あらすじ
「辻野さん、ぜひ調べてください。......地元の人間には書けないから」
その時から、歴史好きの平凡な主婦の挑戦が始まった。
「アンタ、何を言い出すんだ!」と怒鳴られつつ取材と調査を進め、2013年に旧著『福田村事件』を地方出版社から上梓したものの、版元の廃業で本は絶版に。
しかし数年後、ひとりの編集者が「復刊しませんか?」と声をかけてきた。
さらに数年後、とある監督が「映画にしたいのです」と申し入れてきた──。
福田村・田中村事件についてのまとまった唯一の書籍が関東大震災100年の今年2023年、増補改訂版として満を持して刊行!
【福田村・田中村事件】
関東大震災が発生した1923年(大正12年)9月1日以後、各地で「不逞鮮人」狩りが横行するなか、9月6日、四国の香川県からやって来て千葉県の福田村に投宿していた15名の売薬行商人の一行が朝鮮人との疑いをかけられ、地元の福田村・田中村の自警団によって、ある者は鳶口で頭を割られ、ある者は手を縛られたまま利根川に放り投げられた。虐殺された者9名のうちには、6歳・4歳・2歳の幼児と妊婦も含まれていた。犯行に及んだ者たちは法廷で自分たちの正義を滔々と語り、なかには出所後に自治体の長になった者まで出て、事件は地元のタブーと化した。そしてさらに、行商人一行が香川の被差別部落出身者たちだったことが、事件の真相解明をさらに難しくした。
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森達也監督の映画を観てから本を手に取った。この事件で生き残った太田文義さん(当時13歳)の証言がこの映画のもとになっているのだと知る。
恐ろしさが蘇る。 想像しただけで思考停止に陥る。こんな恐ろしいことがあっていいわけがない。
だけど、世界はそんな歴史にあふれている。
森達也さんの文章から。
「凶悪で残虐な人たちが善良な人たちを殺すのではない。普通の人が普通の人を殺すのだ。世界はそんな歴史にあふれている。ならば知らなくてはならない。その理由とメカニズムについて。スイッチの機序について。学んだ記憶しなくてはならない。そんな事態を何度も起こさないために。
でも僕たちが暮らすこの国は、記憶する力が絶望的なほどに弱い。むしろ忌避している。殺す側は邪悪で冷酷。その思いが強いからこそ、過去に自分たちがアジアに対して加害下歴史を躍起になって否定しようとする。」(p236)
「人は環境によって「けだもの」にもなれば「紳士淑女」にもなる。南京で虐殺にふけった大日本帝国陸軍の兵士たちも、家に帰れば妻や子を愛する父であり両親思いの息子だったはずだ。ナチスの兵士もクメール・ルージュの幹部たちも朝鮮人狩りに狂奔した村の自警団の男たちもサリンガス散布に加担したオウムの信者たちも、違う環境にいたら違う行動をしていたはずだ。しかし松井と河村も含めて虐殺などなかったとか慰安婦は商売だったとか強制的な徴用ではないなどと声をあげる彼らに、その認識は絶望的なほどにない。だから日本人は「けだもの」とは違うと必死に否定する。さらに、被害の側に過剰に感情移入するからこそ、加害の側をより強く叩こうとする。シオニズムの延長としてホロコーストの被害者遺族たちが建国したイスラエルが、なぜこれほど無慈悲にパレスチナの民を加害し続けるのか、その理由に気づかない。加害と被害は反転しながら連鎖することに実感を持たない。日本が今も死刑制度を手放せない理由のひとつは、人を殺した人は邪悪で冷酷で生きる価値などないとの思いが固着しているからだ。」(p237)
「映画はフィクションだ。エンタメの要素も強い。だから実在していない人もたくさん登場する。物語を紡ぎながら事実を補強する。
でもそれは史実とは微妙に違う。だからこそ、この本の位置は重要だ。もう一度書く。忘れてはいけない。忘れたらまた同じことをくりかえす。過去にあった戦争や虐殺よりも恐ろしいことがひとつだけある。戦争や虐殺を忘却することだ。」(p242)
ほかに近隣住民の証言も。村山金一郎さん。
「ひどいことに、川に入って水につかりながら日本人だと照明するために「君が代」を歌っているところを鉄砲で撃ったそうです。お巡りが来て中止になったらしいけど、残酷極まりないよね。仮に朝鮮人であっても、人間である以上殺すということは、とてもできないね。幼稚な群集心理でのぼせてしまうと、始末におえないですね。
(略)
