あらすじ
日本にも、終末期の人や重度障害者への思いやりとして安楽死を合法化しようという声がある一方、医療費削減という目的を公言してはばからない政治家やインフルエンサーがいる。「死の自己決定権」が認められるとどうなるのか。「安楽死先進国」の実状をみれば、シミュレートできる。各国で安楽死者は増加の一途、拡大していく対象者像、合法化後に緩和される手続き要件、安楽死を「日常化」していく医療現場、安楽死を「偽装」する医師、「無益」として一方的に中止される生命維持……などに加え、世界的なコロナ禍で医師と家族が抱えた葛藤や日本の実状を紹介する。
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Posted by ブクログ
正直、侮っていたところか大きい。安楽死について、そもそもあまり深草考えたことも無かったが、タイトルに釣られて購入。実際世界で何が起きているのか、現実の残酷さを目の当たりにした。安直に安楽死を合法化するべきか?と議論する前に我々はまだ考えるべきことや、考慮すべき事例は無数にあるということ。安楽死の複雑さ、安楽死について議論する中で、倫理的な話や合理性、社会問題すらも考慮しなければならない。
Posted by ブクログ
衝撃的な本だった。実は自分が安楽死のことなど何も知らなかったのだということ、自分の中に抜き難い差別意識があったということ、安楽死議論は各国の社会情勢と複雑に絡みついていることなどを突きつけられた。
安楽死とは、
1,現在安楽死が合法化されている国々で、最初に提言されてきたのは、医師の免責だった。
2,安楽死と臓器提供が密接に結びついている。
3,本来は終末医療の一選択肢だったものが、高齢者、身体·精神障害者、ホームレス、貧困者へと地滑り的に適応され、弱者排除の価値観が医療現場、そして社会全体に広がっていく。
4,日本で安楽死が合法化されれば、欧米よりもずっと恐ろしいことになる。
等々、あまりの恐ろしさに戦慄した。
Posted by ブクログ
この本は、安楽死のテーマであるけれど、医療に関するあり方に関しても当事者の家族として、興味深い示唆を与えてくれている。
医療の本来あるべき姿をここまで語りつくしてくれた本はない。
そしてこれが新書として読めることも有り難い。
安楽死の現状を世界の今の流れを基に、一言では語りつくせない複層的な面を紹介して、考えさせる良書である。
Posted by ブクログ
事例紹介だけでなく、むしろその背景を探っていて読み応えがあった。
安楽死が合法の国は権利意識が強い人達がいるからこそ合法になっているわけだけど、そんな彼らでさえあの手この手で安楽死に誘導されて死後に遺族が訴訟をあちこちで起こす事態になっているのだ。勿論訴訟を起こせるのも権利意識が高いからこそなんだけども。他人に迷惑をかけてはいけないと教え込まれ、権威に従順な人達の国で導入されればどんな事態が起こり得るかは容易に想像できるだろう。
医師が治療に値しないと見なす患者は自己決定が死ぬ方向にしか開かれない、という指摘は祖母の介護を思い出すと心当たりしかない。障害者の家族を持つ筆者の危機感が察せられた。
Posted by ブクログ
これは本当にいい本。
心ある人々に広くお勧めしたい。
日本で安楽死が合法だと言う意見をあちこちで聞くようになった。雑で知的でない攻撃的な物言いで語られる安楽死。「プラン75」という優れた映画が上映されたことで、安楽死容認説のなんとなくの胡散臭さが明らかにされつつあるように思う。
この胡散臭さをはっきりさせたい、と思っていた時に、安楽死が合法である国でどのようなことが起こっているかと言う切り口で書かれたこの新書が出版された。今の日本にとって非常に必要な本だと思う。
具体的には安楽死が合法の国はベルギーオランダ、ルクセンブルク、コロンビア、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、スペイン、ポルトガル。医師幇助自殺のみが合法とされているのは、スイスアメリカのいくつかの州と、オーストリア。
人権を尊重する住みやすい国だと思っていた国々で起こっている自殺幇助。
これらの国で「すべり坂」と言われる安楽死の拡大解釈が具体的にどのようにされているかと言うことを明らかにされている。
なかなかに衝撃的な実例ばかりだ。
認知症であるが故に、安楽死をさせられた例。うつ病で安楽死をさせられた例。生まれつき重度の障害があるから安楽死をさせられた例。配偶者が亡くなった悲しみに耐えられず安楽死を選択した例。
「死にたい…」と言うつぶやきがそのまま受け取られるとしたら、私たちはもう弱音なんか怖くて吐けない。
これらは「安楽死」なのだろうか?
