あらすじ
★33か国で翻訳
★スウェーデン歴史的ベストセラー!
人口1000万の国で44万部!
2020年から3年連続最も売れたノンフィクション本
★台湾年間総合1位!(2024年)
海外書として異例の快挙
★韓国、イギリスなど各国続々ベストセラー!
韓国では特別版を製作するなど異例の熱狂
これは悲観ではなく、
物事を的確にとらえる思考。
あらゆる摩擦は
「自分が正しい」という前提に
立ってしまっていることに由来する。
著者ビョルン・ナッティコ・リンデブラッド氏
の生涯を通じて、
静謐で穏やかな心に変わる教え。
【本書のあらすじ】
ビョルン氏はスウェーデンでエリート教育を受け、
経済界で若くして成功を収め、
26歳でCFOに就任するなど華やかなキャリアを築く。
しかし、心の空虚感と違和感に耐えられなくなり、
すべてを手放して出家。
タイの森の中の僧院で17年間、
厳しい戒律のもと修行に打ち込む。
金銭、あらゆる欲、娯楽、自由といった一切を
断ったその生活で、彼が得た最も大きな学びは
「自分の考えが常に正しいとは限らない」
という気づきだった。
帰国後は講演や執筆を通じて、内面の静けさと
「私が間違っているかもしれない」教えを説き、
スウェーデン中で一大センセーションを巻き起こす。
晩年にはALSを患い、死と向き合いながらも、
執着から離れた心の在り方を静かに説いた。
「私が間違っているかもしれない」と言える謙虚さの中に
真の強さが宿ることを示した彼の人生とメッセージは、
スウェーデン国内のみならず、世界中で
「生涯の支えになる」「一生の指針」
と今も支持を集め続ける。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
深淵な森のなかでうずくまっている男性の絵と、「私が間違っているかもしれない」というタイトルに惹かれて拝読。
誰かの懺悔をつらつらと読み進めるのかと思いきや、内容は全く違っていた。
教えがいっぱい詰まっていた。
巷でベストセラーとなっているメンタル啓発本をいくつか読むよりも、この本一冊で事足りる気がする。
スウェーデン出身の、輝かしいキャリアを積んでいた20代の著者が、ある時期を境にタイのジャングルで森林派の仏教僧侶として生活を初める。
17年間の僧侶生活を引退後、母国スウェーデンに戻って社会復帰しようとするが、厳しい現実に直面してうつ状態となる。その後、家族の支えもあり、生きる道を見つけていくが、突如ALSという難病に罹患。難病と向き合いながらも講演を続け、家族や友人に支えられながら2022年1月
に人生の幕を閉じる。
僧侶の話なんてご立派なものでしょと斜に構えてしまいそうになるが、なんと言っても、著者自身がユーモラスで俗っぽかったり、情けない部分もあったりで、すごく親近感を感じる。瞑想中の雑念とか、あるよね。笑
だからこそなのか、元僧侶の彼や、彼に影響を与えた僧侶たちの言葉がスッと心に入ってくる。
私のなかで、しんどくなった時に繰り返し読みたくなる本ベスト1となりそう。
Posted by ブクログ
僧侶になるまでの生活、僧侶としての生活、僧侶から俗世間へ戻ってからの生活、病に侵されてからの生活。1人の人間の半生を描いた本です。
まず全体を通して強く受けた印象として、俗世間から離れた世界で僧侶として仏教の戒律を守り、即物的な快楽に溺れることなく過ごす雲の上のような存在でありながらも、人を愛する心が強く、こんなに人間味に溢れた人がいるだろうか、という事でした。
私には想像もつかない、いわゆる一般的には経験することのない世界を生きてきた人だと思いますが、それぞれの境地における心情やそこで得た知恵を余すことなく、これでもかという程に、読者へ優しく諭すように与えてくれる本でした。
とりわけ特に印象深く響いた内容を記します。挙げればキリがないくらいの気づきがありました。
・「自分の考えが常に正しいと思うな」―自分の考えに懐疑心やユーモアを持って接することで、自分自身でいることがはるかに楽になる。自分の考えを全て信じてしまうと知恵も蝕まれてしまう。
