岸圭介のレビュー一覧
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「ごめんなさい」という言葉に、あなたはどれだけの価値の重さを感じて発しているだろうか?
この本は、数字だけでは表せられない学力の高め方を、聞く・話す・書く・読む・解くの5つの技能から考えていく本だ。
聞く・話す・書く・読む・解くに関する、家庭や学校でのあるあるを通して様々な問題提起をされており、思考することが好きな人にとっては、実に読み応えのある本だと感じた。
具体的な感想をたくさん書きたいところだが、長くなりそうなので特に印象に残ったことを深堀りする。
『話すこと』の項の中で、
言葉を発することは「自分の言葉遣いを好ましいと感じる人との接点作ること」を意味しているという内容の言葉があった。
この内容には激しく同意したい。
思い返せば、「この人はいい人だし、周りからも慕われているけれど、この言葉遣いが引っかかって信頼しきれない」という場面が過去にあった。
過去に感じたその違和感を、本書が「そうだよね」と言ってくれているようだった。
私は、言葉に繊細な人ほど、この違和感を軽視するのは危うく、後々自分がしんどくなるのではないかと思う。
言葉からわかることは計り知れない。
最後に、内容を見ずにタイトルのみで手に取った本書。
実は、教養ある人は「ごめんなさい」と素直に言えるんだよ~的なことを書いているのかと思ったことをここに書いておく。
勘違いして申し訳ないです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレごめんなさい
って言葉の意味は人によって様々。
だから、子供に意味や理由を説明せずに
とにかく謝りなさい!
って躾は間違いなく言葉の理解を妨げる。
同様に、
静かにしなさい
って言い続けてしまうのも
相手の話を聞きましょう、なのか、黙りましょう、なのかによって意味も変わってくる。
この本では、聞くって行為は
相手を慮る行為だから、本来受動的ではなく能動的ですよね?、と説いてる。
だから、黙って聞くだけの子より、話を遮ってでも話に割って入れる子の方が話を聞いてるってなる。
親の躾において、
テストの結果でまず見るのは名前を丁寧に書いているか。なぜなら、テストに向かう心の持ち用が表れるから。同様に、見直しの時に間違ってないかチェックの意味で見るのもそうだけど、他の解き方ないかな、とか、採点する人が見にくくないかな、とか他社の気持ちを考える時間も必要よね、と説いている。
だから、できた!終わった!で、
早くできたら、
すらすらできたら
ほめる!
そんなことをしていると
育たない。だって、その子はその過程で何が大事か考えてないから、理解せずにできたことになるから。だから、いくら音読できていてもその文章理解はできなかったり、算数のなぜ足すか、が分からない。
親は勉強が上達しなければ塾に通わせるが、ふだんの生活を見てあげて、見直したり、工夫したりすることを出来ているか見てあげると、学習の点でのつまずきも解決したりするものだ。
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Posted by ブクログ
目から鱗の内容!確かに、大人が言う「聞く」、「読む」、「見直し」と子供の思うそれらは違うかもしれない。それらの言葉のかけ違いからうまれる学力の差、ひいては人間力の差を考えさせられた。親や教員は自分が発した言葉が発した意味通りに子供に届いているかを確かめる必要があるな。
p.73 はじめの三つの発言(話を聞かなくて叱られるのが嫌、聞き逃したら損をする、聞かなかったらわからないことが増える)は、すべて自分自身に関わるかどうかが問題になります。話を聞く総準にあくまでも「自分」です。でも、最後の発言は、話を聞く基準が「相手」にあります。「相手の存在そのもの」が聞くことの理由となっています。
内在する「相手意識」が、その子の聞く行為をうながしているのです。長年教育現場にいると、成長の伸びが顕著に見られるのは明らかに後者です。なぜなら常に意識が話し手に向いているということは、話の内容に興味があるかどうかは問題にはならないからです。
反対に、聞く理由が自分自身の損得にあるということは、自分との接点を話の中に見出せなければ、聞く意味はないと判断することになります。関心がなければ聞こうとはしないでしょう。だって、自分には関係がないのですから。
子どもたちは、最後に発言した子の「聞かなかったらかわいそう」という意見から新たな価値観を手に入れることができました。
