杉山晃のレビュー一覧

  • ペドロ・パラモ

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    さあね、何年も顔をあげなかったもんだから、空のことなぞ忘れちまったよ。ま、空を仰いだって、どうにもなりゃしなかっただろうよ。天はうんと高いし、目もずいぶん弱ってたから、わしにゃただ地面だけ見えてりゃ言うことはなかったからね。それに、天国へはもう決して行けない、遠くからだって見られやしないってレンテリア神父が言うもんだから、もうどうでもよくなっちまった……。わしの罪のせいさ。でもな、神父様はそんなことなぞ言わなくてもよかったのさ。生きるってことだけで、もういいかげん苦しいんだから、死んだら別の世界へ行けると思うからこそ、足を動かす力も湧いてくるってもんだろう。天国から門前払いを食わされちゃあ、あとは地獄の門をくぐるしかない。それじゃあ生まれてこなけりゃよかったってことになる……。なあ、フアン・プレシアド、わしにとっての天国はここさ。わしが今いるここだよ。

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    2026年02月21日
  • ペドロ・パラモ

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    亡き母との約束を守るため、顔も知らない生き別れの父を探す青年が辿り着いたのは、ひとけのないゴーストタウンだった。女たちのささめきに導かれがらんどうの町をさまよう青年の父探しと、父ペドロ・パラモが町を支配していたころの記憶が交錯し、地上の煉獄のように死者が留まり続ける円環的な世界を描いたメキシコの名作。


    マリアーナ・エンリケスやベンハミン・ラバトゥッツを通して南米面白い!となっていたところに、ネトフリで本書の実写版映画(2024)を発見してそちらを先に見た。眩い太陽の下でゴーストタウンと化した20世紀のメキシコの町が美しく、女性たちの演技も印象的で、これは原作も好きな気がする、とすぐに注文した。
    これが本当に素晴らしく私の好みにバッチリで、なんで今まで出会えなかったのか不思議になってくるくらい。スペイン語圏の作家・批評家のあいだでは『百年の孤独』と並び評され、名作として名高いのだそうだ。
    母の語りだけを頼りにやってきた青年フアンの足取りと彼の父だったペドロの記憶が混じり合いながら断片的に語られていくのだが、次第に彼らだけではなく、エドゥビヘス、ダミアナ、ドロテアら女たちの声、フルゴルやレンテリア神父のようなペドロに反発しながら屈服した男たちの声が重なり合い、こだまし合って、コマラという町に封じ込められた時が迷宮のように立ち現れてくる。小説家には目がいい人や空間把握が優れている人などがいるが、ルルフォは耳のいい人だったんだと思う。死者のささめきだけがこだまする町で再演され続ける在りし日々の記憶。それはレンテリア神父の矛盾と苦悩が象徴するように、カトリシズムとメキシコの風土との混淆のうちに捏ね上げられた白日の下の煉獄のようだ。
    そしてコマラとメディア・ルナというペドロの領地から離れた女たちの声が、その煉獄にまた異なる彩りを添える。前半はフアンに語りかける生前の母・ドロレスの声。後半はペドロによってコマラに呼び戻されながら、夫との幸福な日々の夢想に浸りきるスサナの声。フアンを妊娠中にペドロと離別したドロレスは死に際にコマラの美しさを語り聞かせる一方、スサナは父母の記憶を除いてコマラの外で過ごした記憶に生き、コマラに閉じ込められた肉体のほうの生活はもはや顧みない。スサナとの思い出を抱えてコマラを牛耳り、彼女との再会を夢みて生きてきたペドロとの対比が残酷に描きだされる。
    タイトルは『ペドロ・パラモ』だが、むしろ彼の強権的な力に踏みにじられながら生き延びてきた者たちの視点で書かれている。地上の経済と天界の崇高との板挟みで苦しんでいるレンテリア神父が残酷に切り離し、見捨てた者たちのことも。フアンに水や食べ物を与えてくれる女が近親相姦をしているというエピソードは強烈に印象付けられるが、彼らの姿から直接描かれることのないスサナと父の関係をも窺い知れるし、スサナがレンテリア神父に最期まで心を開かなかった意味も察することができる。誰のための祈りなのか、何のための告解なのか。かつて神父に拒絶され、フアンと同じ墓を分け合うことになったドロテアはこう語る。
    「生きるってことだけで、もういいかげん苦しいんだから、死んだら別の世界へ行けると思うからこそ、足を動かす力も湧いてくるってもんだろう。天国から門前払いを食わされちゃあ、あとは地獄の門をくぐるしかない。それじゃあ生まれてこなけりゃよかったってことになる……。なあ、フアン・プレシアド、わしにとっての天国はここさ。わしが今いるここだよ」。
    語り手すらも既に死者となった世界で円環的に閉じた土地の記憶が語られるという構造は、かつて読んだフリオ・リャマサーレスの『黄色い雨』を思いださせる。きっとリャマサーレスもスペイン語圏作家としてルルフォの影響を受けているのだろう。『黄色い雨』はタイトルが示す通り腐食を象徴する黄色と緑の視覚的イメージが強烈だったが、この『ペドロ・パラモ』に満ちるのはひたすらに声、声、声。生者としては発せられることのなかった、魂のこだまとしての声ばかりである。