・判断をする方法は理性だけではない。理性を休ませて心の内側に目を向け、耳を澄ます、ここから得られる知恵(瞬間的なひらめき)を判断とする方法もあるということ。
・誰かに対して、「こうあるべきだ」と思ったからと言って、その人がその通りの人間に生まれ変わったりすることは絶対にない。だから、ありのままの相手を受け入れることが必要。
・自分の考えが正しいと信じて疑わず、それを手放そうとしないことがあるが、たとえそれらが正しいとしても手放すことで、そこから得られる恩恵は計り知れない。
・自分自身を謙虚で建設的な方向に導いてくれる魔法の言葉「私が間違っているかもしれない」
この言葉は思い出すのが難しいものであるが、思い出した時はいつもうまくいく。
・拳を強く握り、力を抜いて手のひらを広げるイメージで物事を自分の思い通りにしようとすることを減らし、何かを信頼することを増やす。人生をあるがままに受け入れることを増やす。
・人は基本的に他人に親切にするのが好きだということ。
・誰も見ていなくても、自分が見ているという意識で、自分の言動に責任を持ちたい。自分自身のために。
・起こりうる全ての結果に影響を与えることはできないし、あらゆる物事を思い通りにすることもできない。しかし、良い行いをしようと思って、実際にその通りに行動しようとすることはできる。
・私たちが発信したものは、結局は自分に戻ってくる。
・どんな人でも人知れず、大きな苦しみを抱えているもの。だから、他人にはいつでも親切にすること。
Posted by ブクログ
タイトルと表紙のイラストに惹かれてこの本を手に取った。私は人と衝突したとき、「自分が間違ってるかも」と折れやすいタイプなので、この本から得られることがあるかわからなかった。
けれど、実際に読んでみると、自分の頭の中の声を疑うべきときは他人と衝突した時だけでなく、自分自身を否定して傷つける声もまた疑うべきだと説かれていた。そしてどのような思考によってそれをできるようにするのかも。
著者とは全く違う人生を歩んでいるけど、一度は感じたことのある怒り、悲しみ、戸惑い、不安などが鮮明に書かれていて、そのような苦しみにどう対処したら良いのかが寄り添うように書かれていると感じた。
本を読み進める中で、自然と自分が執着しているものに気づき、それを手放すことを手伝ってもらえるような感覚になった。穏やかに、けれど赤裸々に著者が人生で得た知恵を授けてくれるような本だった。
Posted by ブクログ
著者のナッティコさんが、17年もの間、僧侶として俗世を捨てて得た智恵。
それを私は、この本を一冊読むだけで知ってしまっていいのだろうか……?
著者の人生の重みに触れて、なんだか申し訳ないような、でもそれ以上に、ただただ「ありがたい」という気持ちでいっぱいになった。
読み終えたあと、あとどれほどあるか分からない自分の残された時間を大切に生きたいと感じる一冊でした。
何度も読み返したい。
Posted by ブクログ
スウェーデンで若くして成功の道を歩み始めていたエコノミストが出家してタイの森林派で僧侶になり16年間世界各地で僧侶として過ごした、というすごい経歴の著者の自伝的な本
葛藤や苦悩、仏教だからこそ書けることがあって読み応えがあった
タイとイギリスの仏教徒に対する見方の違いもダイレクトに書いてあり面白かった
Posted by ブクログ
できない自分に厳しく当たるばかりでは、同じように何かをできずにいる他人に優しくできるはずがない、という教えにハッとさせられた。
また、計画を立てることは大切だが、すべてが計画通りにいくわけではないと思っておくことも大切、と言う言葉、ほかにも、何かの感情でこころをいっぱいにせず奇跡を受け入れる余白を持っておくこと、という言葉も響いた。
耳が痛い、というか、読書なので目が痛いというべきか(笑)、こころに刺さるシーンや考え方が多々あった。
I may be wrong
事あるごとに唱えている。
Posted by ブクログ
keyword 知恵、人生への信頼
