西野智彦のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ本書の著者は「ドキュメント日銀漂流」という本も出版されている「西野智彦氏」です。
この方の前作の「ドキュメント日銀漂流」は、日本銀行の1995年の「松下総裁」から、2022年の「黒田総裁」までを扱っていましたが、今回の「ドキュメント通貨失政」は、1971年~1974年の「佐々木直」総裁時代を取り上げています。
この期間は、言わずと知れた「高度成長」真っただ中の、日本の黄金時代です。その中で中東戦争が起こり「石油危機」が招来します。
その転換期であったこの時の、政治と日銀の動きの舞台裏を、本書は実に迫真に迫る内容で描いています。
すでに当時から50年以上たっていますから、当時の関係者は鬼籍に入っている方も多いのです。
それを著者は、書き残した文書や著書、また財務省や日銀の史談録や、回顧録などを活用して、1971年に起きた日本経済の大混乱の様子を再現しました。
1971年の日本の当時の、総理大臣は佐藤栄作、アメリカ大統領はニクソンです。
そのリチャード・ニクソン大統領が、1971年8月に突然「ドルと金の交換停止」というテレビ・ラジオ演説を行いました。
その持つ意味が、日本ではわからずに右往左往します。
当時のアメリカでは、ベトナム戦争の巨額の出費もあり、恒常的な財政赤字に悩まされており、対外債務に対する金保有量の減少に耐えられなくなったのです。
当時の国家間の為替相場は、金で裏打ちされた固定相場でしたから、海外に流出したドルは、金と「交換の要請があれば応えなければならなかったのです。
当時の日本は、現在とは違って、経常黒字が続いているとはいえ、それは69年70年の2年間でしかなく、固定相場からの円の切り上げは、断固として阻止すると、政治も日銀も考えていたようです。
その時に起きていたのは、外為市場での、固定相場を維持するための、日銀の、大幅な円売りドル買いの動きです。
そこで、市場を閉鎖するかどうかで、関係者が動揺した結果、「待ち」で、そのまま市場を開き続けることになるドタバタの顛末が書かれているのです。
日本では、政府の政治家も、日本銀行も、円高は日本経済の危機につながると思っていたようです。
8月16日の「ニクソン声明」から、8月28日の「フロート移行」までに、日銀が行なった為替介入の総額は46億ドル。当時としては巨額の介入です。
日銀がその損失を被ることとなりました。
当然国会でも追及されます。しかし、当時の日銀は1㌦360円を堅持するということで、銀行や企業を引っ張っていましたから、為替差損を民間に押し付けることはできなかったと言っています。
そうなると、1971年夏に、市場を開け続けたことが、歴史的失策だったというのが、その後の日銀内での定説となっていると書いています。
この時代の金融政策は、日銀の専管事項ではありません。現在とは違って、政策金利は「公定歩合」という手段で決められていました。
「公定歩合」は、日銀によって検討され、大蔵省との調整を経て、正副総裁と理事による役員集会(通称マル卓)で、事実上決定されていました。
その後、日銀は0.5%の公定歩合の引き下げを断行します。「低金利の時代」の始まりです。
これにより、いわゆる「過剰流動性」の萌芽が生まれたと本書は指摘しています。
足元の経済力と照らし合わせた時に、どの程度の円ドル相場が適切なのかを判断する材料は、大蔵省も日銀も持っていなかったと書いています。
1㌦308円が不当な円高水準なのかはわからなかったのです。
日本全国に悲観論が広がる中で、日本の貿易黒字は増加の一途をたどり続けていました。
新平価を維持するための当局の円売り・ドル買い介入の結果、外貨準備高も上昇する中で、欧米の視線も厳しくなり、円の「再切り上げ論」が頭をもたげます。
こうした中で、内需拡大で黒字減らしを進めるために、一層の金利低下を図るべきだという意見が出てきます。
