久保友香のレビュー一覧
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日本におけるガングロ・ルックはいつどのように広まって、どう変遷して、どう滅んだのか?という歴史を研究した本。
90年代の渋谷ギャル文化に関する内容が大半なのだろう、と読み始める前は思っていたが、源流としてまさかの20世紀初頭フランスの話から始まる。そして半分くらい過ぎてようやく90年代に至るのだ。だがそれがいい!
フランスやカリフォルニアを手本としていたところから、徐々に「見立て」の仕方が尖っていき、いつの間にか独自の文化として生成していく過程が丁寧に描かれ、夢中で読んだ。
歴史を追ってきて終盤で「ゴングロ」に至るところは、「ついにここまで来た…!」と謎の感動すら覚えた。
各時代でガングロ・ルックを実践していた当事者の証言が厚く収集されている。当時どんな様子だったか、何が「カッコいい/イケてる」とされ何が「ダサい/イケてない」とされていたか、どんな思いでその文化の中にいたのか。当事者の声が効果的に挿入されるので引き込まれる。
文化の成り立ちや変遷を読み解く実践として非常に参考になった。ギャル文化に無縁のおじさんでも面白かったので、文化の研究に興味がある方に広く勧めたい。 -
Posted by ブクログ
SNSで載せる自撮り写真を加工して、美肌、目を大きくしたりするのは、化粧をする様な感覚でやっている人も多いだろう。
このような「盛り」を筆者は真面目に研究している。
この本を読む事で「盛り」をポジティブに捉えられるようになった。
プリクラから始まる盛りの歴史、変遷が事細かに説明してあり面白い。
へーそういうことだったのかと納得。
当時は、なんで皆プリクラのシールを手帳に貼ってるのか、全く理解できなかったけど、今のLINEの友達何人、みたいな感覚と一緒だったんだな。
盛りは一見、自分をただ良く見せる為の独りよがりの自己満足なのだと思っていたが、コミュニケーションのスキルなのだと言うことがわかる。
自分が自分らしくあるための方策としての、盛り。
コミュニテイ内での相対位置を決める為のキャラ作りのような。
ある意味、場の空気をよく読んで、盛りかたも調整し、自分の事を理解してもらうように使うのではないか。
109のギャルファッションがカリスマ店員という、自分達と同じ立場の人間から発信されたという事。読者モデルの隆盛も同様、上から流行を落とされるのではなく、自分達の中から自分なりの表現をしている人が評価される。
この時点でインスタなどのSNS発信の流行の素地が既に培われていたのだと理解しました。
裏原宿なども同様で、自分達目線のストリートから出てきたことで支持を得られる。
自分自身を表現といっても、自我を見つめるような堅苦しいことではなく、ファッションを楽しむような自分なりの、工夫を肩の力をぬいて楽しみながらするもの。
それが盛りなのでしょう。
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Posted by ブクログ
90年代の文化を再確認したくて読んでみた本。
いざめくってみると、70年代にもガングロはいた、という驚きから入り、18世紀のフランスから丁寧にその起源を紐解いている。もっとも「ガングロ」の定義は広いが、俯瞰してみると90年代における「コギャル」「ヤマンバ」はその亜種であり、より普遍的な流れの中に位置づけられることも分かって面白かった。
また、ガングロが「光学的に外見を変える手法」としてプリクラや写真加工アプリの源流にある、という指摘も面白かった。
## ■ガングロの原理
本書ではガングロの原理を次のように述べていた:
1)変身願望:自由人やイケてる人間であるという記号の発信
2)承認欲求:「メディア」や「モデル」に従うことでスターになれる可能性
3)コミュニケーション:ビーチイズム的コミュニケーションや同種人間の特定
一方で「2008年以降はインターネットがこれらの魔法を失わせた」と指摘しており、これは、単方向から双方向のコミュニケーションの成立と価値観多様化による「大きな物語」の喪失が原因であると思われる。
しかし、渋谷のローカルコミュニティにおける流行、雑誌にも載っておらずコミュニティに属さねばわからない、変化が激しく友だち付きあいしていなければすぐに落伍する流行とは、どういうメカニズムで生まれたのだろう。
それも「正直な信号」あるいは配偶者選好のための擬態といっしょで極楽鳥の類が極彩色をまとってダンスするのと同じと思うが、そうした選択と淘汰をもたらしたもの。人が多かったのと、やっぱり読モ→芸能人といったスターダムへの道の存在ゆえだろうか。いずれにせよ、そうした早いサイクルのガラパゴス的進化が新しい文化を拓いたのはおもしろい。