「安楽死」という名で行われる、功利主義的発想のトリアージ、あるいは殺人?
本来ならば、他の救いがあるはずの人たちが、安易に安楽死というものを選べる国々。言葉巧みに安楽死に誘導することが当たり前になっている国々。
「安楽死」を容認することは、「安楽死」という制度を各々が内面化することにつながるだろう。その内面化が、自分の意志で行う自殺や殺人を肯定することになる。
ヨーロッパでもこれだけのすべり坂が起きているのに、人権意識の低い、同調圧力の強い日本で容認されたら、と思うと、ゾッとする。
いや、日本だからこそ、容認されてしまうかも。「プラン75」の世界はすぐそこかも。
Posted by ブクログ
僕自身は
「どうしても、やむを得ない場合は尊厳死としては認めることもありかもしれない」
という考えでした。
この本を読み、
『制度や法律、社会的な認定ができるとより幅広く運用できるように変わっていく』
ということから、
日本で仕組みを作るには早すぎると思いました。
Posted by ブクログ
どうしてみんな「死ぬ」という選択しか考えられないのだろう。著者が言うように、「死ぬ権利」を認めてもいいけれど、同時に「生きる権利」も認められなければならない。
免疫学者の多田富雄さんは67歳のときに脳梗塞で半身不随になり、発語はできず食物も自力では飲み込めなくなった。しかし、彼はそのときから「本当の意味で生きている」と感じるようになり、その日々を『寡黙なる巨人』(文春文庫)という本に綴った。
「こんな状況になってまで生きながらえたくない」という人がいる。でも一方で、上のように「こんな状態」になっても生きたいという人がいるのだ。いったい何が「生きたい」と「死にたい」を分けるのか。
著者は安楽死反対ではないと言いつつ、安楽死の合法化には懐疑的だ。それは、どんな状況にある人間でも、「生きよう」と思える世界にしたいからだ。
安楽死の問題は、有名な「トロッコ問題」に似ている。5人の人間を救うために、1人の命を犠牲にしてもよいか。そういう状況はもちろんあり得るだろう。でも実際のケースでは、「本当に全員を助ける方法はないのか」が常に模索されなければならない。一度でも「1人を殺していい」という理屈がまかり通ってしまえば、その次からはシステマティックに「少数派は犠牲にしてもよい」という結論が引き出されてしまう。それがこの思考実験の危険なところだ。
安楽死も同じである。安楽死でしか救えない患者がいないとは言えない。それは悪魔の証明だから。しかし同時に、「安楽死以外に方法がない」ということも証明できないのだ。
安楽死を制度化してしまえば、「こういうケースでは安楽死させます」という機械的な思考で患者を「処理」してしまう事態が起こらないか。いや、安楽死先進国ではもう起きているのだろう。安楽死で個人を救うことと、安楽死を国家レベルで合法化することは、イコールではない。
Posted by ブクログ
ショックだった。これまで安楽死賛成派の思いがあったが、そんな簡単なものではなかった。それを知ったショック、それを知らなかったことへのショック、こんなにも簡単に世論は動いてしまうことへのショック。言葉の使いわけへの注意を払うこと。真の自己決定権はなされているのか。
尊厳の贈り合いという表現に救われ、その情景に涙があふれた。
Posted by ブクログ
とても考えさせられる内容だった。
読む前は安楽死賛成!でした。
自分や家族が病に冒された時、早く死なせてほしいと思うほど苦しむのは怖い。安楽死という選択肢があるだけでその恐怖は緩和されると思うからです。苦しい最後を見せたくないし見たくない。本来の自分の姿で穏やかに別れたいと思うのは皆同じではないでしょうか。
そして、死にたい人は死なせてあげたらいいじゃないとも思っていました。
しかし、安楽死合法の国はいくつもありますが、日本は特に慎重になるべきだという考えを読み、同調圧力、自己責任論などを思い、家族のために死ぬ、社会のために死ぬといった当人の気持ち以外の理由で死に向かう人がいるだろう事が簡単に想像できてしまった。そして、SNSで何もかもが明るみに出てしまう世の中で簡単に絶望し死に向かう若者の姿も想像してしまった。合法になっている世界の現実を今後もしっかり知る必要があると思った。
