キャロライン・バンクラーのレビュー一覧
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エッセイ?自己啓発?哲学?スピリチュアル?
とにかく、小説ばかりずっと読んできたので味変のつもりで読んでみたけど、心に刻みたい言葉がありすぎてメモが止まらなかった。
自分自身スピリチュアル的なものは苦手だけど、最近「思い通りの人生を送るために!」とかタスク管理!自己実現!とか、そういうトレンドで今を置き去りにする風潮に少し疲れていた。
本作では、過去や未来ばかりに目を向けるのではなく今この瞬間を見つめること・思い通りにコントロールするのではなく受け入れることなどが記されている。
良い気づきがたくさんあると共に、稀有な人生を歩んだ作者の伝記としても面白く読めた。 -
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死を身近に連れ戻してくれる大変いい本でした。
前半はわかりやすくお坊さんとしての著者の経験談。
後半は予想もしていなかった死の話。
そのどちらも素晴らしかった。
記憶が新しいので後半の死の話が印象に残っている感はあります。
死んだ人を近隣の住民自らが焚き火で燃やすタイの風習なんかを聞くに、やはり先進国とされる社会においては死が遠ざけられすぎているように思う。
親が死ぬことを告げられたらどんな言葉を返すか?と考えたけど、「いままでありがとう、愛してるよ」の2つしかないだろうと思った。
それはつまり、人間の善い行いなんてのはこの2つに集約されていくのだということ。
またアバウトタイム観なきゃ。
あと、常々思っているけれど、原題の”I May Be Wrong”もそうだけど、自分にとって片時たりとも忘れたくない言葉がたくさんある。
それを実際に片時も忘れないための方法が、何度考えても目に入る位置にタトゥーを掘るしかない。
より善い人間になるために、肘から先にいろんな言葉をタトゥー入れたいな。 -
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ネタバレ今騒音問題に悩んでいる私に手を差し伸べるかのように出会った一冊。
隣人の騒音問題に悩んでおり、これを書いている現在進行形で小学校低学年の足音や赤子の鳴き声が聞こえてくる(これはしょうがない)22時22分時点
かつての私なら、就寝前なのだから皆静かにすべきなのに。賃貸だから気を使って生活すべきなのにとべき思考に陥っていた。しまいには白黒思考であるため、音に一喜一憂する日々が長らく続いた。
だが、そのような中で本書の86ページに書いてある”誰かに対してこうあるべきだと思っても、その人たちは自分の想い通りの人間には絶対にならないと”と言った言葉が背中を押してくれた。確かに管理会社にも言ったものの、自分が望んでいた水準まで改善はしなかった。だから相手に期待することをやめ、また自分の心がこれ以上窮屈にならないためにも、相手を受容することにした。もちろん、まだ完全には受容できていないので時々、うるせえよ。黙れと声に出しそうになる。
そのような時にはパサーノの言葉である「僕が見ている」を思い出し、自分との約束「相手を許す、そして受容する。」を再確認する。だが、いずれ「相手を許すべきだ。受容すべきだ。」といった思考に転じないように注意が必要だ。
別にこの心がけは相手のためを思ってではない。自分のために実践し、相手を許し始めた。私は因果応報を信じる派なので、自分に跳ね返ってこないように、騒音で怒っている態度を隣人にあからさまに出すことを止めた。それに自分の心もどんどん荒んでいくのも止めたいと思い。そしておそらく、こちらのベランダを汚したり、自身の子供の騒音を気にも留めない親にはきっとこの先何か待っていると思う。(別に不幸を願っているわけではない。)
ナティコが経験した世界に触れられて本当に良かった。
また並行して"はじめての森田療法"という本も並行して読んだ。森田先生も、べき思考に囚われ、また解決策を練ろうとすることで、長い期間その問題について考えることになり、本来の自分(あるがまま)を見失っていると述べていた。これは森田療法も仏教の禅の考え方に深く影響されていることから、同じ考え方が見いだせたのだろう。だが、私はそれを知らずに同時並行で読み、これは何かのご縁だな。ありがとうございます。と感謝をしている。
