金みんじょんのレビュー一覧
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韓国の男子高校で教える著者のフェミニズムへの出会い、過去にしてきた過ち、それへの反省を韓国の社会の変遷を踏まえて教員としてどう男子高校生へフェミニズムを伝えていくかを綴った本。形式としてはエッセイに近い。
韓国の日本の女性差別の状況は似ているということは知っていたけど、著者が自分の母親や親戚の女性たちの生き方を振り返るところで、あまりにも日本において女性が苦しんでいることと同じで、それが明確な文章で綴られていて、読むたびに冷たい氷のかたまりを飲み込んだみたいにみぞおちが重くなっていった。途中は本当に読むことがしんどかった。
また若年層がアンチフェミニズム的な思想に陥ってしまうこと、女性だからこそ巻き込まれた殺人事件が”フェミサイド”と言われないことも日本と通じるなと思った。
男性がフェミニズムに出会うと、自分の母親がいかに犠牲になっていたかに向き合わなければならない。そのことにどうしても罪悪感を抱いてしまう、というような素直な心情もつづられており、またこの罪悪感と向き合い続けることが男性にとってフェミニズムが煩わしいものと感じる一因でもあるかもしれないと考えた。
日本では男性学や「有害な男らしさ」について書いている男性はいる。ただ男性でありながらフェミニストと名乗ったうえで自分がなぜフェミニズムに共鳴するようになったか、それをどう実践しているか、いわゆる男性社会のなかでのギャップについて書かれていることは少ない。
もちろん男性学や「有害な男らしさ」についての本も必要だが、フェミニズムを実践していると自負を持つ男性のフェミニズムとの出会いや、男として生きることのコンフリクトについてもっと書かれた本が必要なのではないかと思った -
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ネタバレ日本にはこういう組織、仕組があるのだろうか。デモの過剰鎮圧などで人権が不当に損なわれていないかを監視するためにデモの現場に行ったり、平時に電話などで苦情を受け付けて調査する。自分たちは最後の良心であり、責任を感じる重圧の中でも努めて明るく、誇り高く。慢性的な人手不足で、対応を後回しにして陳情人が自殺した悲しさ。拷問、えん罪、手抜き捜査、外国人労働者への偏見と人権軽視な逮捕、スポーツ選手とコーチ、、、起こっている事象は日本と同じ。そこの裏側、隠ぺい、泣き寝入り、開き直り、、全体を一貫して、事実を書く姿勢、迫力、率直な感情の描写にとても好感。
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誰かの言葉や態度によって、まるで酸に浸されるように、じわじわと傷ついていくことがある。
その言葉がはっきりとした「悪意」に基づくものではなく、むしろ何らかの「思いやり」だったり「正義感」に基づくものだった場合、そんな相手の思いに寄り添うことによって、自分が何に対して傷ついているのかすらわからなくなり、さらには、「傷ついている」と思うのは自分に非があるのではないか、とすら思いはじめ、自らの声を奪われたまま、自分を浸しているはずの酸から目を背けていく…。
本書は、そんな、じっくり人を傷つけ壊していくような差別が、何気ない日常のなかに突然現れ、「見ないようにしよう」としているうちに、ひとを傷つけていくさまに焦点を当てている。
「差別」に焦点をあてる物語は、はっきりと明確した「悪」や「暴力」に焦点を当てることがほとんどだ。日常のなかにふと現れ、「なかったことにしよう」「見なかったことにしよう」といってやり過ごされてしまうような言葉や行動(「マイクロ・アグレッション」という概念はそのような現象を切り取ったものだろう)を、物語として描き出すことは難しい。
それは決してドラマティックではなく、エピソードとして描くにはあまりにも刹那的で、見えないものなのだ。
本章は「日常系エッセイコミック」のかたちをとることで、そんな日常のなかでとつぜん現れるような、見なかったことにされてしまうような差別や攻撃をそのまま描き出している。
あまりに「そのまま」に描き出すので、もしかしたら本書を選んだ人たちのなかには、いくつかの作品のなかに描き出された差別について気づかないのではないか、とすら思わされる。
読み手である自分自身が試されるエッセイコミックだ。
いかに自分自身のなかの「いっしー」を見出し、それと向き合えるか、が問われている。 -
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ネタバレ――わたしはあなたの望む「外国人」になろうとした――(本書帯より引用)
