【感想・ネタバレ】学力は「ごめんなさい」にあらわれるのレビュー

あらすじ

ことばは思い通りに伝わらない――ことばが持つ意味と価値を正しく理解し、聞く・話す・書く・読む・解くの5つの技能を見つめ直すことで、より高い学習能力とコミュニケーション能力を身に付けるヒントを示す1冊。こんな人はズレているかもしれません!! (1)人の話はしずかに黙って聞く (2)すらすらと本を読むのは得意だ (3)問題が解けるとうれしくて仕方ない

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

目から鱗の内容!確かに、大人が言う「聞く」、「読む」、「見直し」と子供の思うそれらは違うかもしれない。それらの言葉のかけ違いからうまれる学力の差、ひいては人間力の差を考えさせられた。親や教員は自分が発した言葉が発した意味通りに子供に届いているかを確かめる必要があるな。


p.73 はじめの三つの発言(話を聞かなくて叱られるのが嫌、聞き逃したら損をする、聞かなかったらわからないことが増える)は、すべて自分自身に関わるかどうかが問題になります。話を聞く総準にあくまでも「自分」です。でも、最後の発言は、話を聞く基準が「相手」にあります。「相手の存在そのもの」が聞くことの理由となっています。
内在する「相手意識」が、その子の聞く行為をうながしているのです。長年教育現場にいると、成長の伸びが顕著に見られるのは明らかに後者です。なぜなら常に意識が話し手に向いているということは、話の内容に興味があるかどうかは問題にはならないからです。
反対に、聞く理由が自分自身の損得にあるということは、自分との接点を話の中に見出せなければ、聞く意味はないと判断することになります。関心がなければ聞こうとはしないでしょう。だって、自分には関係がないのですから。
子どもたちは、最後に発言した子の「聞かなかったらかわいそう」という意見から新たな価値観を手に入れることができました。
ここであらためて、子どもたちが挙げた聞く理由の一つひとつに目を向けてみてください。はじめに抱いていた「聞く」ということばの意味と価値をふまえると、いかにことばの理解が成長に大事なものかがわかるはずです。

p.111 ひらがな復習が教えてくれる学習への姿勢
ひらがなを書いているときに学んでいるのは、字そのものだけではありません。字を昔く練習を通じて、学習に向き合う姿勢を育んでいます。
だから、字がていねいな子で落ち着かない子は、あまり見られません。じっくりと物事に向き合う学習習慣がある子は、基本的にはどんな学習でも注意深く取り組むようになります。
一般的に「学ぶ」の話源は、「真似ぶ」とされています。昔から「まねをすること」は学びの基本なのです。技術の上達のためには、弟子は師匠と同じようにまずはやってみる姿勢が父かせないということですね。
スポーツでも武道でも基礎・基本が大事であることはいうまでもありません。応川は基礎・基本の積み重ねで成り立っています。体操でも、いきなりバク転の練習からはじめないでしょう。体の使い方を少しずつ学んだ結果が、大きな技の習得につながるのです。

p.129 まれに書かれた名前が雑であっても、いい点数をとることはあります。でも、何らかの生活上の課題を抱えていることもあるのです。
日々、名前をていねいに書く習慣がついていない子は、漢字でも計算でも間違いなく取り組みがいい加減になりがちです。自分が取り組んだものは提出するものであり、必ず誰かが目を通すものだという感覚があれば、多少の気は遣うでしょう。提出物に書かれた名前を見ると、子どもがさきをみているかどうかもわかるものです。…

伝わるものです。
一方、大人になると、自分の名前を手で書く場面は子ども時代よりも少なくなるものです。仕事の場合は、押印で対応することもあります。
一般的に署名をするのは契約書や婚姻届、出生届など重要な節目が多いでしょう。そのとき、自分の名前を書くことの責任と怖さを痛感するはずです。今から行おうとすることを「私自身が認める」という意味なのですから。だから、本来「名前を書く」行為は、一定の緊張感がいる作業なのです。
この感覚の素地を養うために、関わったものに責任をもつことを子どもに教える必要があります。宿題やプリントなどの提出物であれば、それは自分の責任のもとに提出をするのです。そのための記名なのです。
名前は子ども自身が書くことばの中で、特別大事にしなければならないものです。何より自分自身をあらわしているのですから。子どもに名前をていねいに書かせることは、ことばの学びの土台となるものです。
これまで確認をしてきた通り、子どもの「書く」という行為には、さまざまなことばの理解が関係しています。子どものノートやプリント、テストには学びの足跡が見えるものです。
「もう書けたよ」ではなく「まだ書けていません」という子の方が、実は多くを学んでいることがあるのです。

p.141
気持ちが落ち込む場面の台詞であれば、明るい声では読まないですよね。物語の流れが分かっていれば、時間や空間の移動をともなう場面の区切り目では、少し間をとることもあるかもしれません。内容や形式の理解が読むことに必ず反映されるはずです。
けれども、ただ音声を聞いただけでは、本人がどのように理解を深めているかは正確にわからないものです。…

