播田安弘のレビュー一覧
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前作に続いてとても面白く、なるほどなるほどと何度もうなづく内容。
個人的には珠玉は最初の邪馬台国の謎。翡翠と鉄の道、海潮流、船の形状、方角は不安定といった前提から北部九州→日本海・山陰(水行)→大和(陸行)へというルートは非常に説得力があった。その上で、魏志倭人伝の記述の解釈に止まらず、皆既日食の分析、神話の記述、人口動態などを加味して候補地に点数付けしつつも結論は敢えて出していない。
秀吉の朝鮮出兵は亀甲船対関船の分析がメインだったが、秀吉の目的が潜在的侵略国であるスペイン相手に軍事力を見せて抑止することにあったのではという見立て、小西・加藤などの進軍速度が秀吉の中国大返しと同等のスピードで補給をどうしていたのかなどの視点も面白い。
日本海海戦については、T字ターンの戦術による勝利というよりは、長期航海による疲労と練度低下、石炭過積載や船底未整備による海洋生物付着よる速度低下、日英同盟によるロシア海軍の寄港拒否などの効果とあって、そもそも戦力差が日本とロシアで大きくついていたという分析。
第3巻が出たら是非読みたい!
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実は,前著とセットでメルカリで購入した。とてもきれいな本だったけど,わたしが一度読むと,赤線だらけになるんだよなあ。
さて今回も,著者の専門分野である「船」が絡んだ歴史的な事件を取り上げている。「邪馬台国は何処に在ったのか」「秀吉の朝鮮出兵」「日露戦争時の日本海海戦」について,科学的に考えてみると,どんなふうな世界が見えてくるのか,とても信じられる仮説として,歴史の見方が変わってくると思う。
ここでは,その一例として強敵ロシアのバルチック艦隊を破った日本海海戦について少しだけ紹介しよう。あの海戦は,東郷平八郎が考えた作戦(T字戦法)で勝利したことになっているのだが,本当にそうだろうか。
そもそも,バルチック艦隊は,7ヶ月もかけて地球を一周するくらいの航海をしてきている。日本は,ロシアの艦船たちがウラジオストクに寄る前に,日本海でたたくことを計画したという。むしろ,バルチック艦隊に勝てたのは,こちらの理由なのではないか。
7ヶ月も航海を続けてきた乗組員たちは,その間,戦闘の練習などができたのだろうか。食糧の調達に加え,当時の燃料である石炭はどれくらい積んでいたのだろうか。やっとたどり着いた日本海で待ち受けていたのは,戦闘練習をくり返し,海の特性を十分知っている日本の海軍だった…というわけだ。
著者はいう。
結局,日本海海戦の勝利は奇跡ではなく,日本は勝つべくして勝ったのす。「神話」として祀り上げず,なぜ勝てたのかをより理性的に分析していれば,三十余年後,中国などを怖れるに足らずと泥沼の戦争に突き進んでいった歴史は,少しはちがうものになっていたかもしれません。(本書,214ぺ)
歴史を科学の目で料理し直す。好奇心を刺激してくれます。 -
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これ面白い本です。歴史上の不思議な「事実」を科学の目で見ると,違うことが見えてくる…という。以前,板倉聖宣氏が『歴史の見方考え方』(仮説社,1986)という本で,人口の増減で見る新しい日本の歴史というものを提案して《日本歴史入門》という授業書を作ったことがあります。数量的にもの(歴史)を見ることで,これまでとは違ったことが見えてくるんですね。それでワクワクしたことを思い出します。
さて,本書の中身も似ています。扱っている内容は,3つしかありませんが,いずれも,具体的に数量的な基準を出してくることで,これまで一般的に言われてきた歴史的な事実?に対して「それはありえんな」「そんなばかな」「どこかに脚色があるのか」という疑念が沸いてきます。
例えば,1582年本能寺の変のあと,明智光秀の謀反を知った秀吉が,毛利と休戦を結んで「中国大返し」をして京都に戻って光秀を討ったという話。
その秀吉軍2万人が,数千頭の馬と共に,たったの数日間で京都まで行けたというのは,本当なのか。それを,2万人+馬分の食糧調達,2万人+馬分の糞尿の処理,武器や弾薬を持って歩くという強行軍,2万人分の寝る場所…などなどを考えると,とても急にこれだけ準備するのは難しい。しかも,やっとの思いで京都に着いたらすぐに光秀軍と戦う力は兵隊に残っているのか…これもまた,不思議だといいます。
文献の解釈は歴史家に任せるとして,科学的に考えると,どうなのか。そういう本なのですが,わたしは,こういう数量的な見方・考え方をしっかりしてこそ,歴史学者と言えるのではないか…と思います。古文書の解釈ばかり詳しくしても,それが事実かどうかは,分かりません。こういうことは,すでに40年近くも前に『歴史の味方考え方』に書かれています。