韓国人留学生であるウ・ユンスルさん(通称:うーちゃん)が日本で過ごした11年間に体験した様々な出来事を、ゆるふわタッチの可愛いイラストで描くコミックエッセイです。
特に何と言ってもカワイイ! と思ったのは、124ページの髪の毛を持ち上げるうーちゃん。内容が重いので、並んでいるイラストに癒しを貰って相殺している感じがします。
「ダーリンはネトウヨ」という衝撃的なタイトルで、読む前のイメージは「ゴリゴリのヤバイ思想の彼氏がいて、その彼氏に嫌なことを沢山言われる」みたいなものでした。
しかし、実際に読んでみると少し違っていて、恐らく「いっしー」(主人公の彼氏)というキャラクター性を持った人物は日本の少数派などではなく(いっしーが特別ヤバイやつなのではなく)、ごく普通に日本で生活をしている日本人の多くが多かれ少なかれ、いっしーと似たような思想をしていたり、同じような発言をしているのだろうな、と感じました。
「まだ訛りがあるけど、歌うときは完全に日本人だね」
「うーちゃんはもう日本人だね」
「海苔を消化できるのは日本人だけなんだって」
「日本語は世界一難しい言語。それを話せるうーちゃんはすごい」
などなど……悪意があるとは断定できないものから、いっしーの潜在意識のなかにある日本人(である自分)の優越感がみえみえの発言まで、バリエーション豊富な展開()に目を白黒させながら読みました。
いっしーがつき合ったのが日本人女性だったら、いっしーの差別の片鱗は片時も露見することがなかったのだろうか? と考えたりもしました。
(発言した本人からすれば)他愛のない言葉が、言われた人を傷つける(=差別発言)わけですが、残念ながら我々は日常的に、常にそのことに対して万全の注意を払っているわけではありません。
だからふとした瞬間、そうした無意識の差別発言が外へ飛び出し、相手を傷つけてしまう。
まさに「差別をしない人なんていない」のです。
「差別」と聞いて我々が思う、過激で、誰にでもそれとわかるもの(=故意的な差別)とは違って、「悪意のない差別」(=無意識的な差別)というようなものが存在していて、それらがうーちゃんを苦しめる様子が、本書ではリアルに描き出されています。
それから、この本を読んでひとつ思ったのは、この主人公が「うーちゃん」ではなく、エリザベスやカロリーナや、アンナだった場合はどうだろう? ということです。
いっしー(日本人男性)たちは彼女らに「訛りがある(から直した方がいい)」「もう日本人みたいだね」と言うのでしょうか?
そう考えた時に浮上してくるのは、うーちゃんが「日本人にとても似ている風貌の韓国人」だから受けている被害というものの存在です。
これが、個人的には日本では顕著な差別の正体ではないかと思っています。
こういう話をネット上に(特にSNS)書くと、「韓国が好きなのか?」と言われる現象も含めて、これらは「差別」ではないかと思います。
よく、韓国と絡めて政治的軋轢があるから……という人がいますが、両国間に政治的な問題があることと、その国籍の人を冷遇することは全くの別物でなければならないのです。冷静に考えれば、分からない人の方が少ないことです。
また、本書には「フェミ(ニスト)」について「いっしー」が拒否反応を示す場面も出てきます。
「韓国への拒否反応」「フェミへの拒否反応」両者に共通していることは「敵対意識(時にマウント行為)」と「無理解」です。
差別をすぐにゼロにすることは難しいですが、個々が意識することで、延々と繰り返される「〇〇人なんだね! 鼻が高い!(目が青い! 肌が黒い!)」といったような会話は終わらせることができます。
その為に必要なのは「知ること」「コミュニケーション」そして「互いの尊重」。
この本を読んだことで、私もひとつ、差別について認識を深めることができたと感じています。 -
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『ダーリンはネトウヨ』は、異文化と異なる価値観の中で展開される感動的なロマンス物語です。物語の中心には、韓国からの留学生と日本人のカップルが登場し、愛と偏見に立ち向かい、和解の道を模索します。彼らの恋愛は、異なる文化、価値観、そして社会の対立に挑む壮絶な戦いの一部でもあります。
この物語は、読者に異文化交流の魅力と困難さを伝え、愛が差別や偏見を乗り越え、人々を結びつける力を示しています。留学生の視点から見る日本社会やネット右翼の問題にも触れつつ、恋人同士がどのようにお互いを理解し、共に成長していくのかを描いています。
『ダーリンはネトウヨ』は、異文化の壁を越えて広がる愛の物語であり、読者に感動と共感をもたらすでしょう。異なるバックグラウンドを持つ人々の恋愛が、和解と共感のメッセージを届けてくれます。 -
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フェミニズムって誰のもの?