円切り上げの阻止という圧力の下で、追加利下げに向けた流れが加速していったとされています。
国内需要を増やすことにより、輸入を増やし、貿易黒字の削減をははかる「拡大均衡戦略」だったとされています。
日本が大幅な貿易黒字を積み上げる中、欧米の「円切り上げ」の圧力が強まってきます。
それを阻止しようと、黒字減らしのために「公定歩合」を下げる道に進みます。内需を拡大して、貿易黒字を吸収しようとしたのです。
そういう内部の動きを、本書は詳細に追いかけているのです。
1972年、田中内閣が誕生します。
中国との歴史的な「国交正常化交渉」を成立させた田中総理は、帰国時の記者会見で「円の再切り上げには、中小企業はとても対応できぬというのが現状であり、国内政策を行うべき」と発言します。
これは、「通貨高による輸出抑制」ではなく、「景気を刺激して輸入拡大」を図る戦略です。
この時の政治の世界では、「貿易黒字を解消するには経済基盤の拡大しかない」という考えから、「適度なインフレ」を起こそうと、財政のアクセルを踏み込んだとしています。
そして「日本列島改造ブーム」を背景に、土地の買い漁りが全国で広がり、実体経済が必要とする以上のカネが市中に存在する「過剰流動性」状態が、ついに出来上がったとしています。
日本の貿易黒字の拡大に対する、アメリカからの猛烈な圧力の下で、何としても「円切り上げ」を避けたかった日本政府は、景気を吹かすことによって国内需要を増やし、それによって輸入を拡大する。
そうすれば、貿易黒字が減少して、アメリカからの圧力もなくなるという考えだったのです。
しかしその結果が、その後起きた「狂乱物価」だったとは、何とも救いがありません。
貿易黒字が増大する中で、アメリカからは「円の再切り上げ」の圧力が強まります。
その中で、政治の世界では田中総理が「円の再切り上げは避ける」という方針を堅持します。
物価が高騰し始める中で、日銀は公定歩合を上げることを模索しますが、「円の再切り上げ」を阻止したい方針は、田中総理・大蔵省ともに同じでした。
この当時の日銀は、大蔵省の監督下にあったのです。
日銀側からは、何回か利上げをしようとしたのですが、補正予算を組んでいる時や、総選挙前はとんでもないとか、政府側が受け入れなかったと書いています。
利上げの検討が始まってから、半年近くの時間が経過して、やっと0.5%の利上げが実施され、その後物価の上昇の対策として、次々と0.5%、1%と利上げが続きますが、すでに遅かったのです。
物価の高騰が止まりません。
そんな矢先に、中東戦争がはじまり、オイルショックが襲来します。
狂乱物価となります。1974年2月の消費者物価指数は、26.3%上昇。狂乱物価は止まらず、1年以上にわたって2桁インフレが続きます。
本書は次のように指摘しています。
「円の切り上げを恐れるあまり、政府・日銀は、通貨膨張を見過ごし、引き締めのタイミングを誤まった挙句、日本経済をインフレと不況が併存する未曽有のスタグフレーションへと導いたのである」
この時代に小生は、リアルタイムに経験していましたが、この当時に政治と金融の世界でこのような動きがあったなんて、まったく知りませんでした。
その経過を、著者は、多くの資料から、まるでドキュメントのように再構成しているのです。
本書を読んでの驚きの一つは、この時代の狂乱物価の原因は、中東戦争によるオイルショックによるものではないということでした。
オイルショックは、狂乱物価の引き金にはなったのかもしれませんが、遠因は、ニクソン・ショック以来の為替管理政策の失敗にあるとしています。
そして、それ原因として「円切り上げ忌避」の空気がまん延していたことが挙げられているのです。
もう一つの驚きは、日銀が金利を上げようとしても、国会が開いているときはダメ、選挙がおわるまではダメと、政治からの制約で、思うように対応できなかったことです。