とばの理解が一つの原因にもなっています。
すらすら読めるということは、裏を返せばそこにひっかかりがないということです。
なぜなら、声に出して読むこと自体が目的になっているからです。
しかし、ことばの意味を慎重に吟味しようとすれば、「この台詞は、もう少し声の大きさを抑えて言った方がいいかな」、「場面の雰囲気を出すためにも、ここはゆっくり読もう」などと読み方を考えるはずです。だから、むしろつっかかった方が読めているということもあるはずです。
慎重に子どもの「読む」という行為を解釈すれば、音読が上手な子は「文字を読めてはいる。でも、内容はわかっていないかもしれない子」とも言い換えられるのです。

p.163 では対応できるはずがないのです。
一方、「読む」という行為を支えている土台は、ことばだけではありません。
「どうやってみをまもるのかな」という説明文では、具体例の順序について考えました。順序の理由を思い描くためには、ことばを手がかりにして筆者の考え方に近づく必要があります。これは相手意識がないとできるものではありません。
「聞くこと」をとり上げた第2章でも相手意識の重要性について話をしました。人に対する興味や関心の高まりが「聞くこと」を促進させるのでしたね。だから、本来「聞く」という行為は、受動的ではなく、能動的なのです。
書き手の立場に立って、思考をなぞりながら考える「読むこと」は、「聞くこと」にも通じています。読みながら、見えない筆者に聞いているのです。これは話しかけていると言ってもいいでしょう。読者がやっていることは筆者との対話なのです。
さらにいえば、順序の理由をイメージできる子は、自分自身が文章を書くときにも、どのような文章構成にすれば読者が理解しやすく、自分の主張が届きやすいかを考えられる子です。だから、筆者について考えることは、自分自身をふり返ることにもなるのです。

p.172 から、1年生の散室であれば、①は「がったい算」、②は「おっかけ算」なんて勝手に名称をつけながら、その違いを動きで理解をさせることがあります。
①のときには両手をバンザイするように掲げて、くっつける動作をします。②であれは、片方の手を挙げ、あとからもう片方の手をくっつけるのです。動きは違うけれど、結果として同じことになるね、と。だから、「+」を使っていいんだね・・・・・といった感じです。

p.178 計算方法を手順として知っている子は、商(わり算の答えのこと)が「2.125」であることがわかるでしょう。トリルなどで計算問題をある程度こなしている子にとっては、難なく解けるかもしれませんね。
Aくんは、習った手順通りに計算をしました。最後に、見直しをするべく筆算に書いた数字と解答用紙に記入した数字を見くらべています。二つの数字が合っていることを確認すると、すぐに鉛筆を置きました。
「できましたー答えは 2.125です!」自信満々な様子です。
Bくんは、筆算が終わって次のように考えました。
「えっと、これって大体7小大体3になるから、答えは2に近くなるっていうことだよね。うん、2125なら、やっぱり合っていそうだな・・・・・・」
はじめに答えの見通しをもつことを「見積もり」と言いますが、Bくんは解いた後に若えを真集でたしかめたようです。
Cくんは、筆算が終わって水のように考えたようです。
「よし、答えは2.125だった!・・••でも、合っているかな。…・念のため、たしかめもしておこう。2125✕32・よし、68になった」
慎重派のCくんは、着実に検算(たしかめのためにもう一度する計算のこと)もしています。二回くり返し同じ答えになったことで、安心して計算を終えることができたようです。
三人の男の子たちの計算は全員答えが「2125」であっています。だから子どもたちは口々にこのように言います。
「見直ししたよ!」
しいかがでしたか。明らかに「見直し」ということばの意味はずれています。
あらためて、それぞれの「見直し」の意味を確認してみましょう。
Aくんであれば「記入漏れをチェックすること」になりますね。これは最低限の見直しともいえるでしょう。