解釈ではなく,予想を立てて数量的に考えていく。それにより,本当の姿が見えてくるのではないでしょうか。
最後に,筆者の言葉を引用しておきます。
蒙古の撤退にしても秀吉の大返しにしても,歴史の謎とされているものは,「奇跡」とか「伝説」といった文言を纏っていることが多いようです。それが後世の人間の目までも曇らせているのかもしれません。歴史の研究の本道が文献の発掘や精査であることはもちろん承知していますが,人間が行う解釈という作業にはどうしても先入観を排除しきれないところがあります。物理や数学の観点も採りいれた研究によって、日本史の未解決問題の謎解きが進むことを願わずにいられません。(本書,227ぺ) -
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前作は、オーディオブックで聞いた。
今回は、紙の本で読んだ。
3ヶ月近くかけて読んだので、読み初めの頃の話しは、忘れたし、前作と内容がごちゃごちゃになってしまった。
でも、歴史の事実として伝えられていることを、データで検証し、実際にはこうだったのではないかと新しい歴史の姿を見せてもらえて、とても面白かった。
改めて、日本人の勤勉さと、技術力の高さを知ることができた。
しかし、その勤勉さ、技術力の高さゆえに、一部の人間かもしれないが、驕りが生じ、日本の歴史を良からぬ方向へと導いてしまったことも一度ならずあり、残念でならない。
謙虚でありたいものだ。
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技術者視点で日本史を解き直す。ブルーバックスならではの素晴らしい視点。好調につき第二弾!
前著は事の他好評だったらしい。早速の第二弾。
今回のテーマは邪馬台国、秀吉の朝鮮出兵、日本海海戦。
前著に引き続き、造船技術者だった筆者の技術的な視点から歴史の謎を解き直す企画。
邪馬台国については当時の船の状況や潮流の複雑な瀬戸内海より日本海航路の方が容易に航海できたことなど具体的に実証していく。
朝鮮出兵については日韓双方まだまだ研究は少ないが亀甲船と日本の補給の状況について定説に疑問を投げかける。
日本海海戦では奇跡の大勝利を日露の艦船の構成などから再検証する。
ブルーバックスから歴史書、というところが実に面白い。知的好奇心大満足の一冊であることは間違いない。
これだから止められない。講談社ブルーバックス万歳! -
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造船のエンジニアが、科学技術と数字に基づいて歴史を読み解く本。誰もが一度は疑問に思い、なんとなく聞くに聞けずそのままにしてきたこと例えば大軍の糞尿の処理をどうしていたろうとか、も突き詰めていて面白い。
検証の1つ目は弘安の役で、蒙古の撤退は台風や威力偵察だったからではなく、純粋に武士が追い返したからというもの。まずは高麗が命令された大型軍船300隻を作るのが、大型軍船1隻あたりの木材使用量と加工前木材から合計15万㎥、東京ドーム約150個分の広さになること。その他にも必要な労働力、建造期間から新造船が150隻にも満たなかったことを明らかにする。また、船員や馬の1隻あたりの数、船酔いのシミュレーション、上陸に要する作業と時間、水深から投錨に適した位置、日本の弓や刀の優れていたことなど、徹底して数字をもとに科学的に考察している。
続いて秀吉の中国大返し。METzから必要な食糧として1日おにぎり40万個、野営と不衛生による戦力低下、水運を利用した仮説、AHPと呼ばれる意思決定分析。
そして戦艦大和。大和の船体や武器だけでなく、戦後日本のものづくりの基盤となった上、大和の存在を知った日本人の心の支えとなったこと。 -
ネタバレ
正に『新たなる視点』!
2022年5月読了。
以前から積ん読状態だったもので、気には成っていたのですが、中々手が出なかったものです。
「科学的見地から歴史を考える」という発想は非常に斬新。著者は「歴史自体の専門家では無いので…」と謙遜されていますが、これだけの検証が今までされていなかった事自体に、正直驚きました。
既に沢山のレビューが上がっていますので、内容全部には触れませんが、どの考察も得心、感心するばかり…。秀吉の件は、先日NHKでも紹介されていましたね。確かに「海路」と云うのは盲点でした。
但し、この考え方を進めて「秀吉陰謀説」を語る方々には賛同し兼ねますが…。
街道(道路)整備及び兵站の下準備については、「信長への出陣要請を出している」事を考えれば「上様の為に…」と用意周到に手を回していたと考えるのが普通では無いでしょうか?
