遠藤正敬のレビュー一覧
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入籍の時に本籍とは何かを調べたのをきっかけとして、戸籍ってたまに気にすることがあるけど、実際どういうものか何も知らないなと思い読んだ。
戸籍の歴史を古代の律令制から明治、植民地統治、戦後、現代までたどる一冊。戸籍は単なる家族関係の証明ではなく、課税や徴兵、国民形成や治安維持のための制度だったことが分かる。また、戸籍は日本人であることを証明する一方、誰を日本人から除外するかを決める仕組みでもあった。北海道・沖縄・朝鮮・台湾の事例からは、戸籍が植民地支配や移動・国籍管理に使われ、今も継続して議論されている諸問題とのつながりも少し理解することができた。
これまでなんとなーく一度は疑問に思ったことがある内容が、ところどころわかりやすく記載されていて面白かった。 -
Posted by ブクログ
面白すぎる!!!!
戸籍の存在を知らずとも普通に生活している、つまり戸籍は日常生活とは無縁な存在と感じられる。が、マイノリティの立場になると(本書でいう無宿や「外地人」、婚外子など)戸籍という制度が自身の生活を縛る・抑圧の方向へ強烈に作用する点に 日本の伝統的な差別体制が見て取れた。
・戸籍に登録されてはじめて日本人となる
その背景に、外圧 国難にどう対応するか→天皇を頂点とし、家単位で従う 国体
85頁 江戸時代の人別帳(戸籍というよりは、世帯単位の記録のため住民台帳にあたる) しかし、機能としては不十分 身分制の中でカバーしきれない そうした中で人別帳から漏れ落ちた「無宿」→階級と職能を全うすることが国家の安定となると考えられていたため、自然と「反体制勢力」とみなされ差別された 佐渡送りなど
95頁 壬申戸籍においては、今日のような血統主義ではなく、移住地主義によって日本人が確定されていた ex.鹿児島 苗代川 朝鮮人集落
101頁 戸籍への登録による同化 例えば苗字など=創氏改名政策は、朝鮮支配以前から行われていた
141頁 明治において 戸籍がない という理由で人間を蔑視する 江戸時代の無宿に対する抑圧的空気と通じる
143頁 無戸籍解消のための方面委員(今の民生委員)
145頁 無戸籍であっても特段の不利益は生じていなかった(ex.昭和初期 無戸籍の世帯であっても隣近所が手伝って葬式(本来死亡届がないと火葬できない)を行っていた)
→戸籍は特段の恩恵がない 一方で
146頁 戸籍事業を精神的救済と位置付け 家の秩序に回収しようとした
149頁 的が浜事件 無戸籍のサンカの集落に対する焼き払い
172頁 朝鮮併合の際「同じ日本国籍でも平等にあらず」=国家にとって国籍とは国益に照らして個人に与えるもの、国家の裁量によって左右されるもの という論理
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これは素晴らしい本!
選択的夫婦別姓制度が裏テーマとしてありながら、そんなことはおくびにも出さす
大和時代の壬申戸籍に始まる日本の戸籍の歴史を追いかける。
国家という概念がはじまり、税の徴収のために生まれた仕組み。
しかし荘園制度とともに立ち消えになる。
それが復活したのが幕末。尊王開国のために徴兵が必要となり、戸籍の必要性が
改めて生まれる。それまで農民は姓などなかった。
それも家単位の戸籍となり、家父長制が制度としても確立する。
その後、明治政府が生まれ、戸籍はより強固になる。
長男は徴兵されない、ということで、新たな戸籍を無理くり作り、
徴兵逃れがはびこる。夏目漱石も北海道に転居し、逃れた。
当時は北海道民には徴兵の義務がなかったとか。
やがて敗戦となり、占領軍に旧来の仕組みを否定されても戸籍は生き残った。
様々な問題があり、住居と紐づかなくなり、それを補うための住民票、
マイナンバー制度が誕生しても、なお戸籍は生き残った。
それはもはやイデオロギー。
明治時代に幻想のように生まれた家父長制の維持だけのために、戸籍制度は残る。
制度が残るということは、その維持のためにコストがかかる。無駄にかかる。
戸籍がないと、姓が違うと、家庭が壊れる。
何て言い草だろうか。
同じ姓でも壊れている家庭はいくらでもある。違う姓でも家庭は成り立つ。
明治時代、ほんの百数十年前に徴兵のために生まれた戸籍制度に何の意味があるか。
男系天皇制を維持するため、国民にも家父長制を強いる?
