木島泰三のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
『知性の罠』からこちらに来ました。
途中、進化心理学者批判があまりに執拗になされてちょっと挫折しかけたのだが、ミームという脅威に対応するための伏線だったんだなと納得。
またその進化心理学者批判の中で(道具的)合理性の重要性が妙に強調されていて、途中「経済合理主義なのかな?」と勘違いしかけたが、これも最後の市場主義批判で見事に伏線回収。
TAASとミーム、さらにはミームに絡め取られた他者やシステムが跳梁跋扈する社会において、個はどうすれば良いのか。『なめらかな社会とその敵』等で論じられている「分人」も、あくまでも個の尊重が前提にあったんだなと再認識させられた。
500ページ超えで長いけど、長い理由がある、年末年始にじっくり取り組む価値のあった良書でした。 -
Posted by ブクログ
なんとも啓発された。分厚く、学術用語が多用されるが、訳注が本文見開き内にまとめられており、親切設計。ちゃんと読めば理解できるつくりで、ありがたい。
人間の心が、遺伝子由来の自律的な反応である、システム1 (TASS:The Autonomous Set of Systems、自律的システム群)と、理性的で分析的なシステム2という2つのタイプの認知に分けられるという、「二重プロセス理論」は、『ファスト&スロー』などの行動経済学や進化心理学の本で知ってはいた。
この本で新鮮だったのは、そのシステム1には遺伝子だけでなく、ミームも関係するということ。ある種のミームもまた、そのミーム自身が複製され、生き延びることを最優先し、乗り物である人間の利益を無視することがある。それ故、個人が自分の利益を損なうことにも気づかず、ミームの利益にかなう行動をとることがある(例:喫煙、カルト宗教)。
著者は人間らしさの条件として「メタ合理性」の必要性を主張する。遺伝子やミーム由来の狭い合理性を、価値観や倫理的選好を考慮した別の合理性で批判検証する必要がある。それができて初めて、「人間(個人)の自律」が可能になる。
言い換えると、狭い合理性は手段に関わる。ある目的を達成するために無駄を省き効率的に機能するシステム。実のところそれは機械やアナバチなどの昆虫にもできる。というか人間よりもよほど合理的といえる。
広い合理性は、目的に関わる。今ここだけではなく、未来の自分や、周囲の人々、直接関わらない社会の構成員や自然環境、そういったものの利益を考慮した「合理的」な目的こそ、人間が考えるべきこと。
本書には言及がないが、AIとの付き合い方に思いが至る。AIがどれだけ賢く、早く効率的に答えを出せても、目標設定が邪悪ならどうか?より早く、より広範囲に人を騙し、社会に害を与えることができる。例えばつい最近、chatGPTに相談していた若者が自殺したというニュースを聞いた。
AI時代に人が目指すべきは、より高い知能ではなく、適切な合理的思考能力ではないか?
「第8章 謎なき魂」では、認知心理学の成果を踏まえて、哲学の領域に踏み込んでいく。心の神秘が全て明かされたとしても、人間がほかの動物とは異なる価値や尊厳を持てるとしたら、「人間にのみ独自の方法-すなわち、合理的な自己決定-により、自らの生をコントロールする力」こそがそれを可能にするのだろう。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ非常に面白かった!人間に自由意志はあるのか(そして、世界はどのようにできているのか)という問いについて、古代ギリシア哲学から現代の自然科学にもとづいた論争までカバーし俯瞰した上で、今後の見通しまで立てていくというみっちり詰まった濃い本。哲学は入門書を読んだくらいという私でも、論の進め方が懇切丁寧なのでしっかり読めばついていけるという感じ(ほんとに読めてるのか?)。
私は今までこういう話にはあまり興味がなくて、それはいくら科学が発展し世界の全てを説明したとしても「神がそのように創造したので、世界は完璧なんです」とか「いくら天文学的な確率だろうと、自然に神も法則も一切なくて全ては偶然なんです」と強弁すればそれで終わりだしつまらんなあと思っていたからだ。神学的な論争では、神の善性にやたらこだわるのもなんだかうんざりしてくる。運命論や決定論に対する忌避感もないし。この本に沿って言えばホッブズの神への態度とか、まさにヒュームの「この種の問題に頭を悩ませても答えが出ないのだから、判断を停止するのが最上だ」という考えに近かったと思う。でもこの問題の歴史はいわば世界観の変遷なわけで、そういう視点から入っていく流れだったのでわくわくして楽しめたのと、科学と進化人類学が思想の領域を切り崩していき、決定論の議論から自然主義の中での人間の存在意義というところへ焦点が絞られていくのが俄然面白く、認識を改めた。