東京が焼け野原になったのは、朝鮮人が方々に分かれて全部放火したというんですが、そりゃ震災ですから火災は起こりますよ。まったく迷惑したのは朝鮮人ですね。」(p174)
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「朝鮮人なら殺してええんか!」
映画の中で被害者となった行商の親方が加害者らに向けて吐いたセリフである。
香川から千葉へやってきた行商人達が朝鮮人と疑いをかけられ、正義を掲げる自警団によって幼児、妊婦を含む9名が殺害されるという痛ましい事件。
映画が公開されるまで、私はこの事件を知らなかった。
これは自警団という『集団』による凶行だ。
一人であれば、人間としてやって良いこと悪いことを考えて行動しただろう。
集団だったからこそ、一人なら決して考えも実行もしなかったであろう凶行に走ってしまった。
集団心理の恐ろしさを突きつけられる。
こういう心理は今の私たちにも起こり得るはずだ。
(もちろん殺人とまではいかなくても)
著者の辻野さんはどれだけの時間と労力でここまで調べ上げたのだろう。
100年前の事件なので当時を語れる人も少ないだろうし、取材に行ってもなかなか重い口を開こうとはしないという。
文章のほか、当時の報道記事や香川県民の手記なども掲載されており、非常に興味深く読みごたえのある一冊だった。
ノンフィクションを読むと、当時の社会や時代背景をもっと知りたいと思い、欲が湧いてくる。
しかし覚えの悪い私は調べるそばから忘れてしまう悲しさ(笑)
学生時代にもっと勉強するんだった…(ノД`)
Posted by ブクログ
福田村事件と検索するとあまりの悲惨な事件に慄然とします。香川から来た被差別部落の行商人15人のうち幼児、児童、妊婦を含む9人(胎児を含めて10人)を惨殺した福田村の村人。そして、それは関東大震災の時に発生した朝鮮人大虐殺の中で、朝鮮人に間違えられた為に起こった虐殺で、当時朝鮮人は殺してもよいという風潮になっていたという事です。勝手に労働力として連れて来ておいて、勝手に仮想的にして殺す。こんなにひどい事を行ったのは我々日本人です。
そして幼児まで殺した鬼畜のような福田村村民の所業。それは異常者の集団ではなく、我々と何ら変わらない一般の人々です。
刷り込まれた差別意識、同調圧力、人間が持っている残虐性、集団心理。今でも発生する可能性のある事件です。
隠蔽されたこの陰惨な事件が明るみに出る切っ掛けになったこの本の存在意義はとてつもなく大きいです。
そして映画化迄されたわけですが、加害者の子孫、被害者の子孫へ不当な迫害などが起こらない事を祈るばかりであります。
Posted by ブクログ
本の概要
四国から千葉へやってきた行商人達が朝鮮人と疑いをか けられ、正義を掲げる自警団によって幼児、妊婦を含む 9名が殺害された。
映画『福田村事件』 (森達也監修)が依拠した史科書 籍。長きに渡るタブー事件を掘り起こした名著。【森達 也監督の特別寄稿付き】
「辻野さん、ぜひ調べてください。...... 地元の人間には
書けないから」
その時から、歴史好きの平凡な主婦の挑戦が始まった。
「アンタ、何を言い出すんだ!」と怒鳴られつつ取材と 調査を進め、2013年に旧著『福田村事件』を地方出版社 から上梓したものの、版元の廃業で本は絶版に。
しかし数年後、ひとりの編集者が「復刊しませんか?」 と声をかけてきた。
さらに数年後、とある監督が「映画にしたいのです」と 申し入れてきた。
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関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺を詳しく知ることがなかった。
未曾有の災害でパニックになったというだけではなく、何故多くの市民が朝鮮人狩りに狂奔したのか…。
そして、この混乱のさなかに香川県の行商一行が朝鮮人と間違えられて虐殺されたということ。
この福田村事件は、同調圧力や集団の狂気と済まされていいものだろうかと。
何の罪もない人が命を奪われたことをなかったこと、過去のこととして詳細を語られることなく済まされていたように思った。
だが、こうやって書き残しておくことで、過去の歴史の汚点に目を背けることなく、伝えていくことが大切だと痛感した。
このような事態を起こさないためにも考えなければ、学ばなければならないことがあるのだと。
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関東大震災中の、朝鮮人虐殺、朝鮮人に疑われた日本人虐殺事件。