次の天皇にふさわしいのは愛子さんだろうし、今のやり方では維持できないのは
誰が見てもわかる。
なぜそれを無理やり守ろうとするのか。
戸籍の歴史を追うことで、今の問題点を明らかにしてくれる、良書! -
Posted by ブクログ
ネタバレ「戸籍」というと、役所で必要な書類というくらいのイメージしかなかったけれど、こんなにも長い歴史があり、日本の国家や社会のあり方と深く結びついていたことに驚いた。
特に印象に残ったのは、戸籍と天皇との関わり。そして、現在の「特別永住者」が、戦前に日本の植民地だった地域の出身者とその子孫につながっているという歴史。普段何気なく使っている言葉や制度の背景に、これほど複雑な歴史があるとは思わなかった。
また、戸籍を通して見ていくと、政府が「国民のため」と掲げながら、同時に国家が国民を把握・管理するための仕組みとして制度を作ってきた面も見えてくる。それは昔だけの話ではなく、現在のマイナンバー制度についても考えさせられた。
便利になることや行政の効率化という側面がある一方で、国が個人をより正確に把握できるようになるという側面もある。戸籍からマイナンバーまで、「国家と個人の関係」という視点で考えると、今までとは違って見えてくる。
ただの行政書類だと思っていた戸籍が、日本の歴史や国家のあり方を考える入り口になるとは思わなかった。知らなかったことが多く、とても興味深く読めた。 -
Posted by ブクログ
相続の手続きをしたこともあるので戸籍についてはある程度はわかっているつもりだったが、読んでみて現状に合わない歪な仕組みだなあと思った。作成の目的と仕組みがすでに陳腐化しているのに、過大イメージだけが日本人に刷り込まれている。結果、住民登録とかマイナンバーとかつぎはぎな仕組みを維持しなければならなくなってしまった。
植民地時代の戸籍。朝鮮人と結婚して朝鮮戸籍に入った日本人女性は戦後日本国籍を自動的に失う。
つまり日本人の国籍は血統主義ではない(戸籍主義?)
実際のところ夫婦別姓に反対な本当の理由は戸籍システムの構造(筆頭者とメンバーの氏は必ず同じ)を壊したくないってだけかも。
戸籍の筆頭者に家長の名残をとどめておけるし。
戸籍がなくても住民票の登録もできるしパスポートも取れる。かたや相続時に法定相続人を確定するためと、結婚するときに相手の両親が健在か兄弟姉妹は何人いるかを確認するためには戸籍はないと困る。(でも相手が再婚だと直近戸籍では確認できない。なんとも使いにくい構造)
西暦2000年頃以前に生まれた人は電子化以前の戸籍があるから、あと70年くらいは相続時に戸籍集めをしないといけないことになるのか。
構造をリニューアルしてから電子化したかった、と思ってるかも。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ戸籍の本質は、日本人であることの証明。日本は血統主義なので、親のいずれかが日本人であれば、どこで生まれても日本人として戸籍に入る。無国籍の日本人は出生届が出されていない人。親が日本人か、よりも戸籍の有無が重視されてしまう問題。日本人同士の結婚であれば、新しい戸籍が作られる。国際結婚の場合、夫婦の戸籍は作られない。しかし、外国人の相手の戸籍は作られない。
アメリカは出生地主義なので、不法に入国してもアメリカで生まれればアメリカ人。トランプ大統領が移民の排除に熱心な理由のひとつ。
古代日本にも戸籍制度はあったが、有名無実化していた。明治になって復活させた。明治4年壬申戸籍が編まれた。もともとは670年に庚午年籍、690年庚寅年籍が作られた。口分田を与えて、税を徴収するための名簿。税負担を逃れるために、出家して戸籍を脱するものが現れた。僧侶の公認制度のために授戒師を招聘した。鑑真和尚のこと。税を逃れるために、性別を偽ったり貴族に寄進するものが現れて公地公民は破綻して、戸籍も形骸化した。
明治政府の戸籍は、家長制度(戸主制度)を武家に習って設定した。明治民法には家族の規定があるが、今の民法にはない。一緒に住んでいても戸主が認めたもの以外は家族ではない。一緒に住んでいなくても家族になれる。戸籍とは家のこと。婚姻によって家に入る、は戸籍に入るのこと。子ハ父ノ家ニ入ル、は子供は父の戸籍に入る、という意味。戸主とは家=戸籍における天皇。
イエとは、イヘ、のこと。ヘとはへっつい(竈)のこと。同じ釜の飯を食うのが家。使用人も同じ釜の飯を食うが、明治民法では家族ではない。
