山内ふじ江のレビュー一覧
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以前からお友だちに勧められ、いつか読もうよもうと思いながら、ようやく読む機会が到来しました。
こんな素敵な作品を、スルーしなくて良かった!!!!!
ひとりぼっちの河童八寸と、お母さんをなくしたさみしさを、父の手前うまく表現できずにいる女の子麻。
麻はお母さんからもらった愛でできている、とっても素敵な女の子。何が大切なのかたぶん誰よりも知っているけど、そのことを麻自身はまだきづいていないね。
八寸は、家族がある日消えてしまい、その帰りを信じて待っている、たった8歳のこども河童。沼で生き残っていくために、猫の姿になって人間の世界に修行に出された。
この2人の出会いの前に、情けない顔のラブラドール犬、チェスタトンがいる。盲導犬訓練を失格した犬だ。麻のお母さんが引き取って家族にした。
この3にん?はみんな傷ついたことがある。だからこそ、人にやさしく、この子たちのものがたりは心が輝いて見える。
素敵なシチュエーションが沢山ありますね、
まずは、長老から貰った球の魔法の力を蓄えるため、夜、一人月光を浴びる小さな猫の姿の八寸。
お母さんとのノート。
お母さんの好きな言葉たち。
とくにすきなのが、ロミオとジュリエットからのこのセリフ
「名前っていったい何なのでしょう?みんなが薔薇と呼ぶあの花がたとえほかの名前で呼ばれてもその香しさに変わりはないはず。」
ノートに綴られたキーツの詩も素敵。
お話も可愛らしいくて面白いのですが、小さなエピソードがどれもきらきらとしていて、愛おしい。
〔すきとおったほんとうのたべもの〕を頂いている気分でした。賢治の世界観そのものです☺️ -
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かわたれ は鎌倉郊外の散在ガ池に住む河童と人間の少女 麻 の物語でしたが、こちらは続編で、4年後の物語です。
かわたれで知ることになったみんなに再会できて、その後を知ることが出来て幸せな気持ちになれるのは、やはり、よく出来た物語であることの証明です。
前作で、河童の男の子に魅力にまいった人たちには、文句なしのお奨めです。といっても、これは蛇足で、そのような人たちはとっくに読まれていることでしょう。
さらに、蛇足ながら、私たちが深い山の中に静かに佇む巨木を見上げて感じるあの独特の感覚、、「神秘的なもの、神々しいもの」を、存分に味わうことが出来ます。 -
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前巻が「絵」なら今回は「音楽」がキーワード。八寸が家族と出会えて、ひとりぼっちの寂しさが埋められて、ほっとしながら読みはじめた。前巻よりも少し大きなテーマで対象年齢も少し上かもしれない。
戦争の話が色濃くて、大空襲の話は胸が苦しくなる。作者が被爆2世だということを知ってしまっていたから、広島の原爆のことも重なって読めて、余計に苦しい気持ちになった。銀色の河童が本当に繊細で美しくて、帰ってこない人を待ち続けるのが切ない。
音楽や絵や物語の持つ力の素晴らしさを謳いあげる本でもあった。本当に辛くて心に何も入りこむ隙間がなくても、いつかふとした時にすべりこむ。終章のその場面を泣きながら読んだ。
私自身はこの登場人物たちのように、ここまで辛い気持ちにも境遇にもなったことはきっとないと思う。それでもすぐにくじける気持ちを慰めてくれるのは、やっぱり数々の音楽や絵や物語だったと思う。それらがなければ、不安定で危なっかしい気持ちで過ごす毎日を、ここまで生きて来れなかっただろう。また一冊心を慰めてくれるすてきな本を読んで、明日ももう少しがんばろうかな、という気持ちになれた。 -
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「かはたれ」と「たそかれ」。
似た言葉をタイトルに持つ『かはたれ』と『たそかれ』は、
1冊1冊で完成しているが、
『かはたれ』のストーリーを『たそかれ』が補完する形になっており、
『たそかれ』まで続けて読むと、
『かはたれ』で起こっていた出来事の意味がよりわかる、
という構成になっている。
著者が広島出身の被爆二世であることもあり、
戦争について描いているところが『たそかれ』独自の特徴である。
本書は、学校のプールで
いつまでも誰かを待ち続けている様子の河童・不知の物語。
『かはたれ』に続いて、八寸と麻も登場する。
『かはたれ』から4年の月日が過ぎていた。
八寸が今回与えられた使命は、
学校の古いプールに住み着いてしまった不知を説得して、
散在ガ池に連れ帰ること。
不知は、月読の一族という高貴な出で、
本来なら散在ガ池を統べることができる河童なのであるが、
戻ってこないのだ。
不知の一族に対しては、他の河童も縁が深いので、