ここであらためて、子どもたちが挙げた聞く理由の一つひとつに目を向けてみてください。はじめに抱いていた「聞く」ということばの意味と価値をふまえると、いかにことばの理解が成長に大事なものかがわかるはずです。
p.111 ひらがな復習が教えてくれる学習への姿勢
ひらがなを書いているときに学んでいるのは、字そのものだけではありません。字を昔く練習を通じて、学習に向き合う姿勢を育んでいます。
だから、字がていねいな子で落ち着かない子は、あまり見られません。じっくりと物事に向き合う学習習慣がある子は、基本的にはどんな学習でも注意深く取り組むようになります。
一般的に「学ぶ」の話源は、「真似ぶ」とされています。昔から「まねをすること」は学びの基本なのです。技術の上達のためには、弟子は師匠と同じようにまずはやってみる姿勢が父かせないということですね。
スポーツでも武道でも基礎・基本が大事であることはいうまでもありません。応川は基礎・基本の積み重ねで成り立っています。体操でも、いきなりバク転の練習からはじめないでしょう。体の使い方を少しずつ学んだ結果が、大きな技の習得につながるのです。
p.129 まれに書かれた名前が雑であっても、いい点数をとることはあります。でも、何らかの生活上の課題を抱えていることもあるのです。
日々、名前をていねいに書く習慣がついていない子は、漢字でも計算でも間違いなく取り組みがいい加減になりがちです。自分が取り組んだものは提出するものであり、必ず誰かが目を通すものだという感覚があれば、多少の気は遣うでしょう。提出物に書かれた名前を見ると、子どもがさきをみているかどうかもわかるものです。…
伝わるものです。
一方、大人になると、自分の名前を手で書く場面は子ども時代よりも少なくなるものです。仕事の場合は、押印で対応することもあります。
一般的に署名をするのは契約書や婚姻届、出生届など重要な節目が多いでしょう。そのとき、自分の名前を書くことの責任と怖さを痛感するはずです。今から行おうとすることを「私自身が認める」という意味なのですから。だから、本来「名前を書く」行為は、一定の緊張感がいる作業なのです。
この感覚の素地を養うために、関わったものに責任をもつことを子どもに教える必要があります。宿題やプリントなどの提出物であれば、それは自分の責任のもとに提出をするのです。そのための記名なのです。
名前は子ども自身が書くことばの中で、特別大事にしなければならないものです。何より自分自身をあらわしているのですから。子どもに名前をていねいに書かせることは、ことばの学びの土台となるものです。
これまで確認をしてきた通り、子どもの「書く」という行為には、さまざまなことばの理解が関係しています。子どものノートやプリント、テストには学びの足跡が見えるものです。
「もう書けたよ」ではなく「まだ書けていません」という子の方が、実は多くを学んでいることがあるのです。
p.141
気持ちが落ち込む場面の台詞であれば、明るい声では読まないですよね。物語の流れが分かっていれば、時間や空間の移動をともなう場面の区切り目では、少し間をとることもあるかもしれません。内容や形式の理解が読むことに必ず反映されるはずです。
けれども、ただ音声を聞いただけでは、本人がどのように理解を深めているかは正確にわからないものです。…
とばの理解が一つの原因にもなっています。
すらすら読めるということは、裏を返せばそこにひっかかりがないということです。
なぜなら、声に出して読むこと自体が目的になっているからです。
しかし、ことばの意味を慎重に吟味しようとすれば、「この台詞は、もう少し声の大きさを抑えて言った方がいいかな」、「場面の雰囲気を出すためにも、ここはゆっくり読もう」などと読み方を考えるはずです。だから、むしろつっかかった方が読めているということもあるはずです。
慎重に子どもの「読む」という行為を解釈すれば、音読が上手な子は「文字を読めてはいる。でも、内容はわかっていないかもしれない子」とも言い換えられるのです。
p.163 では対応できるはずがないのです。
一方、「読む」という行為を支えている土台は、ことばだけではありません。
「どうやってみをまもるのかな」という説明文では、具体例の順序について考えました。順序の理由を思い描くためには、ことばを手がかりにして筆者の考え方に近づく必要があります。これは相手意識がないとできるものではありません。
「聞くこと」をとり上げた第2章でも相手意識の重要性について話をしました。人に対する興味や関心の高まりが「聞くこと」を促進させるのでしたね。だから、本来「聞く」という行為は、受動的ではなく、能動的なのです。
