平尾昌宏のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
もしあなたがこの本のキャッチコピーを書くとしたらなんと書く?(質問はアプリのガイドによるものです。)
「本当に人間関係について知りたい人だけ読んでください」
ベタかもしれないけど、私にはこのキャッチコピーが一番しっくりきています。
人間関係に悩んでいる人やあるいはこれからの人間関係をどうするか考えたい人がそのヒントをもらう本ではありません。
でも論理的かつ哲学的に人間関係を読み解いていくことで自身の人間関係の問題点や解決法につながる可能性はあります。
印象的なのは何度も何度も前提を覆すような記述をし、元も子もないようなことまで丁寧に書かれていることです。
少々読むのに疲れた部分もありましたがなんとか読めました。これまで分類してきた名前は仮もので偽物だという主張には深く同意します。
便宜上つけているに過ぎず根拠に欠けるからです。
このことを知ると自身の勘違いに気づくこともあるかもしれませんが、それがこの本の良さだと思います。
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Posted by ブクログ
友達、親子、カップル、師弟……、そういった人間関係が、何によって成り立っているのかを原理的に考える本。「こうすると友達関係はうまくいく」とか、「現代の親子関係はこんな風になっている」とか分かりやすい答えを示してくれるわけではない。そもそも、自分の身の周りに人間関係は、どうなっていて、どうして上手くいったり、いかなかったりしているのだろうか? それを考えるための道具をくれる本である。
内容もそうだけれども、本当にこれは言い切っていいのかなあ……、でもここの部分は間違いないなあ、という迷いのある文体に、すごく親近感が湧いた。
議論の組み立て方は、とても哲学的。そもそも、人間には、「個人」「社会」、そして「身近な関係」という三つのあり方がある。「身近な関係」には、「相互性」と「持続性」という特徴がある点で、「感情や気持ち」で成り立つ「個人」と、「制度や仕組み」で成り立つ「社会」とは異なっている。
このように議論の前提を、具体例を示しつつも、あくまで抽象的、原理的にコツコツと積み上げていく。その上で、「身近な関係」には、「タテとヨコ」の関係と、「共同性と相補性」の二つの関係のあり方があることを示す。具体的な人間関係を挙げて、この枠組みが、どれだけ現実の人間関係を捉える上で便利であるのかを説明するところも面白かった。
著者自身も言う通り、「タテとヨコ」「共同性と相補性」といった分類で人間関係を考えることは、そこそこうまくいってはいるものの、もちろんうまくいかないこともある。例として、「自然にできる関係と人工的に作る関係」というものが挙げられていた。そういった意味では、この本で出された枠組みで、自分の人間関係を見直すことも大切だけれども、こういった手順を踏んで、人間関係を考えていくことが大切だとも思った。
自分の身の周りの関係について考え直したい人はもちろん、哲学的に手順を踏んで考えるということについて知りたい人にも、ぜひ読んでほしい本だった。 -
Posted by ブクログ
人生はゲームだ。
仕事はゲームだ。
巷ではこういう切り口の本が売られています。
そこで感じた違和感は、「いや、人生/仕事はゲームみたいに単純じゃないだろ」
じゃあ、人生/仕事でうまくいっていない自分は、ゲームみたいな単純なものを攻略し損なっているダメ人間なのか。そう、言われているような気さえしてきます。
本書では、ゲーム(ビデオゲーム以外も含む)の定義を挙げ、人生そして受験や恋愛などがゲームであるか、比較し論証していく形式をとっています。
結論はここでは言いませんが、普段私たちが頭でものごとを考えるときには、数秒で答えがでるような浅い考え方をしがちです。
本書では、論理的に筋道立てて議論を進めていくことで思考を深め、納得できる答えを得ることができました。
哲学というと「うっ」と抵抗をかんじてしまいそうですが、本書は話し言葉の文体なのでYoutuberのトークのように気楽にすいすい、そして楽しく読めてしまいます。
僕のように「人生はゲーム」論に不快感を感じる方、またゲームってなんだろうと思っている方におすすめの一冊です。 -
Posted by ブクログ
「です・ます体」で執筆した論文の掲載を拒否された著者が、日本語における「である体」と「です・ます体」のちがいについて哲学的な考察を展開している本です。