不知を連れ戻すことは、
24年前の事件のために肩身の狭い思いをすることになった
八寸の一族を救うことにもつながるからと。
再び人間の世界にいくことになった八寸は、
中学生になっていた麻と再会する。
麻は、八寸を描いた作品をきっかけに絵の才能を開花させ、
美術で国立中学に進学していた。
その中学は、不知のいるプールのある学校だったのだ。
そして、小学生のころに、いじめられているところを麻が助けた
河井君は、音楽で国立中学に進学しており、
彼もキーパーソンの一人として本書は進んでいく。
河童は人間の10倍かけて年を重ねていく。
人間にとっての戦後60年、70年のいう時間は、
河童には違う感覚で流れていたのかもしれない。
そして、戦争を体に刻んでいる著者にとっても、
その時間は、私達のそれとは違っていたのかもしれない。
不知の時間を描くことで、物語に戦争が織り込まれている。
不知が人を待っているその古いプールは、
戦争中から貯水槽として使われていて、
戦火に焼かれ水を求めて逃げてきた人々が
そこでたくさん亡くなったといういわれをもっている。
死者の数があまりに多かったために、
あまりにも突然にこの地上から決めてしまったために、
亡くなった人々は生きている人々の暮らしの中に、
ごくあたりまえのように紛れ込んでいた。
過去は、過ぎたれど去らぬ日々だったのである。
また、20年前に不知を見た少年
(彼も河童を見ることができる存在だった。)に
再会することを通して、
麻は亡くなった母の面影に再会することになる。
かつて教員を目指していた麻の母は、
河童を見た少年と教育実習で縁があったのだ。
河童を見た彼に、「皆が忘れてもあなたは忘れないでね」と言った麻の母。
その言葉は、そのまま今の麻への言葉ではないだろうか。
生きていたらきっと自分にもそういったのではないかと麻も思うのだ。
いつまでも戦時中に出会った司を待ち続ける不知の気持ちに麻は共鳴する。
なんとか、不知を司と会わせたい麻と河井君は、
さまざまなことを試み、時間と空間について考える。
そうすると、ここは不知と司さんが別れたあとの時空なんだろうか。
過去の中の未来、っていうことなのか、
それとも時間は同じようになれ出ていて、空間だけ別なのか。
ここはあのころのプールと何が違うんだろう
空間が違う?
時間の流れ方が違う?
空間は一緒で時間の流れ方が違う?
空間が別だけど時間が同じように流れてる?
思い浮かぶままを言ってみるが、わからない。
それでも試みを続けた。
不知、麻、河井君、みんなの魂が
それぞれに「耳に聞こえない音楽」を聞きはじめた、まさにそのとき・・・。
本書は、同じ時間、同じ空間に生きるとは、
どういうことなんだろうと考えさせる。
本を読んでいる私達にとって、
本の中の世界が今の自分の今であるということと同じである。
同じ時空間に無自覚にともにいても、
本当の意味でともにそこにいることにはならない。
そこに生きる人たちが、
ともにその時間を生きること、
その空間を生きることを願ってこそ、
両者の時空間は真の意味で重なるのである。 -
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『かはたれ』の八寸にまた会えると思って、はやる気持ちを抑えながら読み始めました。八寸がまた麻やチェスタトンと再会出来ると思ってなかったので、それだけで心はハッピーに。
『かはたれ』と比べて、挿絵のインパクトが少ないのが残念だったけれど、登場人物のその後がわかり、みんなが幸せになっていく様子がわかり大満足です。
とても心に響いた河井くんの言葉…
〈人の心が悲しみや苦しみでいっぱいになってしまうと、音楽や絵や物語の入り込む余地はなくなってしまう。だけど、心がそのまま凍ってしまうわけではない。人の心の深いところには、不思議な力があるからだ。何かの拍子に、悲しみや苦しみのひとつが席をはずすと、たとえば音楽は、いともたやすくその席にすべりこむ。そっとすべりこんできた感動は、心の中の居場所をひそやかに広げて、まだ居座っている悲しみや苦しみを次第にどこかに収めてしまう〉
実際に河井くんの言っていることを身をもって体験してきたのに、日々の喧騒や苦しさで、またこのことを忘れてしまっていました。
『かはたれ』と『たそがれ』。この上なく美しいこの二作を読んで、鈍っていた感覚がまた呼び起こされてきた実感があります。とても大切な本になりました。 -
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「かはたれ」の続編。
前作で親兄弟と再会した八寸が、長老に呼び出され、街の学校のプールに住み着いている「不知(ふち)」という河童の中でも尊い血族の最後の生き残りを、山の方に戻ってくるように説得してこいと命じられる。
八寸の可愛さは相変わらずで、好奇心もであるがゆえに、うっかり姿を晒し痕跡を残してしまったため、学校が河童騒動となるのが可笑しい。