民法にはフランスのナポレオン民法をお手本にしたボアソナード民法が作られたが、個人主義的との批判があり、民法典論争で御蔵入りになった。明治民法と同時に戸籍法が改定された。紙の上では大家族。弟も残っていれば一緒の戸籍に入る。武家社会の慣習と同じ体裁を整えた。
律令制では、隠居年齢は70歳。明治民法では60歳から。個人の意志プラス裁判所の許可が必要。女戸主は許可は不要。応急的な措置に過ぎないから。
家の存続のために婿取りをする風習は世界で稀。
中国、朝鮮では、血統を重んじる。姓は血筋を表すもの。古来より夫婦別姓が基本。同姓の結婚もできない。朝鮮では、姓の数が少ないので、同姓本貫(出身地)が同じだと結婚できない。韓国では2008年に家単位の戸籍が廃止。個人単位の家族関係登録制度になった。
日本も明治の苗字の義務化のときは、夫婦別姓が原則だった。明治民法で夫婦同姓になった。
日本は、儒教精神を曲げてでも、家の存続に意義を見出した。
阿Q正伝でも、血統が途絶えて子孫から供養されないことを恐れた。
妾は明治維新後も残った。妾は妻と同じ2親等。不平等条約の改正に生涯となって、1880年刑法で妾が削除。明治民法で廃止、一夫一婦制が確立。
宗門別人別帳は江戸時代の戸籍。秀吉の太閤検地から始まる家数人数帳が始まり。課税台帳の役割。江戸時代の寺請制度で宗門改のもととなったのが、宗門別人別帳。毎年作成された。武士は分限帳、僧尼や神官も別のもの。人別帳から漏れているものは無宿、木枯し紋次郎。勘当が主な要因。
札付きの語源=勘当されそうな物を人別帳上で札を付けておいたことから。
長谷川平蔵野作った人足寄場は、無宿でも前科者でも、手に職を持てば生きていける、ことを実現する場。
佐渡送りは、死刑宣告に近い。原則無期。出るのは金より人の首のほうが多い、と言われた。
壬申戸籍(明治4年)で、戸籍に記載があるものが日本国民となった。血統主義でなく居住地主義。そこでアイヌと琉球をどうするかが問題になった。
北海道屯田兵として家族を含めて4万人を送り、北海道を本籍と定めさせた。この結果北海道が日本になった。アイヌには苗字がなかったが、アイヌ向け創氏政策でロシア風の名前を変えさせた。ロシアからロシア国民との主張をされないように。
琉球は中国への朝貢国だった。苗字は地名を表すもので移動すれば変わった。それを変えた。
小笠原は、定住者がいなかったが、捕鯨ブームで1830年に西欧人など20数名が移住。それを戸籍を作って日本人として日本の村をつくった。戸籍を作ることで帰化させた。
戸籍は徴兵のためのもの。徴兵告諭には血税と書かれていて、各地で血税一揆がおきた。
徴兵は国民皆兵wぽ原則としたが、戸主、長男、養子、家産家業の管理者は兵役を免除。養子になって徴兵を忌避することを徴兵養子という。立憲政友会総裁の鈴木キサブローは、徴兵逃れのためもあり、鈴木家へ養子になった。高村光雲(高村光太郎の父)も高村家へ養子にいった。
北海道、沖縄に本籍を移すことも徴兵逃れ。夏目漱石は25歳のとき、岩内郡に転籍。
失踪宣告制度も徴兵逃れに利用された。死亡診断書を偽造してニセの死亡届を出す者もいた。戸籍から抹消されても、生きていけた。
除籍簿があるおかげで、明治時代までは家系図を作ることができる。
国勢調査は、戸籍制度の欠陥を埋めるために行われた。
戸籍はどこにおいてもいい。日本人が最も多いのは皇居(千代田区千代田1番)。日本の領土ならどこにでも戸籍は置ける。歯舞諸島、北方四島、尖閣諸島、竹島などに本籍を置いている人もいる。領土関係で対外的主張の根拠となっている。
戦前の無国籍問題。資本主義の発展で東京大阪に人口移動がおきた=日雇い労働者、浮浪者の流入でスラム街が発生、無戸籍の人が集中。住民票制度がなかったため、戸籍がないと年齢を証明できない。
方面委員=戦後は民生委員に変更、が戸籍整理を担当。
一家揃って無戸籍でも、近隣扶助があれば問題なく生きていけた。
サンガ(山窖)の民=戸籍がない漂泊集団も存在したが、国勢調査で戸籍を申告させた。
族称=華族、士族、平民の3つにわけた。壬申戸籍には、職業、前科、檀那寺も記載されていた。元穢多、元非人、新平民なども記載された。警察行政のため。
これらが公開されていたため、犯罪調査、探偵興信所による身元調査に使われた。1968年まで公開。それ以降もなりすましや、職務上請求書などで公開させることはできたが、2008年改正で制限が厳しくなった。
婚外子差別は21世紀まで。明治民法では婚外子は認知されても戸主の許可がなければ、父親の戸籍に入れない。婚外子は私生子男、と記載された。
