てる証と感じられたな
グロワスは王として超然的な存在になりつつある。そんな彼の対となる存在がジュールか
前巻における問答では光るものを感じさせつつも、グロワスの前では稚拙な面が見えていた。しかし、別れてから王の言葉を斟酌する中でグロワスこそが自分の理解者であると思うようになったようで
これって何気に凄い事だと思う。グロワスに会う前こそ彼の演説に興奮する面持ちを見せていたが、実際に邂逅すれば彼こそ不正の頂点だと自分の理想をただぶつけて終わっていた。しかし、改めてグロワスの理想を考え直す内にグロワスは己と同じ方向を見ている同志と感じ直せるなんて。彼が理想に囚われ理想に溺れているのではなく、理想を叶える為に邁進する青年だと見えてくるね
そんな彼が改めて王の前に拝する機会を得た。同時に自分の論説を述べる機会でもある
この一連のシーンでグロワスがジュールの演説を誘うような演説をまず行ったのは印象的。グロワスが伝統を壊す真似をするのは今に始まった事ではないけど、ジュールが行おうとしている論説は伝統どころかいずれは国を壊しかねないもの。だからこそグロワスは“思想の世界の王”なんて言葉で締めたのだろうし
ジュールの献辞は本当に危険なものだったね……。一応仮定の話だとも、目的は善の証明だとも言っている。でも話の中心は明らかに現王を“悪”と定義する為の献辞、それを王を目前にして行っている
これが危険な代物として扱われなかったのは偏にこの献辞がグロワスとジュールによる合意の上に成り立っているから。いわば茶番であるかも知れず、グロワスはジュールの話がどう展開するかも理解していたかも知れず。大事なのはジュールが堂々とグロワスに対して学びの時期を終えるに当たり、どのような考えを持っているか示す事、そして両者が同じ理念を抱いていると確かめ合う事
グロワスとジュールは通じ合った。正しいけれど、とても危険な道を歩む事を
二人の考えに瑕疵はないと思える。だからこそゾフィが無垢なフリをしながら、二人が全く気付いていなかった穴を突いて見せたのは驚きであり、貴重であったように思えたよ
現実においても平等の実現表明と更なる平等追求は何度も繰り返された話。グロワスとジュール、そしてゾフィの構図はそれを象徴しているかのよう
作中で示されているようにゾフィとて時代を少しずつ変えようとしている。けど、それはグロワスが変えようとしている時代ではなく、女性が向き合う時代。グロワスもジュールも全く意識していなかったもの
ジュールは確かに歴史を変え後の教科書に載るかもしれない。でも、ゾフィが意識している事だって大切だと思えたな
メアリから『市民メリア・ルロワ』が生れ落ち、ブラウネは長子ロベルを生んだ。そしていずれ次なるグロワスが生まれる事も示唆された。グロワスと妃達の関係は良好であると判る。けど、後の歴史で最も名を残したのがメリアであるように、子供達や生きる時代が同様に良好であるかは不透明で
時折挿入される未来の絵姿へと近付いていく要素が少しずつ揃っていく歴史書のような物語。次巻で描かれるだろう更なる歴史への期待が否応なしに増してくる3巻でしたよ…… -
購入済み
王様転生ものの新定番
異世界の王様に転生するお話。
状況的には「転生したら皇帝でした」に近く、設定をきっちり作り込んであるところも似てますが、面白さは明らかにこちらが上です。
2巻、3巻と更に面白くなります。
おすすめです。 -
購入済み
第2部開幕。
面白い。すごくよく出来てます。1〜2巻も面白かったけど、更に上を行く感じ。設定や内容は、とてもラノベの水準じゃないです。
2巻まで一人称で描かれていた物語が、3巻からは三人称で描かれます。
3巻から物語が複雑さを増してくるので、三人称の俯瞰した目線が生きてます。
一人称から三人称への切り替えは、かなり難易度が高いと思いますが、とても上手にこなしており、作者さんは相当できる人と感じました。
ただ、もしかしたら、少し歴史の知識がないと、状況を上手くイメージできないかも。塩野七生さんの本とか読んでる人には合ってると思います。
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Posted by ブクログ
ネタバレ面白いという噂だったので読んでみたら面白かった。