四国もまだ長宗我部氏と決着が付いていない状態だったのですから、信長が海路を選ぶとは思えません。そして、婚姻まで使って漸く長宗我部氏との話を取り纏めつつあった光秀に、全てを反故にして「四国召し上げ」と手を翻した信長への光秀の怒りを考えれば、この手の「真犯人は?」の問いにも自ずと答えは出るのではと。
戦中派以前の方は「戦艦大和」の存在を、戦後小説が発行されてから知った、と云う事も初めて知りました。ちなみに「大和ホテル」よりも前に戦艦長門が「長門ホテル」と呼ばれており、山本長官もそちらの「ご宿泊」の方が長かったのは有名ですw。
とにかく「目からウロコ」本ですので、文系理系を問わず興味の有る方にはお薦めします。
ただ、読後一番印象に残ったのは、終章に書かれている著者の「日本の未来への不安」です。
ココに、現代日本の問題点が凝縮されている様に感じて読了しました。
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Posted by ブクログ
最近歴史の調査が進んでいることもあって、以前にがっこうで習った有名な事件の真相が一般の本でも紹介されるようになってきました。とても興味深く読んでいます、それらを読むと当事者である武将も、私が理解できる考え方や行動をしていたことが徐々にわかってきました。
さて、この本は新聞か何かの広告で見つけて興味を持ったものですが、海上自衛隊で船の設計などに関わった方が、サイエンス(様々な計算など)を通して、歴史上の有名な3つの事件、事柄(3つ目な戦艦大和の存在意義)について述べています。
どれも素晴らしい視点で歴史の事件を捉えていていますが、本人は歴史学者じゃないのでと謙遜していますが、本を読み限り、歴史書もかなり詳細に研究されているようです。特に、第一回目の元寇である文永の役にて、日本の騎馬武士たちも集団戦法を使って戦っている絵(p58)は驚きともに、なんだかホッとした安心感がありました。最初はともかく、最後まで名乗りを上げた戦いをしたなんて、信じたくなかったので。
この本は著者である播田氏の一冊目のようですが、今後も続編を是非出して欲しく思いました。
以下は気になったポイントです。
・高麗は元からの命令(6か月後に軍船建造)を間に合わせるために、伐採・輸送に大人数をかけて期間短縮をし、かつ原木の乾燥を省いて生木のまま加工を始めた、生木を使うと曲がりや歪みが生じて水漏れの原因となるが(p25)
・実際に戦ったのは蒙古兵の中の、雇われ高麗兵が多数混じった寄せ集めの歩兵集団で、騎馬兵は指令官クラスで3%程度、いまでも対馬、壱岐には「モッコリ(蒙古)」「コックリ(高麗)」と言うと子供が泣き止むという伝承が残っているといわれる(p38、39)対馬海峡を横断するには海流の2倍の速度(2−3ノット)は必要となる(p45)
・竹崎季長は肥前の御家人・白石勢のおかげで九死に一生を得た、日本の武士団はけして一騎討ちに固執していたわけではなく、むしろ集団騎兵による突撃戦法を多用していた、白石勢の騎馬軍団が蒙古軍を蹴散らしている絵はほとんど知られていない(p59)
・蒙古軍の上陸地点が息の浜でなかったとすると、文永の役の全容も全く異なってくる、宮崎宮は炎上したものの博多の街は燃えなかった可能性がたかい、博多の街は何度も燃えているので発掘からはどの時代のものか判別が難しい(p63)
・近年の研究では鎌倉時代でもじつは一騎討ちなどは稀であり、ほとんどが集団で戦っていることが明らかになっている(p76)
・蒙古軍5000と武士2000人の日本武士団は集団騎馬攻撃で武器効率をあげるランチェスター第一法則に基づいた戦略で戦ったことにより、歩兵5000人の蒙古軍と互角に対抗した。蒙古軍の死者は半数の2500で壊滅状態、日本武士団も半数の1000を失ったが、騎馬は740が残存という結果となる、日本側の文献と数字が合う(p82)
・二重構造の日本刀は振り降ろして相手の剣に当たった時に、硬鋼の部分は圧縮力が加わることで大きな衝撃、軟鋼の峰部分は延びて引っ張り力が働き、衝撃を吸収する、軽量ながらよくしなって曲がらず折れずよく切れる日本刀は接近戦最強の武器となった(p85)
・世界の剣の多くは単層の硬鋼製で、衝撃で折れなくするため、刀身は厚く、重量は重く、おもに突きと、腕力で叩き切るために使うが、湾曲した日本刀は引き切る力が主体で、突きも可能。湾曲している日本刀は馬上から振り降ろしても食い込んで落とすことはない(p86)