p.182 「うん、兄直したよ」
「どれどれ…・・・・これ提出するのよね。だったら、もう少していねいに書いた方がよくない?これを見て、先生はあなたのことをどういう人だと感じるかしら。どこを直したら、もっとよくなると思う?」
普段から子どもに一見直し」が誰か(何か)につなかか行動だと具体的に教えていれば、「見直し」という意味は「自分や誰かのために、万全を期して確認をする」という内容になるはずです。当然、先はどの例よりも高い基準で見直しをするようになります。
すでに紹介した通り、子どもの成長には「相手意識」が関わっているのでしたね。
生活の中で学んでいる「見直し」の基準に照らし合わせて、子どもは計算練習で実践をしています。先はど「学校に行く準備を自分ですること」が「計算が正しくできること」と関係していると伝えました。細心の注意をはらって持ち物の確認をしている子は、計算の場面でもミスがないかをくり返し見直すでしょう。
こうした一見関係のない習慣が、テストにも響いてくるものです。「生活」も「学習」も「見直し」という観点から見れば、深いつながりがあるのです。

p.197 もちろん、はじめに「\+!」で解いた子もいるでしょうし、「ムーA」のほうが思いつかなかった子もいることと思います。ここで押さえておきたいのは、「一つの解き方しかできなかった子」と「二つの解き方ができた子」が、ともに同じ「できた」という感覚を抱いているという事実です。「一つの解き方しかできなかった子」は、むしろコできなかった」という感覚」を抱かなければいけない場面ともいえるでしょう。

0
2025年07月29日

Posted by ブクログ

子育て中の方にぜひ読んでいただきたい!
ちくまプリマーは若者向けレーベルだが、子育て世代に届くだろうか?
書店の育児コーナーや学参コーナーにおいてあるといいのだが。

0
2025年06月25日

Posted by ブクログ

小学校の先生や、これから子育てを始める、または子育て中の方向けだと思います。
学力は遺伝の影響が大きいと聞きますが、諦めない子、努力をする子に育てることはできる。
なにより、学力は「楽しい!」と思えるほど伸びるものだと思います。なので、子どもに「がんばれ」というだけではなく、そばにいて一緒に楽しく学んでいこうとする親の態度が、子どもにとっての大きな一歩になるのではないかとそう思えました。

0
2025年06月01日

Posted by ブクログ

■「ごめんなさい」が信頼に直結する言葉だということを教えるのは、大人の役割。
■「何回も言う」ということは、基本的には一回に伝わる「言葉の価値」はそれだけ下がるということ。

0
2025年04月16日

Posted by ブクログ

同じ行動をしても親の声掛けによって、捉える言葉の意味が影響される。周りの言葉の使い方によって、子どもは全く違う捉え方をする。

見直しってどういうことなのか、文字を書く目的はなにか、失敗ではなく正解するのが良いのか、すらすら読むことが良いのか、「ごめんなさい」にはどのような重みがあるのか、、、、。

声掛けの仕方や話の聞き方で、子どもの学力や考え方が形成されていくと思ったら怖すぎてしかたながない。
すごくタメになるのに、恐怖するら感じる本でした。

0
2025年01月27日

Posted by ブクログ

言葉とは画一的な意味しか持たない薄っぺらいものという印象を抱いていたが、この本を読んでその考えが覆された。

0
2024年09月29日

Posted by ブクログ

日頃考えていることがとても整理された状態で言語化されており、読んですっきりした。子育て中の人や教師、そのほか全ての人が読んだらきっと世界は変わるだろうと思った。

0
2024年08月29日

Posted by ブクログ

学力と「ごめんなさい」にどのような関係があるのか、タイトルに惹かれて手に取った一冊。

その子のもつ(大人が教えてきた)「ことばの『意味』や『価値』の理解の差が学力に現れるということだった。
例えば、「聞くこと」≠「しずかにすること」であったり、「読むこと」≠「音読ができること」であったり、大人の考える「見直し」と子どもの考える「見直し」とに差があったり…など。
それらを「考えること」「内容を理解していること」へと持っていくためには日常生活とのつながりを大人がより意識して子どもと接する必要があることを感じた。
「ことばの『意味』と『価値』をどう伝えるか」の大切さと難しさを意識していきたい。

0
2025年05月09日

Posted by ブクログ

話を聴く、文字を書く、問題を解くなど小学校から始まる学習について、深さや解釈の違い、子供の受け止め、影響の違いが書かれていて興味深かった。小学生だけでなく、難関大学の入試を突破した社会人でも疎かなのでは?と思うことがある。正解、点数だけを求めるのではなく、考える過程や視点を育てることが課題を解決できる人を育てると思った。また周りの人も余裕を持って人に向き合う必要があると感じた。