いわゆる中世ファンタジー転生モノなんだけど、現代の中小企業3代目若社長が自殺して中世のフランスと思わしき国の王太子に転生する。赤子の時ではなく、20歳?のときに当の本人が病に冒されて快癒したら身体に乗り移った感じ。転生というより憑依のほうが近いかも?あと転生ファンタジー系によくある現代知識を活かして、、、感じなんだけど。特にチートもなく。あるのは現在の人権意識くらい。苦労しながらも貴族の子女たちを虜にし、傾いた国家財政を救うために絶対君主から立憲君主性に近い形に移行しようとする。4人の彼女たちのキャラたちもよく次巻以降も期待が持てる1冊。 -
Posted by ブクログ
これは凄い作品に出会ってしまったよ
作品傾向としては近年のラノベにおける王道路線、異世界への転生であり権威・権勢を持つ者として人生をやり直すというもの。けれど、本作はそうした権力者に生まれ直す事で得られる利点というか欲求的な部分を初っ端から否定しているね
偉くなった事で得られる立場に相応しいリーダーシップの発揮「変えることで自分の存在を刻印する」行動を敬遠している。前世においてそれなりに軌道に乗っていた会社の社長として行き詰まった彼は権力者として何か行動を起こす限界を体感している。だから異世界において改めて権力者の椅子に座っても、彼は次なる人生にて失敗しない為に「何もしない」を選んだわけだ
これ、軽く言及するだけだとまるでスローライフ系のように感じられるけど、むしろこの主人公の生活は転生した事で忙しくなるね。食事も仕事とか気が休まる時間が無い
それらの忙しさは巻き込まれ型主人公のように向こうからって来るという仕様ではなく、王者の椅子に座っているから必然的に訪れる忙しさ。「何もしない」を選択した彼は世を捨てて田舎に引っ込むのではなく、王城において暴君にも名君にも成らない道を進むわけだ
“ぼく”の口調が反映されている文体はとてもナヨナヨした印象を受ける。有り体に言ってしまえば「うだつの上がらない」男性が使ってそうな感じの文体。味方にする利点はあまり無いけれど、敵にするまでもないしそのバックボーンに価値が有るならば味方陣営に加えても良いかな?って塩梅の類い
“ぼく”は意識した上でそうした在り方を体現しているね。これ、無自覚俺ツエーでも能ある鷹は何とやらというタイプですら無く、自分を立てずに相手を立てる姿勢を極めた形なのだろうな
そもそも前世では上手く回っている会社、会社規模に相応しい有能さを持つ部下達、自分がヘマをしても傾かない体制という中で自分の主張を通そうとして失敗した人物だから、財政事情に大きな問題を抱えている程度で家臣は有能揃いのサンテネリにおいて、同様に自分の主張を通す利が無い点を素早く理解できたからこそ
他方でこの“ぼく”は周囲で行われている政治を何も理解していない本物のお飾りとは違う点が本作の面白さへと繋がっていくね
「何もしない」リーダーだけど「何も知らない」わけではない。それどころか、サンテネリで何が行われているかを積極的に知る行動力を持っているし、相手が何を考えて政治を行っているかもある程度読めている。その上で「何もしない」のだから見た目以上に厄介な人物だよ、この人は
そんなグロワス十三世が中心となって織りなされる物語、面白くないわけがない
病に拠って倒れたグロワスに“ぼく”が転生する形で始まった物語、必然的に転生前と後ではグロワスの在り方は大きく変わっているのだけど、前後における評価の違いがまず面白いね
彼に嫁ぐ可能性が有ったブラウネやメアリ等を始めとして大半の人物は転生前のグロワスを暗愚な人物、または暴君と認識していた。これはグロワスを個人として観察していた為か
対してマルセルを始めとして幾人かの家臣はグロワスの在り方を良くないものと捉えつつも誤りであるとして修正しようとまではしないね。これは王という個人に仕えているのではなく、王権に仕えている為か。またはそれ程までに王を絶対視していたか
愉快なのが転生前のグロワスと真反対の政策を行う“ぼく”は前のグロワスを偉大な君主になる可能性があった、羨ましい人物とまで見ている点か。まあ、そのように見つつ彼の政策の踏襲を行わない点も興味深いのだけど
前のグロワスと今のグロワスは明らかに思想が異なる。それが結果的にグロワスに失望していた、もしくは舐め腐っていた者達にポジティブなショックを与えるわけだ
