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蒙古は上陸に失敗していた! 秀吉には奇想天外な戦略があった! 大和には活躍できない理由があった!
日本史の3大ミステリーに、映画『アルキメデスの大戦』で戦艦の図面をすべて描いた船舶設計のプロが挑む。
リアルな歴史が、「数字」から浮かび上がる!
【謎の一】蒙古軍はなぜ一夜で撤退したのか?
最初の蒙古襲来「文永の役」で日本の武士団は敗北を重ね、博多は陥落寸前となったが、なぜか突然、蒙古軍が船に引き返したのはなぜか?
【謎の二】秀吉はなぜ中国大返しに成功したのか?
本能寺の変のとき備中高松城にいた羽柴秀吉が、変を知るや猛スピードで2万の大軍を率いて京都に戻り明智光秀を破った「中国大返し」はなぜ実現できたのか?
【謎の三】戦艦大和は「無用の長物」だったのか?
国家予算の3%を費やし建造された世界最強戦艦は、なぜ活躍できなかったのか? そこには帝国海軍が冒していたある致命的な設計ミスが影を落としていた――。
小さな「数字」を徹底して読みとり、積み重ねていくと、
大きな「真実」のかたちが見えてくる!
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Posted by ブクログ
これ面白い本です。歴史上の不思議な「事実」を科学の目で見ると,違うことが見えてくる…という。以前,板倉聖宣氏が『歴史の見方考え方』(仮説社,1986)という本で,人口の増減で見る新しい日本の歴史というものを提案して《日本歴史入門》という授業書を作ったことがあります。数量的にもの(歴史)を見ることで,これまでとは違ったことが見えてくるんですね。それでワクワクしたことを思い出します。
さて,本書の中身も似ています。扱っている内容は,3つしかありませんが,いずれも,具体的に数量的な基準を出してくることで,これまで一般的に言われてきた歴史的な事実?に対して「それはありえんな」「そんなばかな」「どこかに脚色があるのか」という疑念が沸いてきます。
例えば,1582年本能寺の変のあと,明智光秀の謀反を知った秀吉が,毛利と休戦を結んで「中国大返し」をして京都に戻って光秀を討ったという話。
その秀吉軍2万人が,数千頭の馬と共に,たったの数日間で京都まで行けたというのは,本当なのか。それを,2万人+馬分の食糧調達,2万人+馬分の糞尿の処理,武器や弾薬を持って歩くという強行軍,2万人分の寝る場所…などなどを考えると,とても急にこれだけ準備するのは難しい。しかも,やっとの思いで京都に着いたらすぐに光秀軍と戦う力は兵隊に残っているのか…これもまた,不思議だといいます。
文献の解釈は歴史家に任せるとして,科学的に考えると,どうなのか。そういう本なのですが,わたしは,こういう数量的な見方・考え方をしっかりしてこそ,歴史学者と言えるのではないか…と思います。古文書の解釈ばかり詳しくしても,それが事実かどうかは,分かりません。こういうことは,すでに40年近くも前に『歴史の味方考え方』に書かれています。
解釈ではなく,予想を立てて数量的に考えていく。それにより,本当の姿が見えてくるのではないでしょうか。
最後に,筆者の言葉を引用しておきます。
蒙古の撤退にしても秀吉の大返しにしても,歴史の謎とされているものは,「奇跡」とか「伝説」といった文言を纏っていることが多いようです。それが後世の人間の目までも曇らせているのかもしれません。歴史の研究の本道が文献の発掘や精査であることはもちろん承知していますが,人間が行う解釈という作業にはどうしても先入観を排除しきれないところがあります。物理や数学の観点も採りいれた研究によって、日本史の未解決問題の謎解きが進むことを願わずにいられません。(本書,227ぺ)
Posted by ブクログ
造船のエンジニアが、科学技術と数字に基づいて歴史を読み解く本。誰もが一度は疑問に思い、なんとなく聞くに聞けずそのままにしてきたこと例えば大軍の糞尿の処理をどうしていたろうとか、も突き詰めていて面白い。
検証の1つ目は弘安の役で、蒙古の撤退は台風や威力偵察だったからではなく、純粋に武士が追い返したからというもの。まずは高麗が命令された大型軍船300隻を作るのが、大型軍船1隻あたりの木材使用量と加工前木材から合計15万㎥、東京ドーム約150個分の広さになること。その他にも必要な労働力、建造期間から新造船が150隻にも満たなかったことを明らかにする。また、船員や馬の1隻あたりの数、船酔いのシミュレーション、上陸に要する作業と時間、水深から投錨に適した位置、日本の弓や刀の優れていたことなど、徹底して数字をもとに科学的に考察している。
続いて秀吉の中国大返し。METzから必要な食糧として1日おにぎり40万個、野営と不衛生による戦力低下、水運を利用した仮説、AHPと呼ばれる意思決定分析。
そして戦艦大和。大和の船体や武器だけでなく、戦後日本のものづくりの基盤となった上、大和の存在を知った日本人の心の支えとなったこと。
Posted by ブクログ
