あらすじ
ビーチイズムからギャルは生まれた。
かつて渋谷には、ヤマンバ、マンバなどと呼ばれた極端に肌を黒く焼いた「ガングロ・ギャル」がいた。彼女たちはどのようにして生まれ、そして消えていったのか。
戦後日本のメディア環境と日焼けスタイルの歴史から、ギャル文化の源流をスリリングに読み解く!
2020年代現在、メディアを席巻するギャル文化の源流は、90年代からゼロ年代にかけて渋谷に特異点のようにして現れた「ガングロ・ギャル」にある。
彼女たちはなぜ、突如現れたのか? 90年代、デジタル・テクノロジーが大きく発展し、コミュニケーションの場がリアル空間からバーチャル空間へと移行する中、渋谷を砦にリアル・コミュニケーションの美意識を最後まで守ろうとしたのが彼女たちだった。その後、世界はバーチャル・コミュニケーション中心の新しい時代を迎え、ガングロ・ギャルは消えた。彼女らが残した記録と証言、新しいコミュニケーション・テクノロジーを詳細に取材し、「ビーチイズム」からギャル文化の成立を大胆に読み解く。
【目次】
●序章 インターネットのせい
インターネット前夜
一九九〇年代後期の渋谷
「ガングロ・ルック」の歴史
●第一章 ガングロ・ルックの源流
・第一節 フランス・ガングロ・ルック
一九七〇年代のガングロ・ルック
ビーチ・バカンス
西洋のビーチの歴史
西洋の日焼けの歴史
日本のビーチ
洋装とガングロ・ルック
ガングロ・ルックの幾何学
白っぽいリップの出現
ビーチ・コミュニケーション
・第二節 カリフォルニア・ガングロ・ルック
アメリカ人になりたい
ビーチパーティ映画
ティーン・ピクス
アメリカのサーフィンブーム
ロスアンゼルスのビーチ
スターになれるかもしれない
外見の大量生産システム
・第三節 東京・ガングロ・ルック
東京のディスコ
ゴーゴーダンス
ビーチとしてのゴーゴー
青春ア・ゴーゴー
東京ヤンキー
港区の若者文化
渋谷の兆し
ユニオンの紙袋
●第二章 渋谷・ガングロ・ルックの変遷
・第一節 一九七〇年代後期の渋谷・ガングロ・ルック―サーファー・陸サーファー
日本のサーフィンブーム
日本のサーフィンの歴史
『ポパイ』とサーフィン
髭とマッシュルームカット
サーファーカット
サーファー・ディスコ
日焼けサロン革命
「見立て」のビーチ
アメリカン・グラフィティ
アメリカ学園映画
読者モデル誕生
アメリカと渋谷
・第二節 一九八〇年代中期の渋谷・ガングロ・ルック―ロコガール
ビーチに通う高校生
ギャルはお化粧しない
ロコガール・ルック
都外からの侵略
ヒップホップ・ルック
・第三節 一九九〇年代初期の渋谷・ガングロ・ルック―ポスト・ロコガール
渋谷の大きな高校生集団
ミージェーンとアルバローザ
ロコガール・コミュニケーション
渋カジの高校生
カルチャーの渋谷
・第四節 一九九〇年代中期の渋谷・ガングロ・ルック―コギャル
「コギャル」の出現
海の波より渋谷の波
ボディコンの終焉
元祖カリスマ店員
・第五節 一九九〇年代後期の渋谷・ガングロ・ルック―ガングロ
スターに会える街渋谷
ストリート雑誌
渋谷・ガングロ・ルック
SHIBUYA109リニューアル
エゴイストの化粧
欧米人憧れの終着点
ビーチイズムの肌
・第六節 二〇〇〇年代の渋谷・ガングロ・ルック―ゴングロ・ヤマンバ・マンバ
ガングロからゴングロへ
ブリテリとゴングロ
ガングロ道
外見に託す「願い」
オープンソースな外見
渋谷の祭り
どこでもカメラ
ネット・サーフィン
ガングロのアイコン化
●終章 ハロウィンの渋谷
ハロウィンの集会
渋谷クロッシング
インターネットが盗んだもの
脚注
関連年表
関連地図
【関連ワード】
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Posted by ブクログ
90年代の文化を再確認したくて読んでみた本。
いざめくってみると、70年代にもガングロはいた、という驚きから入り、18世紀のフランスから丁寧にその起源を紐解いている。もっとも「ガングロ」の定義は広いが、俯瞰してみると90年代における「コギャル」「ヤマンバ」はその亜種であり、より普遍的な流れの中に位置づけられることも分かって面白かった。