当時は韓国併合の後、韓国人に対する緊張もあった為か、
朝鮮人の不逞というデマが罷り通りやすくもあり、
日本政府もまた、このデマを機に利用し、民族浄化に似た精神を発動した為、さらに助長させたともいう。
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これだけのことを調べるのはすごい労力だっただろうと思う。
今はもう聞けない関係者の方への聞き取りなど、作者の方が書いてくれたから知ることができた。
Posted by ブクログ
当たり前だが
決して愉快な内容ではない
ロッテ創業者の重光武雄は韓国人だったが(間違ってはいないと思うけど、違ってたらすみません)
重光氏は日本人ほど差別する民族はいないと言っていたという
これはまさしくその言葉を裏付ける内容である
朝鮮民族は言われなき迫害を受け続けた
黒人差別やユダヤ人差別のほうがボロクソに言われたりするが
日本人の朝鮮差別もそれに勝るとも劣らない酷さ
胸糞悪いことこの上もない
つくづく戦争は恐ろしい
Posted by ブクログ
恐怖のためか、やるせない怒りをぶつけるためか、矛先は弱いものに向かう。凶行は正当化された。審判が下った後さえも。人間の性は恐ろしい。克服してきたのが文明の発達。本当に怖いのは、忘れ去ること、なかったことにしてしまうこと。学びは止まり、過ちは何度でもくり返される。…1923年9月1日。震災は起きた。「流言蜚語」。半島からの移住者が標的になる。一方、福田村で起きたのは、日本人への虐殺。長く埋もれてきたのは、認めたくない史実だから。書籍の復刊。映画化。学ばねばならない。予期せぬ禍。人の価値はそのとき試される。
Posted by ブクログ
歴史の裏側に隠された真実が明かされていく。この本を読み、書き残さずにはいられなかった著者の思いを知った。
「朝鮮人なら殺してええんか!」2023年公開の映画の中で、被害者となった行商の親方が加害者らに向けて吐いた言葉に、立ちすくむ思いがしたという著者、辻野弥生さん。
「殺していい命などあろうはずがない」
どうしてこのような悲惨な事件が起こってしまったのか。
背景に植民地支配の歴史や部落差別があるという。当時の新聞や雑誌の記事、聴き取り調査の内容が提示されることにより、次第に事件の全貌が見えてきた。
関東大震災後の流言飛語で民衆は不安、恐怖にさらされる。「朝鮮人に間違われて虐殺された人達は、香川県から薬の行商にやってきた被差別部落民」だった。闇に葬られたままだった真実を綿密に調べ上げ、本にまとめた著者の取り組みに敬意を表したい。
Posted by ブクログ
全く知らない事ばかりで、正直自分の阿保さ加減に呆れてしまった。そんな1冊でした。
関東大震災直後に、千葉県野田、柏、流山の当時の村人が、薬の行商で香川から来ていた15人を集団で襲い、内9人を惨殺。川に流した事件。その後、殺害した側の人間は、裁判で裁かれるものの、村のヒーローとして金をもらい、出所後議員にまでなった人もいたとか(このくだり、最近読んだ本によく出てくるので、いい加減に嫌になるが)。
そして、村をあげ、県をあげ、そして、国をあげての「知らぬ存ぜぬ」の歴史的な隠蔽工作。さすがに、呆れるを通り越し、同じ日本人として、恥ずかしい。
この事件自体も非常に衝撃的であり、かつ恥ずべき黒歴史ではあるが、それより、関東大震災直後の混乱に乗じて、国の施策で、ザイニチ、在日中国人、社会主義者、アナーキスト集団を、軍隊や警察組織を導入して惨殺していた事実。これを、私は全く知らなかった。関東大震災では、単に地震と火事でたくさんの日本人がなくなったかとばかり思っていたのだ。
おそらく、私の様な日本人は少なくないのではないかと思う。
この本は、そんな私達に非常に衝撃的な、私達の100ねんまえの先祖の悪行を突きつける1冊である。我々は、これから逃げることなく、しっかり受け止め、記憶と記録に残して、未来の子孫達に伝えていかねばならない。同じ間違いを我々か2℃と犯さない為に。それが、我々に少なくとも出きること。
非常に重い1冊です。
Posted by ブクログ
福田村事件聞いた事がありませんでした。
関東大震災で 朝鮮の人が水に毒を入れたという嘘が出回り多くの人が殺されたと言う事は学びましたが、日本人の方もこのように殺された事実は全く知らず 映画のニュースを見て気になって読みました。