Posted by ブクログ
安楽死と聞いて「いいんじゃない、死にたい人の意見を尊重してあげれば。治療費も浮くし」と考えていた自分が、「簡単に答えを出してはいけない」と改めた一冊。
各国の先進事例を見ると、日本に導入された場合、少し先の未来を想像しただけでとても怖くなる。
安楽死のみならず、医療の問題にも触れた、この先必ず大きな論争を起こすであろう問題について、読むべき一冊だった。
Posted by ブクログ
非常に考えさせられる本。安楽死が法制化なり認められている国での現実。映画「プラン75」が提起した問題。ただ人間の気持ちは揺れ動く。「『安楽死は是か否か』という問いを『なぜ死にたいほど苦しいのか』といへと転じたい」という言葉が本書に通じる言葉である。
Posted by ブクログ
TVで安楽死を遂行するべく海外に渡る人のドキュメンタリーを観て安楽死って一体どんな人が選択してるのか知りたくて読んだ本。自分自身が身体が不自由で誰とも意思疎通もできない状態になったら苦しまずに終わりにしたいと思うけれど、実際には苦しいかもしれないならやっぱり生きていたいと思うかもしれない。だから安楽死を選んだ人に簡単にそのサポートしてはいけないという話。病院で苦しむ患者さんに向き合っている医療者は本当にしんどいと思うので彼らの選択肢としてこの思想を持つ傾向にあると言いたいのかな?とも思った。死にたいほどの苦しみや痛みをどうしたら良いかを議論することを重視したい。著者が障害のあるお子さんがいてコロナ禍で入院した経験があって、説得力がある内容でした。
Posted by ブクログ
R7.2.15~4.13
(感想)
「安楽死」というものとの向き合い方を考えるための非常にためになる本だった。
尊厳死、無益な治療、滑り坂…簡単に整理はできない。
社会を回すための経済的な問題も考えたとき、著者の主張は理想論ではないかとも思えるが、「簡単に結論を出していい問題ではない」ことが理解できた。
それは大きな実りだと思います。
Posted by ブクログ
日本に安楽死など導入されたら碌な事にはならない、なにせ大戦期に「志願の強制」なんてやっていた国民性が、いまなお残っているのだから、と思い確認のため本書を読みましたが、予想以上に碌でもない未来予想が待っていました。人はさまざまな道具や制度をつくって生きながらえてきた種であるわけですが、今なお、その道具に振り回され、あるいは支配されている現状があります。おおくの権力者たちの拝金志向もそのひとつでしょう。中抜きによって自民の富が横取りされているのが現状ですが、今後は経済合理性により、「いのち」まで取られることになると思うと、ディストピアへの途上にある現状に、怖気を感じます。「死ぬ権利の行使」を強制されないよう、監視し、抵抗していくしかないですね。
Posted by ブクログ
これまで表面的に、同一視点から見ていた安楽死や尊厳死に関して多面的な捉え方を示してくれた。命の話は単純ルール化出来にくい。一方でこの制度の有無に本当に悩まされる人は今後さらに増え、このテーマはより身近になる。議論の為の知識を身に付けるため、こういった本は非常に有益。
当事者としての立場や見方から、後半は著者の体験談中心で客観的でない印象。
Posted by ブクログ
安楽死についてもっと知識を得たいと思い読んでみました。
安楽死について学びたいと思っている方には、ぜひ読んでみてほしい本です。色々と考えさせられました。多くの事例が紹介されているため、わたしには精神的に読むのがかなりキツかったです。でも読んで良かったと思います。勉強になりました。
この本を読むまで個人的に安楽死は賛成だったのですが、自分がいかに不勉強で思考を重ねる事なく安易に決めていた事に気付かされました。良著。
Posted by ブクログ
安楽死、尊厳死といった言葉を非常に曖昧に認識していたなと気づき。
安楽死先進国の状況を読むに、安楽死が本人の同意の上でのみ行われる、という原則を遵守していかないと確かに非常に危ういものとなっている。