また、ガングロが「光学的に外見を変える手法」としてプリクラや写真加工アプリの源流にある、という指摘も面白かった。
## ■ガングロの原理
本書ではガングロの原理を次のように述べていた:
1)変身願望:自由人やイケてる人間であるという記号の発信
2)承認欲求:「メディア」や「モデル」に従うことでスターになれる可能性
3)コミュニケーション:ビーチイズム的コミュニケーションや同種人間の特定
一方で「2008年以降はインターネットがこれらの魔法を失わせた」と指摘しており、これは、単方向から双方向のコミュニケーションの成立と価値観多様化による「大きな物語」の喪失が原因であると思われる。
しかし、渋谷のローカルコミュニティにおける流行、雑誌にも載っておらずコミュニティに属さねばわからない、変化が激しく友だち付きあいしていなければすぐに落伍する流行とは、どういうメカニズムで生まれたのだろう。
それも「正直な信号」あるいは配偶者選好のための擬態といっしょで極楽鳥の類が極彩色をまとってダンスするのと同じと思うが、そうした選択と淘汰をもたらしたもの。人が多かったのと、やっぱり読モ→芸能人といったスターダムへの道の存在ゆえだろうか。いずれにせよ、そうした早いサイクルのガラパゴス的進化が新しい文化を拓いたのはおもしろい。
## ■では今後もガングロは生じるか?/ガングロのアナロジーとして次の流行は?
ガングロがある種の記号としてこれまで繰り返し現れ続けてきたとして、将来はどうか。 一方で、以下の点からそれは難しいようにも思える
1)昔のように「明確な正解が誰かによって示される時代」は終わった
2)AI Tuberのように、身体性は必ずしも優位性をもたらさなくなった
とはいえ、ローカルでハイタッチのコミュニケーションは身体性により行われ、人間が人間である以上は「ガングロ」的ファッションは形を変えて顕れるように思える。
ガングロが「スターになれる可能性」から生じたとして、次は何だろう。地下アイドルやYoutuberはまさにその可能性であり、その次世代は何か。
また、韓流ファッションなども「メディアが作った流行」であるとして、その次は何か。もしかしたら東南アジアとか、新たな発展国のファッションが流行るかもしれない。
あるいは、そうしたミームを作り出すのは人間ではなく、AIなどの非人間的なメカニズムになるかもしれない。
## ■答えが明確にあった時代について
ところで、00年代以前は「答えがあった時代」だったが、そうではない人たちもいたはず。むしろクラスの3割がマジョリティとして「答えを求めた」として、そうではない人々は多様であった可能性がある。
インターネットは、こうした残り7割のロングテールを結び付け、旧マジョリティをその中に埋没させ、新たなマジョリティを生んだ現象だったように思える。
## ■ところで70-90年代の高校生について
70-90年代の都会の中高生が、自分の中高生時代とあまりに違って慄いた。
友達伝手で他校の友達作って100人規模で深夜までカラオケして時に居酒屋貸し切って、日々109やソニプラで買い物してトレンド作って読モになって、とかいう友達グループに入れるかの基準は「イケてるか」。帽子かぶってたらとらせて顔面審査する。それこそがヒエラルキー上位と言われてしまうと、コミュニケーションが苦手な自分にとっては恐ろしい世界。
あと、コギャル文化の渋谷における発生と流行が、自分のの地元より5年以上早かった。田舎は遅れているとは知っていたが、具体的な年月で示されると改めて驚く。
Posted by ブクログ
大変興味深い本だった。
タイトルにもあるガングロギャルの話だけではとどまらず、他の街のように新たな物を生み出さなかったはずの渋谷が、いかにして文化の発信地となったのか、そしてなぜ若者たちは競うように渋谷に集まるようになったのかなども知ることができた。
こ本を書き終えるまでに、多くの取材をこなしたり、文献を読み込んだりされたであろう著者には敬意を評したい。
最後に余談ではあるが、当時ガングロやゴングロ、ヤマンバ、マンバをしていた娘の親たちは、一体どんな心境だったのだろうかと思わずにはいられなかった。