福田村事件に至るまで 当時の関東では どんな様子であったかとか 被害に遭われた人以外も 襲われたとか書かれていました。
大災害の後で 多くの民衆が不安の中 このような嘘の情報を流した お役人達が 罰せられることなく過ごしていたのは酷い事です。
殺害した人達も 元々良い人だったからなのか 多くの人は 加害者なのに そういう目で見られなかった。
しかし こういった事件は 隠されていった。
本当に大切なのは 人は狂気してしまった事実を隠すことではなく それを残して 二度とこのような事件が起きないようにする事だと思います。
普通の人が 変わってしまう。
自分も 混乱時に そうならないように 心がけたいと思いました。
Posted by ブクログ
1923年の関東大震災の際に起こった福田村事件についての著作。内容としては、福田村事件だけを取り扱うというよりは、関東大震災の直後から、どのような経緯で朝鮮人への虐殺が起き、その混乱の中で福田村事件が起きたのか、そして事件はその後、どのように扱われたのかという流れになっている。
関東大震災の際に根も葉もない噂により朝鮮人が虐殺されたというのは歴史的事実としての知識はあったものの、その辺りに触れた本などは今まで読んだことが無かったため、経緯を知ることができた。しかし、そのような混乱期の最中とはいえ、日本人も虐殺の対象となってしまうというのは、集団心理の恐ろしさ、集団が一つの方向に向かい始めた時の方向転換の難しさがよく分かる。事件自体は悲劇としか言いようがない。
正直、読み物としてはもう少しドキュメンタリー的な内容を勝手に期待していたが、事件自体が著名な出来事ではなく、当事者の証言や記録などもほとんど残っておらず、取材には相当苦労されたようで、そのような中で良くまとめられており、大変に資料的価値がある一冊なのではないだろうか。
著者とは別の方であるが、巻末に特別寄稿していた森達也さんの次の一節がとても印象的だった。
「何度でも書く。凶悪で残虐な人たちが善良な人を殺すのではない。普通の人が普通の人を殺すのだ。世界はそんな歴史に溢れている。ならば知らなくてはならない。その理由とメカニズムについて。スイッチの機序について。学んで記憶しなくてはならない。そんな事態を何度も起こさないために。」
そうなのだ。悪人が善人を殺す。そのような二元論では真実を見失うのではないか。そうではなく、何故そのようなことになってしまったのか、誰しも生まれながらの悪人ではなかったはずだ、どうしてこうなったのか。そういったことを突き詰めていかないと、人間は同じことを繰り返し続けてしまう。
人間として成長するというのは科学技術の話ではなく、そのような精神性の積み重ねこそが大事なのではないだろうか。
Posted by ブクログ
関東大震災のときに流れた朝鮮人に対して流れた流言飛語(デマ)によって自警団に殺された四国の薬行商達について、資料を踏まえて書かれている内容である。
正直、このような事件があること知らなかったです。
殺された方々も子供や妊婦などがいてとてもつらいないようでした。
さらにはこれらの問題は朝鮮人差別だけではなく、部落差別や関東大震災のときの含めた様々な要因が絡んでいることに
気付かされます。
また、さらに気づいたのは加害者である自警団の人達の答弁内容や態度です。
「他人事のように冷冷淡々と」,「勇壮活発なもの」,「演説口調」
これらの様子は戦前に戦争に進めさせた政治家か陸軍の連中の態度、さらに今なら不正の疑惑を抱えた政治家や官僚達がやる態度とそっくりだった所に驚いてる。
やっぱり日本は相変わらず変わってないと実感する。
福田村事件は映画もあるので、そちら今度みてみます。
映画や本含むて、ぜひ、みてください。
#福田村事件
#読書記録
#読書
#読書好きな人と繋がりたい
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群衆の恐怖。この日本で事実としてあった事件を、今まで知らずにいた事にも衝撃がありました。
日本は、震災時も助け合える国だと、誰かが言っていましたけど、それはあくまで、現在あの時点での事で、福田村のような恐ろしい事件がまた起こらないとは限らない。
それだけ、ただの普通の人が陥りやすい群衆心理の怖さを実感しました。
自分は、その時、ちゃんと人で在る事が出来るか。自我を保ち、生命を護れるか、決して忘れてはならない事だと思います。
Posted by ブクログ