論文では客観的な書きかたである「である体」を用いることが望ましく、敬意をふくむ「です・ます体」はふさわしくないという、ひろくいきわたっている理解を、著者は批判的に検討し、その誤りを指摘します。そのうえで、「です・ます体」は、たとえ明示されていなくても、二人称との関係のなかで成立する書きかたであり、これに対して「である体」が二人称との関係を消し去るような語りかただということが指摘されます。さらに著者は、こうした書きかたにもとづく認証的世界の構造がもたらす哲学的な考察へと踏み込み、とくにブーバーの論じた「我と汝」にかんする問題にあらたな視点から光をあてています。また、正義の倫理学とケアの倫理学の差異に通じる問題へと、考察を進めていく可能性にも言及されています。
著者はカント哲学の概念を用いて、文体による世界の把握のしかたのちがいは「統制的原理」として機能すると主張していますが、こうした観点から個人的に興味深く思われるのは、森有正の思想との比較です。森は、日本語による世界把握では二人称との関係を離れることがむずかしいことを批判的な立場から指摘し、「経験」の構成的原理としてその問題を論じているように思われるからです。
なお、わたくし自身はここでは「です・ます体」を採用しているのですが、そのきっかけになったのは、アダルト作品のレヴューを書くときに「である体」だと「サマ」にならないと気づいたことでした。なかには「である体」で独特のねちっこさを表現するすぐれた書き手もいるのですが、「です・ます体」を採用することでマニアックな「キモさ」を容易に演出することができるのは大きなメリットで、以来作品レヴューなどでは一貫して「です・ます体」を用いています。 -
Posted by ブクログ
今頃こんな中高生の本を読んでいるのは小中学時代野球とTV、ゲームに明け暮れ、ほとんど読書に取り組んでこなかった。
というより歳をとって成長したからわかるようになっておもしろがって読めるようになった。
ということだと思う。
ゲームが大好きな人に考え方を教える本。
大好きだったら面倒なことも少しは考えられる。いろんな前提や根拠を示すってとても面倒。だけど人に説明するには必要。
結局ゲームの定義が何かに尽きる。
ゲームを[1]プレイヤーが目指すべき終わりが定められていて、かつ、[2]プレイヤーにできること・できないことが定められている人間の活動である。[3]「人の役に立つから」という理由も「自分の得になるから」という理由もなしに、ただ単純に、参加したいというほかには何の理由もなしに、自ら進んで参加するもの。
と定義している。
作者は
人生は⑴に当てはまらないのでゲームではない。というが⑵にも当てはまってないと思う。
宗教は⑴⑵を満たしているというが果たしてそうだろうか?飛躍しすぎだと思う。 -
Posted by ブクログ
「人生はゲーム」というフレーズは、自分にとっては「スローなブギにしてくれ」が最も印象的かな。そしてなかなか印象的なフレーズだ。本当にそうなのかなという意味でも。
そんな積年のほわっとした疑問の答えを求めてこの本を読んでみた。何となく「人生はゲームなのだろうか」という命題について考えを巡らせていく感じかと思いきや、サクッと哲学的な理屈でわりと前半で「ゲームじゃない」ってことになっちゃう。ゲームの条件は「ルールやマニュアル」と「目的、終わり」という必須条件があるけど、人生はそれを満たさない……らしい。……というか、このへんあまりよくわからないまま読んでしまった気がする(読めたことになってないけど)。
そして、そもそも「人生はゲーム」だと思う人にとってはゲームだし、そう思わない人にとってはゲームじゃないんじゃないの。それでいいんじゃないのとも思った。
ちくまプリマー新書のテイストなのか、難し気なテーマをおしゃべりのようにへんなのりツッコミとか入れながら進んでいくのが何だか鼻についちゃう。先生だけが面白いと悦に入りながらスベってる授業を聞いてるみたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ人生はゲームだと思う人?とアンケートを取ると、6:4ぐらいでゲームじゃない派が多い。
まずは、そもそもゲームとは何か、人生とは何かを定義する必要がある。
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我々はそうした隠れた前提みたいなのがあることを忘れがちです。あるいは「常識」と思って言わなかったりする。これこれ! これが曲者なんですよ。だって、こっちが「そんなの常識だろう」って思っていても、相手がそれを分かってくれなかったり、逆に、予想もしてなかったことを「こんなの常識でしょう? 知らないの?!」と責められたりすることもよくあるからです。
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まずは概念を取り出す。
ゲームの概念、ゲームにとって何が大事なのかを取り出す。
ゲームはリセットできる?野球の試合とかもゲームと呼ぶならリセットできない。
ゲームにはルールや目指すべき目標があるが、人生にはルール(法律は別として)や生まれ落ちた時に目指すべき目標はない。