打越正行のレビュー一覧
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いやぁ、すごい。こんなこと、真似できるはずがない。
本当に若者たちの現状を知りたい、その思いがあるからできたこと。
だからこそ、聞けた話があるのだと思う。
私は、普通の家庭で生まれ、今まで過ごしてこれた。当たり前に学校に行き、当たり前に将来を考え、今に至る。
でもこの著書に出てきた若者にとっては、そうでない。
沖縄は、非正規雇用が多く、賃金も安い。離島であり、物流のコストも高く物価高につながっている。米軍基地の使用もあり、経済発展が自由にしづらい状況。そのような中で生活をしていくことで、学校にも行かず、若年での結婚妊娠出産、そして離婚という経験を多くの人がしているため、教育を受けることもできず、労働につながらない。
この本で本当に生の声を届けてくれた。考えさせられる1冊であった。 -
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「なぜもっと普通にこうしないのだろう」という感覚が、やはり自分の中に傲慢に生まれるように感じる。そういうことを再確認することは、自分にとって大事に思う。
その日暮らし的に「しーじゃとうっとぅ(先輩と後輩)」のしがらみの中でどうにかこうにか生きている沖縄のヤンキー上がりの人々。その価値観や感覚をリアルに感じることができる。とはいえ、知った気になってしまうことは何よりも危ない気もする。
「うっとぅとしーじゃと地元」の構造を質的調査から解き明かした、というメタな評価をする自分もありつつ、それで終わってしまうことの傲慢さも感じる。じゃあそのリアルを自分はどう受け取って考え行動するのか、ということを、ほったらかしてはいけないようにも思う。様々な生活史をある種自分の中に住まわせるような、そんな懐の深いというか、空き空間のある自分でいたいなと思う。 -
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暴走族や鳶職という男性社会のパシリとして参与観察し続けた打越先生。あとがきで「ホモソーシャルなつながりで展開されるコミュニケーションの蓄積」を迷いつつ貫いて調査(生活)したことが記されている。明確な暴力や差別や法律違反に留意した上で、社会学者としての冷静な判断も持ち合わせる。峰の上を進むような不安定さが読後感として残るのはそうした先生のスタンスにもよるのだろう。
社会学的な考えがいち生活者にも必要な視点だと感じた。他者に深く入り込むことは誰もが真似すべきだとも思えない。ただ参与観察は自分の周囲で可能なのではないか。自身はその場の当事者なのだから。21世紀初頭の日本に住む市井の人間として観察しつつ生き、それを記録すること。すべての人の『生活史』となるのだ、と打越先生に教えられた気がする。 -
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最初に、この驚くべき本を書き上げた打越正行が2024年12月9日に急性骨髄性白血病のため45歳で亡くなっていることに哀悼の意を捧げたい。沖縄に関する本はそれなりに読んでいるつもりだったが、現実の沖縄の若者、それも社会の底辺で苦しむ若者たちの姿をここまで詳しく書けたのは、「参与観察」という社会科学の手法と、彼らの「パシリ」となって生活を共にしてきた本人の人間性のおかげだろう。「パシリ」になると簡単に言うが、相手方が受け入れてくれなければ成立しない関係である。年齢も離れて、ましてや内地の人間である打越正行がそう簡単に受け入れられるはずはない。著者は学生時代に「パシリ」だった経験を生かしたとあっさり書いているが、いやいやそう簡単にはいかなかっただろう。この本にはまっとうな人生のレールを踏み外した若者たちの姿が描かれている。もちろん自らの意思でその道に入った者もいるだろうが、社会的構造の中でそうならざるを得ない若者たちが圧倒的である。しかし過酷な人生を生き抜いてきた若者たちは、なぜかみんな明るい。将来に夢は持っていないが楽観的に生きている。いやそうしないと現実の重さにつぶされ、本土に「キセツ(季節労働者からきている言葉だが、沖縄では季節に関係なく県外で非正規労働者として働くことを意味する)」に行くか、飛んでしまうか(消息をくらまして逃げる)、いずれにしても最後は現実につぶされてしまう。沖縄の問題に少しでも関心のある人はぜひ手に取って読んでほしい。以下、これはと考えさせられたところを書いておく。