犬神家の一族では、3姉妹はいずれも庶子女と記載されていた。横溝正史は、家族の複雑さを経験していた。
新たに日本の領土となった台湾、朝鮮の問題が生まれた。
台湾は2年以内に退去しない場合は日本臣民となるとされた。ただし漢族のみ。それ以前の部族は番人と総称。国籍日強制の原則=国籍選択条項を設けることが通例。
朝鮮では国籍法が施行されなかった。満州にもたくさんの朝鮮人がいた。中国に帰化してしまえば、取り締まれない。朝鮮人の保護のため、という理由で派兵できる。
旧慣習を尊重するために異なる法律体系を用意せざるを得ず、そのため、外地、異法地域という区別ができた。
慣習をもとに朝鮮戸籍をつくった。
樺太は内地の戸籍法が施行されてない知人になった。アイヌは1933年から戸籍法が適用された。
台湾には戸籍制度がなく、結婚などで手続きが煩雑。内縁が増える原因。内地延長主義で台湾戸籍が作られた。種族、前科、アヘンの吸引歴なども記載された。
帝国臣民の中は、内地人、朝鮮人、台湾人の区別ができた。兵役は外地人は対象外。忠誠心が期待できない。最終的には招集されたが軍属として徴収された。武器をもたせることに危惧があったのだろう。その代わり参政権が制限選挙で与えられた。
創氏改名は強制だったか。届け出までは設定創氏、届出後は強制的に従来の姓を氏とした。法定創氏と呼ばれる。
近代国家は国民が存在しなければその体をなさない。
国籍法は満洲国になかった。
日本の国籍法は、帰化したものは日本国籍を失う=満洲国に移住したものを満州国民とすると、日本国籍を失う。
国籍法がなくても、建国宣言で慣習法として扱うこととした。そのかわりに民籍法を定め、徴兵の導入をした。大多数90%は漢民族。
戸籍は多数が戦災で消失。本人の申し出で再編された。特に東京の戸籍。なりすまし事件も起きた。松本清張『砂の器』はその例。
家制度は戦争で機能不全になり、御家断絶が激増。
日本国憲法で夫婦が平等となり、民法改正の前に、「日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律」ができた。家制度が廃止。
ポツダム宣言によって大日本帝国は解体、あらたに日本人の再編が必要になった。内地にいる朝鮮人や台湾人をどうするか。講和条約までは引き続き日本人と扱った。
朝鮮人は残留を希望するものが多かった。台湾人は、中華民国政府の法律により中国国籍を獲得した。
日本人だったが参政権はない。戦前の朝鮮籍、台湾籍がそのまま残ったため。
外国人登録令により外国人となった朝鮮籍、台湾籍の人々は結婚相手が日本人でも参政権を失った。外地戸籍。内地戸籍に入ると、参政権も行使できる。
平和条約発効時点で、朝鮮籍、台湾籍はそれぞれお朝鮮人、台湾人になった。これは国際法の「領土変更に置ける国籍非強制の原則」に反する。
日本国籍を失うことで、参政権、公務就任権、社会保障の受給権も失う。
沖縄では、戦火で戸籍は原本も副本もすべて消失。沖縄住民は旧戸籍法をもとに臨時戸籍を作って戸籍の再製を図った。沖縄復帰のための布石。
天皇には戸籍はない。戸籍とは天皇の臣民を表すものだから。皇籍を離脱する場合は、臣籍降下として戸籍を作る。姓を賜るので賜姓降下ともいう。
天皇の戸籍は皇統譜。どこからを始めとするか、など揉めた。
宮号とは、皇族男子に天皇が授けるもの。
家父長制の最後の砦。
天皇の譲位としての隠居は、奈良時代以来慣例となっていたが、旧皇室典範で禁止された。内紛のもとになるため。
外国に行く場合はパスポートは不要=元首の扱い。皇族の場合は、外交旅券が発行される。
日本は協議離婚=双方の同意、だけで離婚が成立する。簡単に離婚ができる。離縁状制度(三行半の由来)でも、妻の合意が必要だった。
住民票は戸籍が現住所を反映しないために作られた。最初は寄留制度~寄留地として登録する。戦時体制では世帯台帳によって管理した。戦後は、生活物資の不正受配が横行したため、寄留制度に変わる住民登録制度を作ることとしたが、実施したのは1951年。
未成年でも15歳以上であれば世帯主になれる。事実婚でも住民票では夫婦になれる。
無国籍は民法の嫡出推定によるもの。300日以内に生まれた子供は、前夫の子供になる規定。これを嫌って届け出を出さないまま、無国籍になる。
国籍がなくてもパスポートはつくられる。義務教育社会保障選挙権などもある。戸籍がなくても住民票は作れる。
マイナンバー制度の普及によって、戸籍制度の重要性は低下する。