その代表格がヒロインズとも言えるブラウネ達だね。彼女らは一様にグロワスに失望していた。しかし、身分から来る責任や立場の為に彼を明確な嫌悪の対象とまでは出来ない。それだけに前の彼と180度異なるかのような新たなグロワスの態度は彼女らに好印象を残すものと成るね
そもそもからして“ぼく”というのが現代知識無双も現代倫理無双も出来ないタイプなのだけど、一方で根底にある現代的な価値基準までは消せないし、社長時代に培った対人スキルも持ち合わせているから、サンテネリにおいて異質とまで呼べるような接し方が出来る
即ち、身分に基づいて人を区別するのではなく、人に基づいて人を区別する。それはサンテネリにおいて人を区別しないも同義。身分に拠って暴君グロワスに嫁ぐ可能性があった彼女らにとって気持ちの良い解放を意識させるものだね。身分に拠ってではなく人に拠って彼を好む事が出来る
これを“ぼく”は狙った形ではなく、ごく自然の在り方として、それでいてグロワス王として問題のない範囲で意図して行っているのだから恐ろしい話ですよ
新たなグロワス王の政策はいわば王が何もしなくて良い状況を作る為に全てをする、みたいな感じだね。将来的に自分の権力を削ぐ為の下準備を綿密で慎重な打ち合わせを何度も行った上でやっている。ただ、それでも周囲においては大改革には違いないから反発も当然生まれると
だとすると、第11話で発生した事件は無理な改革を進めようとした反動の現れだったと言えるか。それはグロワスへの害意という形だけではなく、“ぼく”が「何もしない」無害な存在と嘯いてきた為に密かに生まれていた歪みをも表出させるものとなったような
マルセルの処罰要求、噴出した“ぼく”の恫喝、ブラウネに訪れた選択、メアリが直面した破滅
これらは全て“ぼく”がのらりくらりと責任と向き合いつつも責任を避けていた為に生じてしまったものかな。そしてその忌避は前世を逃げるようにして終えてしまった行為に端を発しているとも言える
だから、この大問題の局面を切り抜けるにはそれぞれが身分や立場によって隔てられていた関係を少し踏み越えて己が自然的に持つ責任と相対する必要があったのかもしれない
そう思えばこそ、マルセルが侯爵令嬢たる自身の娘を出仕させ、ブラウネがグロワスをこれ以上逃さない為に傍に侍る決心をし、メアリが王ではなくグロワスという個人を救う事を自身の在り方としたように
そして何よりも“ぼく”が彼女らを身請けすると、彼女らの人生に対し責任を持つと覚悟を決めた事は大きな転換点となったのではなかろうか
その一方でゾフィという少女は面白い立ち位置に居るね
彼女はブラウネやメアリ程には王との関係に縛られていない。また、2人よりも幼い年齢。その意味で彼女はまだ自分の在り方を決める必然性に迫られていない。けれど、新たなグロワスに父性的な魅力を覚えた彼女は政治を意識しつつ少女として彼に恋をし、そして恋をしたからには淑女として彼と向き合おうとしているね。その点はブラウネやメアリには無い魅力であるように思えたよ
無論、ブラウネだってメアリだって充分に魅力的な女性であるんだけどね
己の立場を改めた“ぼく”は更に行動を急進化させるね。
差し迫った理由が有るわけでもないのに、自身の権力や武力をひたすらに削り、他者に権力を委任しようとするだなんてもはや狂気の沙汰だ
当初の彼は失政の果てに殺されたりしないよう「何もしない」を選んだ筈だった。けれど物語が進展し、彼がサンテネリやブラウネ達に責任を持つように成ると、サンテネリが生き永らえるように王や権力者が何かをしても揺らがない形へと国を変えていく
これは「何もしない」の究極系だね。だから彼の周囲に侍る者達は生まれ変わったグロワス王に未知なるものを見るし、彼の真意を読み解け無い者は暴君より恐ろしい何かを見て彼に降参する
終盤にてグロワスの王たる所業が一つ描かれたね
あの演説は作品が作品なら名演説扱いされてグロワス王の王たる所以を示すものと扱ったって可怪しくない。けれど、グロワスの演説を傍で聞いたガイユール大公とデルロワズ公は演説そのものは高く評価しない
ただし、王が直接に兵達に向けて自身の政策を反映した演説を行ったという点、それを聞いた兵達が思惑はさておき現象としては騒乱を止めた。その事実がとても大きい