手放すことや無常を意識していた私としては、「奇跡が起こる余地を残しておくのを忘れないで」「人生を信頼して予想外の出来事を受け入れながら生きていく」を新たに取り入れて生きていきたい。自分の美しい特性を引き出すことを意識して新年もしなやかに生きるよ
Posted by ブクログ
とても良かったし面白かった。
ナッティコの人生が興味深かったし、退職→僧侶→引退→鬱→仕事→病気のどの出来事も最終的には寛大な考え方で乗り越えてこうして本にしてお金になったり、誰かに伝えて元気になれるなら人生悪いことばかりでは無いなと思った。
Posted by ブクログ
物語的な面白さと、自己啓発的な教訓、二つが良いバランスで良い本でした。
マインドフルネスといえば修練的な、積み上げていく技法のようなイメージがあったのですが、自分が作った(もしくは、環境によって作り上げられた)思考の癖や思い込みといったものを手放す作業である、という視点は新鮮で面白かったです。
ラスト、作者が愛を想いながら文章を締め、その後の作者紹介で亡くなっていることを知って涙しました。
「死」を否定的な忌避すべきものではなく、「誕生」と同じ軸で捉える考えも素敵です。
また、人性がつらいときに読み返したいな。
以下、印象的だった文章たち。
①「未来」という概念について
未来についての自分の考えを当たり前のものだと考えないようにしよう。そうする事で得られることはたくさんある。なぜなら、私たちが頭の中で未来について考えていることは、正確なものではないからだ。それは、あなたの記憶や経験に基づいた断片的な絵のような、不完全なスケッチに過ぎない。
②「死」について
なぜ私たちの社会では、死と戦い、抵抗し、否定することが英雄視されるのだろうか?
なぜ死は打ち負かすべき敵として描かれるのだろう?
なぜ死は、人間の存在に対する侮辱であり、失敗であると見なされるのだろう?
私は、死を生の反対にあるものだと考えるのは好きではない。むしろ、誕生の反対のようなものだととらえたい。それに、死の向こう側に何かがあるという直感を幼い頭から抱いてきた。時々、死後の世界には素晴らしい冒険が待っているような気さえする。
それがいつであっても、私が最後の息をする目が来たら、私に死と戦えとは言わないでほしい。その代わり、私がすべてを手放すのを手伝ってほしい。「私は大丈夫だし、あなたとはこれからもずっと一緒にいられる」と言ってほしい。
私が感謝しなければならないことを思い出すのを手伝ってほしい。開いた手を見せてほしい。
最後の瞬間が来たときに、どんな気持ちでいたいかを思い出せるように。
エリザベス、まだベッドに入っていないなら、一緒に潜り込んで、私を抱きしめてほしい。
私の瞳を見てほしい。この人生で最後に見るものが、君の瞳であってほしい。
Posted by ブクログ
自分のアイデンティティと思考とを、分けて捉える。
他人に対しても同じ。相手に恨みを抱いても、相手は少しも罰せられることはないし、その打開を相手から切り出されるのを待っていても、いつまでたっても前に進むことができない。
それに、誰かに対して"こうあるべきだ"と思ったからといって、その人がその通りの人間に変わったりすることはない。
知識は、知っていること全てを自慢する。知恵は、知らないこと全てに対して謙虚になる。
Posted by ブクログ
これもまた過ぎ去る(This too shall pass)
何も永遠には続かない、すべては無常である。
死を受け入れ、生を手放すということなのだろうか。”死”について語られているところが印象深い。
Posted by ブクログ
ここ半月ほど、急な不安感に支配されそうになっていた。
そんな時に手に取れて良かったと思えた本。
考え方を心に留めておくことで、まだ起きていない未来への不安や、過去への執着のような落ち込み方は回避できそうだと思った。
『物事を自分の思い通りにしようとすることを減らし、何かを信頼することを増やす。「事前にすべてを知っておく必要がある」と考えるのを減らし、人生をあるがままに受け入れることを増やす。』