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『私が間違っているかもしれない』を読んだ。
社会で成功したあと、17年間僧侶として生き、再び社会に戻った著者。
でも、社会復帰はうまくいかず、うつ病になり、
「自分には価値がないんじゃないか」
と悩むようになる。
そんな中、僧侶として学んできたことを人に話すようになり、周りから感謝されることで、
「自分はここにいていいんだ」
と思えるようになったという。
心に残ったのは、
「人生とは、自分の贈り物を見つけて、それを人に与えること」
という考え。
そして、
良いことも悪いことも、これもまた過ぎ去る。
人は誰でも、人には見えない苦しみを抱えている。
だから、他人には親切にしよう。
書いてあることはすごくシンプル。
でも、実際にやるのは難しい。
自分をよく見せようとするより、今ここにいること。
考えすぎるより、目の前の人を大切にすること。
心がしんどい時に、また読み返したい本でした。 -
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ネタバレ間違ったときに素直に認めて謝る習慣を維持したい、そんな素直な人間性を維持したと思って読んだ
父は安楽死、本人はALS、
死と向き合う中で自分の考えが間違っているかもしれないと思いマインドが整っていく本、説得力が凄い本
・マインドフルネスというよりアウェアネス(気づき)
・女性に振られて傷心し仏教にたどり着く物語
・永遠に変わらないものはない、思想や信条なども
・自分の考えに懐疑心やユーモアを持つことで生きるのが楽になる
・ぱっと出るアイデアは、長い間熟考し続けた結果である場合が多い
・ありのままの相手を受け入れる、べき論はよくない
・仏教とは無心で今ある事に集中する事 正念
・出来ごとに意味は無い、人間が意味を与えるだけ(儀式も含め)
・自分の考えにとらわれていると、まっさらな目で物事見れない
・思考を手放す正しいとしても手放すことが必要
・私が間違っているかもしれないと呪文を唱える
・正しい事が重要ではない、人間は本質的に無知であると理解する事が大事
・苦しいと思うから苦しい
・本当の幸せは物がある事ではなく、無い事でもたらされる
・本当に必要な事は時が訪れたら目の前に来る
・これもまた過ぎ去る(ペルシャ王の言葉)
・常に自分の行動が起点になる
・アッラーを信じよ、だけどラクダはひもで括り付けろ
・あなたが誰かを嫌うのはあなたが傷つきリソースを使うだけ、相手は何も感じない
・自分を客観視する、感情に支配されない
★神は宝石を絶対に見つからない所に隠した、あなたのポケットです -
Posted by ブクログ
ネタバレ元エコノミストが出家して僧侶に。その後、スウェーデンに戻り普通の生活へ。上手くいかず、鬱に。その後、人生が好転しだすも難しい病に。
帯には、[山奥で隠遁生活を送った経済人の最も感動的な人生体験]とある。
啓蒙書の類だが、偏屈な自分でも驚くほど心にスッと入ってきた。著者はスウェーデン人だが、仏教の考え方が元になっており、日本人である私たちも受け取めやすい。
まず、この本をよく表しているのが、題名にもなっている「私が間違っているかもしれない」という言葉だ。
私たちは無意識のうちに、心のどこかで自分のことを全知全能の存在だと思い込んでいる。と作者は言う。
◯他人がどうあるべきかを知り尽くしていると信じているので、もし誰かがそれに従わなかったら辛くなってしまう。つまり、私たちは他人のことを考えているようでいて、実際には自分のことしか考えていないのだ。
凝り固まった思い込みや傲慢さを振り返り、「私が間違っているかもしれない。」と柔軟に物事を捉え直すことは、なかなか難しいけれど、確かに自分に必要だと感じた。
◯この言葉は、思い出したとき私を謙虚で建設的な方向に導いてくれる。
他に、物事を自分の思い通りにしようとすることを減らし、何かを信頼することを増やす大切さも書かれている。
そして、一番心に響いたのが次の文章。
◯10歳の子供でも、多かれ少なかれ、人間の心の美しさとは、何かを知っているだろう。忍耐力や寛大さ、親切さ、(略)。私はこれらの価値を訴えたい。背筋を伸ばして自分の中にある最も美しい特性を引き出すことを意識して生きる。今世界がこれ以上必要としているものがあるだろうか?
