岸圭介のレビュー一覧
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とても読んでて耳が痛い本だった。
私は普段言葉に対して敏感な方ではないため、作者のように言葉の意味をしっかり捉えること捉えさせることを意識していなかったなと反省した。
例えば、私は簡単に「わかりました。」という言葉を使うが、それはおおよそ概要が掴めて、自分の中で納得感がありますよということの言い換えだった。相手がどこまでの理解を求めているかあまり考えずに自分の中で勝手に判断してしまっていることがあるなと思う。分かったと言ったあと、その後自分で説明してみてくださいと言われたら困るし、次の日にテストしてみますと言われても困るのだ。もちろん毎回そんな理解をしなければならん訳ではない、相手が何を求め -
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同じ言葉でも、その言葉が使われてきた背景(文化?)によって捉え方が異なるという。
ここでは子供を中心に考えているが、大人同士の会話でも、今一つ噛み合わないと感じることがあるのはこういう訳か、と合点がいった。
p189
今まで「できない」という思いを抱いていたからこそ「できた」という喜びが生まれます。はじめから迷うことなくすべてできるということは、反対に「できた」、「成長した」という実感を抱くことがないままに大人になることを意味します。むしろ、失敗経験の少なさがその後の成長を阻害するかもしれないのです。
子どもが間違えるということは、新しい何かに向き合っている証拠でもあります。人は動かなければ -
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私にはこの本を必要とするような子どもは、もういなくなってしまったのだなと一抹の寂寥感を覚えた。
過ぎてしまった日々を振り返るには少し辛い。
ああしてやればよかった、こういうことだったのか。
そんな反省を今さらしても遅すぎる。
小学校中学年くらいまでの子どもがいる人、かかわる人にとっては学びの多い本かも。
ごめんなさいという言葉一つとっても、子どもの捉え方、大人の捉え方、もっというと個人個人にとって、意図している意味は違うよと。
読むこと、書くこと、聞くことなどに話はつながっている。
後半に行くほどに、小学校の先生ってすごいなと思います。抽象を理解していない低学年に対しては、本当に専門性が求 -
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大人や子供問わず、「謝る」という行為と考え、共感について気づかせて教えてくれる良書である。
謝るということを意識して捉えている人は子供大人問わずどのくらいいるのだろうか。私たちは道徳や倫理、社会通念という常識、そして、両親や育ての親からより影響を受けて謝ることを学ぶ。
何に、誰に、どうして謝るのか意識して問題に向き合い謝罪をしている人はどのくらいいるのか。それは、私たちを囲む社会環境によるしか言えないだろう。だが、社会環境に全ての責任があるわけではない、過酷な環境でも反面教師として糧にする視点を持つだけでも大きく改善され、付き合う人間関係を悪い関係は一切断ち、私、あなたが思い描く世界で、良質で -
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タイトルで気になって読んだ本。大人が読んで役に立てられる感じかと思ったけれど、子供のいる方向けの内容だった。教育系。各章の最後にまとめが書いてあって読みやすい。
1章『ことばの意味と価値ー「ごめんなさい」に見えることびの学び』
2章『聞くことー「しずかにしなさい」がうばうもの』
3章『話すことー「おはようございます」は必要ないか』
4章『書くことー「もう書けたよ」への正しい評価』
5章『読むことー「すらすら読める」は読めているとはかぎらない』
6章『解くことー「算数ができない子」のつくられ方』
言葉は聞く側が受け止めるもの。人によって重さが変わる。これは本当にそうだと思った。
また、「なぜ人 -
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「聞く」「読む」「書く」「話す」ということば(国語の4技能でもある)は、誰もが知っているようで、しかしみなが同じように理解しているわけではない、ということには納得。
ただ、親への育児指南的なものを求めてこの本を読むと、ちょっと物足りないかも。誰に向けて書いているかが、ぼやけてしまっている印象。
ちくまプリマー新書というレーベルだから仕方ないのかな…?
せっかくの新書なのだから、「学力」とことばの理解との相関関係を、データなどを用いて論じてくれれば、もう少し説得力が出たかも。
「ことば」は、その先に相手を想像できるかどうかが、その理解をわけるというのは、子どもへの教育の時に誰もが意識したほうが