書き手の立場に立って、思考をなぞりながら考える「読むこと」は、「聞くこと」にも通じています。読みながら、見えない筆者に聞いているのです。これは話しかけていると言ってもいいでしょう。読者がやっていることは筆者との対話なのです。
さらにいえば、順序の理由をイメージできる子は、自分自身が文章を書くときにも、どのような文章構成にすれば読者が理解しやすく、自分の主張が届きやすいかを考えられる子です。だから、筆者について考えることは、自分自身をふり返ることにもなるのです。
p.172 から、1年生の散室であれば、①は「がったい算」、②は「おっかけ算」なんて勝手に名称をつけながら、その違いを動きで理解をさせることがあります。
①のときには両手をバンザイするように掲げて、くっつける動作をします。②であれは、片方の手を挙げ、あとからもう片方の手をくっつけるのです。動きは違うけれど、結果として同じことになるね、と。だから、「+」を使っていいんだね・・・・・といった感じです。
p.178 計算方法を手順として知っている子は、商(わり算の答えのこと)が「2.125」であることがわかるでしょう。トリルなどで計算問題をある程度こなしている子にとっては、難なく解けるかもしれませんね。
Aくんは、習った手順通りに計算をしました。最後に、見直しをするべく筆算に書いた数字と解答用紙に記入した数字を見くらべています。二つの数字が合っていることを確認すると、すぐに鉛筆を置きました。
「できましたー答えは 2.125です!」自信満々な様子です。
Bくんは、筆算が終わって次のように考えました。
「えっと、これって大体7小大体3になるから、答えは2に近くなるっていうことだよね。うん、2125なら、やっぱり合っていそうだな・・・・・・」
はじめに答えの見通しをもつことを「見積もり」と言いますが、Bくんは解いた後に若えを真集でたしかめたようです。
Cくんは、筆算が終わって水のように考えたようです。
「よし、答えは2.125だった!・・••でも、合っているかな。…・念のため、たしかめもしておこう。2125✕32・よし、68になった」
慎重派のCくんは、着実に検算(たしかめのためにもう一度する計算のこと)もしています。二回くり返し同じ答えになったことで、安心して計算を終えることができたようです。
三人の男の子たちの計算は全員答えが「2125」であっています。だから子どもたちは口々にこのように言います。
「見直ししたよ!」
しいかがでしたか。明らかに「見直し」ということばの意味はずれています。
あらためて、それぞれの「見直し」の意味を確認してみましょう。
Aくんであれば「記入漏れをチェックすること」になりますね。これは最低限の見直しともいえるでしょう。
p.182 「うん、兄直したよ」
「どれどれ…・・・・これ提出するのよね。だったら、もう少していねいに書いた方がよくない?これを見て、先生はあなたのことをどういう人だと感じるかしら。どこを直したら、もっとよくなると思う?」
普段から子どもに一見直し」が誰か(何か)につなかか行動だと具体的に教えていれば、「見直し」という意味は「自分や誰かのために、万全を期して確認をする」という内容になるはずです。当然、先はどの例よりも高い基準で見直しをするようになります。
すでに紹介した通り、子どもの成長には「相手意識」が関わっているのでしたね。
生活の中で学んでいる「見直し」の基準に照らし合わせて、子どもは計算練習で実践をしています。先はど「学校に行く準備を自分ですること」が「計算が正しくできること」と関係していると伝えました。細心の注意をはらって持ち物の確認をしている子は、計算の場面でもミスがないかをくり返し見直すでしょう。
こうした一見関係のない習慣が、テストにも響いてくるものです。「生活」も「学習」も「見直し」という観点から見れば、深いつながりがあるのです。
p.197 もちろん、はじめに「\+!」で解いた子もいるでしょうし、「ムーA」のほうが思いつかなかった子もいることと思います。ここで押さえておきたいのは、「一つの解き方しかできなかった子」と「二つの解き方ができた子」が、ともに同じ「できた」という感覚を抱いているという事実です。「一つの解き方しかできなかった子」は、むしろコできなかった」という感覚」を抱かなければいけない場面ともいえるでしょう。
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Posted by ブクログ
「聞く」「話す」「書く」「読む」「解く」といった、日々のことばのやりとりが子どもの学びを支えている。具体例がわかりやすく、スラスラ読み進めることができた。子どもへの働きかけを見直す良いきっかけとなると思う。