0
2025年01月12日

Posted by ブクログ

何気なく使う言葉の一つ一つ、その意味や価値について敏感でいたい。親のその感覚が子どもに伝わるし、生活での言葉への向き合い方が学習にも繋がる。

0
2025年01月04日

Posted by ブクログ

不思議なタイトル、だけど、なるほど、ことばは相手に対して発せられるもので、相手とのコミュニケーションが噛み合わなければ、相手から学べるはずもない。

ことばの意味と価値(「ごめんなさい」に見えることばの学び)から始まって、聞くこと(「静かにしなさい」がうばうもの)、話すこと(「おはようございます」は必要ないか)、書くこと(「もう書けたよ」への正しい評価)、読むこと(「すらすら読める」は読めているとはかぎらない)、解くこと(「算数ができない子」の作られ方)、と続く。

書かれている方がおそらく先生なので、学力と結びつけての話になっているけれど、日常のコミュニケーションにおいても、相手を意識し、相手に届くことばのやりとりになっているかという点では、学校関係者でなくとも、いろいろ考えさせられました。



0
2024年12月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

まさに子育て中の自分にとっては、耳が痛い話ばかりだった。
「ごめんなさい」ということば一つとっても、その言い方やシチュエーションによって、ことばの重み、伝わり方、伝え方が変わってくるということ、親自身が気をつけなければ、と感じた。

スラスラ読める=理解している、というわけではないことも、自分の中では反省点だった。
子どもの音読の宿題で、スラスラ読めてて読むの上手いな〜なんて単純に思っていた自分がいた。登場人物の気持ちや場面ごとの情景を考えているからこそ、多少詰まってしまうこともある、というのは、納得だった。

名前の書き方一つとっても勉強になった。先生に見てもらうからこそ丁寧に書くことが大事、そもそもそれがわかっている子は丁寧にかけるということ。。全然見てなかったなー

たぶんこの本が伝えたかったのは、子どもの本質を見なさい、ということなんだろうな。
点数とか、やったやらないとかの上辺だけでなく、ちゃんとその中身を見て、ということ。
そうすることで真の学びに繋がるし、親子の絆も強化されていくのだな、と。子ども自身もちゃんと見てくれている、という納得感に繋がるしね。

問題はこの多忙な現代社会でどこまで子どもに寄り添えるか。。いやこれは言い訳か。。すべて完璧にやろうとしないで、やれるところからやっていけばいいのかな。
まずは私は話をちゃんと聴く、傾聴するというところからやってみようかな。

上辺だけを見そうになったときに読み返したい本だと思った。

0
2024年11月06日

Posted by ブクログ

なんで分かりやすい言葉で伝えているのに伝わらないんだろうと思うことがある。
それは言葉の意味に対する理解が違っていて、意図していることが伝わらなかったり誤解が生まれたりするから。
そういう場面においては伝える側、受け取る側の互いに擦り合わせる努力が必要だと思うがどのくらいの人がそれをできているのだろうか?
伝える側は自分を曲げず、理解してくれないとさまざまな言葉を使って伝える努力を放棄していないだろうか?
受け取る側は意味がわからないと考えること想像することを放棄してないだろうか?
そう言った場面に対して根底に「言葉の理解が違う」という問題があることを、聞くこと、話すこと、書くこと、読むこと、解くことの観点から説明してくれている本。
帯では「勉強以前に身につけたいことばの基礎」とあるが、それはすなわちコミュニケーションの基礎であり、情報が溢れる今の時代に大切なことだと思うからこそみんなに読んで欲しい本。

0
2024年09月15日

Posted by ブクログ

何気なく発してる言葉の意味、本質、人が使う同じ言葉とのズレ。相手意識をもったり、多面的に見ようとしたりできるよつに、大人が示していかないといけない。

0
2024年08月17日

Posted by ブクログ

やさしい言葉で書かれているけれど、言わんとしていることは、深い。言葉というのはとても便利なツールで、千年、二千年前の人の言葉を知ることができるし、逆に未来に向けて残すことができる。だけれどもひとつひとつの言葉を吟味してみれば、それをどういう意味で使っているか、には時代時代の価値観を頭に入れなければならないでしょう。こういう差異は何も過去や未来とのやり取りばかり生じるわけではなく、同時代の家族や友人との間にも生じうる。考えること、問うことをやめない事、の大切さを説いている、と自分は本書を読み解きましたが、さて、ほかの見方はあるのかな?と問い続けましょうか。