なるほど、その後の日銀が「独立性」を、絶えず希求していた理由にはこの経験があったからなのかと納得する思いを持ちました。
本書を読んで、「通貨政策」と「金融政策」は、普段は見えないし感じないものですが、実に経済に大きな影響をもたらすものかを理解できたような気がしました。
本書は興味深いですよ。ぜひ読むことをおすすめします。 -
Posted by ブクログ
本書はさすがドキュメントと名打つだけあって、わかりやすく読みやすいてす。
1996年以降の、5人の日銀総裁のそれぞれの活動と日本経済の軌跡を追って紹介しているのですが、現在の黒田日銀の異次元緩和に至るまでの、金融政策の変転が詳細に紹介されていて、すこぶる興味深い読み物に仕上がっています。
まず松下総裁時代(1996~1998年)です。
1997年の北海道拓殖銀行破綻と山一證券の破綻は、小生はリアルタイムに経験していましたが、当時何が起きているのかは、会社が破綻したという表面しかわかりませんでした。
社長が記者会見で大泣きしながら「社員は悪くありません」と叫んでいたのを思い起こします。
本書では、その時の関係者の動きも、実にリアルに紹介されています。当時の日銀、大蔵省、自民党の政治家が、それぞれの利害と見識を賭し動いていたのですが、当然当時は誰にも知られることはありませんでした。
その間の詳細な動きをドキュメントとして描いた後に、本書は「カミソリの刃を渡るような危機を、日本は何とかしのぎ切った」と最後に書いています。
一般国民は、何も知らされていなかったのだなと驚くとともに、社会において金融システムという目に見えない構造が持つ重要性を改めて知らされました。
次に速水総裁時代(1998~2003年)です。
当時、大蔵省での接待汚職事件が夜を騒がせる中で、日銀の接待もやり玉にあがられたことが書かれています。ただ当時日銀では、銀行関係者との接待は禁止されていず、むしろ推奨される空気があったことは初めて知りました。
しかし、この世間の雰囲気は日銀の金融政策を進めるうえで微妙な影響があったのでしょうか。権威の失墜は免れなかったのでしょう。
1999年に「デフレ懸念が払拭されるまでゼロ金利を継続する」と追い込まれます。政治と世の中は、金融緩和・ゼロ金利が景気上昇へとつながると信じていて、日銀はそうは考えていないことが本書で詳細につづられています。
速水総裁は敬虔なクリスチャンで、総裁室の奥の小部屋には「恐れるな、私はあなたと共にいる」との聖句が書かれた掛け軸があったそうです。政治との関係の決断には、人間としての背景があったのでしょうか。
次は福井総裁時代(2003~2008年)です。
福井総裁は「思い切った量的緩和でデフレ脱却を果たし、5年の任期中に元の姿に戻すこと」をひそかに誓っていたとされています。
ところが量的緩和の解除に首相官邸が立ちはだかります。とりわけ強硬に反対したのは官房長官の安倍晋三だったとあります。
その時期に福井総裁が村上ファンドに出資していたという問題が爆発します。それを押し切って福井総裁は「ゼロ金利を脱し、コールレートの0.25%上げに踏み切り」ます。
その直後に発表されたCPI(物価指数)上昇率が、5年に一度の基準改定により大幅に下方修正されたのです。「CPIショック」です。
自民党からは「3月の量的緩和は誤りだった」との声が渦巻きます。お金をどんどん刷ればいいとするリフレ論者からは「早期に出口に向かった結果、再びデフレに陥った」と日銀を批判します。
金融緩和は景気を浮揚するのか。現在のあと知恵では、効果は少ないといえるかもしれないが、当時は誰もそのようには考えませんでした。日銀内の専門家以外では。
次は白川総裁時代(2008~2013)です。
福田内閣時代で衆参ねじれが起こったのがこの時代です。リーマンショックが世界を襲った時期でもあります。
総裁の椅子が政治の混迷で空席となる異常事態となりました。戦後初めての事態です。白川副総裁が総裁代行となり、その後やっと総裁に指名されました。