## ■では今後もガングロは生じるか?/ガングロのアナロジーとして次の流行は?
ガングロがある種の記号としてこれまで繰り返し現れ続けてきたとして、将来はどうか。 一方で、以下の点からそれは難しいようにも思える
1)昔のように「明確な正解が誰かによって示される時代」は終わった
2)AI Tuberのように、身体性は必ずしも優位性をもたらさなくなった
とはいえ、ローカルでハイタッチのコミュニケーションは身体性により行われ、人間が人間である以上は「ガングロ」的ファッションは形を変えて顕れるように思える。
ガングロが「スターになれる可能性」から生じたとして、次は何だろう。地下アイドルやYoutuberはまさにその可能性であり、その次世代は何か。
また、韓流ファッションなども「メディアが作った流行」であるとして、その次は何か。もしかしたら東南アジアとか、新たな発展国のファッションが流行るかもしれない。
あるいは、そうしたミームを作り出すのは人間ではなく、AIなどの非人間的なメカニズムになるかもしれない。
## ■答えが明確にあった時代について
ところで、00年代以前は「答えがあった時代」だったが、そうではない人たちもいたはず。むしろクラスの3割がマジョリティとして「答えを求めた」として、そうではない人々は多様であった可能性がある。
インターネットは、こうした残り7割のロングテールを結び付け、旧マジョリティをその中に埋没させ、新たなマジョリティを生んだ現象だったように思える。
## ■ところで70-90年代の高校生について
70-90年代の都会の中高生が、自分の中高生時代とあまりに違って慄いた。
友達伝手で他校の友達作って100人規模で深夜までカラオケして時に居酒屋貸し切って、日々109やソニプラで買い物してトレンド作って読モになって、とかいう友達グループに入れるかの基準は「イケてるか」。帽子かぶってたらとらせて顔面審査する。それこそがヒエラルキー上位と言われてしまうと、コミュニケーションが苦手な自分にとっては恐ろしい世界。
あと、コギャル文化の渋谷における発生と流行が、自分のの地元より5年以上早かった。田舎は遅れているとは知っていたが、具体的な年月で示されると改めて驚く。 -
Posted by ブクログ
気になっていた現象なので、まさにピンポイントの評論。
ネタとして扱うというより、時代背景や技術面、各方面の当事者の声を追っていく
地道でしっかりとした研究書。
早くから気付いていたからこそ、今、まさに興味を持ち始めた人たちへ、
このボリュームと説得力で応えられる。
同じように見えて、その中に入ってみると細かい差異が見えてくる、のは
どんなジャンルでも同じ。
また、型を守り、型を破り、型を作るという美意識も、場所を変えて現れるところが面白い。
どこまでを日本人の持ち前のものと言っていいかは分からないが、
目指すもののために、自ら材料を調達しカスタマイズして作り上げていくことや、
発表のために印刷技術に手を伸ばしたり、集団をまとめるための会合を重ねたりと
真面目で勤勉な面が普通に出てくるところに驚きと感動を覚える。
ライトに流行に乗るだけの層の上に、一定数の、
もっと向上心や探求心のある、突き詰めていく層がいることが頼もしい。
日本の女の子が見ているものは、どこよりも早く、先を行っている。
スマホを誰もが持つものになるはるか前から、
求めるもの、楽しいと思うもの、どれをセンスがいいと感じるかの感性は
日々磨かれて、ものすごいスピードで移り変わっていく。
「盛り」に限ったことではなく、中身を入れ替えても通用する話で、
やはり日本人のもつ特性ってものがちゃんとあるんだなと思う。
ただスマホという、一瞬で広がり、真似されていくツールの力で、
個性というのはより短命になり、模倣された偽物に紛れてしまい、
あっという間に消費されてしまうのがつまらないなと思う。 -
Posted by ブクログ
<目次>
序章 「盛り」の構造
第1章 渋谷に誕生した「盛り」
第2章 インターネットの中で拡大する「盛り」
第3章 世界へ広がる「盛り」
<内容>
自分も高校教師として多くの女子高生と向き合ってきたが、「盛り」の歴史を読んでいくと、うなずくことが多かった。分析的にわからないところ(おそらく男なので、また年を取っているので)が結構あったが、女子高生たちの考え方の一端を知れたことが良かった。ある意味、男どもが「国境がどうの」「外交が…」と言っている間に、したたかな女子たちが国際化を進めていて、政治など全く無視して世界を一本化していくかもしれない、と思った。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ1995年プリクラからSNSは始まった。
日本人女子の自分らしさは生まれ持ったナチュラルなものでない、アーティフィシャルなもの
所属するコミュニティの基準に沿った相対的個性
シンデレラテクノロジー
ソーシャルステージ
セルフィーマシン
プラスチックコスメ
109エゴイスト 1995年~
スピードMD
店員に 服を着せ、現物でアレンジし、
毎月曜に韓国の東大門の業者にもっていく。
翌週に商品が販売できる。
2006年~
企業によるマネジメントによる制限。
ネットでいいねをもらうだけの表面的に。
つけまつげとカラコン
素顔の良さより盛りを褒められるほうが嬉しい。
益若つばさ
マドンナを100円ショップの商品で再現
どこかにいる自分と合う人を見つけるためのブログ
セルフィーと自撮りの違い。
SNSの批判を恐れ、盛りより気配り。
自撮りしなくなる。他撮りへ。
日本:化粧、韓国:整形、中国:画像加工 -
Posted by ブクログ
おもしろかった。
正直、途中、くだんねえ、と思ったことが何回もある。
化粧をする人間の気持ちは、ファッションにこだわる気持ちは、根のところで理解できない。
しかし全体としてのこの本は、コミュニティ論であったりとか幅広く、興味深いものであった。
全く同一に見える子たちが、自分が個性的で考えていたるするところは、なんか昔の「不良」達みたいなもんかと。守破離というが、判ってくれる人があってのことなんだな。
盛る、ことが、その技術である工夫努力を評価してもらうことっていうのはなるほどと思う。
男がプラモ作ったりするのと同じなんだな。
そこの男女の違いにも興味がある。最近は違うのかもしれないけども、男は自分に盛らない。
やっぱりイラっとするのは男目線なんだろうね。