男でも女でも社会活動するすべての人が無意識のジェンダー差別を受けているのであれば、フェミニズムはその全ての人のためのものである。この本はそう教えてくれた。
自分が女性あるというだけで、キャリアのブランクを経験せず、夜道を恐れず、夢をあきらめないでいられる社会。男性であるというだけで涙を堪えなくて済む、育児の楽しみや家事の疲れを知る機会を奪われない、そんな社会。女の子がエンジニアを、男の子がネイリストを目指したって何にもおかしくない社会。自分が好きだから選択し、探索できる社会。そういう社会を私も全力で目指したい。
フェミニズムは簡単じゃない。だからといって、どうしたって諦めていいものではない。みんなで闘っていかなきゃならないんだ。 -
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自分が「性別差別主義者(セクシスト)」だと気付かされる本だった。
本の中には具体的な事例がたくさん登場し、
●女性が夜道を歩くことを怖がることを理解しない男性
●男性同士でいじりあう
など、自分も無意識に差別的な行動をとっていたと身につまされる部分も多い。
男性は既成世代(日本でいうところのテレビに出てくる失言議員とか、パワハラ上司とか?)と本質的に変わっていないという指摘は重く、ひょっとしたら自分は変われないのかも知れないという絶望感すらあった。
それでも、作中の「男だからよくわからないんです、学ばないと」ということばの通り学ばないと平等は実現されない。そして、フェミニズムは男性をも楽にするとも書かれており、男性が学ぶ意義も大いあると勇気づけられた。 -
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韓国人男性のフェミニスト これほど男性で真剣にフェミニズムを学び、周りの男性に周知している人がいるなんてと驚いた。
筆者は韓国の男子高校で国語の教諭をしている男性だ。
彼がフェミニズムに目覚めたのは自分を犠牲にして家族に尽くす可哀想な母親の人生からだった。
筆者は優秀な保険外交員の母と高校教師の父の間に生まれ、下には弟もいる4人家族だった。
母の給与は父の3倍あったが、仕事・家事・育児・義両親の世話も母が一手に引き受けていた。父の3倍の給与を稼いでいるのに、自分は贅沢もせず安物を使い、父には高価な物を与えていた。それなのに父は母に感謝すらしなかった。
そればかりか、父は母にろっ骨を折る程の苛烈な暴力を振るっており、後日母から父と離婚していいかとの問いに筆者と弟は嫌だと泣いた。母は離婚をするのを諦めて結婚生活を継続した。それは筆者・弟・父の男3人にとっては平和な日常が続く事を意味するが母にとってはこれからも自己犠牲を強いられる地獄の日々が続いていく事を意味した。
この時に母の離婚に反対した事をきっと筆者はずっと後悔しているのだろう。
「大韓民国で女として生きるのは、なんと不名誉で、不愉快で、みっともなく、惨めなことだろう」という人生を送った母親。
「母はどうしてあんなにつらい生活に耐えているのだろう。
母はなぜわたしに無条件に優しいのだろう。」
「男をフェミニストにする最初の地点は、母親の人生に対し、自責の念を抱くことにあると信じてやまないから。」
との部分を読んで、私もフェミニストになったのは母の自己犠牲の人生を「母ばかり大変で可哀想だ。なぜ母はそんな辛い思いをしなければいけなかったのか?」と疑問に思う事から始まったと気付く事ができた。
男女問わず、母の自己犠牲の人生を可哀想だと想う事で母の人生をそんな風にした世の中を変えたいと思う事で、フェミニストになる事ができると思う。 -
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2025.23