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    2025年12月22日
  • ペドロ・パラモ

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    文体と物語、過去と未来、生と死、全てが渾然一体となっている。独特の読み味に病みつきになって、いつまでもコマラから出たくなってしまう恐れがあるので注意。

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    2021年06月02日
  • ペドロ・パラモ

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    初読は高校の課題図書。

    メキシコの片田舎、父を探して主人公がたどり着いたのは死者の町だった・・・といった話なのだがストーリーは当時全く意味不明。ただ、砂ぼこり舞う真っ白な道、陽炎に揺れる怪しげな街、という描写は異様に頭に刷り込まれている。
    「燃える平原」にひっくり返り再読。

    2017年12月14日付The Economistによると、魔術的リアリズムの元祖でもあるルルフォは、実はフォークナーの影響を受けているらしい。あれだけ土俗的なラテン・アメリカ文学が北米の作家の系譜に連なるのも意外と言えば意外。

    “The reader gradually realises that all the novel’s characters are dead. It is modern because it frames a reality rather than merely describing it, and because time in it is simultaneous, not sequential, as Carlos Fuentes, a later Mexican writer, noted.”(記事より引用)。

    物語の中で時間は順を追っては流れない、同時に生起する。まさに最も”modern”なことをこの作家はやっていたということだ。

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    2019年01月03日
  • ペドロ・パラモ

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    2008年11月27日~28日。
     結構な数の登場人物。男も女もいる。ほとんどは死者。そんな死者が時空をあっちこっちヒョイヒョイと駆け巡る。語り口も一人称からいきなり三人称に変わったりする。最初は面喰う。
     それぞれの断片が大きな流れになって物語を織りなす。そして最初に戻る。終わらない。ウロボロス。
     ちょっと気を抜くと振り落とされるか迷子になるかおいてけぼりを食らう。でも心配はない。一度はまってしまえば気を抜くことも許されない。
     間違いなくもう一度読み返すだろう。久しぶりに心底面白い作品に出会えた。

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    2018年01月06日
  • ペドロ・パラモ

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    「たくさん悪いことをしたこの地上からあの男を連れていってくださった神様に感謝しよう。いま天国にいるかもしれないが、ま、そんなことは問題じゃない。」

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    2017年03月11日
  • ペドロ・パラモ

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    ネタバレ

    ささ‐めき【私=語】
    ささめくこと。ひそひそ話。ささやき。また、男女のむつごと。
    「貴妃の―、再び唐帝の思ひにかへる」〈海道記〉

    初めてこんな言葉を知ったが、これほど的確にこの小説を表す一言はない。
    ささやく。ひそめく。
    まずは翻訳の文体の素晴らしさ、語のセレクトの素晴らしさ。
    少ない文字数から滾々と湧く抒情。

    次に構成のしかけ。
    ただシャッフルしているのではない、ひとつの言説が連想を呼び過去を掘り起し広がり深くなる。

    最後に語られる内容。
    極悪な奴なのにスサナへの思いが、たまらなく切ない。
    すべてを手に入れようとしてそれだけ手に入らず。

    これだけの男の行き詰まりは街の行き詰まりを呼び廃墟へ。

    cf 中上の浜村龍造

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    2014年02月13日
  • ペドロ・パラモ

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    ネタバレ

    奥深い、底知れぬ物語。
    死んだ男をめぐる噂話が、死んだ人間たちの間で語られ、死んだペドロ・パラモの人物像がうすぼんやりと形作られていく。伝え聞きの集合体として物語が建設されており、それらを細胞に、町の盛衰が語られる。鮮やかな小説。
    ガルシア=マルケスに「百年の孤独」を書かせた小説という、ある意味で究極の評価を得ているようだが、そういう文学史的注釈を抜きにして面白い。