人生を優しく受け止めたいと思う。
Posted by ブクログ
読んだことないようなタイプのエッセイだった、全ての言葉がシンプルで、だからこそ伝わりやすかった
他人にも自分にも誠意を持つこと、道徳心に従って生きること、誰もみていなくても自分が見ていること、恨みの感情は他人には伝わらず自分を蝕み続けること、など
日常生活で覚えておきたい言葉が本当にたくさんあった、何度も読み直したい
Posted by ブクログ
ありのままでいる。あなたも、私も。それでいいのですね。凝り固まっていた心を柔らかく包み込んでくれるような、あたたかい本。私にも私に関わってくれる人にも、優しくし、大切にし、たくさん感謝を伝えて、いつかくる終わりの時まで私らしくいられたらいいなと思う。
Posted by ブクログ
「私が間違っているかもしれない」
他人の言動に対する受け取り方として感情的に受け取りがちで、客観的事実ではないことを言い聞かせるために、「私が間違っているかもしれない」と心の中で唱えることは自分自身のためになる。
また、過去や未来について思考しがちなので、現在に集中して思考する。そのための手段として、瞑想はとても有効だなと感じる。
よく真面目すぎると言われることが多く、それによる生きづらさを感じることも多い。
だから、「自分が見ている」という言葉で真面目すぎる自分の生き方を肯定してもらえたような気がして、とても救われた気持ちになった。
他人からの評価や見られ方、面白みではなく、私自身が私を肯定するために言動を選び取っていると、自分を信じられる気がする。
Posted by ブクログ
◯ 自分自身のことも、他人のことも、嫌いにならないように努める(237p)
◯ 私たちはお互いに永遠に一緒にはいられない。(中略)このことを心に留めておくと、他人や人生に接する方法は、1つしかないことがわかる--優しく、大切にすることだ。(307p)
◯ 相手から切り出されるのを待っていては、あなたはいつまで経っても赦し、和解し、前に進むことができなくなる。(311p)
◯他人に感謝の気持ちを伝えることが重要になってきた。人は、自分がどれくらい周りの人に感謝されているかをよくわかっていないものだ。(323p)
★エリートビジネスパーソンがすべてを捨て、厳格な戒律を守る僧侶になった。簡単に出来ることじゃない。17年間修行したのちに一般人へと戻った。さらに難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)になってしまう。そんな経歴の人の話は貴重すぎる。
Posted by ブクログ
エリートサラリーマンだった著者が、天命を受けたかのように突然タイの仏僧になる話。
この著者がとにかく俗っぽくて、親近感が湧く。
瞑想してても雑念だらけだし、17年間の修業のうち割と時間が経っても長時間の瞑想も眠ってしまうし、結構頻繁にイライラもするし、寺に来たタイ航空のCAに興奮するし、移った寺で尼さんがいるのに感動するし。読んでて笑ってしまうぐらい、普通の人。
だからこそ、そこで共有される知見がスッと入ってくるのかもしれない。
私は間違っているかもしれない、そのスタンスで人に接していく。簡単なようで、とても難しい。
状況は何も良くならないし、不幸なだけのこともあるし、相手が理不尽なことも多い。
ただそのイライラやもやもやの対象に対して自分が何をやろうとも、それが自分の思う通りになることはほぼない。その事象で自分の心をざわつかせるのはあまり意味がない。だったら、その事象を受け流し、自分に向き合っていく方が良いのではないか。
理想論にも聞こえるが、著者は難病と死という局面でも苦しみながら実践していくから説得力がある。
エリート青年が傷つきながら成長していく物語としても単純に面白い。
Posted by ブクログ
自分を、他人を、ありのままに受け入れる。
どう受け取り、落とし込むかは全て自分次第。
"恨み"が自分に与える影響は?
同じ状況が自分だったら本当に違う?