ただ、第2章の「聞くこと」と「しずかにすること」は別の問題であるというのは、それは文字通りそうであって、教員が子どもたちに対して「しずかにしよう」というときは、いつも自分の話を聞いてほしいわけではなく、他の誰かの話をしっかり聞いてほしいときや、式典などで厳粛な雰囲気を大切にしてほしいときなどもあるので、論の進め方に少しモヤモヤした。 -
Posted by ブクログ
学力と「ごめんなさい」にどのような関係があるのか、タイトルに惹かれて手に取った一冊。
その子のもつ(大人が教えてきた)「ことばの『意味』や『価値』の理解の差が学力に現れるということだった。
例えば、「聞くこと」≠「しずかにすること」であったり、「読むこと」≠「音読ができること」であったり、大人の考える「見直し」と子どもの考える「見直し」とに差があったり…など。
それらを「考えること」「内容を理解していること」へと持っていくためには日常生活とのつながりを大人がより意識して子どもと接する必要があることを感じた。
「ことばの『意味』と『価値』をどう伝えるか」の大切さと難しさを意識していきたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレまさに子育て中の自分にとっては、耳が痛い話ばかりだった。
「ごめんなさい」ということば一つとっても、その言い方やシチュエーションによって、ことばの重み、伝わり方、伝え方が変わってくるということ、親自身が気をつけなければ、と感じた。
スラスラ読める=理解している、というわけではないことも、自分の中では反省点だった。
子どもの音読の宿題で、スラスラ読めてて読むの上手いな〜なんて単純に思っていた自分がいた。登場人物の気持ちや場面ごとの情景を考えているからこそ、多少詰まってしまうこともある、というのは、納得だった。
名前の書き方一つとっても勉強になった。先生に見てもらうからこそ丁寧に書くことが大事、そもそもそれがわかっている子は丁寧にかけるということ。。全然見てなかったなー
たぶんこの本が伝えたかったのは、子どもの本質を見なさい、ということなんだろうな。
点数とか、やったやらないとかの上辺だけでなく、ちゃんとその中身を見て、ということ。
そうすることで真の学びに繋がるし、親子の絆も強化されていくのだな、と。子ども自身もちゃんと見てくれている、という納得感に繋がるしね。
問題はこの多忙な現代社会でどこまで子どもに寄り添えるか。。いやこれは言い訳か。。すべて完璧にやろうとしないで、やれるところからやっていけばいいのかな。
まずは私は話をちゃんと聴く、傾聴するというところからやってみようかな。
上辺だけを見そうになったときに読み返したい本だと思った。 -
Posted by ブクログ
ネタバレことばにこだわった本。
著者が小学校教員の経験があるからこそ、教員の自分には腑に落ちる具体例と内容ばかりだった。お家の方にぜひ読んでいただきたい本。
言葉の意味と価値
・ことばの価値は聞き手が決める。
・叱る程度や内容を変えて、子どもが物事に対して軽重の判断がつくようにする
聞くこと
・聞くことと静かにすることは同義ではない
理想的な聞くことには、考えることが含まれている
・聞くことの土台には相手意識がある
話すこと
・あいさつには成長のきっかけや運命を変えるかけがえないものという意味と価値がある
書くこと
・「もう書けたよ」という時は過程を評価する
・テストで最も重要なのは名前。名前の丁寧さは、物事の重要度の理解や他の取り組みに対する丁寧さにもつながる
読むこと
・音読ができると内容理解は別。内容に関わる質問をして、理解を確かめる
解くこと
・見直しの認識の違い
・できたわかったは、思考停止につながる。複数の解き方を価値づけて物事を多面的に捉える子に。 -
Posted by ブクログ
学力は成績だけではなくて、物事を深く考える力、細かなことに気がつく力にも現れる、そんなことに気が付かされる本。
「ごめんなさい」の一言って、使う人によって軽い重いかが変わる。
言葉の軽さは、大人がどのような言葉の教育をしてきたかによる、という内容。
具体的な場面が書いてあるので、自分のケースと照らし合わせて反省することができた。
私もこういう言葉遣いしてたなぁとか。
同じ言葉を交わしていても、実は伝わっていないケースがある。
「ごめんなさい」の一言の重み、「静かにしなさい」という言葉の軽さ。
子供と接しているとつい使ってしまう言葉や、子どもから聞かれる言葉を見直すきっかけになる本だと思う。
すーっと読めるぶん、わかったつもりになる危険性もある。
簡単な言葉ほどその言葉の重みを、大人の側が理解する必要がある。