0
2024年08月13日

Posted by ブクログ

学力は成績だけではなくて、物事を深く考える力、細かなことに気がつく力にも現れる、そんなことに気が付かされる本。

「ごめんなさい」の一言って、使う人によって軽い重いかが変わる。
言葉の軽さは、大人がどのような言葉の教育をしてきたかによる、という内容。
具体的な場面が書いてあるので、自分のケースと照らし合わせて反省することができた。
私もこういう言葉遣いしてたなぁとか。

同じ言葉を交わしていても、実は伝わっていないケースがある。
「ごめんなさい」の一言の重み、「静かにしなさい」という言葉の軽さ。
子供と接しているとつい使ってしまう言葉や、子どもから聞かれる言葉を見直すきっかけになる本だと思う。
すーっと読めるぶん、わかったつもりになる危険性もある。
簡単な言葉ほどその言葉の重みを、大人の側が理解する必要がある。

0
2025年11月15日

Posted by ブクログ

後半流し読み。
インパクトのあるタイトルだなと思ったら、ことばの教育の本でした。
大人が子どもに対して「言葉が届く人になる」ことは大切ですね。そして、聞くことの土台は相手意識。

0
2025年11月14日

Posted by ブクログ

ネタバレ

タイトルと内容があっていないような気がした。「ごめんなさい」が言えないのはどのような子どもの心理に基づくのかを求めて読んでいたような気がする。早稲田実業の初等科の教諭であるが、国語のことかと思ってみるとそうでもなかった。イラストがあると少しは著者の言うことがわかるのであるが。

0
2025年08月11日

Posted by ブクログ

とても読んでて耳が痛い本だった。
私は普段言葉に対して敏感な方ではないため、作者のように言葉の意味をしっかり捉えること捉えさせることを意識していなかったなと反省した。

例えば、私は簡単に「わかりました。」という言葉を使うが、それはおおよそ概要が掴めて、自分の中で納得感がありますよということの言い換えだった。相手がどこまでの理解を求めているかあまり考えずに自分の中で勝手に判断してしまっていることがあるなと思う。分かったと言ったあと、その後自分で説明してみてくださいと言われたら困るし、次の日にテストしてみますと言われても困るのだ。もちろん毎回そんな理解をしなければならん訳ではない、相手が何を求めているか自分が何をしたいかでどこまで理解すればよいかは変わってくるだろう。ただ、少し自分の使う言葉を見直して、その裏にある情報をしっかり見ていこう。考えて発言しようと思いました。

0
2025年06月03日

Posted by ブクログ

同じ言葉でも、その言葉が使われてきた背景(文化?)によって捉え方が異なるという。
ここでは子供を中心に考えているが、大人同士の会話でも、今一つ噛み合わないと感じることがあるのはこういう訳か、と合点がいった。

p189
今まで「できない」という思いを抱いていたからこそ「できた」という喜びが生まれます。はじめから迷うことなくすべてできるということは、反対に「できた」、「成長した」という実感を抱くことがないままに大人になることを意味します。むしろ、失敗経験の少なさがその後の成長を阻害するかもしれないのです。
子どもが間違えるということは、新しい何かに向き合っている証拠でもあります。人は動かなければ、新しい何かを得ることはできません。失敗をくり返ししている人は、失敗するのが当たり前だから、挑戦することに躊躇がないのです。
このように考えると、間違えや失敗は「しなければいけないこと」であると納得できるかと思います。むしろ、率先して間違えるように子どもの頃から教えなければいけません。その後の人生への向き合い方にも関わってきます。

成功体験が大切というが、失敗体験あってこその成功体験なのだ。

0
2025年05月24日

Posted by ブクログ

私にはこの本を必要とするような子どもは、もういなくなってしまったのだなと一抹の寂寥感を覚えた。
過ぎてしまった日々を振り返るには少し辛い。
ああしてやればよかった、こういうことだったのか。
そんな反省を今さらしても遅すぎる。

小学校中学年くらいまでの子どもがいる人、かかわる人にとっては学びの多い本かも。
ごめんなさいという言葉一つとっても、子どもの捉え方、大人の捉え方、もっというと個人個人にとって、意図している意味は違うよと。
読むこと、書くこと、聞くことなどに話はつながっている。