韓国の国家人権委員会調査官による著書で、毎日訪れる様々な陳情人について書かれた本だった。"心や身体を傷つけられ悔しい思いをした人"が助けを求めることができる機関があることを初めて知った。
P3 『プロローグ 私たちは少し悲しくて愛おしい存在』
P8 フランスでは中等教育課程で最も重要なテーマの一つとして扱われるのが「労働権」だそうだ。法律的な権利や義務を教える以外にも、労働者として被害に遭ったとき救済措置を受ける方法や、労働組合の活動中に必要な団体交渉術をあらかじめ学べるように様々なプログラムを運用しているという。多くの人々が一生労働者として生きるということを考えると、労働者の権利を学校で学ぶことはどれほど妥当で当然なことだろうか。悔しい目に遭ったとき、労働者として、納税者として、市民として対応できる術を義務教育を通して学ぶことができたら、平凡な人々が暮らしていくうえでどれほど大きな助けになるだろう。そんな気持ちで書き始めたこの本の最初のタイトルは「悔しいときに読む本」だった。
P10 レイモンド・カーヴァーの短編小説「ささやかだけれど、役にたつこと」には、不慮の事故で子どもを失った夫婦が、パン屋の主人がくれたロールパン数個に深い慈愛を感じる物語が描かれている。夫婦が息子を失ったと言うと、パン屋の主人は自分にできることで夫婦を慰める。私の作った温かいパンを食べてみてください。少しでも食べて元気を出したほうがいいでしょ。こういうとき、何かを食べることはささやかなことだけど、役にたつと思います」。オーブンから取り出した湯気のたつシナモンロールを食べコーヒーを飲みながら、明け方になるまでパン屋の主人と話を交わす間、夫婦は少しだけ子どもを失った悲痛な思いから逃れられたかのように見えた。私が紹介する話が、パン屋の主人が差し出した温かいロールパンくらいの慰めになることを願うばかりだ。
P88『イシモチ売りのくせに』
P93 必ずしも意図を持って誰かを掃除機や透明人間にするのではないだろう。むしろ何も考えていないことが問題を引き起こす場合がずっと多い。薄だいだい色を肌色といえば、他の肌の色をした人たちは「間違った」肌の色をした人になる。考えてみれば、肌の色は一人一人異なるのに、本来私たちの肌の色とは異なるこの色を、どうして私たちは肌色と呼ぶようになったのだろう。
「青少年交通カードを端末機に当てると「学生割引です』という音声メッセージが自動的に流れるんですが、その時、まるで自分が嘘をついているように感じました。私は青少年だけど学生ではないんです」。十代は誰でも学生という固定観念が、学校に通わない青少年を透明人間にしている。公共交通機関での「学生割引」を「青少年割引」に変えた理由だ。
P171『十人がひと匙ずつご飯を足せば』
"十匙一飯"プロジェクト…
P174 この基金は毎年二、三人の人権活動家の休暇に使用される。選定基準は、志願者がどんなによく休み、よく食べ、よく遊ぶ計画を立てたかによる。仕事を頑張りなさいという意図のファンドはもう社会にいくらでもあるから、よく休み、よく食べ、よく遊ぶことを支援するファンドも一つくらいあってもいいのではないだろうか。休んで食べて遊ぶことこそ、人間の尊厳を守る重要な要素であるにもかかわらず、実際にそういう権利のために闘っている人々の休息はきちんと保障されていない。人権委調査官の小さな気持ちが集まり、人権活動家たちの寝床となり、航空券となり、一食のクッパになると思うと、心が温まる。
P177 『夜道の恐怖』