次の議論はいつ戸籍制度を解体するか。韓国は廃止した。日本は温存しているため行政コストが増大。 -
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ネタバレ<目次>
第1章 「日本人」としての証明書
第2章 「古代の制度」がなぜ復活したか
第3章 明治国家が作り出した「家制度」
第4章 戸主という名の「君主」
第5章 「婿」と「妾」の国・日本
第6章 創り出された「日本人」
第7章 早くも現れた「限界」
第8章 戦前の「無国籍」問題
第9章 差別の温床として
第10章 「大日本帝国」の戸籍~朝鮮、台湾、そして満洲
第11章 国破れて「家」あり
第12章 「日本人」の再編
第13章 天皇に戸籍はあるか
第14章 『サザエさん』に見る戦後の「家」
終章 戸籍がなくても生きていける
<内容>
戸籍をめぐる近代の歴史の本。こういう視点は歴史学にはないよね。著者は政治学者。日本史と歌いながら、古代から中世はちょっとだけ(最も中世に戸籍的発想はない。みんな自力救済)。近代以降の戸籍および「家」の追究。「家制度」が壊れている中、この本を読んでも保守陣営はなぜこだわるのかわからない。著者は、「家制度」はもう終ったから、夫婦別姓などを柔らかくと考えるべき、言っているが…。 -
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天皇制も戸籍も、「日本人」という共同幻想のもと、補完し合う制度なのだな、と。何故戸籍はあるのか。何故天皇制は続いているのか。連綿と続く幻想が、「日本人」を支えてもいるけれど、縛ってもいる。
皇居を本籍にしている人たちがいるってこと自体が、戸籍の意味を曖昧にしているよね。住民登録の方が、行政サービスや生活の実態に即しているけれど、「家」という意識が戸籍を存続させているのだろう。
そしてその「戸籍」の外にいるからこそ、天皇家は私たちとは違う場所にい続けることになる。それを今回の騒動や皇位継承問題であらためて考えることになったのじゃないかな。
他の国々の、戸籍に類する制度がどうなっているか、もう少しだけ、詳しく知れたらよかったけれど、そこはテーマから少し外れるから自分で調べましょうってことかも。 -
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ネタバレ天皇と戸籍
「日本」を映す鏡
著者:遠藤正敬
発行:2019年11月15日
筑摩書房
「天皇に人権はなく、戸籍すらない」という言い方に出会うことがある。この本を読むと、それはむしろ逆だと分かる。天皇は支配者であり、臣民たる国民は支配される人々。すなわち、戸籍は臣民簿であり、支配リストなのである。戸籍なぞないのが"普通”であり、戸籍は支配されていることの証というわけだ。
そもそも戸籍は、国家が徴兵・徴税を確実に行い、定住化を促し、浮浪者を取りしまるという、主に行政・警察的な目的のために個人の身分を記録する制度だった。それが明治国家になって「日本臣民」の統合という精神的な目的が加えられた。
日本と似た戸籍制度が続いた韓国は2008年に廃止。中国と台湾の現制度は居住登録という意味合いが強く、日本の戸籍は世界中でも類いを見ない制度となっている。
今や“日本特有”の制度となった戸籍を切り口にすれば、これまた日本だけにしか存在しない皇室(天皇)制度がいかに維持されてきたか、という点に理解しやすい面が見える。この本では、初代天皇から記録される「皇統譜」(国民の場合は戸籍により江戸時代の終わりごろからたどれる)について、皇籍から臣籍(皇籍以外の身分)に下る、逆に上がるケースについて、天皇家の結婚について、家の規範として天皇家はどうあるべきか、などについて歴史を紐解きながらまとめ、考察している。
ただ、こうした本筋以外にも雑学的な興味が持てる問題も取り上げている。例えば、天皇になぜ苗字がない?天皇家が養子をもらえるのか?皇居に住所はあるのか?そして天皇は日本国民か?など。
最後にとても興味深い記述があった。戸籍を有することは、国民の「権利」であっても「義務」ではない。そのような「義務」は戸籍法で明文化、法務省などの通達や訓令にない。にもかかわらず、戸籍に記載されることが“正しい日本人”のあり方であると理解されてきた。そのことは、天皇という君主との対比において、ひときわ明確なものとなった。
******雑学的興味のメモ*******
氏と姓はどう違う?
