柳父章のレビュー一覧
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本当に凄い本だ。
我々は日常的に日本語を話したり書いたりしている。
その日本語は一体いつから今のような形になったのか。
その答えが明確に記されている。
当たり前のように使っている句読点や段落が、実は比較的最近になって使われ出したことを知る。
そして当たり前過ぎて「考えもしなかったこと」を知った。
巷では常識を疑えなどと言われることがあるが、当たり前を当たり前に思わない難しさを改めて思い知らされた。
「日本語をどう書くか」
このタイトルを見て期待した内容でなかったが、予想を遥かに超える知性に触れられて、日本語とは何かという視点が得られたと思う。 -
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昔の新書はこうだったよね、ということを思い出させてくれる良書。近年の内容ペラッペラの新書とは質が違う。
明治期に創作された新造語の作成秘話的な内容かと思っていたが、本旨はもっと深い所にある。日本とは全く異なる価値観を持つ外来の思想を、古来の日本語にある言葉で置き換える事の難しさに焦点を当てている。言われればそうだなと思うが、ヤマトコトバの語彙は非常に限られていたから、日本人は奈良時代から脈々と外国の言葉=思想を自分のものにするために奮闘してきた民族である。その中には『自由』や『権利』などのように、原語とは異なる意味で広まったものもあったが、人口への膾炙に従い本来の意味を取り戻すというプロセスを -
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開化から約150年経って、今、日本には「社会」「自由」「権利」「美」は「存在」するようになったのだろうか?「彼」の国からやってきた、未だ手の届かない理想のタブローにはなっていないだろうか?(あるいは、ないものねだりに飽きて居直っている?)
鷲田清一先生『〈ひと〉の現象学』からの芋づる読書。哲学用語をしつこく原語で表記するのは何故なんだろうという疑問が氷塊した。要は、そもそもの最初からズレて使ってしまっているからなんだな、と。フランスやドイツ、イギリスから輸入した哲学用語を日本語に翻訳する必要に迫られた時、それまで日本で使われていた言葉には置き換えられない言葉がたくさんあった。言葉がない、とい -
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凄く面白かった。これまで、こういった「言葉」について書かれた本をあまり読んでなかったというのもあるけど、「言葉」というものを扱う視点というものが様々あり、手前勝手に濫用してよいものではないのだなと色々勉強になった。本作で扱われる言葉は10例程だけど、そこに様々な切り口からその訳語の成立の経緯を紐解いていく様に知的好奇心を刺激される。
昔の日本には「恋愛」という言葉は無かった。それは「恋愛」という概念が無かったというよりも「Love」という言葉の示す範囲の、高尚な「色恋」を指すものが無かったという。そこで、「恋愛」という、その時点では全く意味を持たない熟語が生まれ、その中身が「Love」という -
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1982年初版の岩波新書(黄版)。本の外装は古くなっても、内容的にはまったく古びちゃいない、必読の書。重要ポイントは柳父氏が随所で指摘している「カセット(宝石箱)効果」(柳父氏命名)。外来語を「日本語」(漢語もしくは造語)に置き換えると、翻訳者の意図を離れて、訳語が一人歩きを始める。訳された「日本語」がよくわからない言葉だからこそ、ありがたい言葉として、また流行り言葉として、よくわからないまま多用(乱用)されたり、多義化したりしてしまう。翻訳者の翻訳・造語が適切かどうかももちろん重要だが、言葉が生き物である以上、その後の変遷も押さえておかなければ字義だけでは理解できないということがよくわかる。
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文体のリズム、特に読点の使い方が、好みである。真似してみたい、と私は思う。
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この本に書かれているわけではないが、明治期の翻訳語(和製漢語)のことを考えるとき、私が最も想いを巡らし、その結果、自分の実存に関して不安をおぼえるのは、
「私は、何をどうやって考えているのか?」
「どのような言葉を用いて思考しているのか?」
という点だ。
私のすべての思索に用いる、基礎的な語彙が、明治の特定の個人によって、新規に作られたり、意味が変わったりしているものだということを知るとき、「いったい、私とは何なのだ?」と思わずにはいられないのだ。
個人・社会・自由・恋愛…このような「暮らし」そのも -
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幕末・明治の時代、西洋の書物を日本語に翻訳する過程で作られた新しい語「社会」「個人」「近代」「美」「恋愛」「存在」、また元々ある日本語に翻訳によって新しい意味が付与される形となった「自然」「権利」「自由」「彼」について、これら「翻訳語」がどのように成立したか、どう使われどのような意味を持っているかについて考える。
言葉が作られるという視点だと「社会」「個人」「近代」を扱う第1〜3章、翻訳という視点だと「彼、彼女」を扱う第10章が特に面白かった。
一つ、本文のなかで「伝来」と「船来」という言葉が用いられることがあるのだけど、ここで少し引っ掛かった。
「伝来」を国語辞書で引くと「①先祖代々伝わっ -
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社会・個人・近代・美・恋愛・存在・自然・権利・自由・彼といった学問・思想の基本用語は、実は幕末から明治にかけて翻訳のためにつくられた新造語である。これら10個の翻訳語が、どのような背景で作られ、どのように受け入れられていったのか、当時の文献内での用例を引きながら検証している。
知識人の一部によって翻訳語が考案されるのであるが、元の言語での意味が正確に分からなくても、その翻訳語は広まっていったようである。とりあえず難しそうな漢字が当てられていれば、何か深遠な意味が含まれているんだろうという雰囲気とともに乱用された。
よく分からない漢字に深遠が意味が含まれていそうに感じることを、著者は「カセット効 -
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翻訳語が生まれてくる背景について論じたもの。
全10章に分かれており、社会・個人・近代・美・恋愛・存在・自然・権利・
自由・彼、彼女という翻訳語について成立背景を述べる。
翻訳に際しては、西洋の理屈が高尚だという考えがあったようだ。
全編通じて著者のいう「カセット効果」が述べられている。
以下、備忘録として引用。
1.Societyについて
「社会」という訳語が造られ定着した。しかし、このことは「社会」―Societyに対するような現実が日本にも存在するようになった、ということではない。
著者がいう翻訳語の特徴→先進文明を背景に持つ上等舶来のことばであり、同じような意味の日常語と対比して、より -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
かつて、この国に「恋愛」はなかった。
「色」や「恋」と区別される“高尚なる感情”を指してLoveの翻訳語がつくられたのは、ほんの一世紀前にすぎない。
社会、個人、自然、権利、自由、彼・彼女などの基本語が、幕末―明治期の人びとのどのような知的格闘の中から生まれ、日本人のものの見方をどう導いてきたかを明らかにする。
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