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    2016年07月03日
  • ペドロ・パラモ

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    死者が埋葬され土と石に帰るのなら、私たちは堆積した死者の上に生きているのではないか。彼らの記憶も積み重なり、それは時間の進行という枠組みを超えて断片的に交差する。本書が南米文学の起源であると同時に到達点だと言えるのは、決して循環する構造が故だけではない。土地と血縁、そして革命と血生臭いモチーフが用いられているのにも関わらず、それらが全て断片的な構成として提示されるからこそ幻想的な魅力を帯びてくる。死者の記憶に耳を傾け続けることが生者の努めだとするならば、本書はまるでレクイエムそのものなのだと言えるだろう。

    (2013/10/08追記)
    再読。積み重なる死者の記憶が印象的な故に初読時はレクイエムの様だと感じたが、実際に死の瞬間というのは驚くほど描かれない。「気分じゃないよ、アナ。人間が悪いんだ」言葉は簡潔かつ明瞭なのに、時にドスを効かせて読者を刺しにかかっている。荒地の寂寥感に潜んでいたのは、生きる事にも死ぬ事にも興味はないとでも言いたげな虚無感であった、死者が集う街・コマラは地獄の釜から浮かび上がる蜃気楼か、それとも登る事の叶わぬ煉獄の丘か―否、どうでもよいのだ、そんなことは。最も緻密に作り上げられた、生きることそのものに対する暴力。

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    2013年10月08日
  • ペドロ・パラモ

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    どういうわけか、自分の周りに大きい鳥が無数にいて、ばさばさと羽をばたつかせ風で煽られているところを想像してしまった。そのばたつかせた羽から向かってくる風が本作で扱われる「死」のようであり「時」のようであり、鳥菌やら砂埃やら乗せてばさばさと私の顔やら体やらにぶつかって過ぎ去って行く。鳥は無数にいるのであちこちから風はやってくる。それは一定のリズムを保っていない。顔にも風はくるので、つい顔をしかめてしまう。しかめると言っても不快だから、というのではなく奇妙だからである。鳥菌にやられてお熱。

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    2011年03月03日
  • ペドロ・パラモ

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    ラテンアメリカ文学において、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』と並ぶ傑作だそうで。

    そこまで分量があるわけではない中篇だが、夜中に読み始めたにもかかわらず、どうしても止められなくて一気に読み切った。

    読むのを止められなかったのは、複雑な構成なので間を開けたくなかったこともあるが、何よりもこの独特の世界観に浸り続けたかったからだ。

    会ったことのない父親ペドロ・パラモを探して訪れた田舎の街でのファンに起こる出来事を中心に描かれるかと思いきや、話は過去にも飛ぶし、目の前で話している人間が読み進めていくと死者だったりする。

    70の断片からなる物語だそうだが、その断片は時間軸も、生死の境も、すべて交錯した状態で次から次へ迫ってくる。

    読んでいて何のことだかさっぱり理解ができない場面もしばしば。だが、ざらついた荒野の情景が常に頭に浮かびながら読み進める迷宮世界は、ある種の心地良さを与えつつ、緊迫感でぐいぐい心を攻めてくる。

    メキシコを舞台にしたと仮定したデビッド・リンチの映画を観ているような感覚だろうか。物語の理解よりも、その圧倒的な世界観の洞窟に潜り込むような。

    しかし、この文庫版は解説もすごく丁寧で、読後にかなり理解を深めてくれる優れもの。指摘された箇所を改めて読み返すと、より魅力的な一篇だと感じられます。

    イマジネーションをかきたてる驚異の小説です。ルルフォはこれを含め2作しか発表していないようだが、そりゃ崇められるだろうよ!