どちらも同じ苗字のことだが、意味は違う。姓を「セイ」と読む場合、古代中国家族法においては女系の苗字、氏は男系の苗字。古代日本では、氏は同一家族によって校正される豪族の称号(蘇我、物部など)、姓は「カバネ」と読んで氏に授けられる官位序列の称号だった(臣、連、公など)。
氏姓はここの家名となり私を表すため、「公」を託された天皇が有するのはおかしいので氏姓がない。
天皇がそばめを持てなくなった理由
侍妾を持ったのは明治天皇が最後だが、廃止になった理由は意外(単純)で、喫緊の課題だった西洋列強との不平等条約解消のため、西洋人の倫理観に沿うよう(未開国だと思われないよう)に一夫多妻制をやめた(妾を禁止した)。
皇居に住所はあるか?
実はずっとなかった。そして、思わぬ事情から状況が変わっていった。皇居自体に住所は不要だったが、皇居内官舎に住む宮内庁職員などが住民登録をする場合に町名が必要だったため、いつしか便宜的に「東京都千代田区千代田一番」と呼ばれるようになった。そして、1967年からそれが皇居の住所として表示されるようになった。
初代天皇は明治5年に文部省が決めた
小学校教則本の一つ「皇国史略」を編集する際、初代天皇を誰にするかが議論され、最初は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)にする方針だったが、最初の三代は神様にしておいて、神武を初代にしようということになった。つまり文部省が決めた。
天皇にマイナンバーはあるか?
マイナンバーは国籍を問わず住民票コードを変換してつけられる番号であるため、住民基本台帳に記載あれていない天皇家にマイナンバーはない。外国人に保証されている権利さえも否定されていることになるが、例えば健康保険はなくても医療費は国費から出るため制約以上に保障が完備されている。
大正天皇は侍妾の子だった
明治天皇は皇后との間に子ができず、侍妾の柳原愛子(なるこ)が産んだ子が8歳のときに皇后一条美子(はるこ)の養子にした上で立体子の儀を踏んで皇太子になった。
(雑学興味メモの続き)
皇女和宮は降嫁ではない
家茂に嫁するため江戸へ下向する前、彼女は内親王の宣下を受けたことで家茂の妻になっても「徳川姓」ではなく「和宮」の宮号を称して皇族であり続けたため、「和宮降嫁」ではなく「和宮婚嫁」というのが正確なところ。
いったん臣籍降下した元皇族が皇籍復帰後になった例
宇多天皇(59代)とその子である醍醐天皇。
明治時代には女系天皇が実現しそうだった
1884(明治16)年、宮内庁内に制度取調局が設置され「皇室規制」が起草された。それは、女帝のみならず女系の皇位継承をも認めるという画期的な草案だった。ただし、皇統に近い元皇族を女帝の夫にすることが条件。
父母不明の棄児が日本で発見されたら。発見者または申告を受けた警察官は24時間以内に市区町村長に報告し、それを受けた市区村長は棄児に氏名を与え、戸籍を編製すると定められている。例え金髪、青い眼の子でも日本国籍となる。
「源氏」と「平氏」
その発端は、嵯峨天皇(第52代)の時代にある。嵯峨天皇は多産で48人の皇子女があったが、弘仁5(814)年にその中の32人に「源朝臣」の姓を授けて臣籍降下させた。これが「源氏」の起源であり、皇族から賜姓により臣籍降下した源氏は「賜姓源氏」と呼ばれた。
その後、嵯峨源氏、清和源氏のほか、仁明(にんみょう)源氏、宇多源氏、醍醐源氏、村上源氏、陽成(ようぜい)源氏など、各天皇の皇親から降下した「賜姓源氏」が断続的に生まれた。徳川時代の正親町(おおぎまち)天皇(第106代)の皇曾孫である王子・忠幸に賜姓がなされて生まれた正親町源氏まで、計17流が誕生している。なかでも、清和天皇(第56代)の子孫が「源朝臣」の姓を与えられて降下した「清和源氏」はもっとも栄え、武家の時代になってからも長年にわたって権力を持ち続けた。
