中山ゆかりのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
この本のタイトルを見たときに、そもそもヘレンケラーについて自分が知っていることは何か。
そして、優しいタッチで描かれたイラストなのにも関わらず、なぜ「怒りと愛を込めた手紙」というタイトルなのだろうという疑問が浮かんだ。
幼少期からほとんど目が見えない障害を抱えた著者は、「どうしてヘレンケラーのようになれないの」という言葉に悩まされ続けた。
まるで神話のように語り継がれる、ヘレンケラーのエピソードを、多くの文献と想像力で、生き生きとした、1人の人間としてのヘレンケラーへと変えようとする試みは、こうしたことがきっかけに生まれたそう。
全ての物語がそうである、とは言いきれないが、物語としての重要な要素である、「わかりやすさ」が、かえって人間性を失わせることにつながっているのかもしれない。
そうした意味では、文献を参考にし、ときには想像力で補い、エピソードを広げようとする著者の試みは、物語にする流れの真逆を行くもののように思えた(現に、性に関することにもあえて触れていた)。
生き生きとした文章で、まるで自分がその場にいるような気にさせられた。
食べ物の匂いや、肌の質感、喧騒まで、本の中にでてくる多彩な表現を前にして、五感を研ぎ澄ませながら、読むことをお勧めします。 -
Posted by ブクログ
著者のフィリップ・フックはサザビーズの取締役を務めており、アート業界で40年のキャリアを持つという人物だ(サザビーズのウェブサイトには彼の略歴が載っている)。これまでにも何冊か美術にまつわる本を書いていて、何冊かは邦訳も出ている(同じ訳者による『印象派はこうして世界を征服した』(白水社)や、意外なところでは『灰の中の名画』という推理小説もある)。
本書でフックが論じているトピックはとても幅広い。ただし、本書に一貫して流れているテーマというものはある。「何が絵画の価格を高めるのか?」という疑問に対する答え――著者の40年にわたるアート業界での経験に裏打ちされた答えが、本書の大きな柱だ。邦訳に付けられた副題「競売人が明かす美とお金の物語」は、この本の内容をとてもよく表している(原書には「アートの世界の一から十まで」という副題が付いている)。
本書はボリュームがある本て、手に取るとずっしりと重さを感じる。でも、気軽にどんどん読み進められるのはフックの語り口の軽妙さのおかげだろう。5章の「用語集」はフックによるアート版「悪魔の辞典」で、読んでいて思わず笑ってしまう。絵画(やお金)にまつわるウンチクのような話も多く、本を読み終えた後にはきっと、誰かに内容を話したくなるに違いない。「絵を見る時には描かれた人物の口もとに注意するといいよ。口もとに笑みがあるかどうかで値段が何倍も変わってくるからね」。
個人的にオークションの関心があるため、オークション会社が採用していた(今もしている?)という「(売値)保証」「取消不能の入札」の2つの仕組みが興味深かった。 -
Posted by ブクログ
視覚障害者の筆者にとって、ヘレン・ケラーの成した偉業は重荷だった。
「どうしてヘレンのように出来ないの?」
この言葉に、私もまた衝撃を受けた。
ヘレン、貴女は何者なのか。筆者ジョージナが、彼女を枠組みから解放するために綴り始める。
ヘレンの書いた物語は盗作だったのか。
ヘレンの聖女譚は作り上げられたものだったのか。
ヘレンの言葉は「誰の」言葉だったのか。
これらが全て本当のお話でなくても、その可能性を目に見える形で提示しただけでも、随分とヘレンに対するイメージは変わるのではないかと思う。
そしてまた、サリヴァン先生にも。
ヘレンにとってサリヴァン先生が唯一無二の理解者であったことは、それなしでは生きられないという、逆説的な生きづらさにもなる。
名を持つことの喜びから、名を負うことの責任への変化を、彼女は受け入れていたように感じる。
そして、その忍耐が彼女を象徴化させてしまう。
人間の便利な考え方だと思うのだけど、だからこそ象徴が含んでいるものは危ういのだと知った。
タイトル通り、怒りと愛が含まれた一冊だった。 -
Posted by ブクログ
これまでよく知らなかった美術の世界が、著者のウィットに富んだユーモアと共に繰り広げられる。あまりアートに詳しくなかった私は、新たに画家の名前が出て来るたびにインターネットで絵画を検索し、知見を広めると共に本を深く理解することができた。
絵画のビジネスはとても人間臭いと感じる。また、他の業界での人々の思惑とあまりに遠いわけでもない。例えば、金融といった、もっとも対極にあるような業界と比較して、対象にまつわるエピソードや希少性を語ることによって価値そのものが上がるという点は同じだ。
これを機に、アートがより身近になり、好きな作品の一つでも買ってみようという気になった。 -
Posted by ブクログ
借りたもの。
アートはどのように“機能”するのか――?
美術鑑賞の基礎知識として「形態」「色彩」「構図」があり、作者がどういった意図を込め、鑑賞者はどういった印象を受けるのか?