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    2011年01月03日
  • ペドロ・パラモ

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    何度読んでも心が震える。この物語が終わってしまうのがもったいなくて、ゆーっくり、ゆーっくり読む。訳も素晴らしいと思います。映画化されているそうですが、この世界をどのように映像化しているのかという興味はあるものの、こわくて観られません(恐怖ではなく)。

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    2010年06月17日
  • ペドロ・パラモ

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    顔も知らない父親、ペドロ・パラモを探しに来たファン・プレシアドがたどり着いたのは生者と死者の交わる町だった。町をさ迷ううちにファン・プレシアドも息絶え、墓の中で死者たちは囁き続ける。
    ペドロは冷酷な地主だった。町は発展するが、ペドロが唯一欲したのは、幼馴染のスサナだけだった。30年ぶりに再会したスサナは精神に異常をきたし、父親とは近親相姦にあった。スサナを手に入れたペドロだが、二人はまともに言葉を交わすことも出来ない。スサナの死後ペドロは町を荒むに任せる。数年後、ペドロの私生児の一人がペドロを殺す。ペドロは乾いた石の様に大地に倒れ、その数年後、ファン・プレシアドがペドロを探しに町へやってくる…
    ===

    文学の凄さが伝わってくる傑作です。過去と現在が交わり死者と生者が語らう幻想的な筆運びの中にメキシコ社会が見えてくる作品。作者のルルフォはメキシコ革命の混乱で土地と家族を焼かれ、生涯2冊の本しか残していませんが、その2冊をして史上最高の作家。

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    2020年02月05日
  • ペドロ・パラモ

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    再読&模写。
    これは・・・読めば読むほど言葉を失ってしまう。二回読み、すべて書き写して、断章ごとに分析して、圧倒される。そしてもう一度読む。
    書き写すと、非の打ち所の無い簡潔な文章と精密機械の設計図のような構成が身にしみて感じられ全然苦じゃない。
    何度読み返しても永遠に「発見」し続けることのできる作品。そう断言できるくらい細かいからくりが多い。
    20年かけたという翻訳も凄まじいできばえであるが、この原文を堪能せんがためだけにでもスペイン語をはじめたくなる。
    うわー、ベストなんかなあ、これ、ベストかもしれん!

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    2009年10月04日
  • ペドロ・パラモ

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    ネタバレ

    ほぼ全員の愛と赦しがすれ違う一方通行。
    死者が死してなお話し続けるという不可逆性。
    対して物語自体は過去と現在が交錯して進む。
    ページ数に反してゆっくり読み進めたい一冊。
    解説でも保管しきれない余白は再読も必須。
    立て続けに2回目を読んでやっと面白さがわかった。

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    2026年09月06日
  • 黄金の軍鶏

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    ラテンアメリカ文学界隈では知らない人がいないファン・ルルフォの本邦初翻訳。貧困に喘ぐ主人公が一匹の軍鶏をきっかけに繰り広げる栄光と没落の物語ではあるが、その背後にファムファタールとも言うべきもう一人の主人公が、それこそ影のようにたたずんでいる。面白いのは、この女性自身もその栄光と挫折に巻き込まれていくこと、そして運命は『ペドロ・パラモ』よろしく流転していくこと。最後の一文は、すべてが運命に定められていたかのような、呆然とした余韻を与えてくれる。

    【併せて読みたい】ファン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』『燃える平原』シェイクスピア『マクベス』

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    2026年06月02日
  • 黄金の軍鶏

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    作品紹介・あらすじ

    賭けに飛び込め! 運命を挑発しろ!
    ガルシア=マルケスをはじめ数多の作家に影響を与えたラテンアメリカ文学ブームの先駆者にして、メキシコの国民的作家フアン・ルルフォ。
    デビュー作『燃える平原』、不朽の名作『ペドロ・パラモ』に続く、その文学的終着点が、本邦初訳でついに登場!!

    メキシコのとある田舎町。片腕の不自由なディオニシオ・ピンソンは、町の知らせを大声で触れ回るお触れ屋をささやかな生業として、病身の母と貧しく暮らしている。
    ある夜、闘鶏で深手を負った一羽の軍鶏を譲り受けたところから、彼の人生は思いもよらぬ方向へと転がりはじめることとなる。
    やがて息を吹き返した"黄金の軍鶏"は、闘鶏で勝ち続け、富と名声を彼にもたらす。
    こうして町から町へと渡り歩き、賭けと歓声の中に生きる道を見出したディオニシオは、ある日、妖艶で抜け目のない巡業歌手ラ・カポネーラと出会う。世知に長け、男たちの欲と金のにおいを嗅ぎ分ける彼女と行動をともにして、彼は勝負の世界の裏側を知り、ますます運に身を委ねてゆくのであった。
    欲望と勝利の陶酔、目に見えぬ運命の鎖に引きずられ、孤独な男が行き着く先は……。