9月に映画『福田村事件』を観た。その際に強烈に印象に残っているのが朝鮮人と誤認されて殺された行商人の親方の言葉「鮮人なら殺してえぇんか」である。
本書は、闇に葬られてきた福田村における香川の行商人殺戮事件を白日の下にさらした作品である。「ないことにしたい」力が強い中で地道に丹念に調査をして出来あがったものであり、著者の「なかったことにはできない」という強い思いが伝わってくる。
事件は複合的な差別に起因している。最大のものは韓国併合以降の「不逞鮮人」というレッテルであった。また、内務省が「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といったデマを事実と認めるような打電をしたことも悲劇の大きな要因であった。
こんなことがあったのか、と衝撃を受けるとともに、①関東大震災という未曽有の災害、②朝鮮人に対する差別、恐怖心、③官によるデマの拡大、といった環境の中で、自分が福田村の人間であった場合に、殺戮に加担しなかったと自信を持って言えるだろうか、と思った。本書では、横浜市鶴見区の警察署長が体を張って守った経緯が紹介されている。同署長は暴徒に次のように言ったという。「・・・もはや是非もない。朝鮮人を殺す前に、まずこの大川を殺せ。」、「朝鮮人が毒を投入した井戸水を持って来い、私が先に諸君の前で飲むから、そして異常があれば朝鮮人は諸君に引き渡す。異常がなければ私にあずけよ!」と。このような態度が取れるだろうか。
津久井やまゆり園における障害者殺傷事件を描いた映画『月』は、観る者の内に根差した優性思想を抉り出すものであった。福田村事件も津久井やまゆり園事件もともに、「あなたに本当に差別意識はないのか」を問うもので、本書を読むことで自分のあり方を振り返ることができた。
Posted by ブクログ
心を痛める悲惨な事件。でも同じように部落潰しちゃえ的な感じで、阪神淡路大震災の時も同じのようなことが起こったと聞いている…歴史は繰り返されるというが、繰り返してはならない出来事。
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福田村事件は関東大震災直後の朝鮮人狩りが横行する中で起こった痛ましい事件。
利根川と鬼怒川が合流する千葉県東葛飾郡福田村で香川県から薬の行商に来ていた一行15名が朝鮮人との疑いをかけられ、地元の自警団に襲われた。ある者は鳶口で頭を割られ、ある者は手足を縛られ利根川に放り込まれるという残虐極まりないやり方で、9人(胎児を含めると10人)が命を奪われた。
襲われた集団は被差別部落の出身。農地が狭く小作率が全国一高い香川県で十分な耕作面積が得られないことから行商の道しか残されていない人たちだった。
厳しい被差別部落の実態、朝鮮人を人間扱いしなかった民族差別の実態、行商人への職業差別など様々な差別の悪相が重なったのが福田村事件であった。
当時、加害者には罪悪感がなく、それどころか国家にとって善いことをしたと胸を張り、地元民からは支援された。その後、地元では事件のおぞましさからか、長い間口を閉ざしてきた。 朝鮮人虐殺については、数々の証言があるにもかかわらず、きちっとした調査や謝罪がされていないのが現状。だが、1919年に朝鮮で起きた激しい独立運動、いわゆる三・一運動以後の民衆蜂起を恐れた日本政府が震災時のパニック状態での流言蜚語(デマ)を利用したという見方も根強くあるようだ。
著者は、これらの実態に目を背けてはいけないとの思いから、地元の抵抗を受けながらも、膨大な資料収集と関係者からの取材活動にエネルギーを注ぎ続けた。
読んでいるうちに、真摯な気持ちになり、忘れてはいけない日本の負の歴史として自分の頭に刻み込まなければと強く感じた。
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関東大震災から100年。
あのとき、何があったのか。
香川から行商に来ていた一行が地元民に殺された。
彼らは被差別部落出身者たちだ。
みな、口を閉ざし報道もされず事件は葬り去られた。
辻野弥生さんの取材により
どうしてそのような行動に至ったのか
集団心理の怖さを思い知らされる。
朝鮮人と間違えて・・・
言葉が見つからない。
このことを伝え続けること。
それが大切だと思う。
Posted by ブクログ
関東大震災の発生から100年目に公開された映画「福田村事件」のベースとなったノンフィクション。