・蒙古軍は上陸に時間がかかって全軍が一度に進軍できず、小刻みに兵員を増やすという最悪の逐次投入となって失敗した。博多の戦いで蒙古兵の戦死者を5000とすると、全体の約19%となり軍事セオリーからは撤退しかない(p87)
・蒙古軍が恐れたのは日本軍に援軍がくることと、北西風が吹き始めること、旧暦11月になると吹き始める季節風で、これが吹くと玄界灘は大荒れとなり当時の帆船では渡れなくなる、高麗国王の死により出撃が3か月延びたことが決定的な遅れとなり、これが謎の撤退の直接の理由である(p88)
・戦国時代の部隊は、上級武将を指揮官とする部隊(100名程度)を一つの単位として構成していた。馬上侍10、長槍20、旗指物20、弓10、鉄砲10、小旗1名、小荷駄隊(食料、武器を馬で運搬)20−30、2万の兵隊ならこれが200組(p105)
・英雄と呼ばれる人々には、決してギャンブルに運命を委ねず、リスクを小さくする努力を最後まで怠らない共通点がある、桶狭間の戦い、関ヶ原の戦いも準備は周到極まりなかった(p144)
・砲弾の威力は砲弾の容積で決まり、それは弾径の3乗に比例する、なので41センチと46センチ(18インチ)では、威力は1.41倍となる、パナマ運河を渡る必要から運河の幅を考慮すると、アメリカは41センチ(16インチ)の主砲が最高であった(p159、165)
・戦艦大和の貢献として、1)日本の重工業や機械工業の基盤作り、造船業はあらゆる製造業が集約した総合産業、造船が戦後に興隆したのは、大型ドックとブロック工法による、2)大和の巨大な測距儀は、レンズから機械式計算機を使って距離を計測するもので、カメラ、精密機器の発展に貢献した(p219)
2020年10月8日作成 -
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ネタバレ日本史サイエンス
蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和の謎に迫る
以下の通説に関して定量的なデータ解析からその可能性を検証しています。
元寇の文永の役で何故蒙古軍は撤退したか?
豊臣秀吉が明智光秀を討った中国大返は8日間で可能だったか?
戦艦大和は無用の長物だったのか?
著者は船舶の設計エンジニアで歴史の専門家ではないからこその発想かと思います。
竹蔵は今流行の学び直しをしているのですが、文系の科目の中に科学的に考えると納得ができないのにそれが立派な説として認知されているものが多数まぎれているのを知り著者と同じ気持ちになりました。数学や物理学のように正解が決められないものに関してはその説の先生様の学界でのポジショニングや派閥の力学で通説が決まっているのでは無いかと疑っています。
そうでなくても、「そのエビデンスは?」と問いたくなることが多いです。
著者は3つの説の検証を通して、科学的なデータに基づいたできる限りの説明の必要性やそれがかなわなかった場合の別説の考案が大切なことや、日本の物作りの技術が歴史を変える役目を果たしたこと、そしてその物作りや科学的な日本の力が弱まっていることなどを終章で述べていますが、竹蔵も全く同感です。
日本人にありがちな部分最適化に走る根本は目的が明確でなく、手段を先に考えてしまうという考え方の癖が大きな原因だと考えています。
自分で考えて答えの無い問いに答えることや、問いそのものを考える力が今問われている気がします。
竹蔵 -
Posted by ブクログ
蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和――日本史に刻まれたこれらの出来事を船舶の専門家である筆者は科学の視点から読み解く。
蒙古襲来で吹いた「神風」は単なる偶然かそれとも自然現象として説明できるのか。秀吉の大返しは短期間での大軍移動を可能にした兵站の工夫に秘密があった。戦艦大和の沈没には設計や戦術の問題が隠されていた。
著者は最新のデータや科学的手法を用いてこれらの歴史的事象に新たな光を当てる。科学の視点で歴史を紐解くことで出来事の背景や因果関係が浮かび上がり歴史が単なる英雄譚ではなく自然や人間の営みの結果であることが明らかになる。
過去を科学で読み解くことで未来への教訓を得ることができるだろう。歴史を歴史学者ではない新たな視点から読み解く。目から鱗が落ちる事々が楽しい。