後半に行くほどに、小学校の先生ってすごいなと思います。抽象を理解していない低学年に対しては、本当に専門性が求められるのですね。

0
2025年05月04日

Posted by ブクログ

大人や子供問わず、「謝る」という行為と考え、共感について気づかせて教えてくれる良書である。
謝るということを意識して捉えている人は子供大人問わずどのくらいいるのだろうか。私たちは道徳や倫理、社会通念という常識、そして、両親や育ての親からより影響を受けて謝ることを学ぶ。
何に、誰に、どうして謝るのか意識して問題に向き合い謝罪をしている人はどのくらいいるのか。それは、私たちを囲む社会環境によるしか言えないだろう。だが、社会環境に全ての責任があるわけではない、過酷な環境でも反面教師として糧にする視点を持つだけでも大きく改善され、付き合う人間関係を悪い関係は一切断ち、私、あなたが思い描く世界で、良質で新しい人間関係を創造し選び付き合う選択を経て、自身の心や考え、様々な視点を常に学び続けていけば、本著が説く「謝罪は頻度ではなく質である」という考えに近くなるだろう。
世界は広い、学歴や学力では計れない人間は年齢問わず存在している。
本著は、今一度、謝罪とは一体何なのか、幼児期からの教育指導から、全世代の大人に向けて読んで糧となる良書である。

0
2025年04月22日

Posted by ブクログ

タイトルで気になって読んだ本。大人が読んで役に立てられる感じかと思ったけれど、子供のいる方向けの内容だった。教育系。各章の最後にまとめが書いてあって読みやすい。
1章『ことばの意味と価値ー「ごめんなさい」に見えることびの学び』
2章『聞くことー「しずかにしなさい」がうばうもの』
3章『話すことー「おはようございます」は必要ないか』
4章『書くことー「もう書けたよ」への正しい評価』
5章『読むことー「すらすら読める」は読めているとはかぎらない』
6章『解くことー「算数ができない子」のつくられ方』

言葉は聞く側が受け止めるもの。人によって重さが変わる。これは本当にそうだと思った。
また、「なぜ人の話を聞かなければいけないの?」についての子供の回答がすごい。「わからないと困る」「叱られるのがいや」「聞き逃したら損をする」までは想像がつくけれど、「話をしているのに聞かなかったらかわいそう」はなかなか出てこない感覚だなと思う。
すらすら読むことよりも言葉の意味を吟味して読むことが大切。これは本当身につまされるというか。文章に書かれていることを正しく理解して読み取る。なかなか難しいけれど、これができる子はできることが増えるんだろうと思った。
子供のいる人向けなのかなと思いつつ、子供のいない人にとっても学べることはある本で、読んでよかった。

0
2025年02月09日

Posted by ブクログ

「聞く」「読む」「書く」「話す」ということば(国語の4技能でもある)は、誰もが知っているようで、しかしみなが同じように理解しているわけではない、ということには納得。
ただ、親への育児指南的なものを求めてこの本を読むと、ちょっと物足りないかも。誰に向けて書いているかが、ぼやけてしまっている印象。
ちくまプリマー新書というレーベルだから仕方ないのかな…?
せっかくの新書なのだから、「学力」とことばの理解との相関関係を、データなどを用いて論じてくれれば、もう少し説得力が出たかも。

「ことば」は、その先に相手を想像できるかどうかが、その理解をわけるというのは、子どもへの教育の時に誰もが意識したほうがいいと思う。

0
2025年02月06日

Posted by ブクログ

新書ではちくまプリマーが読みやすくて分かりやすいと聞いて、手に取った。
相手意識を持ち、ことばの意味と価値を考えて、「聞く」「話す」「書く」「読む」をする。私自身の身についてみても、自分の子どもへの言葉のかけ方一つをとってみても、反省するものがあった。内容を理解しているか、言葉の重みを感じているか、自分事としてとらえているか、考えさせられた。

0
2024年12月08日

Posted by ブクログ

言葉を介しての関わりを丁寧に考察している本。相手との関わりを丁寧に重ねていくことが言葉の意味を正しく伝わる関係になり、それが大切、と解釈した。科学的な根拠ではなく経験則によるものだと思う。

0
2024年12月02日

Posted by ブクログ

同じ言葉の使い方でも、使う人の学力によって意味合いが全く変わってくる。
体感としてはわかっていたことだけど、しっかり言語化して説明されていて納得。
章ごとに予習、復習としてまとめページがあり、よりわかりやすかった。
大人の立場からすると、第2章「聞くこと」が一番ためになった。
正しい話の聞き方がわかる子は、人生が豊かになりそう。

0
2024年09月22日

「学術・語学」ランキング