源氏といえば、これに対抗するのが平氏であるが、平氏も皇族の賜姓によって生まれた氏族である寛平元(889)年、桓武天皇(第50代)の子孫である高望王が「平朝臣」の姓を授かって臣籍降下し、その子孫が「桓武平氏」となった。「平」は平安京を訓読みにした「たいらのみやこ」に由来するものとみられる。桓武以降、仁明(第54代)、文徳(第55代)、光孝(第58代)の各天皇の皇孫・皇曾孫に「平朝臣」の賜姓が行われたが、その後は例がなく、「賜姓平氏」は「賜姓源氏」と比べればその数はだいぶ少数にとどまった。その「賜姓源氏」も正親町源氏が最後となり、以後は皇族に「源朝臣」の姓を授ける例はなくなった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「明仁天皇の隠居宣言」「万世一系・純潔の伝統が擬制」「旧皇族も臣籍(女系の子も皇位継承)」などと皇室への尊敬の念が無い著者だが、戸籍を通じて「日本とは何か」「家・血統とは何か」の著者の主張を一冊に纏めた
なぜ日本だけが戸籍を「家」という形態(世界に類を見ない形)で維持し続けているのか、天皇制と個々の家が戸籍という媒介で君臣結びついたイメージの主張、具体例(結婚、系譜、臣籍降下など)を示し持論を積み上げていきます
戦前・戦後の家族国家思想や、現代の「家」観への影響も指摘あり
再掲となるが本書の内容をまとめる
≪天皇・皇族に戸籍がない理由≫戸籍は本来「臣民簿」(天皇から見た国民の登録簿)の機能を求められてきた
天皇家は氏姓(苗字)を持たない、天皇が「上御一人」として別格であることで戸籍の意味が浮き上がる
≪皇統譜≫天皇家の「戸籍」に相当する身分登録、万世一系の皇統を支えるが、その実態や作成過程に歴史的な謎や構築性がある(神武を初代としたのは文部省、最初の案はニニギノミコトから始める)
≪臣籍降下≫皇族が臣籍(一般国民)に入る際、初めて戸籍が生まれる(例:眞子さんの小室姓)
皇族と国民の「籍」の移動をめぐる仕組みの実例紹介
≪家族制度の違い≫天皇家の結婚・家族運営は一般民法・戸籍法とは異なる特色を持ち、「家」「血統」「男系」の原理を強く体現、近代以降天皇家は一般国民の「家の模範」とされてきた
≪共通の原理≫両制度とも「血統」と「家」の存続を至上価値とし、日本人の「日本人」意識や家族観、集団同調性を形作ってきた、古代から続く日本独自の制度として相互に支え合う -
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ネタバレ著者は戸籍を滅ぼしたい様だ、戸籍制度により『家』をベースに戸主という国家の基を矮小化した権力者を創設したが個人生活重視の現代、更に様々な多様化した家族形態を前に家制度は崩壊した、にも関わらず『戸籍』制度はふりがなを付けたり広域発行が可能になるなど秘かにバージョンアップして存続を図る様が滑稽で苦々しく思っている様だ
著者は戸籍制度創設の歴史を使い過去から全てを揶揄・否定に取り掛かる
「庚午年籍」により日本国民は規定された、集権的国家をつくる事でアジアの激動から守る強さを求めたが、制度はすぐに形骸化、ルールを破る為に日本国民はあらゆる欺瞞を弄するw
「宗門人別帳」は犯罪防止的な意味で税も統計も関係ない、明治となって再び国家に危機が迫る状況で「壬申戸籍」が生まれた、戸主が「家」をベースに個人主義に走るのを防ぎその延長に組織が積み上げられ「国家」に統合される、家制度の軛は戦後の「新戸籍法」つまりGHQが国家主義のベースである戸籍を解体せんと襲い掛かるのだが、日本人特有のぶらかし?言い逃れで逃げ切ってしまった、そしてマイナンバーで完全カード式個別登録が成されたが戸籍制度はまだ生き延びている、と著者の憎悪はまだ続く
改めて著者は戸籍を「『日本人』の輪郭を映す鏡」と呼ぶ、マイナンバー時代になっても残るこの制度は、国際結婚や多文化共生の「見えざる障壁」となり続けている
選択的夫婦別姓や同性婚の議論とも深く絡むため、単なる過去の話で終わらない、戸籍研究の第一人者による本書は、身近な制度を通じて日本近代史を再考させる怨念こもる入門書、戸籍を「ただの家族記録」と思っている人にこそ、手にとってほしい一冊である -
Posted by ブクログ
2年程前から、2ヶ月に一度開催される近隣の読書会に参加しています、私より先輩ばかりの集まりで、皆様、読んだ本を詳細に説明していただき、楽しみにしてます。
この本は、前回の会で紹介されたもので、戸籍に関する歴史を説明した本ということで、歴史好きの私の心を揺さぶってくれました。どんな制度にも歴史があるのですね、楽しく読むとともに、自分の家族の家系図についても興味を持ちました。
以下は気になったポイントです。
・戸籍の本質とは「日本人であることの証明」である、 言い換えるならば 戸籍を持っている人は全て日本国籍ということであり、 裏を返せば 戸籍のない人は日本人ではないとみなされる(p20)
