長田弘のレビュー一覧
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1995年から2012年までの17年間、NHK「視点・論点」で著者が担当した48回分と同じ時期に話した別の3篇をあわせて収録したエッセイ集です。
現代において「時代の影」へと追いやられてしまった尊いものに目を向けるような問題提起のエッセイ集といったふうでした。「そこが問題なのではないですか」にいたるまでの分析や感じていることが細やかです。だから読んでいて「うん、たぶんそうなんだろうなぁ」とこちらが思えるという、理解する上での納得という土台に乗っかるような問題提起なのです。少なくない章でその具体的な答えを探し実行するのを読者に委ねていましたが、その問題提起に至るまでのなかで、近代の古典などを引 -
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本について読む本。
情報として本を読んでいる感は確かにある。
もっと言葉を味わう読み方も身につける必要があるなぁ
育てる、蓄える、分ける
この3つのキーワードで言葉を紡いでいく。
以下、印象的なシーン
1. 子どもの本というのは、子どものための本なのではありません。大人になってゆくために必要な本のこと。
→絵本でも読んでみようかな
2. 本を一冊読もうと思ったら、その本をどの椅子で読もうかと考えられるなら、良い時間をきっと手に入れられるだろうと思うのです。〜この本をどの椅子で読もうかと考えて、そこから自分のことを考えてみる。これからそういうことが、とても重要になってくると思います。
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読書についてのエッセイで、難解なテーマではないし、けして難しい言葉が使われている訳でもないのに、著者が語りかけてくるものをどう受け取ったら良いのか、自分がどう理解したのか、文章にすることが思いのほか難しい。
例えば、「2 読書のための椅子」の冒頭、著書は「読書のためにいちばん必要なのが何かと言えば、それは椅子です。」とある。次のパラグラフで、本を読むときに自分で自分に最初にたずねることは、その本をいつ、どこで読むか、本を読む場所と時間である、それが、その本をどんな椅子で読むか、ということです、と言う。これで分かったような気持ちになるが、また具体の椅子の話が続く。
直線的に文章が続く -
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やはり、本に興味があるので、読書のページでつい手が止まってしまう。
〇挨拶という言葉の本は、アイは「押す」、サツは「押しかえす」という意味の、相手あっての言葉です。(p15)
☆相手を見て、笑顔で挨拶したい。
〇自分の日常のなかに、とにかく一冊の本がある、なければ置く。(p103)
☆読書の原点。だから、本の内容が分からなくてもいい。こういう話を読むと、小学6年生のときの担任が「モモ」を読んでくれたことを思い出す。あんな分厚い本読んでもらわなければ親しめなかっただろうよ。
〇人を人たらしめるのは、「習慣」の力なのだ。(p161)
☆日々、何を重ねるかが大事
①自分に嘘をつかない。
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ネタバレ『昭和の戦争の時代に遺された本から、伏流水のような言葉と記憶を書きとどめること。「不戦六十年」を過ぎたいま、この国の自由と「言葉のちから」を問う。』
昭和の戦争の時代を「知恵の悲しみの時代」として、その時代に作られた本、綴られた言葉。
決して大きくはなかったそれらの言葉にもっと耳を傾けていたら、あの時代が「知恵の悲しみの時代」にはならなかっただろうに。
世界を見ることをやめ、自分の周囲だけしか見ない。
違いを認めることができない。
そんな息苦しい世の中で、本を読むこと意味とは。
”読書は、読書という習慣です。「習慣は、単に状態であるのみならず、素質であり能力である」。戦争に読書の習 -
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長田弘は詩人である。ともすれば難解なイメージをもたれがちな現代詩の書き手の中で、難しい言葉を使わず、易しい言葉を使って、言うべきことを短く語る、そんな詩人だ。
その詩人が、NHKテレビ「視点・論点」で毎回語った元原稿に手を入れた四十八篇に、同時期に別の場所で話した三篇を加えたものである。もともとが放送原稿であるため、いつもの文体とは異なる「です・ます」調で書かれていることに若干の違和感を持つものの、内容はいつもの長田弘。
『深呼吸の必要』という詩集を行きつけの書店で見つけ、買って帰ったのが、この詩人とのつきあいの始まりだった。ありふれた日常の風景に眼をとめ、吟味された日常語を駆使して、たし -
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ネタバレ長田弘の声は低く静かに響いてくる。たとえそれが戦争についてであっても。「私の20世紀読書紀行」と副題にある通り、読書をして知り得た人や場所への旅を通して、20世紀とはどういう時代であったかを振り返る紀行文集。
自身が著名な詩人である著者の旅には、心に残る「詩人」の墓を訪ねたものが多い。20世紀は「戦争と革命の世紀」と呼ばれる。なかでも、スペイン市民戦争に関する詩人の関心は他を圧している。G・オーウェルの『カタロニア讃歌』をもとに歴戦地を訪ねる章は圧巻である。また、マヤコフスキーやエセーニン、パステルナークなど、スターリニズム化したソヴィエト・ロシアに生き、苛酷な人生を生きた詩人たちについても -
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本著は、過去と未来と「風景の中で生きる」今を繋げるテーマで綴られるエッセイである。
なつかしさを感じるのは、今抱いた今現在の私であると説く。過去に生きた私も先人もあの時代も出来事も全部、振り子のような関係で繋がっていると主張する。
確かに過去を振り返らない人間はいない。その過去を振り返るその瞬間に抱いた「なつかしい」気持ちは今抱いている感情であると改めて認識してくれる。その「なつかしい」という気持ちは私やあなたという中に「風景」として残り、心を形作るのであろう。その振り返る時間は今や未来とも繋がることをエッセイという詩を通じて現代の喧騒の中で見過ごされがちな「なつかしい時間」の価値を育むべきだ -
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大人はレゴで現実にあるものを、できるだけそれらしく見えるように作ってしまいがちである。そのことにがっかりする。子供は例えば電車を作ったとして、大人から見れば到底電車には見えない。しかし子供たちの中には自分にとっての電車のイメージがしっかりとある。
「たった1軒のカフェに親しむだけで、知らなかった街が、ふいにどれほど、自分に親しい街に変わっていくことか。朝の清潔な孤独を味わえる街の店に座っていると、そのことが染み渡るようにわかってくる。それが、旅だ。実も知らなかった。街の密かな感情に親しく触れ合うことが、旅の感情だ。そういう旅が好きである。」