視覚芸術の文化史。
美術の歴史は人類史でもある。その壮大な時間の流れを、「芸術の起源(紀元前3万年-紀元1399年)」「知識の成長(1400年-1599年)」「視覚の拡張(1600年-1799年)」「近代の世界(1800年-1945年)」そして「新たな実戦、そしてその先へ(1946年以降)」の5つに分類し、美術表現がどのように変化していったのかを分析する。
アートはメディア――情報やデータを記録・保存したり、人から人へ伝達したりするための「媒体(ばいたい)」や「手段」――である。
掲載されている美術品の鑑賞ポイントを丸数字の箇条書きで解説している。
何を表しているのか。
何のために作られた(と思われているもの)か。
採用されている表現方法、その構図から、鑑賞者はどう感じるのか?(畏怖、教養や暗黙知、追体験、共感……)
ページ下部には、同時代で古今東西違う場所の画家の名前や、その時代に発達した科学技術に関わる項目や人物についてなどが補足されている。
そこからつながりや関連性を見出す足掛かりになる。
洞窟絵画から、その本質は憶測の域を出ない(文字が存在せず、遺されていないため)。古代部族の戦い、多産のテーマ、神話的世界、アニミズム……そういった説が唱えられている。描き手が5000年の世代を経ており元の絵に描きくわえられている壁画も。
死後世界、神への祈り、賛美は次第に信仰から理想の創造に、そして現実を映し出す事へと移行してゆく。
物語(それは遠い世界を描いた情景から現実の事件性を帯びるものへ)を視覚的に伝え、重層的な意味を持つものへ。時に実用的な意味・意図をも込められた。
西洋美術だけでなく、南米やアフリカ美術、東洋美術も採用されている。
最近、洋の東西を問わず(分断せず)美術史を語る本が出てきたことを、私は喜ばしく思う。
時代の横のつながりを理解できる足掛かりになるし、そこに優劣は存在せず、違う文化圏同士、同じ時代を生きていた事を理解できるから。
メキシコの祭りの恍惚とした人物像や超自然的な力を象徴した像。
中国・遼王朝の《阿羅漢》像は1000年頃のものとの事。三彩の拓器でてきた坐像は、1000年の時を経ているとは思えない美しさと、リアリティのある人物像だった。
ギリシャ・ローマ神話やキリスト教的文脈とは異なる神話・宗教体系の美術は、原始宗教の共通項・類似点――それは人類普遍と言えるのかも知れない――を意識させる。
サピ=ポルトガル様式(15世紀末から16世紀にかけて、西アフリカのサピ人(現在のシエラレオネ周辺の先住民族)の職人がポルトガル人の注文に応じて制作した、ハイブリッドな美術様式。アフリカの高度な象牙彫刻技術と、ヨーロッパ(ポルトガル)のキリスト教紋章やルネサンス期のデザインが融合した、最初期の「グローバル・アート(交易美術)」)という存在を知らなかった!!勉強になる。
イスラームでは偶像崇拝が徹底されていたので、自然界をリアルに描写するよりも言葉――「書」――が発達する。
文字そのものの美しさだけでなく、(模倣されるのを避けるために施された細密な)装飾性も際立ち、それは他の文化圏では類を見ない。
近代あたりになると日本美術が多数掲載される。(土偶が出てこないあたりがポイントかも。海外に流出しなかったのかな?)
尾形光琳《紅白梅図屏風》の金地にグスタフ・クリムトへの影響を見出したり。日本のパトロン(購入者/支援者)が節、貴族、商人階級に及んでいたことは特筆すべきことだと思う。
裏表紙を飾る葛飾北斎《神奈川沖浪裏》"The Great Wave"は日本人も大好き。
現代美術(1945年以降)も掲載されていることが、興味深い。
陽の目を見せてもらえなかった、アボリジニなど先住民の美術、パロディ、ユーモア、破壊や死そのものも作品になる。
そして無くならない・終わらない戦争について…… -
Posted by ブクログ
「理想像」に悩まされたことはないだろうか。架空の人物ではなく、過去に実在して、逸話が語り継がれているような人物の偶像化されたと言っても良いような理想像に比べられ、なぜ同じようにできないのかとか。
もしくは、レッテルを貼られた事はないだろうか。あの人がそうなのだから、あなたもきっと同じに違いないと。
幼くして視力と聴力を失いながら、アン・サリヴァンという師を得て、その高い知性を花開かせた「奇跡の人」ヘレン・ケラー。
精力的に講演活動や執筆活動も行い、聾唖者への理解と支援を求めた彼女は聾唖者の理想像とされた。
筆者のジョージナ・クリーグも幼くして視力を失った。彼女は大学で教鞭を取るまでになったが、そんな彼女は常に盲人の理想像とされるヘレン・ケラーに対する嫉妬心とも言える怒りを抱き、それをヘレン・ケラーへの手紙、決して返答が返ってくることのない対話として語りだす。
ヘレン・ケラーの日常の生活や、彼女を導いたサリヴァン先生との関係などを様々な資料から、ヘレンの行動に隠された意思、動機を分析し、同じ盲人としての経験にも照らし合わせて推測を行う。
前半の方はほとんど対抗意識を抱いているかのように辛辣な会話(一方的な会話)が続く。そこには、同じ盲人としての筆者の生きづらさ、弱音のようなものも見え隠れする。
しかし、後半はヘレンに対する同情も見えてくる。
ヘレンを時の人にした、「奇跡の人 ヘレン・ケラー」の生みの人と言ってもよいサリヴァン先生による束縛と、それに対するヘレンの反抗と諦観を読みとっている。
文章が濃密で、ページ数以上にどっしりと読み応えのある一冊。