すべり坂として説明されている、基準点がどんどん緩和的方向にスライドしてしまう傾向など、改めて述べられなければ意識しないのではないか、と感じた。
Posted by ブクログ
冷たいことであるとは承知しつつも、
筆者の語ることが
うっすらと「綺麗事」ではないかと
思ってしまう理由は
身の回りに末期の患者や
障害者がいないからなのだろうか
Posted by ブクログ
安楽死について、あまり知らなかったので、とりあえず読んでみた。
やはり知らない事、勘違いしていた事が沢山あって、勉強になった。
「すべり坂」怖い背筋がヒヤッとする。
意識してみておかないおかないといけない。
「大きな絵」「小さな物語」の例えは、わかりやすくて良かった。
その二つの視点は確かに必要と思う。
小さな物語視点で語られる、障害者の親としての内容について。
医療、介護、人手もお金も足りてないのは周知の事実。
これは政治の問題。
現在の現場の医療従事者に、そこまで求められても、正直厳しいのでは?と思う部分もあり。
医療従事者、介護員にも、著者言うところの「生活」があって、一人一人のニーズに応えられる体力は、現時点ではあまりないんじゃないかな、、、
もちろん寄り添うことができたら理想だし、本来そうすべきなんだろう。
皆そういう医療や介護をしたいと思ってると思う。
実践している人も組織もあるはず。
ただ現実的にすごく難しいんだろうな、、、とも思う。
とにかく、余裕がないんだよね、みんな。
どこもかしこもギリギリで回してる感覚があるよ。
世界がどんどん余裕がなくなってる気がする。
難しいね。
Posted by ブクログ
安楽死が実際に合法化されている国では、年々それを選ぶ人が増えているという。
安楽死が日常的な選択肢になってしまう未来を想像すると少し怖い。
あと、無益な治療論のところでは、その人の存在を価値で判断しているようで、やっぱりどことなく恐怖を感じる。
本の中で紹介されていた、PLAN75という映画も見てみようと思う。
【言葉について】
「安楽死」医師が薬物を注射して患者を死なせること
「尊厳死」それをやらなければ死に至ることが予想される治療や措置を、そうと知ったうえで差し控える
尊厳死は今の日本でも行われている。
・VSED(自発的飲食停止) 自分の意志で飲食を絶って死を選ぶこと。
・サバイバー症候群 安楽死した人の家族が抱くことが多い。死が人為的に引き起こされるとグリーフのプロセスがずっと困難なものになる。
【印象に残ったところメモ】
・安楽死が患者権利としてとらえられ、転じて医師の義務とみなされつつある。
・安楽死は当初、終末期の人に緩和を尽くしてもなお耐え難い痛みや苦しみがある場合の、最後の例外的な救済手段だったが、日常的な終末期医療のひとつの選択肢となりつつある。
・安楽死を望む人は、生きるより死ぬ方が良いというわけではなく、この状況下で生きているより死んだ方が良いと言っている。
・死にたいほど苦しいと訴える人に周囲の専門家が考えるべきは、なぜこの人は死にたいほど苦しんでいるのか、その状況を変える方法はあるのか。安易に安楽死という問題解決策に向かっていいのだろうか。
・無益な治療論 病院側の判断で治療の継続を拒否できる。
アメリカの法律では、対象者は「終末期あるいは不可逆な患者」とされる
不可逆とは、①治療できる可能性はあるが治癒することも取り除くこともできない
②自分のことを自分でできない、決められない
③汎用される治療基準に即して提供される生命維持治療なしには死を免れない
・「健康寿命」の違和感
障害がある、介護を必要とする状態を「健康ではない」とし、「価値がない」と刷り込まれているようだ。そして、そのような状態になっていることを自己責任のように見せる。
・治療が無益、から、患者が無益
その患者にかけるコストをほかの人にまわせば、もっと多くの人が助かる。
・家族は蓄積する疲労から、意識的にも無意識にも、安楽死が合法な選択肢として提示されれば、解決策として歓迎するかもしれない。
・安楽死について、賛成か反対かを定めてしまう前に、まだこの問題について知るべきことがたくさんある。
