辻野弥生のレビュー一覧
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「朝鮮人なら殺してええんか!」
映画の中で被害者となった行商の親方が加害者らに向けて吐いたセリフである。
香川から千葉へやってきた行商人達が朝鮮人と疑いをかけられ、正義を掲げる自警団によって幼児、妊婦を含む9名が殺害されるという痛ましい事件。
映画が公開されるまで、私はこの事件を知らなかった。
これは自警団という『集団』による凶行だ。
一人であれば、人間としてやって良いこと悪いことを考えて行動しただろう。
集団だったからこそ、一人なら決して考えも実行もしなかったであろう凶行に走ってしまった。
集団心理の恐ろしさを突きつけられる。
こういう心理は今の私たちにも起こり得るはずだ。
(もち -
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森達也監督の映画を観てから本を手に取った。この事件で生き残った太田文義さん(当時13歳)の証言がこの映画のもとになっているのだと知る。
恐ろしさが蘇る。 想像しただけで思考停止に陥る。こんな恐ろしいことがあっていいわけがない。
だけど、世界はそんな歴史にあふれている。
森達也さんの文章から。
「凶悪で残虐な人たちが善良な人たちを殺すのではない。普通の人が普通の人を殺すのだ。世界はそんな歴史にあふれている。ならば知らなくてはならない。その理由とメカニズムについて。スイッチの機序について。学んだ記憶しなくてはならない。そんな事態を何度も起こさないために。
でも僕たちが暮らすこの国は、記憶する力が -
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福田村事件と検索するとあまりの悲惨な事件に慄然とします。香川から来た被差別部落の行商人15人のうち幼児、児童、妊婦を含む9人(胎児を含めて10人)を惨殺した福田村の村人。そして、それは関東大震災の時に発生した朝鮮人大虐殺の中で、朝鮮人に間違えられた為に起こった虐殺で、当時朝鮮人は殺してもよいという風潮になっていたという事です。勝手に労働力として連れて来ておいて、勝手に仮想的にして殺す。こんなにひどい事を行ったのは我々日本人です。
そして幼児まで殺した鬼畜のような福田村村民の所業。それは異常者の集団ではなく、我々と何ら変わらない一般の人々です。
刷り込まれた差別意識、同調圧力、人間が持っている残 -
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本の概要
四国から千葉へやってきた行商人達が朝鮮人と疑いをか けられ、正義を掲げる自警団によって幼児、妊婦を含む 9名が殺害された。
映画『福田村事件』 (森達也監修)が依拠した史科書 籍。長きに渡るタブー事件を掘り起こした名著。【森達 也監督の特別寄稿付き】
「辻野さん、ぜひ調べてください。...... 地元の人間には
書けないから」
その時から、歴史好きの平凡な主婦の挑戦が始まった。
「アンタ、何を言い出すんだ!」と怒鳴られつつ取材と 調査を進め、2013年に旧著『福田村事件』を地方出版社 から上梓したものの、版元の廃業で本は絶版に。
しかし数年後、ひとりの編集者が「復刊 -
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関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺を詳しく知ることがなかった。
未曾有の災害でパニックになったというだけではなく、何故多くの市民が朝鮮人狩りに狂奔したのか…。
そして、この混乱のさなかに香川県の行商一行が朝鮮人と間違えられて虐殺されたということ。
この福田村事件は、同調圧力や集団の狂気と済まされていいものだろうかと。
何の罪もない人が命を奪われたことをなかったこと、過去のこととして詳細を語られることなく済まされていたように思った。
だが、こうやって書き残しておくことで、過去の歴史の汚点に目を背けることなく、伝えていくことが大切だと痛感した。
このような事態を起こさないためにも考えなければ、学ばな -
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歴史の裏側に隠された真実が明かされていく。この本を読み、書き残さずにはいられなかった著者の思いを知った。
「朝鮮人なら殺してええんか!」2023年公開の映画の中で、被害者となった行商の親方が加害者らに向けて吐いた言葉に、立ちすくむ思いがしたという著者、辻野弥生さん。
「殺していい命などあろうはずがない」
どうしてこのような悲惨な事件が起こってしまったのか。
背景に植民地支配の歴史や部落差別があるという。当時の新聞や雑誌の記事、聴き取り調査の内容が提示されることにより、次第に事件の全貌が見えてきた。
関東大震災後の流言飛語で民衆は不安、恐怖にさらされる。「朝鮮人に間違われて虐殺された人達は -
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全く知らない事ばかりで、正直自分の阿保さ加減に呆れてしまった。そんな1冊でした。
関東大震災直後に、千葉県野田、柏、流山の当時の村人が、薬の行商で香川から来ていた15人を集団で襲い、内9人を惨殺。川に流した事件。その後、殺害した側の人間は、裁判で裁かれるものの、村のヒーローとして金をもらい、出所後議員にまでなった人もいたとか(このくだり、最近読んだ本によく出てくるので、いい加減に嫌になるが)。