グロワスはそこに自覚的であるというのが面白いね。“ぼく”は意図的にそうした効果を狙っているね
同じようにガイユール大公とデルロワズ公もグロワス王がただの熱意に拠って大演説を行ったとは見做さず、演説を行う事で長期的な効果を得ていると認識している。また、そうして作られる時代の転換点に否が応でも巻き込まれている事も自覚している
そうした点を考慮すれば、2人はグロワス王を自分達が仕えるべき、というより仕えざるを得ず名君にせざるを得ない人物と理解していくね
当初の彼が「何もしない」判子係だった事を思えば、これは大きな偉業と言えそうだ
ただ、“ぼく”自身は政治の世界に身を置きすぎて彼らの信任を表面的な言葉そのままには受け取れないと
だとしたら、ブラウネやメアリからの信頼がより篤くなり、そして無邪気であるように見えて充分に政治的であり純真さも併せ持つゾフィが傍に侍る事になったのは彼にとって癒やしと成ると良いのだけれど
あと、この関係にあまり絡んでこないアナリゼはグロワスとどのような関係を築いていく事に成るのかも気になるね -
Posted by ブクログ
前巻においては“ぼく”が為す政策やその下準備が順繰りに描かれ、その大半が上手く進展しているように見えたものだから、グロワスが暗君を自称するだけで歴史的には名君へ上り詰めていくのだろうと勝手に感じていた。けど、その認識は全くの誤りであると突き付けてられたのがこの2巻だね
ラストに収録された後日談的エピソードが象徴的だし、何よりもこの巻全体に行き渡る“ぼく”の限界が彼は名君に成り得る器を全く持ち合わせていないと理解させてくる
この巻はいきなり彼の失敗から始まる体になっている。でも、割とすぐに取り返せているから何処が失敗なのか?と思いそうになるし、多分周囲もこれを後にまで響く失敗とは強いて捉えていないように思える。でも、“ぼく”はこれを明確な失敗として扱っている。その差が底流に漂い続ける巻だったように思えるよ
第1巻におけるグロワスの政策は概ね尊重されてきた。それはグロワスがいきなり政策を打ち出すのではなくマルセルを始めとした重鎮と長々とした打ち合わせを経て、また重鎮達がその政策が受け容れられるように様々な下準備をした上でグロワスの政策が打ち出されてきたので彼には失敗など無いように見えていた
そう思うと26話の失策はそれこそ重鎮達ですら把握しきれない貴族の理論、外圧、民草の望みが積み重なり、勅令の否定へと至ったものだと認識できる
これは確かに王権としては失敗と言うしか無い。勅令が否定されるなんて在ってはならない事態だろうし
ただ、これって割と対処可能というか取り返しの付く失敗なんだよね。実際にグロワスは名演説やら裏工作やらを経て否定へと至る諸要素を解消していったのだから
特にあのガイユール館前での演説は素晴らしかったね。殆どが台本でサクラが仕込まれていたとしても、そのような状況を演出できたという一点で高評価に値する。しかもあの演説は民衆の方向性を誘導した効果に留まらずその後の外交に圧力を加えられた意味でも大きい。失策から始まったものであろうとそれを帳消しにするくらい多くを得られた流れであるように見える
いわばこれも一つの成功であるように
この評価はジュールによる「傑物」「暗愚ではない」という評価にも裏打ちされているね。彼は後にグロワスを糾弾する程なのだから、そうした人物に拠る高評価なら信頼出来ると言える
なのに“ぼく”はあの演説で安心を得られないね。というより、演説の効果を正しく限定的に捉えていると言うべきか。演説はまるで自分に酔っているかのように発するのに、それを言葉にしている彼自身は全く酔っていない。それは慎重に事を進める人物としては正しいかも知れないけれど、国を牽引する王としては些か疑問を覚えるもの
“ぼく”が自身に対して疑問や迷いを抱き続ける姿勢は問題と感じられるけど、大きな意味での本質的な問題ではない。けど、グロワスが迷いを抱いていると見えてしまう事で周囲も彼に対して僅かな迷いを覚えてしまう構図は問題かも知れない。それはグロワスを疑うという意味ではなく、迷えるグロワスにばかり決断を押し付けて良いものかという
まあ、グロワスが王である限りはその構図は絶対的に揺らがないのだけど、親しい者であればその迷いを突く疑問を発したりもする
それはまずアナリゼの懇願として現れたね