    巨星が放つ最後の閃光!
    ガルシア=マルケスとカルロス・フエンテスの脚本によって映画化もされた、欲望と宿命の物語。

    *****

    まず驚いたのが、フアン・ルルフォの新しい小説が出版された、ということ。彼の作品は短篇集の「燃える平原」と唯一の長篇「ペドロ・パラモ」だけだとずっと言われていたのに、突如として「デビュー作『燃える平原』、不朽の名作『ペドロ・パラモ』に続く、その文学的終着点が、本邦初訳でついに登場!!」なんて帯に書かれた状態で出版されたのだから、驚かないわけがない。

    この作品自体、映画用の物語原案ということでルルフォの小説とは別枠に数えられていたのだそうだ。事実、ガブリエル・ガルシア=マルケスとカルロス・フエンテス、及び監督のロベルト・ガバルドンの脚本によって映画化もされている(この2人の著名な作家の名前が脚本に連なる事実だけでも十分に驚かされる)。だから彼の作品は上記の2作品のみ、ということになっていた。それが「時間の流れを経て、当初の誤解はしだいにほどけ、いまではルルフォの三作目にして最後の著作として」(訳者あとがきから引用)こうして陽の目を見たというのが経緯とのこと。

    なんといってもスピード感がすごい。トントンと物語が進む。よって一気呵成に読み進めることもできるのだけれど、「もっと掘り下げて書かれるべき場面では?」と思える箇所が沢山でてくる。まるであらすじに少し肉付けしただけのようにも感じられる。そう考えるとやはり映画化ありきが前提となって書かれたのだな、と妙に納得してしまう。実際にかなり映画的な作品という印象を受ける。カメラ・アングルを意識したような表現や、クリアにその場面が脳裏に浮かんでくる箇所も多い。そういう意味では「そういう作品だ」と受け入れて読めば、なるほどかなり面白い作品だと思う。

    その映画的なスピード感は、ルルフォの代表作「ペドロ・パラモ」と比べると特に際立つ。「ペドロ・パラモ」などは時空があちらこちらに駆け巡り、語り口も一人称から三人称に突如として変わる。それぞれの小さな断片の積み重ねが大きな流れとなって物語を織りなしている。そして最後は最初に繋がる。まるで自分のしっぽを咥え込んだウロボロスのような状態。それに比べるとこの「黄金の軍鶏」の時間は一定に過去から現代へと流れ、空間は移り変わるものの、混乱することもなく、物語はきちんと完結する。そんな大きな違いがある。なので「燃える平原」や「ペドロ・パラモ」のような作品を期待すると、肩透かしを食らわされると思うけれど、僕はなんだかんだ言ってもかなり面白く読み進めることができた。

    YouTubeを検索すると、前述の脚本陣による映画版がアップされている。僕も飛ばし飛ばしで観たのだけれど、ラスト・シーンは異なっているようだ(本書の方が悲劇的)。

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    2026年05月10日
  • ペドロ・パラモ

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    ラテンアメリカ文学に興味を持ち、手に取る。
    父のいた街を訪れた主人公が、死者と会話していく物語。

    難解で、一読しただけでは正直理解できなかった。
    巻末の解説を読み、話の筋をやっと理解できる状況。
    それでも文字を追っているだけでも心地よい感覚はある。
    自分にとっては、何度も読み直さないと、味わえない作品だった。
    少し時間をおいてまた開きたい。

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    2026年02月04日
  • ペドロ・パラモ

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    ネタバレ

    ラテンアメリカ文学の金字塔的作品。
    ストーリーを断片化させることで、徐々にペドロ・パラモの人物像を浮かび上がらせていく精緻な構成が凄すぎる。
    ガルシア=マルケスの「予告された殺人の記録」と同様、すでに荒廃した過去の街を郷愁を込めて描いている。
    ディズニー映画「リメンバー・ミー」をこの前観たけど、やはりメキシコの死生観(死後も人生は続く)はかなり面白い。
    語り手だと思ってたフアン・プレシアド含む登場人物全員が既に死者だったことに、とても驚かされた。

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    2025年06月14日
  • ペドロ・パラモ

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    すらすら読める本ではない。読み始めは当然のようにストーリーを追おうとしていたけど、早い時点で諦めた。なんせ、語り手がころころ変わるし、時間も脈絡なく切り替わるのだから。でも、それぞれの語り手の語りに身を委ねていたら、なんだか心地よくなってきてしまった。巻末の解説を読んで、なるほどねーと思い、もう一度読んでみたい気もするけど、ちょっと今は気力が出ない。再読リストに入れておこう。

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    2024年09月22日