神や超自然的概念が運命論の象徴となり、自然科学の発達によって「不要になった」のはよく分かるのだが、私は一応有神論者なので、いつの間にかそこを「『インテリジェント・デザイナーなど存在しない』」とか「『神』なる存在が実在しない」とか書かれると、そこは厳密に「必要ない」と区別して書いてほしいと思ってしまう。この世界が運命論でできていないにしても、超自然的存在がいないことの証明はできないのだから。
(極めて擬人的な見方に脱線するが)適当なたくさんのビッグバンから適当にできた世界の成り行きを外野で楽しんでる神様がいるかもしれない。パワプロだって、ガチガチのマイライフをずっとやるより適当に設定弄ったペナントをオートで回したほうが楽しいだろう。
しかし人間と世界が科学によってどんどん照らされて暗がりを失くしていくことで「神」が世界のあり方から退場させられて、ひいてはこの世のしがらみや罪科から解放され、ただ信ずるかどうか、という一点のみに拠る、あるべき姿へかえっていくのだ、退場というよりはむしろ自由になるのだということを読んでいて思った。神の首を切り落としたとされるカントが自らは「信仰に席を空けるために」神を認識の対象から退けたと語ったというのがいまいち分かっていなかったが、こういうことだったんだとようやく腑に落ちたという気がする。
これは著者が最終章で「人間的な価値のよりどころを、物質的な自然の外側に確保して、それで安心できるならばそれでいい、という考え方はある」と語っているのに近いかもしれない。でも著者の想定の考え方とは少しずれていると思う。不要ならもう存在しないものとするとか、しがみついてそれがなければ空白地帯に陥るというやり方ではなく、著者の言うように「この自然のただ中に『尊いもの』を見つけ出す」ことによって、互いが独立して立つことで互いがより豊かになることもできるのではないか。人間は神の似姿なのだから。「擬人的」と「擬物的」の極端の間へ人間を着地させようとする著者は「全か無か」という考えを戒めているけれど、ここでもそういった軟着陸はできないだろうか、と思う次第である。まあ、哲学者はもう神になんか興味ないかもしれないから、私がそれを考えるだけか。
神の話は置いておくにしても、これからの展望を見据える最終章の話が楽しい。
目的や意志、つまり人間のあり方、人間ができることを現代の自然主義的世界でどのように捉え直すか、ということだと思うけど、人が人でもなく物でもなくなるのなら、環境や遺伝子を外側の枷、「決定してくるもの」ととらえるのではなくて、自分に固有なもの、形作るものとして自分の範疇に含めて受け入れていくことはできないかと思う。親や祖先を自分に連なるものとして受け入れるように。ヴィクトール・フランクルが「この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引き受けることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ」と語っていたように、能動的でないことにも意味を見出すべきだと思うし…もっといろいろな話を聞いてみたい。引用されている書籍や著者の別の本も読んでみようかと思う。 -
Posted by ブクログ
「決定論」や「運命論」をめぐって展開されてきた哲学史上の議論を、自由意志にかんする現代的な問題意識のもとで整理しなおし、さらにダーウィン以降の自然科学があたえたインパクトを踏まえながら自然主義の立場から自由意志をめぐる諸問題を解決するいとぐちをさぐっている本です。
サブタイトルは「決定論をめぐる哲学史」となっており、古代ギリシア哲学における決定論やスピノザおよびライプニッツの議論などにも立ち入ってそれらの議論が紹介されています。ただし、著者の関心は現代における自由意志をめぐる問題に向けられており、そうした観点から哲学史の検討を通じて「決定論」と「運命論」を峻別する試みがなされています。著者は、なんらかの目的を設定する「運命論」から因果的な「決定論」を区別し、ダニエル・デネットの議論を参照しつつ前者を「バグベアー」としてしりぞけます。そのうえで、特定の目的を設定することのない因果的決定論の立場のもとで、人間の自由意志をめぐる問題を調停する道を指し示しています。
決定論ないし運命論についての哲学史的な見取り図を期待する読者にとっては、著者自身の立場が前面に押し出されているため、かたよった議論だという印象を受けるかもしれませんが、それでもひとつの問題設定のもとで哲学史上の議論を整理しなおしている点で、興味深く読めるのではないかと思います。本書の最後では、自然主義的な立場から運命論をふくむ宗教の起源についての考察をおこない、さらに行為者因果を回復する試みがあることに触れられていますが、そうした議論を紹介した続編を読んでみたいと感じました。