前々から示されていたように、ブラウネを始めとする妻達に対しては感情を昂らせた時を除き、とても政治的に扱っているし、個人的な空間では正しく妻として扱っている。それでもグロワスが王である為に個人的な空間にも政治は容易に入り込む
アナリゼの問いは政治的には宜しく無いもの。けれど、王に嫁いだ女性としては至極当然のものではある。そして、あの問いは“ぼく”の迷いに端を発しているね
“ぼく”の精神的キツさが読者に対して露わになるのと時を隔てず、妻達は精神的に安定しむしろ進展すら見えるのは皮肉に思えてしまうね
ブラウネは誤解として受けとった“世話”なる言葉を誇りに思うかのようにグロワスに尽くしている。メアリも普段は縫いぐるみ職人かのように振る舞いながら、グロワスが軍服に袖を通した際には最上の演出を加えている。ゾフィは書き下ろし短編に見えるように、グロワスの意図にある程度沿いつつ、女性としての在り方にあの時代で可能な範囲で挑戦しているね。そしてアナリゼもグロワスとの将来のため、国同士の将来のために役割を全うし始めた
彼女らが王の妻という社会的役割・立ち位置以上へと変化を始めたのは間違いなくグロワスの影響があるのだけど、“ぼく”はどうしても彼女らを信じられない一点が彼女らから寄せられる信頼への酩酊を許してくれないね
何処まで行っても“ぼく”は自身を信じない、伴い周囲も信じられない。それだけにアキアヌの提案と諫言は電撃的に感じられたよ……。あれは誰かが言ってやらねばならなかったのだろうけど、それをアキアヌが言うかと
ただ…、あんまり“ぼく”には効果が無かったのかな……。フライシュ三世との会談をグロワスは上手く切り抜けられたように思う。けれど、フライシュが会談後に見せた評価をグロワスは知らないし、そもそも格上との会談で擦り減らした精神を回復させる何かも持っていなかった
アキアヌの諫言は必要だったけど、“ぼく”はとうに自分を信じる信じないで済む領域を通り越していたのだろうね…。この辺は見ていて流石に哀れに感じてしまう程に追い詰められた“ぼく”の惨状が伝わってきたよ……
こう見ると、どう考えても“ぼく”って王様としての適正が無いんだよね。そもそも現代日本でお飾り若社長をやっていた程度の人間に大国の王がいきなり務まるかと言うと無理なんだけどさ
でも、無理なのに前世を自ら閉じる責任を発揮した彼はサンテネリにおいては自死を選ばないと決めた責任によって王権に纏わる諸々から逃げ出さないというね…。その姿勢は立派だろうけど、あまりに哀れに過ぎる
無様と呼ぶべき醜態は流石に滲み出る。それを知っていると言ってくれた、アキアヌと同じようにグロワスに届く言葉を投げかけてくれたのが母后マリエンヌか…
昔のグロワスの意識が上書きされていない“ぼく”にとってマリエンヌは正真正銘の母と感じられる人物。けれど、“ぼく”としての意識が彼女を甘えるべき対象から外してしまう。背反する感情
あの会話はきっと“ぼく”にとって唯一縋っても良い瞬間だったかも知れないけれど、王としての意識、前世を明かせない後ろめたさがマリエンヌに縋る己を許してくれない
あの瞬間は本当に哀しい存在と思えたな……
“ぼく”が猜疑心に塗れる理由、それは別の意味でサンテネリや王への適正が在った為だ、なんて第1巻では受け止めていたのだけど、38話で明かされた転生当初の認識を知り、印象は引っ繰り返ったな
“ぼく”は最初からずっと自身を品定めする敵のような“味方”達に囲まれて生きていたのだと。そして本来ならすぐに破綻していただろう転生生活は彼の幼稚な特技によってどうにか誤魔化してきたのだと
だとしたら、貴族会での大演説はようやっと“ぼく”が責任の一つを下ろすフィナーレであったと見る事も出来るのかもしれない。あの瞬間の為に4年の歳月は費やされたのだ
だとしたら、そのような大演説の直後にメアリの妊娠を知ったのは良かったのか悪かったのか
彼を親とする子供が生まれる事は彼に新たな責任を齎す。一方で彼の行為によって子供が誕生するならば“ぼく”がサンテネリに存在する事を肯定してくれるね
子供を辞め、神を辞め、観念を辞め。そうして人間の王へと行き着いた“ぼく”。そんな彼の王政が未来の世において、どのように暗君として扱われつつも荒涼とした大地に君臨した王として語られるようになるのか、そんな期待を胸に続巻を待ちたいものですよ