◯世界は、私たちが何を考え、どんな行動をしたかに敏感に反応する。私たちが発信したものは、結局は自分に戻ってくる。世界はただ存在しているのではない。世界はあなたの写し鏡なのだ。294
今、恐ろしくなるほど、日毎に世の中が壊れていっている感覚がある。一昔前の日本の良識に基づいた秩序が、目に見えて壊れていっている。日本人の中だけでさえ良識が通用しなくなって来ていた中、移民関連で崩壊してしまってきた。でも、その流れに惑わされたくない。この本は、今まさに人間に必要な一冊だと強くお勧めする。
拙い紹介文で、この本の素晴らしさを全然伝えきれないのが悔しい。他にも沢山の知恵が書かれているので、私も繰り返し読みたいと思う。
以下、備忘録
・あらゆる摩擦や争い事は「自分が正しい」と言う前提に立ってしまっていることに由来する。
・「拳を強く握り、力を抜いて、手のひらを広げる。」物事や感情、考えなど、自分が強くしがみついているものを手放す
・私たちは静寂の中で学ぶ嵐が来たときに、それを思い出せるように
・人生で進むべき道を見つけようとしている時、「信頼」と「瞬間の知性」の2つが私にとっての羅針盤になる。
・これもまた過ぎ去る
・肉体は自分という意識を包み込む宇宙服のようなものだ。
・誰も見ていなくても、自分が見ているという意識で、自分の言動に責任を持ちたい。 -
Posted by ブクログ
久しぶりにスピ系の本を読んだ気がする。森林派の僧侶としての生活が具体的に描写されていて興味深い。
・私が間違っているカもしれない
・正しいことが重要なのではない
・そうかもしれないし,そうではないかもしれない
・拳を強く握り,力を抜いて手のひらを広げる
・あなたが本当に知るべきことは
必要な時が訪れたら
自ずと目の前に現れる
・私たちは静寂の中で学ぶ。嵐が来たときに,それを思い出せるように
・これもまた過ぎ去る(This too shall pass.)
・非嫌悪
・僕が見ている
・大切なのは,他人について「こうすべきだ」「ああすべきだ」と言った意見をあまり持たないようにすること -
Posted by ブクログ
「自分が正しい」という前提に立っていることで、あらゆる摩擦や疲弊が起こっているかもしれないとは薄々感じていた。
でもその「自分が正しい」感覚とどう向き合うべきか、どう手放し、世界を受容すべきか、誰も答えを持っていない。
17年間僧侶として生きた著者ナッティコから、穏やかに謙虚に物事を捉えるヒントをもらった。
心に残った部分。
・自分の心を捉える思考の流れを手放すには、注意を他に向けること。呼吸に集中する。すべきことは呼吸だけ。
・自分の考えは常に正しい、と思っていない人たちと一緒にいるのは新鮮だ。こうした人たちとは、「私もあなたも、常に正しいわけではないし、100%合理的でもない。無意識におかしなことを考えているし、あるものに対して過剰に感情的な反応をすることがある」といった考えを分かち合える。
・(修行を「もうやめる」と著者が言うたびに)「一晩寝てから考えればいい」と言ってくれた導師。
朝になると、本当に気分が変わっていた。私は、仏陀がなぜ無情についてこれほどまで多くを語ったのかを理解し始めていた。
永遠に変わらないものは何もない。困難な時期でさえも。
・「自分の考えが常に正しいと思うな」人生で、これほど私を助けてくれた言葉もない。