この「一連の騒動は、高度な専門性と独立性が求められる中央銀行の人事に「むき出しの政治」を持ち込む前例となった」と本書は記しています。
政治家の日銀と金融政策の介入に遠慮がなくって来たということでしょう。
民主党政権の下でデフレとの闘いが続きます。2010年には菅首相の所信表明演説の後に「コールレートを0~0.1%に引き下げる実質ゼロ金利の導入」がされます。
そして、東日本大震災です。復興を理由としてリフレ派が決起します。「デフレ、円高という貨幣的症状が出ているのですから、金融拡張が当たり前の処方箋です」と、白川総裁が大学3年時に指導教員だった浜田教授が主張します。その主張が誤りだったことの証明に、その後10年かかります。
最後は、現在の黒田総裁(2013~ )です。
「黒田バズーカ」の出発です。異次元の金融緩和として、「短期決戦」を目指して思い切った金融緩和を進めました。
始まってから1年は、まずまずの成果を上げたと関係者は考えていたといいます。
「これは後で判明したことだが、景気は既に前年11月に底を打ち、安倍内閣発足時には穏やかな景気回復が始まっていた」と書かれています。運がよかったんですね。
そして「黒田バズーカ第二弾」と「マイナス金利導入」です。不利益を被る金融界との不協和音などが描かれています。
そして長期戦となることによる「副作用」の拡大です。日銀は専門的な知見から様々な手法を提示していますが、事態を制御出来ているようには、本書からはみえませんでした。
「金融政策がこうも難解複雑になったのは、2%達成まで緩和を続けざるを得ない苦しい事情と、緩和の副作用をこれ以上放置できない現実論との狭間で、妥協のパッケージを積み上げてきたからである」とあります。
黒田総裁は、2019年11月の国会報告の場で「確かに私どもの判断が楽観的すぎた(中略)政策として間違っていたとは思わないが、予想していたよりも、根強い家計、企業の賃金、物価感というのがそう簡単に転換してこなかったということが一つあるのかなというふうに思っております。これは私どもとしての反省でございます」と述べたといいます。
本書は、経済の専門家でなくとも読んである程度の概略がわかる良い本だと思いました。
経済は複雑で難しく、しかも評価のタイムスケールが長いものですから、なかなかその時点の政策が正しいかどうかの判断がつきません。
しかし、本書はそれを、世の中の流れと象徴的な経済事象を紹介することによって、わかりやすく進めています。良い本だと思いました。 -
Posted by ブクログ
経済システムに疎い今の私には正直少し難しく、グイグイ読めなかった。
読み終えての感想は、政治家が本当に無責任極まりなく、お金をばらまくように強く日銀に圧力をかけて、風向きが狂い始めた瞬間、すべての責任を日銀におしつけるような印象を持った。
アベノミクスの3本の矢のうち、異次元緩和で幾らか消費や雇用は上がったのかもしれないが、大企業はばらまかれた金を元手に円安システムを利用したビジネスばかりして、成長・開発・チャレンジを怠って、挙句円安システムで稼いだ金をため込んで、社員や下請けに還元しなかった。その結果、企業のビジネス力は一気に低下、海外で台頭していた日本企業の多くは世界的に埋もれた。異次元緩和は酷い副作用としてとんでもない円安をもたらし、輸入製品や資源を購入して生活する僕たち私達一般市民が貧しくなった。
2本目の矢、第3本目の矢の不発が何故堂々とほったらかされてしまったのか気になるが、円安で何もかも高くなって海外旅行にもろくに行けなくなった、そんなわけで市民の目で見て異次元緩和政策は総合的に「失敗」だと考えている。 -
Posted by ブクログ
内田発言は、極めて重要なシグナルだった。いずれ来る異次元緩和の出口では、まず日銀当座預金に付利している金利水準を引き上げることで短期市場金利を底上げし、長期金利についても「二%水準に見合ったレベル」に誘導するため日銀のバランスシートを適宜圧縮していく、 と初めて示唆したからだ。