P179 武術を習っていたら、夜道を歩くのはもちろん一人旅も自由にできて、遠距離出張に行く際、安全な宿泊先を探すためにお金や時間を浪費することもなさそうだった。ところがトランス女性のインタビューを読んで、女性たちが感じる恐怖は武術を錬磨し力をつけたとしても(もちろん少しは役に立つだろうが)、根本的には消えないという事実に驚いた。女性たちには非常に普遍的な夜道の恐怖を、普通の男性たちは知らないということを、息子を育てながら何度も感じた。夜遅くならないでと小言を言うたび、「はいはい、お母さま」と冗談交じりに答えていた息子がある日、驚くべき質問をしてきた。「母さんは夜道がそんなに心配なの?僕が迷子になりそうだから?」。女である母親が一生を通して経験してきた恐怖心を、息子はまったく知らなかった。息子と話をして、普通の男性が夜道を恐れていないのは、(性)暴力の恐怖を想像しないからだということを知るようになった。
P189 『夕日にも事情があるでしょう』
天気予報をしてくれる気象庁のように、「心庁」があって日々心の予報をしてくれたらいいのにと思ったことがあった。「朝の出勤時、久しぶりに心が木蓮の花のように明るくなるでしょう。午後になると花影が濃くなり、多少寂しくなることが予想されますので、朝の時間の明るさを十分にお楽しみください。夕方以降は、季節症候群としてうつモードが近づく見通しです。事前に傘、ではなく、好きなケーキを一切れとミルクティーを一杯用意しておくといいと思います。以上、心庁からお届けしました」このような心予報を聞いてあらかじめ心の天気に備えられたら、醜い心のざわめきが少しは減るのではないだろうか。他人の感情はおろか、自分の心すら読めない日が多い。朝になると無意識に目覚めて出勤し、夕方になると何も考えずご飯を食べ、猫のようにうずくまって心の動きを無視する。繰り返される日々の中で、持ち主をなくした心は、自分一人で一生懸命感情の糸巻きを作るようだ。感情というものは、持ち主が薄情ならそのまま振り返らずに去って行けばいいのに、未練がましく体のどこかにうずくまっていて、小さな動きにも揺れ、歪む。椿の花びらのように赤く柔らかかった心が、すぐにカラタチの木の棘のように尖ってしまう。だから心予報のようなものがあれば、朝に一度、夕方に一度、私の心の天気がどのように変わるのかを見て、撫でてなだめたり、怒ってあげたり、憎たらしい絡まりを予防したりしたい。そして心の片隅に積んでおいたピンクの糸巻きをいくつかすくい上げ、杏子の花のようにかわいい服を一つ編んで着てみたい。杏子の花のようにかわいい服を編みたい日には、編針を探す代わりに、スニーカーの紐をきつく縛った。春と秋には事務所から近い南山に、夏の夕方には仁王山に登った。「退勤して山に行こう」と声をかけると、暑い、寒い、疲れる、こういう無粋なことを言わずに付き合ってくれる優しい同僚たちがいるからこそ可能なことだ。事務所の壁掛け時計が午後六時を指すと、すぐに動きやすい服に着替えて、水をいっぱい入れたタンブラーを持って事務所を抜け出した。ヨガパンツとスニーカー姿で平日の夕方の都心を闊歩しているだけでも自由人になった気がした。
P194 『踊れてこそ人権だ』
P196 国の人権水準を測る様々な指標がある。米国西部のある都市は川をさかのぼるサケの数を人権の指標にしているという。サケが泳ぐ川がある都市なら、人間も暮らしやすい人権都市に違いない。もし人権指標を開発しなさいと言われたら、宿泊と食事の問題を心配しないでいられる詩人の数と、適当なダンスであっても週に一度以上ダンスをする人々の数をここに含めたい。このような権利を「表現の自由」とか「文化享受権」のような大げさな言葉にせず、「心配せずに踊って、詩を書きながら暮らす権利」と表現したら、人権がどんなに簡単で温かく聞こえるだろう。人権委法の人権の定義も、やはりこのように簡単なものに直したい。「詩を書くことは人権だ。踊れてこそ人権だ」人権委法を私の好きなように書き換えることはできないが、代わりに私たちには思いっきり踊る権利がある。
P198『愛猫のプリに学んだこと』
