あらすじ
人間は遺伝子に操られているのか?
宇宙開闢の時点で、その後の出来事は一通りに決まっていたか?
運命はあるのか?
人間と機械は何が違うのか?
こうした疑問はすべて人間の自由意志の問題であり、
デモクリトスからスピノザ、デネットまで、
決定論の哲学史に刻まれている。
ダーウィンや神経科学など自然科学的観点も検討しつつ、
決定論のこれまでとこれからを考える。
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Posted by ブクログ
自由意志と決定論について,近代までの歴史および科学への影響について中心に論述。
第1章 自然に目的はあるのか?
西洋における目的論的自然観の盛衰と決定論
第2章 決定論と運命論
ストア派・スピノザ・九鬼周造
第3章 近代以前の自由意志論争とその影響
ホッブズとデカルト
第4章 目的論的自然観は生きのびる
ライプニッツとニュートン
第5章 ダーウィンによる目的論の自然化
第6章 自然化された運命論
現代の決定論的思想の検討
第7章 運命論のこれから
第8章 自然主義のこれから
Posted by ブクログ
非常に面白かった!人間に自由意志はあるのか(そして、世界はどのようにできているのか)という問いについて、古代ギリシア哲学から現代の自然科学にもとづいた論争までカバーし俯瞰した上で、今後の見通しまで立てていくというみっちり詰まった濃い本。哲学は入門書を読んだくらいという私でも、論の進め方が懇切丁寧なのでしっかり読めばついていけるという感じ(ほんとに読めてるのか?)。
私は今までこういう話にはあまり興味がなくて、それはいくら科学が発展し世界の全てを説明したとしても「神がそのように創造したので、世界は完璧なんです」とか「いくら天文学的な確率だろうと、自然に神も法則も一切なくて全ては偶然なんです」と強弁すればそれで終わりだしつまらんなあと思っていたからだ。神学的な論争では、神の善性にやたらこだわるのもなんだかうんざりしてくる。運命論や決定論に対する忌避感もないし。この本に沿って言えばホッブズの神への態度とか、まさにヒュームの「この種の問題に頭を悩ませても答えが出ないのだから、判断を停止するのが最上だ」という考えに近かったと思う。でもこの問題の歴史はいわば世界観の変遷なわけで、そういう視点から入っていく流れだったのでわくわくして楽しめたのと、科学と進化人類学が思想の領域を切り崩していき、決定論の議論から自然主義の中での人間の存在意義というところへ焦点が絞られていくのが俄然面白く、認識を改めた。
神や超自然的概念が運命論の象徴となり、自然科学の発達によって「不要になった」のはよく分かるのだが、私は一応有神論者なので、いつの間にかそこを「『インテリジェント・デザイナーなど存在しない』」とか「『神』なる存在が実在しない」とか書かれると、そこは厳密に「必要ない」と区別して書いてほしいと思ってしまう。この世界が運命論でできていないにしても、超自然的存在がいないことの証明はできないのだから。
(極めて擬人的な見方に脱線するが)適当なたくさんのビッグバンから適当にできた世界の成り行きを外野で楽しんでる神様がいるかもしれない。パワプロだって、ガチガチのマイライフをずっとやるより適当に設定弄ったペナントをオートで回したほうが楽しいだろう。
しかし人間と世界が科学によってどんどん照らされて暗がりを失くしていくことで「神」が世界のあり方から退場させられて、ひいてはこの世のしがらみや罪科から解放され、ただ信ずるかどうか、という一点のみに拠る、あるべき姿へかえっていくのだ、退場というよりはむしろ自由になるのだということを読んでいて思った。神の首を切り落としたとされるカントが自らは「信仰に席を空けるために」神を認識の対象から退けたと語ったというのがいまいち分かっていなかったが、こういうことだったんだとようやく腑に落ちたという気がする。
これは著者が最終章で「人間的な価値のよりどころを、物質的な自然の外側に確保して、それで安心できるならばそれでいい、という考え方はある」と語っているのに近いかもしれない。でも著者の想定の考え方とは少しずれていると思う。不要ならもう存在しないものとするとか、しがみついてそれがなければ空白地帯に陥るというやり方ではなく、著者の言うように「この自然のただ中に『尊いもの』を見つけ出す」ことによって、互いが独立して立つことで互いがより豊かになることもできるのではないか。人間は神の似姿なのだから。「擬人的」と「擬物的」の極端の間へ人間を着地させようとする著者は「全か無か」という考えを戒めているけれど、ここでもそういった軟着陸はできないだろうか、と思う次第である。まあ、哲学者はもう神になんか興味ないかもしれないから、私がそれを考えるだけか。
神の話は置いておくにしても、これからの展望を見据える最終章の話が楽しい。
目的や意志、つまり人間のあり方、人間ができることを現代の自然主義的世界でどのように捉え直すか、ということだと思うけど、人が人でもなく物でもなくなるのなら、環境や遺伝子を外側の枷、「決定してくるもの」ととらえるのではなくて、自分に固有なもの、形作るものとして自分の範疇に含めて受け入れていくことはできないかと思う。親や祖先を自分に連なるものとして受け入れるように。ヴィクトール・フランクルが「この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引き受けることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ」と語っていたように、能動的でないことにも意味を見出すべきだと思うし…もっといろいろな話を聞いてみたい。引用されている書籍や著者の別の本も読んでみようかと思う。
Posted by ブクログ
自由意志を巡る冒険の書。最もわかりやすい進化論の解説が含まれている哲学の本。
ダニエル・カーネマンのの引用まで出てくるのが魅力的。「システム1」は根源的なヒトのものの見方や世界観の構築に大きく影響しているのだと改めて思い至った。
Posted by ブクログ
「決定論」や「運命論」をめぐって展開されてきた哲学史上の議論を、自由意志にかんする現代的な問題意識のもとで整理しなおし、さらにダーウィン以降の自然科学があたえたインパクトを踏まえながら自然主義の立場から自由意志をめぐる諸問題を解決するいとぐちをさぐっている本です。
サブタイトルは「決定論をめぐる哲学史」となっており、古代ギリシア哲学における決定論やスピノザおよびライプニッツの議論などにも立ち入ってそれらの議論が紹介されています。ただし、著者の関心は現代における自由意志をめぐる問題に向けられており、そうした観点から哲学史の検討を通じて「決定論」と「運命論」を峻別する試みがなされています。著者は、なんらかの目的を設定する「運命論」から因果的な「決定論」を区別し、ダニエル・デネットの議論を参照しつつ前者を「バグベアー」としてしりぞけます。そのうえで、特定の目的を設定することのない因果的決定論の立場のもとで、人間の自由意志をめぐる問題を調停する道を指し示しています。
決定論ないし運命論についての哲学史的な見取り図を期待する読者にとっては、著者自身の立場が前面に押し出されているため、かたよった議論だという印象を受けるかもしれませんが、それでもひとつの問題設定のもとで哲学史上の議論を整理しなおしている点で、興味深く読めるのではないかと思います。本書の最後では、自然主義的な立場から運命論をふくむ宗教の起源についての考察をおこない、さらに行為者因果を回復する試みがあることに触れられていますが、そうした議論を紹介した続編を読んでみたいと感じました。