自分の考えに懐疑心やユーモアを持って接することで、自分自身でいることがはるかに楽になる。
・仏陀は、純粋な心を保つ方法は2つあると説いている。悪いことをしないか、自分の罪を認めるかだ。
・人間関係に過度に煩わされないための解決策はある。相手の言動をいちいち気にしたくないのなら、そのための方法は突き詰めると1つしかない。
それはありのままの相手を受け入れることだ。なぜなら、誰かに対して「こうあるべきだ」と思ったからといって、その人がその通りの人間に生まれ変わったりすることは絶対にないからだ。
ー私たちは他人のことを考えているようでいて、実際には自分のことしか考えていないのだ。
人間には他人の本音を見抜く力がある。相手に疑われていることを鋭く察知できる。
「どうぞありのままでいてください。あなたはあなたのままで完全に歓迎されています。あなたの居場所があるのです」このようなきもちで相手と接すること。
・(くまのプーさんの)ラビットのように「物事を知っている」と言う態度をとる人と話をしても喜びを得られない。こういう人は大抵、人の話をよく聞いていない。こちらが話を終える前から、次に自分が何を言うかを考えることで頭をいっぱいにしている。そこには魔法のようなひらめきや出会いはない。
・アジャーン・ジャヤサロ(イギリスの僧侶)が「魔法の呪文を授けよう」「今度、誰かと衝突しそうになって心に葛藤が芽生えたら、この呪文を3回真摯に自分に言い聞かせるように繰り返してほしい。」
私が間違っているかもしれないー。
・人生は、自分が考えたり想像したりする通りにはならない、と理解することは知恵である。
人間は本質的に無知である、と理解することも。
・あなたが本当に知るべきことは
必要な時が訪れたら
自ずと目の前に現れる
ー奇跡が起こる余地を残しておくのを忘れないで。
・人生で確実なのはただ一つ、いつか終わりが来るということだけ。それ以外のすべては不確実な思い込み、予想に過ぎない。開いた手のひらで人生を観たそう。(執着を手放し、こうあるべきを解き、箱から出て他人を想う)
・あるペルシャの王が周囲に知れ渡るほどの知恵で王国を支配していた。ある男が、王の賢明な統治の背後にある考えをどうしても知りたいと思った。ついに念願かなって謁見を許され、男は王に秘密を尋ねた。王を金の指輪を外し、「この内側に私の秘密が書いてある」
ーこれもまた過ぎ去るー
何も永遠には続かない、すべては無常である、ということだ。
・仏陀がとく、4つの神聖な感情。「四無量心」
①慈心ー相手を思いやる心。
②悲心ー相手の苦しみに共感する心。
③喜心ー他人の成功に喜びを感じる心。
④捨心ー執着せずに目の前のものと接すること。今この瞬間の物事を、あるがままに受け入れられる感覚。
・「常に、あなた自身から始めなければならない」
まず自分自身を思いやることができなければ、他者を思いやる心は不足し、もろいままである。
自分に対して優しく寛容になれび、自然と周りの人たちにも同じように接することができるようになる。自分に対して厳しく容赦のない目を向けている限り、他人に惜しみない愛を与えることはできない。『非嫌悪』自分自身のことも、他人のことも、嫌いにならないように努める(=愛)
・和解や赦しは簡単なことではない。それでもー。
誰かに心を閉ざすとどうなるのか?