そのおかげで、麻は八寸の存在に気づく。
プールで出逢った不知がそれはとてもとても美しい、銀色にきらめく肌を持つ河童というが、河童が故に「美しい」という想像ができなかったけどw
司をひたすら待ち続ける不知の心が切なかった。
最後は山に帰っていく河童たちだったけれど、また続編を出して欲しい。
というか、不知の一族が何故、不知を残して絶滅したかの謎が謎のままで、その物語も出るかもしれない。 -
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山の沼や池で今もひっそりと暮らす河童たち
人間に姿を見られたことで起こった騒動の果てに、
小さな八寸は人間のもとへ修行に出される
しかしてこれもうまくは行かず、再び池へと戻った八寸に
長老は一つの役目を課した
「学校のプールに棲みついた、月読の一族の生き残りを連れ帰ってくるように」
木の皮で出来た地図と、お母さん河童が持たせてくれた沢山の木の実
そして姿を隠せる不思議な珠を携えて
八寸はペタペタと学校への道を歩むのだった。
*
多くを語りすぎることもなく
何かが足りないこともなく
絶妙なバランスで書かれた文章だなぁ!と読んでて感心した
いざ迎えに行ったはいいものの、
月読の河童、不知は首を縦には振らず、
ガンとしてプールから離れようとはしない
誰かが何かを待ち続けている場所
そんなプールに1匹でいるのには、
深く切実な想いがあって。
優しさと、温かさと、悲しさとつらさと。
人だって河童だってそれを感じる心の
時間の長さは変わらないんだ -
Posted by ブクログ
ネタバレあれから4年、麻は中学生に。でも八寸はまだ、こども、かな。
でもその子供さ?が不知にとってはよかったのかも。
純粋に人と慕う気持ちが同じだったんじゃないかな。
前回は麻の気持ちの方にいろんな変化、とゆーか成長?がみられたが、
今回はそのへんをふまえて、不知の哀しみ、を
救う物語だったな。
自分が救えなかった人、じゃなくて、自分を救ってくれた人として
思い出すことができる。
思わぬところで再登場してきた河井くんでしたが、いーことゆーなーと。
また校長先生もいーこといったなー。
目に見えないもの、その向こう側にあるもの。それを想像できる人になりたいなあ。
お父さんは残念。大きな川が流れてる、に笑った。
でも分かる。そーゆーの全く受け付けない人っているよなー。
ああ、別にそれが悪いってわけじゃないんだけど。
私はベランダから恐竜が頭のぞけてくるってゆーのわくわくしたい。
その物語読みたい~。
にしてもほんっと再会できてよかった。
うん、もうそれだけで十分っ。
朽木祥 くちき、じゃなくてくつき、しょう、さん。
作者略歴のところに広島生まれ、被爆二世、とあった。
なるほど、と。
そういうところが主題、ではないんだけど、
あの戦争で生まれた哀しみを、風化させたくない、という気持ちは
あるんじゃないかなあっと思った。 -
Posted by ブクログ
現代の日本(舞台は鎌倉。切り通しがあることでわかった)に河童が住む沼がある。あるとき家族を失い、ひとりぼっちになってしまった子どもの河童の八寸は、河童の長老に言われ、猫に化けて「人間観察修行」のために人間の住む町に出かけていく。猫に化ける河童とは奇天烈だとびっくりしたけど、確かに猫というのは人間観察にはもってこいの生物ではある。ふらりと外にいてもいいし、意外と人家にも入り込みやすい。とすると、そもそもなぜ河童なのか。開発により次第に河童の住む沼が失われ、そのせいで河童たちの間にトラブルが起き、八寸の家族がいなくなってしまうという冒頭のエピソードがあるので、自然の大切さがテーマなのかなと思ったのだが、八寸が町に出て場面が人間の世界に移ったあたりから、麻という一人の少女の心の描写がメインになっていく。母親を亡くしたことが実は大きな傷になっているのに、それを素直に出すことが出来ずにいた麻。お父さんもまた、そうだった。二人が取り繕いながら暮らす中、八寸がやってきて、河童であることが麻にばれたあたりから、麻は次第に自分の心を素直に見つめはじめる。
比較的淡々とし、落ち着いた空気で展開する中で、お父さんの手紙の章はかなり感動的で心が揺さぶられた。お父さんも妻の死を受け入れ、娘との生活を新たに始めようとしていたけれど、実は娘ときちんと向き合っていなかった。八寸が現れ、麻が自分の心を覗き込むようになって、父親も娘と向き合うことができた。ここでようやく河童が出てくる理由がなんとなく理解できた。しっとりと月の光を浴びる美しい緑の小さな河童の八寸は、麻の心にぴったりとフィットするイメージだったのだろう。
河童の八寸の話かと思いきや、麻という少女(と父親)の心の成長の物語だった。母親を亡くした娘と父(と飼い犬)の暮らしにある日いきなりやってきた不思議な生き物って設定はジブリのアニメを思い出す。あと児童文学だがちょっとペダンティックなところがある。