Posted by ブクログ
安楽死というと、現世の苦しみからの離脱という印象もあったり、尊厳死との定義が混同してしまう所もある。自殺を決意した際に、最後に痛みを味わって死ぬなら、安楽死を選びたい。しかし、その最後の痛みが砦となり、死を踏みとどまる人もいるのだとしたら、それを認める事が本当に良いのか分からない。また、人間は、死にたい気持ちになっても、次の日に目が覚めれば、生きていこうとも思うものだ。こうした難しい判断がこの本には凝縮されている。私自身は、特定の条件下においてのみ「安楽死」を認めるべきではという見解だ。
生きている事で他人や家族に迷惑をかけてしまう。生きることが後ろめたい。こうした存在についてどう考えるべきか。人は本当に生きているだけで優勝なのか。生きているだけで丸儲けなのか。精神的苦痛、肉体的苦痛を日々抱える、決して、そうではない人もいるだろう。
― 私が英語圏の医療についてのニュースを読み始めた頃に初めて目にし、あまりのえげつなさに言葉を失ったのがbed blocker という表現だった。ベッドをふさいでいる人。とりわけ忙しい病棟では治療が長引いている最終段階の患者にスタッフから「そのベッドは、医療を「本当に必要としている」患者のためにすぐにも入り用なのに」という目が向けられると書いていたが、そんな非難を込めてbed blockerという言葉が向けられるのは、死ぬのに時間がかかっている患者の他、高齢者や障害のある人たちだ。この眼差しは様々に言葉を替えて、多くの「無益な治療」係争事件の議論に立ち現れる。そして治療続行を求める患者と家族を非難する。
― そのひとりである功利主義の哲学者ピーター・シンガーによれば、「総量」ヴァージョンの功利主義では「血友病の新生児を殺すことが他者に悪影響を及ぼさない限り、その子を殺すことは正しい」。なぜなら、血友病の子どもが殺されても、両親がその子が生きていたら生まなかったはずの次の子を産むなら、その子どもの方がより良い人生を生きるため、血友病の子どもが殺されるほうが「幸福の総量が大きい」からだ。
― 「道具的価値」は、たとえば最前線の医療職や、感染リスクに身を晒しなから社会インフラを担う、専門性が高く代替えが困難な人たち(傍点は筆者)に医療は優先的に分配されるべきだ、という主張である。エマニュエルらは、これは彼らの命がより価値があるとの判断ではなく、パンデミック対応に不可久な道具的(手段的)な価値があるからだと言い、金持ちや有名人、政治的な有力者などの優遇と混同し濫用してはならないと釘を刺す。ただし、傍点個所から明らかなように、エマニュエルらが優先せよという人の中に、同じエッセンシャルワーカーと呼ばれていても例えば緊急事態宜言下でもゴミの収集を続けた人たちは含まれない。
人間の価値とは。命の選択、幸福の総量とは。何もかも違和感のある内容だが、この違和感を超えて決断せざるを得なかったり、耐えられずに選択せざるを得ない局面はある。そうした事を考える好機となるような本だった。
Posted by ブクログ
春に気になって購入してからちまちま読んでた。実用書系は苦手なのでなかなか進まない_(┐「ε:)_
先に述べると、私は読書前も後も安楽死賛成派である。
今年、義父と祖父を亡くしたが、どちらも尊厳死であった。それでも亡くなる数日前は辛そうであった。
昨年亡くなった祖母は、「介護される」という現実が受け入れられず、自ら命を絶った。生前は「デイサービスに行くようになったら終わり」と語っており、有言実行されてしまった。
だから、安楽死という選択肢があっても良いと考える。
さて、この本を読むのに3ヶ月くらい時間がかかった。
この間に、末期ガン患者が幼い子どもを残してスイスに自殺ツーリズムに行ったニュースが話題になったり、社会保障負担額が増えたことで胃瘻による延命処置に疑問が呈されたり、カプセル式安楽死マシンが登場したりした。
カプセル式安楽死マシンのニュースに対して、SNSでの反応は好意的であった。
私はその状況を見て「今この国で安楽死導入の検討は危険」と感じた。
………え? 賛成派ですよ?