日銀にとっては、売出手形を出さなくても余剰資金を回収できる便利な仕組みであり、付利制度が持つ「自動吸収メカニズム」が働いた結果、当座預金だけが大きく膨らんだとも言える。 ただ、当座預金が二〇〇兆円を超えると、○・一%の付利は金融界に年間二〇〇〇億円程度の補助金”を与える計算になる。また、長期国債の買い入れについても、日銀は応札が予定額に達するまで「言い値」で買わざるを得ない仕組み(コンベンショナル方式)となっているため、 市場実勢を上回る「高値買い」が常態化していた。
最後に、若干の私見をお許しいただきたい。異次元緩和に対する、筆者なりの「暫定評価」 を述べようと思う。
円相場は、黒田就任時の一ドル=九四円台から下落し、一時一五一円まで振れたあと、退任時には一三六円となった。企業収益は一〇年間でほぼ倍増し、日経平均株価は一万二〇〇〇円台から三万円台まで回復した。失業率は二%台半ばに低下し、新規雇用者は四三〇万人ほど増えた。いずれも黒田が胸を張る戦果”である。
だが、その反面、日本経済の潜在成長率は○・八%から○・三%に低下し、一人当たりGDP はG7で最下位に沈む。名目GDPもドイツに抜かれ、世界第四位に転落する見通しだ。一人当たり労働生産性はOECD加盟三八ヵ国のうち二九位と低迷し、平均年収では韓国にも追い抜かれた。さらに円安と資源高、そして産業空洞化により貿易赤字が常態化した。
肝心の物価は原油高と円安の影響で一〇年目に急騰したが、頼みの賃上げが追い付かず、国民の多くは生活水準の低下に苦しんでいる。株高で潤った人もいるだろうが、全体として暮らしが楽になり国が豊かになったとは言い難い。
実はその前の一○年間と比較しても、大きな進展はみられない。
黒田時代のGDP成長率は平均〇・六%だが、その前の福井・白川の時代は○・七%と、ほとんど差がない。前半の五年は海外の好景気に救われ、後半の五年はリーマンショック、コロナウイルスという「外的ショック」に苦しめられた点も酷似している。
平均のインフレ率は、福井・白川時代がマイナス○・一%、黒田時代は消費税増税の影響を除けばプラス○・五%に回復したが、「ゼロ近傍」で推移してきた日本の物価トレンドが劇的に変化したとまでは言えない。少なくとも、インフレ目標を掲げて人々の期待に働きかけ、異次元レベルでマネーを増やせば物価が上がり、物価さえ上がれば経済が復活するという単純な話でなかったことだけははっきりした。
プリンストン大学教授の清滝信宏は、二三年五月の経済財政諮問会議で異次元緩和の問題点を次のように指摘した。
「長期的には生産性や総生産の成長が停滞することになる。量的・質的緩和が持続的成長につながらないのは、一%以下の金利でなければ採算が取れないような投資をいくらしても経済は成長しないことからも分かる。また、長期金利を低く抑える政策を長く続けると、国が一方的な投機にさらされ、国民負担が増えることになる」
一方、白川も同年三月、IMFの季刊誌に寄稿し、「壮大な金融実験だったが、インフレへの影響や経済成長への効果はささやかなものだった」「学者と中央銀行家たちは、現行の金融政策の枠組みとその支えとなる知的モデルについて深く内省すべき時だ」と批判的に論じた。
もっとも、黒田が就任した時点でコールレートはすでにゼロ%に貼り付いており、追加緩和といっても長期金利を○・六%引き下げたに過ぎない。異次元緩和と称しつつも、しょせんはその程度の金利引き下げ効果で総需要や期待インフレ率を一気に押し上げるなど最初から無理な相談だったのだ。
にもかかわらず、「期待への働きかけ」を強調するあまり、「期待を削ぐような発言」ができなくなり、やがて経済の実態を誠実に語ることが困難になる。現実との乖離や矛盾を批判された黒田は、「そういう見方は全く当たらない」「そういう議論は全く無意味だ」などと激しい言葉で記者に反論し、それがかえって日銀の信認と総裁の権威を傷つけた。