犯した人に対して心を閉ざす必要はない。人と行為を分けて考える術を身につける。
Posted by ブクログ
こんなふうにあけすけに記された誰かの思想を覗いたことがなかったので、僧侶の暮らしぶりや彼らの思考・宗教観は単に興味深く、俗世の我々にも通ずる数々の気付きは慰めになりそう。
タイトルとなる『I may be wrong』、34章の『僕が見ている』など印象的なフレーズが多い。これらの考えを日常で実践できるのはまた別の話なのはよく分かっているけれど、読んでいて穏やかな気持ちになった。
Posted by ブクログ
穏やかに芯を持って生きたいと思うのだけど、芯ではあるけれども人や社会との関係性で揺らぐというか変容する芯を持ちたい。それは穏やかとは対極のような苦悩とともに生きるのではなかろうか。そんなことを思いながら読んだ
Posted by ブクログ
読書というものは、自分一人の人生では決して出会えないような、「他者の視点」を自分の中に取り込む作業だというのをどこかで拝見しましたが、その通りだなと思いました。
そんなにキレイな話ではないだろうと感じることもあったけど、それこそ目に見えるものだけが正しいとは限らない、私が間違っているかもしれない。
Posted by ブクログ
話題になっていたので読んでみました。
タイトルと序盤は気に入りましたが、
途中からは自己啓発味が強く好きじゃありませんでした。
私は自己肯定感が高く、自分が正しいと思って生きています。良いことなはずなのにでもそれが最近日常を生きづらくしている気がして、ヒントにしようと思った部分をメモします。
◯大切なのは他人について「ああすべきだ」「こうすべきだ」といった意見をあまり持たないようにすること。あるがままを受け切れるということ。
◯誰かに対して「こうあるべきだ」と思ったからといって、その人がその通りに生まれ変わるとこはぜったいにない。
◯誰かと衝突しそうになったら
「私が間違っているかもしれない」と3回唱える。
◯あらゆる摩擦は「自分が正しい」と言う前提に、
立ってしまっていることに由来する。
意見を言う際は一度考えようと思いました!
Posted by ブクログ
昨日よりも今日、今日よりも明日、より良い自分になるために
手放すことができたら、人生楽になる。
思い悩む時間を少しだけ減らす。
不安と自分を同一視しない。
愛ではなく非嫌悪。愛することは出来なくても、嫌いにならないようにすることは出来る。
常に自分から始める。
This too shall pass これもまた過ぎる。
自分のために開かれたドアに向かって進む=「人生はコントロール出来るし、そうすべきだ」とは考えない。
「アッラーを信じよ、しかしラクダは紐で括り付けておけ」=理想と現実。
他人に知られたかどうかは重要ではない、自分が知っていることが重要なのだ。そしてその事実は一生一緒に生きていかなくてはならない。
許すことは寛容になることではない。自分の心を健康にするということ、オンラインの状態で、いつでも怒りにアクセス出来る状態にしてはいけない。
Posted by ブクログ
知っているという思い込みは大きな問題を招くことが多いが、知らないという謙虚な態度が大きな問題を招くことはない
誰かと衝突しそうになったときは
「私が間違っているかもしれない」を三度唱える
仏陀の唱えた神聖な四つの感情
四無量心
慈心
悲心
喜心
捨心
自分の人生を信頼できるか
誰かが見ていなくても、自分が見ている
森林派の元僧侶で、スウェーデン人で、鬱になり、ALSになった著者
Posted by ブクログ
拳を強く握り力を抜いて手のひらを広げる
考えやものに執着しているときこそ、怖くても手放してみるということも必要。
〜すべきという考えは自分を苦しめる。
意識していこうと思った。
プーさんも哲学的なことを初めて知った。
Posted by ブクログ
なぜこんなに良いとされているのかはわからなかった。
だけど記憶に残っているのは、
>誰も見ていないから契りを破ってもいいよ
>私が見ているからダメだ
という趣旨の文章。
確かに一番約束を守るべき相手は自分自身し、付き合いも長い自分自身が見ているから裏切ってはいけないという考えはなかったなと思った。そして、守るべきだなとも。自分のことを信頼できなくなるってきっととても不幸なことだと思うから、自分を信頼できるように、自分のことを裏切らないでいたいと思った。
また自分自身が死と直面する場面で、少しでも長く家族と過ごしたいという趣旨の文章が出てくるが、
一番に思い浮かんだのは母だった。
護られているんだなと。
母のことは好きな時も嫌いな時もたくさんあるけど、母であり姉妹であり親友なので、長く生きていてほしいし、もっとたくさん一緒にいたいなと思った。
そして私が結婚することを選ぶのなら、相手にもそう思ってもらいたいな、とも。