そして、村をあげ、県をあげ、そして、国をあげての「知らぬ存ぜぬ」の歴史的な隠蔽工作。さすがに、呆れるを通り越し、同じ日本人として、恥ずかしい。
この事件自体も非常に衝撃的であり、かつ恥ずべき黒歴史で -
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福田村事件聞いた事がありませんでした。
関東大震災で 朝鮮の人が水に毒を入れたという嘘が出回り多くの人が殺されたと言う事は学びましたが、日本人の方もこのように殺された事実は全く知らず 映画のニュースを見て気になって読みました。
福田村事件に至るまで 当時の関東では どんな様子であったかとか 被害に遭われた人以外も 襲われたとか書かれていました。
大災害の後で 多くの民衆が不安の中 このような嘘の情報を流した お役人達が 罰せられることなく過ごしていたのは酷い事です。
殺害した人達も 元々良い人だったからなのか 多くの人は 加害者なのに そういう目で見られなかった。
しかし こういった事 -
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1923年の関東大震災の際に起こった福田村事件についての著作。内容としては、福田村事件だけを取り扱うというよりは、関東大震災の直後から、どのような経緯で朝鮮人への虐殺が起き、その混乱の中で福田村事件が起きたのか、そして事件はその後、どのように扱われたのかという流れになっている。
関東大震災の際に根も葉もない噂により朝鮮人が虐殺されたというのは歴史的事実としての知識はあったものの、その辺りに触れた本などは今まで読んだことが無かったため、経緯を知ることができた。しかし、そのような混乱期の最中とはいえ、日本人も虐殺の対象となってしまうというのは、集団心理の恐ろしさ、集団が一つの方向に向かい始めた時の -
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関東大震災のときに流れた朝鮮人に対して流れた流言飛語(デマ)によって自警団に殺された四国の薬行商達について、資料を踏まえて書かれている内容である。
正直、このような事件があること知らなかったです。
殺された方々も子供や妊婦などがいてとてもつらいないようでした。
さらにはこれらの問題は朝鮮人差別だけではなく、部落差別や関東大震災のときの含めた様々な要因が絡んでいることに
気付かされます。
また、さらに気づいたのは加害者である自警団の人達の答弁内容や態度です。
「他人事のように冷冷淡々と」,「勇壮活発なもの」,「演説口調」
これらの様子は戦前に戦争に進めさせた政治家か陸軍の連中の態度、さらに今なら -
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9月に映画『福田村事件』を観た。その際に強烈に印象に残っているのが朝鮮人と誤認されて殺された行商人の親方の言葉「鮮人なら殺してえぇんか」である。
本書は、闇に葬られてきた福田村における香川の行商人殺戮事件を白日の下にさらした作品である。「ないことにしたい」力が強い中で地道に丹念に調査をして出来あがったものであり、著者の「なかったことにはできない」という強い思いが伝わってくる。
事件は複合的な差別に起因している。最大のものは韓国併合以降の「不逞鮮人」というレッテルであった。また、内務省が「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といったデマを事実と認めるような打電をしたことも悲劇の大きな要因であった。
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福田村事件は関東大震災直後の朝鮮人狩りが横行する中で起こった痛ましい事件。
利根川と鬼怒川が合流する千葉県東葛飾郡福田村で香川県から薬の行商に来ていた一行15名が朝鮮人との疑いをかけられ、地元の自警団に襲われた。ある者は鳶口で頭を割られ、ある者は手足を縛られ利根川に放り込まれるという残虐極まりないやり方で、9人(胎児を含めると10人)が命を奪われた。
襲われた集団は被差別部落の出身。農地が狭く小作率が全国一高い香川県で十分な耕作面積が得られないことから行商の道しか残されていない人たちだった。
厳しい被差別部落の実態、朝鮮人を人間扱いしなかった民族差別の実態、行商人への職業差別など様々な差別の悪 -
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関東大震災の発生から100年目に公開された映画「福田村事件」のベースとなったノンフィクション。
福田村事件とは利根川沿いの三ツ堀(現在の千葉県野田市)で起きた香川県からの行商人集団10名(一名は胎児)が福田村と隣の田中村の村民によって殺害された事件のこと。
長らくタブーとしてその詳細が明らかにされてこなかった。
映画の中でも描かれているが、この事件が起きた背景にはもちろん、関東大震災において朝鮮人が火をつけて火事を起こしている、井戸に毒を入れたなどのデマが広まり、それに怯えた一般人が自警団等を構成し、朝鮮人と思われる人々を捕え、殺害したという事がある。
しかし、そこにはそれだけではない、もう