最近歴史の調査が進んでいることもあって、以前にがっこうで習った有名な事件の真相が一般の本でも紹介されるようになってきました。とても興味深く読んでいます、それらを読むと当事者である武将も、私が理解できる考え方や行動をしていたことが徐々にわかってきました。
さて、この本は新聞か何かの広告で見つけて興味を持ったものですが、海上自衛隊で船の設計などに関わった方が、サイエンス(様々な計算など)を通して、歴史上の有名な3つの事件、事柄(3つ目な戦艦大和の存在意義)について述べています。
どれも素晴らしい視点で歴史の事件を捉えていていますが、本人は歴史学者じゃないのでと謙遜していますが、本を読み限り、歴史書もかなり詳細に研究されているようです。特に、第一回目の元寇である文永の役にて、日本の騎馬武士たちも集団戦法を使って戦っている絵(p58)は驚きともに、なんだかホッとした安心感がありました。最初はともかく、最後まで名乗りを上げた戦いをしたなんて、信じたくなかったので。
この本は著者である播田氏の一冊目のようですが、今後も続編を是非出して欲しく思いました。
以下は気になったポイントです。
・高麗は元からの命令(6か月後に軍船建造)を間に合わせるために、伐採・輸送に大人数をかけて期間短縮をし、かつ原木の乾燥を省いて生木のまま加工を始めた、生木を使うと曲がりや歪みが生じて水漏れの原因となるが(p25)
・実際に戦ったのは蒙古兵の中の、雇われ高麗兵が多数混じった寄せ集めの歩兵集団で、騎馬兵は指令官クラスで3%程度、いまでも対馬、壱岐には「モッコリ(蒙古)」「コックリ(高麗)」と言うと子供が泣き止むという伝承が残っているといわれる(p38、39)対馬海峡を横断するには海流の2倍の速度(2−3ノット)は必要となる(p45)
・竹崎季長は肥前の御家人・白石勢のおかげで九死に一生を得た、日本の武士団はけして一騎討ちに固執していたわけではなく、むしろ集団騎兵による突撃戦法を多用していた、白石勢の騎馬軍団が蒙古軍を蹴散らしている絵はほとんど知られていない(p59)
・蒙古軍の上陸地点が息の浜でなかったとすると、文永の役の全容も全く異なってくる、宮崎宮は炎上したものの博多の街は燃えなかった可能性がたかい、博多の街は何度も燃えているので発掘からはどの時代のものか判別が難しい(p63)
・近年の研究では鎌倉時代でもじつは一騎討ちなどは稀であり、ほとんどが集団で戦っていることが明らかになっている(p76)
・蒙古軍5000と武士2000人の日本武士団は集団騎馬攻撃で武器効率をあげるランチェスター第一法則に基づいた戦略で戦ったことにより、歩兵5000人の蒙古軍と互角に対抗した。蒙古軍の死者は半数の2500で壊滅状態、日本武士団も半数の1000を失ったが、騎馬は740が残存という結果となる、日本側の文献と数字が合う(p82)
・二重構造の日本刀は振り降ろして相手の剣に当たった時に、硬鋼の部分は圧縮力が加わることで大きな衝撃、軟鋼の峰部分は延びて引っ張り力が働き、衝撃を吸収する、軽量ながらよくしなって曲がらず折れずよく切れる日本刀は接近戦最強の武器となった(p85)
・世界の剣の多くは単層の硬鋼製で、衝撃で折れなくするため、刀身は厚く、重量は重く、おもに突きと、腕力で叩き切るために使うが、湾曲した日本刀は引き切る力が主体で、突きも可能。湾曲している日本刀は馬上から振り降ろしても食い込んで落とすことはない(p86)
・蒙古軍は上陸に時間がかかって全軍が一度に進軍できず、小刻みに兵員を増やすという最悪の逐次投入となって失敗した。博多の戦いで蒙古兵の戦死者を5000とすると、全体の約19%となり軍事セオリーからは撤退しかない(p87)
・蒙古軍が恐れたのは日本軍に援軍がくることと、北西風が吹き始めること、旧暦11月になると吹き始める季節風で、これが吹くと玄界灘は大荒れとなり当時の帆船では渡れなくなる、高麗国王の死により出撃が3か月延びたことが決定的な遅れとなり、これが謎の撤退の直接の理由である(p88)
・戦国時代の部隊は、上級武将を指揮官とする部隊(100名程度)を一つの単位として構成していた。馬上侍10、長槍20、旗指物20、弓10、鉄砲10、小旗1名、小荷駄隊(食料、武器を馬で運搬)20−30、2万の兵隊ならこれが200組(p105)
・英雄と呼ばれる人々には、決してギャンブルに運命を委ねず、リスクを小さくする努力を最後まで怠らない共通点がある、桶狭間の戦い、関ヶ原の戦いも準備は周到極まりなかった(p144)
・砲弾の威力は砲弾の容積で決まり、それは弾径の3乗に比例する、なので41センチと46センチ(18インチ)では、威力は1.41倍となる、パナマ運河を渡る必要から運河の幅を考慮すると、アメリカは41センチ(16インチ)の主砲が最高であった(p159、165)
・戦艦大和の貢献として、1)日本の重工業や機械工業の基盤作り、造船業はあらゆる製造業が集約した総合産業、造船が戦後に興隆したのは、大型ドックとブロック工法による、2)大和の巨大な測距儀は、レンズから機械式計算機を使って距離を計測するもので、カメラ、精密機器の発展に貢献した(p219)
2020年10月8日作成
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