ため息の役割は何も落胆したときのためだけではない。
何かを決意するとき、気を入れ替えるときにも使う。
手放してならないものは、全力で掴みにいかなければならない。
何事にも大きな期待を抱いてはいけない。
いつか失ったときに大切にしていたことを後悔してしまう。
全てにおいて完璧な人を求めても、完璧さを前にすると自分の至らなさと比較して辛くなっちゃうし…
実力で倒せへん相手と上手くいったとして、その先続くわけないやん。
やれるだけ自分でやり。
多分恋は素数だ。
当事者同士でしか感情を割り切れない。
外野がずかずかと入り込んできたとして、綺麗に解決などできはしない。
ひとは永遠を願うとき、同時に、自分の弱さを認める責任を伴う。
ごめんと思っている人はごめんと言う回数を減らそうと努力するものだ。
元恋人は、おめでとうと心の中で唱えるのが一番の祝福なんです。
届いちゃいけないんです。
誰にでも惚れていいんですけど、誰かと別れるにはちゃんと説明が必要ですからね。
勝手にさっといなくなるのは子供ですよ。
納得させる言葉を培った人間だけが、大人になれます。
女性は男性に可愛いと思ったら、男性は女性にかっこいいと思ったら、もう後には引き返されへんくらい惚れ込んでしもうてるらしいで。
優しくしたくて優しくするのが優しさです。
求められたからって適量差し出すのは情けです。
恋かもしれない、はもう恋だし、絶対にこの人にこの人に恋しちゃダメだと思うのも恋ですよ。
本当の友情に男も女も関係ないのよ。
少しだけそこに、異性としての魅力を感じているときに、人は男友達、女友達って冠をつけるの。
小学生のときはみんな"お友達"だったでしょ?
知らなくていいことを知らないままでいる努力ができる人が大人なのだろう。
知らなくていいことを知ってしまっても知らないふりができる人は大人っぽいだけなのだろう。
永遠を望むなら、そこに誤解も理解も正解もいらないの。
ただそこにいてくれて、あぁいるなあって思えればいいの。
私たちは、刺激が多い人を忘れられずにいるけど、不安が少ない人を最後には選ぶんだと思うよ。
失恋が終わるときって、私このままでいいかも、と思えるときなんじゃないかなって。
諦めるとか逃げるとかじゃなくて、ただそこにいて思い続けてもいいやって思えたときに、失恋はちゃんと終わりが来る。
ちゃんと終われるの。
思い出は完結させるもので、共感の強要をさせてはならない。
恋愛なんてレモンみたいなもんやからな。
唐揚げに添えてあるレモン。
あるやろ?
唐揚げなんて塩でもマヨネーズでもポン酢でも美味いし、唐揚げ単体でも美味いやん。
恋愛は添え物でええと思うのよ。
人生をいろどるための、ひとつの選択肢、くらいに思っといたらええねんて。
恋愛だけしかしない人生なんてないねんから。
得意なことを知ることは容易いが、苦手なことを知るのは難しい。
得意なことを知れるのは嬉しいが、苦手なことを知れるのはもっと嬉しい。