だが一方で、黒田緩和にはそれまでの常識を超える『薬効”もあった。まず、量的緩和を巧みに「演出」し、国際社会の批判を回避しながら「通貨安の誘導」に成功したことだ。
一二年暮れに始まった円安・ドル高は、そもそも同年夏の欧州債務危機の収束がきっかけだったとされている。だが、相場反転の理由が何であれ、その後の安倍の「無制限緩和」発言と黒田の異次元緩和が円安の流れを強力に後押ししたのは間違いない。
これにつれて日本株の買い戻しも本格化し、ETF買い増し効果も重なり株式市場は本格的な上昇局面を迎えた。リーマンショック後の閉塞感を吹き飛ばし、景況感を一気に改善させたのは紛れもない円安・株高の効果だった。
本来、日銀にとって為替や株価は管轄外であり、金融政策との関連も公式には認めていない。 だが、黒田が「デマケ」を標榜しつつも為替を意識していたのは明白で、ある財務事務次官0 Bは「異次元緩和は円安誘導が目的だった」とはっきり認めている。
だが、この成果もしょせん為替市場に精通した黒田だからこそできた“個人芸”のようなものだ。こうすれば必ず効くといった定石はなく、もし金融政策が為替安定に効くという誤解と幻想を広げたとすれば、これも「負の遺産」となりかねない。
第二に、異次元緩和が「政治経済的」に成功を収めたことも、薬効と呼べるかもしれない。
アベノミクスを掲げた安倍は国政選挙で連戦連勝し、未曽有の長期政権を手にした。黒田が史上最長の在任期間を得たのも、安倍の絶大な信任を得ていたからである。あれほど政治家に叩かれていた日銀自身も「穏やかな日々」を送ることができた。
ただ、この過程で政治家たちは大規模緩和の居心地の良さを知り、YCCを「打ち出の小槌」とみなす者まで現れた。超低金利が経済の隅々まで浸透した結果、ここからの脱出は各方面に激痛をもたらし、政治的な反発を招くのはまず避けられない。政治経済的な薬効は、いずれ「外圧」となって日銀に跳ね返ってくるだろう。
このように、異次元緩和は現時点で功罪さまざまだが、最終評価は、むしろこれからにかかっている。
複雑な政策スキームを混乱なく解きほぐし、副作用を抑えつつバランスシートを圧縮するには、気の遠くなるような時間と知恵が必要である。そして本文に記したように、出口に無事到達するには、累卵の危機にある財政の立て直しが必須条件だ。
こうしたハードルを越えるには、潜在成長率の引き上げに向けた構造改革と、血のにじむような財政健全化の努力が不可欠だが、最近の防衛増税や所得減税論議を見るにつけ、選挙一辺倒の政治家たちにそうした覚悟があるとはとても思えない。
また、財務省と日銀の間でも「繊細かつ戦略的な協調プログラム」が求められるが、それを企画実行できる人材がいるのか、実は心許ない。とにかく人材の流出が止まらないのだ。
金融正常化のプロセスは、植田体制の五年間だけでなく、さらに次、あるいはその次の代まで引き継がれるかもしれない。そしてその険しい取り組みを終え、すべての「政策コスト」が判明した時点で初めて異次元緩和の最終評価も定まることになる。それまでは、いかなる自己採点も、いわんや『勝利宣言”も無効である。
黒田は、二○二三年一一月掲載の「私の履歴書」(日本経済新聞)で、三重野、速水、福井ら日銀出身総裁の金融政策を批判し、自身の政策については「デフレを脱却して物価安定を実現するための有効な代案はあっただろうか。私なりに国益を追い、最善を尽くしてきたつもりだ」 (一一月二八日)などと正当化した。長年の激務には深い敬意を表するが、この段階での自己総括は、いかなる事情があるにせよ拙速にして失当と言わざるを得ない。 -
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第一歩目から大惨事の結末しか予想されなかった安倍政権による日銀財布計画(モラルハザード)