P204 「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」。世界人権宜言第一条のこの文章が人類の約束になる前までは、すべての人間が等しく尊厳ある存在というわけではなかった。尊厳は闘って勝ち取ったものであり、自然に生まれたものではない。まるで空からドンと尊厳が落ちてきて、人間の骨に埋められたかのように、私たちが互いを尊い存在だと肩じようと約束したから、みんなが尊い存在であり得るのだ。私たちは人類のこの約束を守るために、貴族だけ、白人だけ、男性だけ、非障害者だけ、異性愛者だけが入ることができた尊厳の枠を徐々に広げてきた歴史を知っている。この歴史のページごとに、筆舌に尽くしがたい殺戮と戦争が、排除と差別が居座っており、この約束を守るための闘争は現在進行形だ。私は考えてみる。その尊厳のための闘争が、これからは人間ではない動物の領域にも拡張される時代ではないか。〜ドイツの哲学者ペーター・ビエリ(パスカル・メルシェ)が「人間の尊厳のありかた』で言ったように、尊厳とは与えられるものではなく、他人が私にどう接するか、私は他人にどう接するか、私は私にどう接するかといら問題なら、それは必ずしも人間と人間のあいだの関係作りに限定されず、人間と他の動物、自然との関係作りに拡張されるのではないか。いい人間を超えて、いい動物になるというのは、もしかしたら私たちが生を最も尊厳をもって生きる方法ではないか。
P206 『訳者あとがき』
本書を理解するうえで、まず知っておきたいことは、「国家人権委員会」(以下、人権委)の存在だ。著者は人権委で長期にわたり、調査官として働いた。人権委は、韓国社会において人権を守る役割を担っている。国家人権委員会法によって設立され、その目的は「すべての個人が有する不可侵の基本的人権を保護し、その水準を向上させ、人間としての尊厳と価値を実現し、民主的な基本秩序の確立に役に立つこと」(第一条)としている。二〇〇一年に設立され、捜査や裁判などにおける人権侵害や軍での人権侵害などを調査し、解決の指針を提示し、勧告を出してきた。ただ、その勧告には強制力がない。しかし、差別や人権侵害を、「差別だ」「人権侵害だ」と、国家機関が明確に示すことで、社会全体への響告になり、被害者の気持ちに寄り添う結果を生む。もう一つ知っておきたいことは韓国の現代史だ。〜軍事政権が行った人権侵害(ときにそれは人の命を奪うものであった)がより明確になっていくのである。それらを今となって裁くことはできないかもしれないが、誰かが実態を調査し、被害者の「悔しさ」を癒す必要があった。それは、社会統合の上でも非常に重要なものだと考えられる。人権委は、まさに人権を踏みにじられた人々の、気持ちに寄り添った機関と言っても過言ではない。もちろん、そこでもはっきりさせられない事件はあるが。
P209 京郷新聞は、「救済されないつらさ、その悔しさの向こうにある物語」とのタイトルで、「本書には人権委の調査結果報告書には表れない人々の物語が描かれており、多くの事情を持つ様々な人々の生々しい姿が描かれている」と紹介した(二〇二二年七月十五日)。著者は「私たちが肩じて頼っている法律と制度は、私たちが期待するよりもずっと無力な場合が多い」とし、だからこそ「法律と制度を上手く作ることと同じくらい、誰がどんな気持ちでそれを遂行するかが重要」であり、人権を大切に思う心こそが、「法律の網で救済できなかったつらさや悔しさの拠り所になれるだろう」と本書で述べている。誰にとっても生きるのは楽ではない。つらい思いをしたとき、すぐに叩けるドアがあり、一人でも自分の味方になってくれたらどんなにいいだろうと一度は思うだろう。人権委は今の韓国社会にとってまさにそのどこにでもあってほしいドアなのである。