あなたが相手に心を閉ざしても、相手は特に影響を受けないが、あなた自身は傷つくことになる。あなたの心は狭くなる。心の中に、恨みの種子を植えることになる。
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Posted by ブクログ
ネタバレこの本には、バリキャリだったスウェーデン人男性が、タイで僧になり17年修行し、母国に戻って普通の生活をしようと思ったら鬱になり、家族や友人に助けられ、講演会などで自分が学んできたことを語る機会が増えてきたが、ALSになり、死を目の前にしたときに、感じたことや考えたことが綴られている
僧として長年修行したとしても、感情は動くし、悩むこともあるんだな
だったら修行したことのない私の感情が動いて悩んであたふたするのは当たり前だな、と安心した
p124
今度 誰かと衝突しそうになって心に葛藤が芽生えたらこの呪文を3回 真摯に自分に言い聞かせるように繰り返してほしい そうすれば 夏の朝の草のつゆのように不安は蒸発するだろう
私が間違っているかもしれない
私が間違っているかもしれない
私が間違っているかもしれない
怒りが湧いた時に試してみたけど
「何が間違ってるの!?誰か教えて!」
となって、不安は蒸発しなかった
修行が必要だ
ありのままを受け入れる
むずかしいことだけど、
そうしようと努めることで
現実は変わる気がした
p320
ヒンドゥー教のことわざ
神は、最も貴重な宝石を、あなたが決して探すことはないだろうと思われる場所に隠した
それはあなたのポケットの中だ
大切なことは、長い修行の先にあるのではなく
意外と近くにあるのかも
気づけるどうか、なのかも -
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【ひとこと感想】
どの本でもいうことは一緒。
外に幸福を求めるのではなく、自分の中にだけ幸福を求めること。
【印象に残ったこと】
世界はただ存在しているのではない。世界はあなたの写し鏡なのだ。だからこそ、自分が見たいものになるように努めるべきだ。
この言葉が当たり前だけど素晴らしい。
世界は理不尽で残酷なので、自分の思い通りにはならない。
なぜ自分ばかりと思う。
でも、世界の見方だけは自分次第で変えられる。
変えられないことは変えられないので、自分だけを変えてみる世界を少しでも良いものにしていきたい。
【考えたこと・感じたこと】
分かってはいるけどまだまだ外に求めたり、外に感情を影響されてしまうことが多い。
もっと自分に自信をもって、もっと自分を愛して生きていきたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ・人間の脳は「何かについて考えないように」という命令をそのまま受け取れない。それでも私たちは、思考を手放す方法を学ぶことはできる。そして、それはとてつもなく役に立つものになる。
・「これからの人生の大きな指針は、自分自身でいることを楽に感じられるような人間になることだ。自分らしくいることに安らぎを覚えられる人、自分の考えに支配されていない人、"こんな人と親友になりたい”と思えるような自分になりたい」
・意識的に自分の注意を何かに向けること、その対象を何にするかを選択することは、困難に直面したときに私たちができる、最善かつおそらく唯一のことだ。
・これは”心に従うこと”や”直感”と呼ばれたりもするが、私は"瞬間の知性”と呼びたい。(略)私たちは、この知恵の声に耳を傾けられる。だからこそ、私たちは人間なのだ。にもかかわらず、この声を聞いていない人はあまりにも多いー特に、自分の外側に答えを見つけるのが簡単なこの時代では。
・「知識は、知っていることすべてを自慢する。知恵は、知らないことすべてに対して謙虚になる」
・簡単には物事に動じないような芯の強さが心の中で育まれてきているように感じた。それは、いつも私と一緒にいて、私の幸せを願ってくれる何かだった。
・奇跡が起こる余地を残しておくのを忘れないで。(略)これまでの人生の中で最高に素晴らしかったものはたいてい、自分の力の及ばないところからもたらされたものだ。
・私たちは自分の内側で一番大声で叫んでいるものに注意を向けてしまうようになる。けれども落ち着いた環境の中で思考を手放す方法を学び、注意をどこに向けるかを選ぶ訓練をすれば、頼もしい味方をつくれる。
・今日では、私と体との関係はまったく変わった。私たちはもうずいぶんと長いあいだ、苦楽を共にしてきた。もうどちらも若くない。今は、感謝の気持ちでいっぱいだ。自分の体を称えてやりたい。
・私たちが"誰かと永遠には一緒にはいられない”ということを真に理解するには、死を間近に感じなければならないのかもしれない。もちろん私たちは、頭では“人はいつか死ぬ”という事実をよく知っている。しかし、その知識を頭だけでなく全身で理解するには、生涯をかけた努力が必要だ。そして、それは努力する価値のある仕事である。
・「怒りは起こりますが、それで心がいっぱいになることはありません」(略)感情と自分を同一視するのをやめて、心を感情に占拠されないようにすることだ。
・人は、自分がどれくらい周りの人に感謝されているかをよくわかっていないものだ。だからこそ、それを伝えてあげるべきだ。
・それがいつであっても、私が最後の息をする日が来たら、私に死と戦えとは言わないでほしい。その代わり、私がすべてを手放すのを手伝ってほしい。「私は大丈夫だし、あなたとはこれからもずっと一緒にいられる」と言ってほしい。