長田弘のレビュー一覧
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NHKテレビ「視点・論点」で1995年から17年にわたって語った48回の元原稿を初めてまとめた全篇に別の3篇を加えたものだそうです。
「なつかしい時間」とは日々に親しい時間、日常というものを成り立たせ、ささえる時間のことであり、誰にも見えているが、誰も見ていない、感受性の問題をめぐるものであるそうです。
他には、ことば・時間・風景・本・対話・自作の詩などを中心に語られています。
1995年に放送された第1回目の「国境を越える言葉」では、「言葉以上におたがいを非常に親しくさせるものはありません。にもかかわらず、その言葉を共有しないとき、あるいはできないとき、言葉くらい人をはじくものもありません -
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よい!!
人との関係、対話について、場づくりについて、とても共感できる。
視点論点のまとめだそうで・・・そんなの出演していたなんて、知らなかった・・ショック。。。
長田弘は大学生の頃に出会って、当時は鬱々すると、詩をよく書き写していた。
内田樹、外山滋比古などの言っていることに通じるなーと、思い出した。
日々の中で、学びと気づきと生きる力、指針を見出す感性と思考を持つことを思った。詩人なので、言葉がとても美しい。
下記引用
「この世界の子どもたちである私たちに必要なことは、一か八かといった一発勝負ではなく、創造というのは再創造であり、発見というのは再発見なのだという考え方、受け止め方を、毎日 -
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世界を一冊の本として捉えることは、文字を超えた自然や日常、さらには過去の人々の記憶まで、人生という物語を形作る「言葉」として深く感じ取ることだと思う。
詩の一節「生きるとは、考えることができるということだ」の通り、世界を感受したあと、自分の思索を重ねる。その過程こそが真の「読書」であり、豊かに生きることの本質なのだと教えられた。
著者はあとがきで「詩は賦(ふ)である」と述べている。賦とは、目に映る事物をありのままに描き、詩的表現を通して世界に働きかけることをいう。単に世界を眺めるだけでなく、言葉を通して丁寧に向き合う能動的な姿勢こそが、本書の底流にある思想だと感じた。
本書の詩はすべて、 -
Posted by ブクログ
最近は、本屋に行ったときには、結構積極的に詩を手に取るようにしているけれど、やっぱり自分にとって長田弘さんを凌ぐ詩人はでてこない。
彼の書く優しいけれどカッコ良いは自分の憧れであると同時に、なんとなく懐かしい本当の居場所のような気もする。なんだか矛盾するような気がするが本当にそう感じるのだ。
長田さんの詩やエッセイは、気持ちの良さに身を任せてサラッと読んでしまうこともできるけれど、本当に深く読もうと思って立ち止まってみると、彼の使う言葉や単語を、自分が本当には理解できていないことに気づく。そこで辞書を使って調べてみる。言葉の意味が明確になる。改めて長田さんの詩を読んでみると、さっきよりも少し -
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長田さんの読書へのまなざしは20年以上の時を経て、なお普遍的。
読書から何を得るのか、そもそも人はなぜ読書するのか、
様々な角度からかかれ、大切にしたいと思う言葉がちりばめられている。
p7「情報の言葉は、それによって自分の位置を知るための言葉でなく、それによってそれまで知らなかったことを知るための言葉なのです。」
p185「ひとの記憶の目安となるのは、自分の言葉を見つけたという思いがそこにのこっているような時と場所のことであり、そうして、自分の言葉をみつけるということは、自分の心のなかにもっている問題をみずからいま、ここに確かめる、確かめなおすということだからです。」 -
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ネタバレことばの果実から果物の香りがしてくる。
なかでも、ミカン、トマト、白桃、アスパラガス、納豆が私の記憶を呼び覚ます。
ミカンは小さい頃見た木箱の思い出。釘が危ない粗悪な箱。友達のお母さんの、「掴み取りできた分だけあげるよ」という言葉に乗せられて張り切った思い出もある。
トマト。子どもの頃のトマトは酸味たっぷりの「野生的」トマトだった。
白桃。漱石の『三四郎』にも登場する水蜜桃。「日本の近代の味」
アスパラガス。娘と行った函館の旬のアスパラガスの美味しさ。『失われし時をもとめて』(プルースト)にも出てくるていう。
そして納豆。韓国の納豆鍋。一度食べたい。
こうして私は長田弘さんのことばの魔法にか -
Posted by ブクログ
描かれるような文章で、孤独の美しさが語られる。
前半は、短編のような、少し長い広告文のような
ラスト一行に心掴まれる文章。
「バーボン、北米のありふれたウイスキーだ。ありふれたものを素晴らしいものに変えるのは、つねに愛着である。」
ふわりとバーボンの香りがたつ。
街を描かれた章では、これから歩く街並みが
少し詩情をもっと眺められるような味わい。
「舞台。都会のプラットホームは、都会の舞台のようなものである。ただしヒーローもいなければ、ヒロインもいない。」
「地下道には、いま、ここというものがない。いま、ここという感覚が失われてしまえば、じぶんなんてものは、あっさり見失われてしまうのだ。」