岸圭介のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
目から鱗の内容!確かに、大人が言う「聞く」、「読む」、「見直し」と子供の思うそれらは違うかもしれない。それらの言葉のかけ違いからうまれる学力の差、ひいては人間力の差を考えさせられた。親や教員は自分が発した言葉が発した意味通りに子供に届いているかを確かめる必要があるな。
p.73 はじめの三つの発言(話を聞かなくて叱られるのが嫌、聞き逃したら損をする、聞かなかったらわからないことが増える)は、すべて自分自身に関わるかどうかが問題になります。話を聞く総準にあくまでも「自分」です。でも、最後の発言は、話を聞く基準が「相手」にあります。「相手の存在そのもの」が聞くことの理由となっています。
内在 -
Posted by ブクログ
学力と「ごめんなさい」にどのような関係があるのか、タイトルに惹かれて手に取った一冊。
その子のもつ(大人が教えてきた)「ことばの『意味』や『価値』の理解の差が学力に現れるということだった。
例えば、「聞くこと」≠「しずかにすること」であったり、「読むこと」≠「音読ができること」であったり、大人の考える「見直し」と子どもの考える「見直し」とに差があったり…など。
それらを「考えること」「内容を理解していること」へと持っていくためには日常生活とのつながりを大人がより意識して子どもと接する必要があることを感じた。
「ことばの『意味』と『価値』をどう伝えるか」の大切さと難しさを意識していきたい。 -
Posted by ブクログ
不思議なタイトル、だけど、なるほど、ことばは相手に対して発せられるもので、相手とのコミュニケーションが噛み合わなければ、相手から学べるはずもない。
ことばの意味と価値(「ごめんなさい」に見えることばの学び)から始まって、聞くこと(「静かにしなさい」がうばうもの)、話すこと(「おはようございます」は必要ないか)、書くこと(「もう書けたよ」への正しい評価)、読むこと(「すらすら読める」は読めているとはかぎらない)、解くこと(「算数ができない子」の作られ方)、と続く。
書かれている方がおそらく先生なので、学力と結びつけての話になっているけれど、日常のコミュニケーションにおいても、相手を意識し、相 -
Posted by ブクログ
ネタバレまさに子育て中の自分にとっては、耳が痛い話ばかりだった。
「ごめんなさい」ということば一つとっても、その言い方やシチュエーションによって、ことばの重み、伝わり方、伝え方が変わってくるということ、親自身が気をつけなければ、と感じた。
スラスラ読める=理解している、というわけではないことも、自分の中では反省点だった。
子どもの音読の宿題で、スラスラ読めてて読むの上手いな〜なんて単純に思っていた自分がいた。登場人物の気持ちや場面ごとの情景を考えているからこそ、多少詰まってしまうこともある、というのは、納得だった。
名前の書き方一つとっても勉強になった。先生に見てもらうからこそ丁寧に書くことが大事 -
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なんで分かりやすい言葉で伝えているのに伝わらないんだろうと思うことがある。
それは言葉の意味に対する理解が違っていて、意図していることが伝わらなかったり誤解が生まれたりするから。
そういう場面においては伝える側、受け取る側の互いに擦り合わせる努力が必要だと思うがどのくらいの人がそれをできているのだろうか?
伝える側は自分を曲げず、理解してくれないとさまざまな言葉を使って伝える努力を放棄していないだろうか?
受け取る側は意味がわからないと考えること想像することを放棄してないだろうか?
そう言った場面に対して根底に「言葉の理解が違う」という問題があることを、聞くこと、話すこと、書くこと、読むこと、 -
Posted by ブクログ
やさしい言葉で書かれているけれど、言わんとしていることは、深い。言葉というのはとても便利なツールで、千年、二千年前の人の言葉を知ることができるし、逆に未来に向けて残すことができる。だけれどもひとつひとつの言葉を吟味してみれば、それをどういう意味で使っているか、には時代時代の価値観を頭に入れなければならないでしょう。こういう差異は何も過去や未来とのやり取りばかり生じるわけではなく、同時代の家族や友人との間にも生じうる。考えること、問うことをやめない事、の大切さを説いている、と自分は本書を読み解きましたが、さて、ほかの見方はあるのかな?と問い続けましょうか。
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Posted by ブクログ
学力は成績だけではなくて、物事を深く考える力、細かなことに気がつく力にも現れる、そんなことに気が付かされる本。
「ごめんなさい」の一言って、使う人によって軽い重いかが変わる。
言葉の軽さは、大人がどのような言葉の教育をしてきたかによる、という内容。
具体的な場面が書いてあるので、自分のケースと照らし合わせて反省することができた。
私もこういう言葉遣いしてたなぁとか。
同じ言葉を交わしていても、実は伝わっていないケースがある。
「ごめんなさい」の一言の重み、「静かにしなさい」という言葉の軽さ。
子供と接しているとつい使ってしまう言葉や、子どもから聞かれる言葉を見直すきっかけになる本だと思う。 -
Posted by ブクログ
とても読んでて耳が痛い本だった。
私は普段言葉に対して敏感な方ではないため、作者のように言葉の意味をしっかり捉えること捉えさせることを意識していなかったなと反省した。
例えば、私は簡単に「わかりました。」という言葉を使うが、それはおおよそ概要が掴めて、自分の中で納得感がありますよということの言い換えだった。相手がどこまでの理解を求めているかあまり考えずに自分の中で勝手に判断してしまっていることがあるなと思う。分かったと言ったあと、その後自分で説明してみてくださいと言われたら困るし、次の日にテストしてみますと言われても困るのだ。もちろん毎回そんな理解をしなければならん訳ではない、相手が何を求め -
Posted by ブクログ
同じ言葉でも、その言葉が使われてきた背景(文化?)によって捉え方が異なるという。
ここでは子供を中心に考えているが、大人同士の会話でも、今一つ噛み合わないと感じることがあるのはこういう訳か、と合点がいった。
p189
今まで「できない」という思いを抱いていたからこそ「できた」という喜びが生まれます。はじめから迷うことなくすべてできるということは、反対に「できた」、「成長した」という実感を抱くことがないままに大人になることを意味します。むしろ、失敗経験の少なさがその後の成長を阻害するかもしれないのです。
子どもが間違えるということは、新しい何かに向き合っている証拠でもあります。人は動かなければ