児玉真美のレビュー一覧
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衝撃的な本だった。実は自分が安楽死のことなど何も知らなかったのだということ、自分の中に抜き難い差別意識があったということ、安楽死議論は各国の社会情勢と複雑に絡みついていることなどを突きつけられた。
安楽死とは、
1,現在安楽死が合法化されている国々で、最初に提言されてきたのは、医師の免責だった。
2,安楽死と臓器提供が密接に結びついている。
3,本来は終末医療の一選択肢だったものが、高齢者、身体·精神障害者、ホームレス、貧困者へと地滑り的に適応され、弱者排除の価値観が医療現場、そして社会全体に広がっていく。
4,日本で安楽死が合法化されれば、欧米よりもずっと恐ろしいことになる。
等々、 -
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事例紹介だけでなく、むしろその背景を探っていて読み応えがあった。
安楽死が合法の国は権利意識が強い人達がいるからこそ合法になっているわけだけど、そんな彼らでさえあの手この手で安楽死に誘導されて死後に遺族が訴訟をあちこちで起こす事態になっているのだ。勿論訴訟を起こせるのも権利意識が高いからこそなんだけども。他人に迷惑をかけてはいけないと教え込まれ、権威に従順な人達の国で導入されればどんな事態が起こり得るかは容易に想像できるだろう。
医師が治療に値しないと見なす患者は自己決定が死ぬ方向にしか開かれない、という指摘は祖母の介護を思い出すと心当たりしかない。障害者の家族を持つ筆者の危機感が察せられた。 -
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これは本当にいい本。
心ある人々に広くお勧めしたい。
日本で安楽死が合法だと言う意見をあちこちで聞くようになった。雑で知的でない攻撃的な物言いで語られる安楽死。「プラン75」という優れた映画が上映されたことで、安楽死容認説のなんとなくの胡散臭さが明らかにされつつあるように思う。
この胡散臭さをはっきりさせたい、と思っていた時に、安楽死が合法である国でどのようなことが起こっているかと言う切り口で書かれたこの新書が出版された。今の日本にとって非常に必要な本だと思う。
具体的には安楽死が合法の国はベルギーオランダ、ルクセンブルク、コロンビア、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、ス -
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どうしてみんな「死ぬ」という選択しか考えられないのだろう。著者が言うように、「死ぬ権利」を認めてもいいけれど、同時に「生きる権利」も認められなければならない。
免疫学者の多田富雄さんは67歳のときに脳梗塞で半身不随になり、発語はできず食物も自力では飲み込めなくなった。しかし、彼はそのときから「本当の意味で生きている」と感じるようになり、その日々を『寡黙なる巨人』(文春文庫)という本に綴った。
「こんな状況になってまで生きながらえたくない」という人がいる。でも一方で、上のように「こんな状態」になっても生きたいという人がいるのだ。いったい何が「生きたい」と「死にたい」を分けるのか。
著者は安楽死反 -
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とても考えさせられる内容だった。
読む前は安楽死賛成!でした。
自分や家族が病に冒された時、早く死なせてほしいと思うほど苦しむのは怖い。安楽死という選択肢があるだけでその恐怖は緩和されると思うからです。苦しい最後を見せたくないし見たくない。本来の自分の姿で穏やかに別れたいと思うのは皆同じではないでしょうか。
そして、死にたい人は死なせてあげたらいいじゃないとも思っていました。
しかし、安楽死合法の国はいくつもありますが、日本は特に慎重になるべきだという考えを読み、同調圧力、自己責任論などを思い、家族のために死ぬ、社会のために死ぬといった当人の気持ち以外の理由で死に向かう人がいるだろう事が簡単に -
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TVで安楽死を遂行するべく海外に渡る人のドキュメンタリーを観て安楽死って一体どんな人が選択してるのか知りたくて読んだ本。自分自身が身体が不自由で誰とも意思疎通もできない状態になったら苦しまずに終わりにしたいと思うけれど、実際には苦しいかもしれないならやっぱり生きていたいと思うかもしれない。だから安楽死を選んだ人に簡単にそのサポートしてはいけないという話。病院で苦しむ患者さんに向き合っている医療者は本当にしんどいと思うので彼らの選択肢としてこの思想を持つ傾向にあると言いたいのかな?とも思った。死にたいほどの苦しみや痛みをどうしたら良いかを議論することを重視したい。著者が障害のあるお子さんがいてコ
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日本に安楽死など導入されたら碌な事にはならない、なにせ大戦期に「志願の強制」なんてやっていた国民性が、いまなお残っているのだから、と思い確認のため本書を読みましたが、予想以上に碌でもない未来予想が待っていました。人はさまざまな道具や制度をつくって生きながらえてきた種であるわけですが、今なお、その道具に振り回され、あるいは支配されている現状があります。おおくの権力者たちの拝金志向もそのひとつでしょう。中抜きによって自民の富が横取りされているのが現状ですが、今後は経済合理性により、「いのち」まで取られることになると思うと、ディストピアへの途上にある現状に、怖気を感じます。「死ぬ権利の行使」を強制さ