『老害』というワードが世間で囁かれる様になって幾久しい。 ニュース等で盛んに取り上げられているのは高齢ドライバーによる事故、これは池袋の事故以降、緩やかに減少してはいるらしいが、それでも後を絶ちはしない(口を開いたまま虚な目で操作する姿を見てはゾッとする)。
必ずしも傲岸不遜と言う訳では無い、悪人ではない…が、押し並べて思うのは『お年寄りだから許されるだろう』といった意識に根差したルールやモラル、エチケットなどの軽視だ。
考えてみて欲しい。
今や私を含めた60歳前後の人間を含めると人口の大凡3人に1人が老人と言っていい国で、その圧倒的なボリュームを占めるその世代が社会性を顧みない稚戯と思しき行いを日常的にしている。
本来、社会の規範となるべき立場の者達が、かくも自身への手綱を緩めて放逸に過ごす今、世界の環境は天に地にも、もはや取り返しのつかない状態にしか見えない。
私たちは直に鬼籍に入ればそれでお終いだが、我々が少なからず加担して創り上げたこの国に、この世界に残される若い人達にどうする? どう償うのか?
北欧の若い環境活動家に向けて、今後過酷な時代を生きるのはオマエ達なのだから、自分たちは関係がないと云う向きの発言をする輩が少なからずいるらしいが、開いた口が塞がらない。
国は圧倒的多数を占める高齢の有権者へのその場しのぎ的なご機嫌伺いで思い切った政策を取らず
ただただバラ撒き、そして疲弊を繰り返す。
それでも、
選挙をすれば変化を嫌うかの世代のお陰様で現行与党が勝ってしまうのだ…。
一括りはしない。
昔ながらの矍鑠とした先輩方や地域の為に額に汗をして奉仕される方々も大勢いらっしゃる。
兎角勘違いしがちだか、定年や子供の独立は節目ではあるが、それで人生終わりでは無い。
生きている限り共存の歩みを止める事は出来ない。
肥大化したお荷物として権利を行使してのみ生きるのでは無く、
巨大なマンパワーとしての道を生きる義務が今後もわたし達にはあると考える。
『老害』では無く、『老練』、せめて『老獪』でありたい。
…ようやく作品についてだが、
『凶手』という恐ろしい生業に糧を得ながらも、それでも尚、我知らず社会との関わりを求め、つましく暮らす彼女、文字通り傷だらけの彼女だが、なんと美しいことか!
矍鑠とはこういう事なのだ。
続編希望!
先日、我らが翔平選手の特集を見たが『憧れ…』はもちろんのこと、私は『今じゃない!』という言葉、姿勢に感銘を受けた。
年齢では無く、あれほどの偉業を成し遂げたものがなおも『今』を享受せず、あくなき未来を求める姿に神々しい光を見た。
どれだけ齢を重ねても『今ではない!』
でも
運転は仮に健康であったとしても、
私は70歳で止めると決めている。
(地方の事情は斟酌するが)
80歳以上で運転する事に全く躊躇が無いのであれば、まずは認知症を疑うべきだと思う。