・外国人と日本人が結婚しても2人が「 夫婦」として名を連ねる 戸籍は作られることは ない、日本人の配偶者について新たな 戸籍が作られるのみである、 当人たちからすれば これでは結婚したという 達成感はないかもしれない、 ただし日本人の戸籍には外国人と結婚したという 法的な事実は記載される (p23)
・明治閏4年(1871) 4月4日、 太政官布告170号として、最初の戸籍法が 新政府によって交付された、 これに基づき 翌年から編製されたのが「 壬辰戸籍」である、 この戸籍は日本に居住する全ての身分、 すなわち「華族・士族・神官・僧侶・平民」に至る全ての身分のものを戸籍に登録することで、神国化において皆が平等な日本人となることを顕示するのが目的であった(p29)
・日本が近代の国歌を築いていく過程には欧米と対照的な特色があった、 君主制を廃止して 政教分離に基づく国民国家を築いた フランス などとは逆に「 日本」という国民国家を築く ためのシンボルとして、 神話時代から存在する君主、 すなわち 天皇をまつり上げた点である(p31) 天皇の威光の下に全ての人民が「臣民」として包摂されるという物語が作られた(p31)
・治安維持も戸籍制度における重要な目的であった、日本書紀には 670年に「戸籍を作る、 盗賊と 浮浪を断つ」との記述がある、戸籍を作るということは 社会からの「はみ出し者」を統制し彼らを国家の定めた秩序に回収することでもあった (p35)
・古代の公地公民制が滅びたのは、人民がアトム化して私益だけを求めたからである、 明治国家において それを再現させないために、まず人民を「家」の一員として設定することで、 各々が個人主義に流れることを防ぎ、その家の延長としての国家へと統合していく。 そこで 明治政府は「家長」を 戸籍制度の中に導入した、すなわち「戸主制度」である(p37)
・同じ戸籍に入っている者こそが「家」の一員ということである、 これが 明治 民法の要である、なぜ重要なのかというと、この家 すなわち 戸籍に入る、 入らないということを決めるのは「家長」の 権限とされたからである (p41) 戸主は、国家の出先機関として、家族を統制して「 正しき国民」としての倫理・責任感を植え付ける役割を託された(p46)
・隠居による 家督の交代は、家内の 権力関係の逆転をもたらすものである、 戸主に対する家族の恭順は当然とされるから、隠居した父が 今度は、新戸主(子供) の監督下に服することになる(p59)
・男系 社会は世界中に少なくないが、 日本のように「家を継ぐため」の手段として女が婿を取るというのは世界に類例がない。中国や朝鮮 などの儒教社会では 血統を表す「姓」に価値観があるので、婿という「異姓」 つまり 他家の人間に家督を渡すことはありえない(p62)
・政府が国民全般に、 苗字を持つことを許可したのは1870年である、 これは全国統一 戸籍の編製への布石であった、 ただ 許可制では国民が積極的に苗字を作ろうとしなかったため、 1875年には幼児の使用を義務化した (p66)
・人別帳は庶民を対象にしたもので、支配層である 武士は「分限帳」という武士 専用の登録簿によって管理されていた、僧尼 ・神官も、人別改の対象外であった。人別改は、天領と藩領のみであった(p85)
・ 琉球は「清」 を表として「 島津家」を裏とする 二重支配体制が行われていた、これが崩れることになったのは19世紀になって 欧米が東アジアに進出して、イギリスがアヘン戦争で中国を武力によって 屈服させたからである(p109)
・ 徴兵制は満17歳から40歳の男子を対象に「 国民皆兵」を原則にしていたが、 戸主・長男・ 養子・ 家業の管理者については 兵役を免除するものとしていた(p118)
・明治政府は 明治19年に戸籍制度の改正に踏み切った、 こうして生まれた 明治19年式戸籍は戸籍法の近代化を 導く 改革があった、除籍簿が作られたので、 明治時代までは 家系図を作ることができる(p126)
・ 2003年に個人情報保護法が制定、 2008年5月に戸籍法は改正された。 これにより有資格者についても請求事由を詳細に記載することを義務付け、 戸籍謄本などの交付請求の制限を厳しくした (p162)
2026年1月25日読破
2026年2月28日作成