「洋介がまだ十代だった頃、無免許でバイクを運転していたら、米軍関係者が運転するハーレーに追突されたことがある。洋介は無免許運転で警察に捕まり、相手のアメリカ人は本国へ強制送還された。洋介はすぐに解放された。事故自体がなかったことにされ、違反も取り消された。」。この経験から洋介は日本の警察よりも力を持っているものが出てくると事故もなかったことにされる。つまり上に立てば物事の仕組みを操ることが出来ることを学んだ。
「たがが外れたように、何でもありの世界になった。しかし、このような世界にも、間違いなく人びとは生き、生活が存在する。人が生活し働くうえで土台となる文化を理解すること、その理解をもとに想像をめぐらすこと。いかに地道な営みであっても、そのことを手放すことはできない。」
「過去から現在まで続く日本社会による沖縄社会への基地負担の押し付け、そして差別としか言いようのない対応やその後の沈黙という事態には、憤りと、辱めを受けたという気持ちしかない。私(著者)はそれらの感情を忘れないこと、そして沖縄に生きる人びとの生きる現実を外さないこと、この二つを大切にして調査研究に取り組んできた。その結果たどり着いたのが、本書のもととなる社会調査で実施した『パシリ(雑用係)として参与観察を行う』ということである」
最後に参与観察とはどういうものかを説明したい。
「参与観察は『調査者自身が、調査対象集団の一員として振る舞い、その中で生活しながら、比較的長期にわたって、多角的に観察する方法』とある。人類学や社会学で用いられてきた調査法のひとつであり、調査対象社会との距離の近さと調査期間の長さがその特徴とされる」。しかしいくら調査研究のためとはいえ、真夏の沖縄の建築現場で「パシリ」として何か月も若者と一緒に働くなんて誰でも出来ることではない。おっと大事なことを忘れていた。沖縄の若者たちの間での特殊な人間関係は地元の「しーじゃ(先輩)」と「うっとぅ(後輩)」の関係で成立している。先輩後輩の関係なんか日本中どこでも当たり前にあるなどと思わないでほしい。そんな生易しいものではないのだ。しかし、返す返すもこの著者の夭折が惜しまれる。 -
Posted by ブクログ
私は沖縄で生まれ育ちました。ただ、ヤンキーとは程遠い生活環境や社会で生きたので、著者に登場する青年達とは全く違う世界でした。
同じ沖縄でも、環境や人間関係で大きく異なる世界になる事を改めて痛感しました。
ただ、沖縄についての共通認識はヤンキーと同じです。
地元の先輩やコミュニティの先輩は、想像以上に敬わやないといけない、沖縄で仕事するのは金銭面で厳しいから、稼ぐには内地に行かないといけない。
私は、大学で沖縄を離れ内地で就職しました。しかし、ヤンキーに走った子らはそういった道に行けず、内地に行けないです。
そうした中で、ヤンキー達が沖縄でどのような家庭で大人になっていくのかを、10年の月日をかけてインタビューした著者の気概に脱帽しました。
沖縄の人でもなかなか直視したくない、ヤンキーや暴力、お金、先輩と後輩の関係。
観光では分からない、裏側且つリアルな沖縄の一面を見られます。 -
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パシリとしての参与観察を行った、打越正行さんの遺稿集。
ちくま文庫「ヤンキーと地元」にも書かれていたご自身のフィールドワークについての説明がさらに詳細に、また解説もあり深く知ることができた。
沖縄の社会で生きるヤンキーたちを近くで見て一緒に生活をした打越さんの迷いや落胆、辛さも感じるが、しっかりと社会学者として対峙している姿がある。
・沖縄の二次産業の特殊さ
二次産業がそもそも全国比で約半分、そのなかでも製造業は全国平均21.0%に対して沖縄県は5.3%しかなく、製造業が空洞化。ヤンキーがつきやすいからだを資本とする肉体労働である二次産業は建設業になる。