福田村事件とは利根川沿いの三ツ堀(現在の千葉県野田市)で起きた香川県からの行商人集団10名(一名は胎児)が福田村と隣の田中村の村民によって殺害された事件のこと。
長らくタブーとしてその詳細が明らかにされてこなかった。
映画の中でも描かれているが、この事件が起きた背景にはもちろん、関東大震災において朝鮮人が火をつけて火事を起こしている、井戸に毒を入れたなどのデマが広まり、それに怯えた一般人が自警団等を構成し、朝鮮人と思われる人々を捕え、殺害したという事がある。
しかし、そこにはそれだけではない、もう少し重層的な背景も描かれる。
福田村事件では実際には日本人の行商人集団であった人たちが、朝鮮人と疑われて殺されたという事。
しかも、彼らを殺せと興奮する村民を村の駐在が止め、一度は鎮静化したにも関わらず、駐在が行商人集団の身元を確認するためにその場を離れた間に殺してしまったという集団心理。
行商人集団は香川県の被差別部落の出身者で構成されており、彼らは同じ日本人でありながら差別されてきた人々であった事。
不逞の朝鮮人が悪事をある働いているというデマは、韓国併合以降、韓国内で起きている独立を求める反日行動、多数の朝鮮人を日本人より安い賃金で雇い、働かせていたという日頃の行動から、何かあれば朝鮮人が日本人に復讐してくるのではないかという不安を抱いていた事、、、、
等々、単に「関東大震災」だけが事件の契機でないという点だ。
Posted by ブクログ
福田村事件の映画鑑賞をきっかけに読みました。
関東大震災の時に多くの悲惨な事件が実際に起きていたショックと、実際に自分がこの環境にいた時に抗えたのかと非常に考えさせられた。
集団ヒステリーの怖さ、恐怖心や思い込みによって人間はとても残酷な行為に走りうるということを実感した。
こういった悲劇がまた起こらないように、決して忘れてはいけない出来事。
Posted by ブクログ
関東大震災の混乱下で様々な差別的悲劇が起きていたことは知っていたが、部落問題が絡む虐殺があったことは恥ずかしながら初めて知った。世に溢れるフェイクニュースやヘイトスピーチ、同調圧力、国民に責任転嫁する行政…100年たって暮らしは豊かになっても、人間の根源的な部分は何も変わっていないと感じる。一度絶版になったこの本が復刊された意味はとても大きい。タブー視される事件の資料集めや関係者への取材は困難を極めたに違いない。地域に根差した執筆活動から〝なかったことにされた事件〟を掘り起こして出版にこぎつけた著者の執念に敬服。さらに映画化に踏み切った森達也監督もしかり。「善良な人が善良な人を殺す」のは何故かを問う巻末の寄稿が胸にズシンと響く。集団心理の怖さを改めて思い知らされた。
Posted by ブクログ
「『福田村事件』を観る前には、いや、9月1日が来るまでに読み切らなければ」と半ば義務的に読み始めたのだけど、一気に読んでしまった。当時の資料と証言を徹底的にかき集めた辻野さんによる執念の裏取り。まさしく魂の一冊だと思います。巻末に載っている資料「朝鮮人識別資料に関する件」の忌々しさと「藤田喜之助さん」による手記の生々しさ。
Posted by ブクログ
大災害の混乱の中で起こる群集心理の恐ろしさを感じた。
今の時代でも虐殺までとはいかなくともSNSでデマや陰謀論が広まったりと、世の中が混乱してしまう様は想像できる。
Posted by ブクログ
関東大震災の中で、香川県民の被差別部落の方が行商で千葉県に来ている時、朝鮮人と間違われて9人が殺害された福田村事件の記録だ。関東大震災では、朝鮮人が放火などをしているから気をつけろと言うデマが飛び交い、それを鵜呑みにした自警団が朝鮮人を殺害したという歴史がある。それ以外にも、左派や被差別部落の方も殺されたと言う。
はたして、朝鮮人だから殺してもいいと、当時の日本人のどれぐらいが思っていたのだろうかわからない。日本人、朝鮮人と、人種によって人の価値が決まるのではなく、その人個人の行動によって、その人の価値が決まる。この人種だから、この地方の人だから殺してもいいなんてならない。
いま、千葉の人権教育はどうなっているのだろあか。きちんとこういった事実があったと伝えているのだろうか。歴史は繰り返す。そうならないためにも、しっかりと過去を見つめ、いざという時に、混乱した時に、しっかりと自分が持てるよう、正しい行動できるよう、教育をしていかなければならない。決して今の千葉県民を非難しているのではない。罪を憎んで、人を憎まずだ。