2013年から2023年末までを詳細に追ったドキュメント。
読んでて止まらない(半日で一気に読みました)
臨場感っていうんですかね、そういうものもあってもっと星が多くてもいいのでは?とも自分でも思うんですが星3です。
というのも
10年間の安倍、黒田を中心とした「刹那主義政策」が詳細に書かれてて読んでて楽しいんですが、いかんせん「実はそうだったのか!」「あの失策にはこんな熟慮が!」「万分の1の不運で失敗した戦略だったのか!」「こんな自身の信条をかけたバトルが!」という驚きはあんまりなくて。勿論知らなかった内情といいますか、「政治」のお話はそれこそ至る所に散りばめられてはいるんですが、とはいえ大筋は2012年末から一般国民としてテレビや新聞の向こう側から眺めていたものの同じ。
無茶苦茶に見えた人達は実は無茶苦茶だった。
(安倍以外の登場人物はスーパー賢い人ではありますが)
意外性ゼロ。
でも密室のはずの会話が肉の体感を持って書かれてるのはいいですね。人ってとにかく喋りたがりですからね。
ふぅ。
本の内容からはぜんっぜん離れますが、2012年12月から今まで、私はとにかく人生というか、資産運用を大失敗してしまった。
第二次安倍政権発足、黒田新総裁就任。
長国のみならずETFにREITの購入。
当時の私は「モラルハザード!」「アベノミクスなんてのは嘘っぱち!必ず短期間でボロが出る!」と上司や同僚と話していました。
但し「そうだよなー」と同意していた私の上司は2013年1月に日経平均投信をキャッシュ1億超購入、相続がらみで出た都内高級住宅地広めの土地を即決購入。
「ほんとですよねー」と同意していた同僚先輩後輩達は元麻布、六本木、青山、欅町、代官山と港区限定で続々と区分マンション購入。
私の部下の若い女性に至っては
「今◯◯駅から徒歩5分の土地が出たんで買いました。これからマンション一棟建てます。」
私は内心「揺り戻しが来た時に耐えられるの?」と思っていたが現在の彼らの資産合計は数十億。
(元々実家も極太なのに)
彼らは安倍と黒田がキチガ◯じみた政策で日本を日本円を壊しに来てるのを察知するとともに、「バカでも儲かる状況を作ってくれたから利用するしかない」と2013年を中心に一気に動いていた。
私も彼らと全くの反対意見(日本崩壊シナリオ)ならばせめて米インデックスを借金してでも買っておけば良かった話なんですが何もせず。
悲しい。しくしく。
頭が悪いと不幸が近寄ってくるの。
よく言われるように安倍黒田の10年は、お金持ちをよりお金持ちに、貧乏をより貧乏にした10年だったなぁと思い返しながら読めました。
(とはいえ貧乏から脱出するチャンスがあったにも関わらず何もしなかった私が悪いんですけどね)
そんな逆恨みをこめて星3
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Posted by ブクログ
バブル崩壊から後始末に費やした15年。本書のキモもその平成前半にあたる15年で、後半戦については日銀の金融政策を中心として、あとリーマン・ショックを軽く扱う程度。東電救済、サラ金規制、地銀の苦境など、おもしろいテーマは他にもあった気がするけれどね。ジャーナリストが(おそらく)自分の取材をベースに書いているものなのでやむを得ないか。まあ、バブル後始末に比べればネタが小粒と言われるとそうかもしれない。
時系列で起こったことをひたすら連ねていきながら関係者の証言で多少の味付けをしていくジャーナリスティックなスタイル。自分がほぼリアルタイムで知っている出来事を歴史として読み返すので、つい自分史と重ね合わせてしまうのも一興。しかし、なんという長い時間、多大な労力が注ぎ込まれたことか。
後知恵で読めば公定歩合5%なんてナンセンスに思えるが、当時は地価もいつかは回復すると思っていた人が多数派だったのだろう。われわれも物価上昇がふたたび訪れると信じられないくらいになってしまったが、この先はどうなることやら。