建設業につくためには、特定のしーじゃ(先輩)のパシリとなり、独特なうちなーぐちや言い回しを習得しなくてはならない。
製造業はルールを守り、スキルを積み重ねることで昇給していくある種学校教育の延長に近いが、建設業はマニュアルは存在せず、班長ごとに異なる手順や癖に合わせる必要がある。作業能力に応じた細かい給与体系はなく、4〜5年で頭打ちになる。
学校に行くよりも地元社会の方が実質的に役に立つことを学べるため、中学から学校に行かなくなりしーじゃとホモソーシャルな関係を積み重ねることに重きを置くことになる。
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分厚さにたじろいだが、字の大きさに少し安堵。
何より内容がある意味シンプル、ある意味深かった。
私はこの打越正行さんを知らなかったのだが、沖縄のヤンキーの実態を知るべく、
自らパシリになりながら取材を続けた人らしい。
一年前に亡くなって、その遺稿をまとめ出版したのがこの本ということだ。
沖縄、米軍、公共事業、建設業、ヤンキー、暴力、中卒、就職、、、
この辺りがつながっているということを、取材記録がこれでもかこれでもかと、
訴えかけてくる。
そういえばこの辺りを小説にした本を読んだばかりだった。
沖縄。
本土がいろいろ押し付けたものが、沖縄の若者にのしかかっている。
そういう現実を見ずに、好き勝手なことをいう人々。
そういう人に読んでもらいたい。
かくいう私も読むだけ。沖縄も旅行で行くだけ。
ここにきてのきな臭さの影響を一番受けるのは間違いなく沖縄。
トランプの言動からして、あてにならない米軍など、沖縄から出ていくべきでは、
と思いつつ、そうなると軍事バランスはどうなるのか、とも思い、、、
まえがき 上間陽子
はじめに
第1部 パシリ論
第1章 パシリ前史
第2章 社会の癖を書く――参与観察という方法
第3章 パシリとしての参与観察――つかえる部外者から、つかえない内部関係者へ
第1部 パシリ論 解説 パシリとしての参与観察が示すもの 石岡丈昇
断章1
第2部 沖縄社会論
第4章 ホモソーシャルなつながりの周縁――沖縄のヤンキーの若者のしーじゃ・うっとぅ関係をもとに
第5章 製造業なき経済成長/談合なき建設業――建設業からみた「戦後」沖縄
第6章 学校を去るわけ
第2部 沖縄社会論 解説 ヤンキーの世界を通じて沖縄社会を描くこと 上原健太郎
断章2
第3部 暴力論
第7章 つくられた、しーじゃ・うっとぅ関係――沖縄の建設業の社会史
第8章 ライフコースからの排除――沖縄のヤンキー、建設業の男性と暴力
第9章 暴力の理解社会学
第3部 暴力論 解説 暴力の傍らで問い続ける 上間陽子
断章3
終章 繫ぎ止められる沖縄
解説 他者になる、解離する― 参与観察の極限 岸政彦
あとがき 岸政彦
注
参考文献
業績一覧
索引 -
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沖縄のヤンキー達の中に自ら飛び込んで調査を行ったエスノグラフィー。最初は潜入ルポかなと思って読み始めたんだけど、「参与観察」と呼ばれる、調査だと明かした上で集団の一員として生活する、といった大変意欲的なフィールドワークから書かれた一冊だった。
暴走族、型枠解体、セクキャバ経営など、沖縄地元のヤンキー達の人生を10年にわたって調査したのはすごい。調査対象との関係も長期的に築いていて、自らをパシリとして位置づけきちんと仲間として扱われているのが凄い。内容も沖縄のいわば周辺的な人々の姿を描いていて、DVや離婚の多さにびっくりする。
ただ、調査内容は面白いんだけど、レポートとしての分析結果や調査結果に対する著者の意見といったものがあまり感じられず、で?なんなの?と言うのが読み終わってからの印象。客観的なレポートとしてはこれでいいのかもしれないけど、書籍として読むならもう少し著者の感情というか、その場で何を感じたのかが知りたかった。せっかくそこまで飛び込んで時間や生活を費やして調査をしたのに、その本人の声があまり聞こえてこないのがもったいない。そこが聞きたかったなあ。物足りない。