私は、自分が歳をとったら安楽死を選択できる世界であって欲しいし、今でも望む人がいるならやってもいいと思う。
でも今はダメ。
「すべり坂」どころじゃねぇわ。ほぼ垂直ですわ。
少子高齢化、社会保障制度の限界、労働者人口の減少により、安楽死というのはそれらの解決策の1つであることは確かである。
本書は、著者が「障害児の親」の立場として安楽死に反対する色が強いものの、それらの問題解決のために安楽死を導入するか否かの議論を始めても良いのかどうか?考える材料にはなると思う。
Posted by ブクログ
安楽死が合法化されている各国において、安楽死や尊厳死を拡大し、対象範囲を広げようと言う圧力が法的または事実上強まっていると言う現状を報告し、安楽死合法化に対して強い懸念を投げかけている本。基本的に、安楽死に対して反対の意見を持っている著者なので、このような論調になるが、中立的見れば、高福祉を実現している諸国において、安楽死の拡大傾向が強まっていると言うのは、それが高福祉や高度医療を広く提供する社会にとって、必要または当然の成り行きだと言うことを意味しているのではないかと思われる。
Posted by ブクログ
安楽死は簡単に答えが出るものでもないため、あらゆる面から考え、議論が必要だと思いました。
他国の安楽死の捉え方、医療、命の考え方、ケアラー、重度障害者のケア・医療面からの話は勉強になりました。
Posted by ブクログ
著者自体が障害者の親でありケアラーとしての立場での著作も多い人物。
前半は各国の動向や範囲が拡大するすべり坂傾向について。タイトル通り程よくまとまってはいる。
後半は1人に向き合う介護者と多くの患者を抱える医療関係者との意識の溝とそれによる殺される危険への懸念。当事者であるが故の限界ではあるのかもしれないが一方的。表紙の懸念が広がっているというのが主題。
Posted by ブクログ
近年欧米では安楽死を合法化する国が増加している。本書は、その状況を整理するとともに、こうした状況が理解されないままに日本で導入された場合の危険性などについて警鐘を鳴らす。
安楽死先進国のオランダではすでに死者数に占める割合が4%を超えているというから驚きだ。
安楽死はもともと救命が叶わない患者に対する例外措置、医師を免責する措置として導入されたが、近年は「すべり坂」のように拡大が起きている。安楽死の理由にQOLが使われだし緩和ケアとの混同が進んでいるほか、対象も終末期の患者から認知症患者や障害者、しまいには子供まで広がりを見せている。安楽死が医師への免責からいつの間にか死ぬ権利に置き換わっていることが、すべり坂現象に拍車をかけているとする。
筆者は安楽死の外縁にある議論として、無益な治療論を紹介する。これは、自己決定による安楽死とは異なり、「無益」とみなされる医療に対して医療側がその治療を打ち切るというものだ。無益な治療論と移植臓器の確保の議論との結託についても懸念を示す。
筆者がこうした警鐘を鳴らす背景には、障害を抱える子の介護・治療を通じて得た医療従事者に対する強い不信感があるようだ。本書の後半は、海外における安楽死の紹介ではなく、筆者の考える医療側の問題や不信の背景について頁を割いている。
本書を通じてあまり知られていない国外の状況を知れたのは良かった。ただ、もう少しタイトルに沿った内容に限定して欲しいと思った。
Posted by ブクログ
・尊厳死=終末期の人にそれをやらなければしにいたることが予想される治療や措置を、そうと知った上で差し控える、あるいは中止することによって患者を死なせること。
人工呼吸器や胃ろう、人工透析などの中止。
死ぬにまかせる。
日本でも日常的に行われている。
・安楽死=医師が薬物を投与して患者を死なせること。
殺す。
日本では違法。
・安楽死の合法化が世界に広がりを見せるにつれ、対象者が終末期の人から認知症患者、難病患者、重度障害者、精神・知的・発達障害者、高齢者、病気の子どもへと広がっている。
また、安楽死が容認されるための指標が「救命できるか」から「QOLの低さ」へと変質している。
・安楽死が合法な国で法的規制があっても、実際は多くが医師の専門性、つまり個々の医師のアセスメントにゆだねられている。
・日本に安楽死を合法化するのにリスクが大きい理由
①日本の医療現場では医師の権威が圧倒的に大きく、「患者の自己決定権」概念が医療職サイドにも患者サイドにも十分に成熟していない日本に「死ぬ権利」という言葉だけが輸入されても機能し得ないだろう
②家族規範が強く、家族を優先して個としての自分を貫きにくい文化特性がある
・患者の「死にたい」という言葉を額面通りに受けとめて死なせてあげるのは理解とはみなさない。
なぜ死にたいと言っているのか耳を傾けて、理解しようと努めることが必要。
・安楽死は社会にとって最も安直で安価な問題解決策。
まず個々の事例を細かく丁寧に検証して他に策がない場合の最後の解決策とならなければならない。
Posted by ブクログ
作者の主張は 大きな絵として安楽死の合法化が弱者排除へのすべり坂になってしまうことの危惧、小さな物語として 死にたいと訴える人は、なぜ死にたいのか?を個々に解き明かすことが大事 というもの。
安楽死を訴える人は痛いから、つらいからなのだから、安直に合法化議論をするまえに、痛さ・つらさを和らげる施策をまずは考えるべきという主張はごもっとも。ただ、大きな絵を考えると、少子高齢化で国としての財政的な余裕が無くなっていく未来において、誰を金をかけて優先的に救うかのトリアージを考えることを無慈悲という主張には賛成しかねる。金をかけても無益な病には安楽死という殺人もやむを得ないと考える私は功利主義の権化か?安楽死を法制化してきた各国でのすべり坂の例は、健常者の私からみると当たり前の施策に思えるのだが・・・