三浦洋のレビュー一覧
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アリストテレスの『詩学』は美学の古典としてあまりにも有名であり、今道友信氏の『美について』をはじめ様々に紹介されている。ところが『詩学』そのものを読み進めようと思って岩波文庫の詩学を手に取った読者は、いきなり韻律の細かい議論が展開されることに面を食らってしまうかもしれない。読みやすい翻訳としては『世界の名著』の藤沢令夫訳があり、評者は大学時代にこれを読んだ。あとは大分なものではあるが旧版アリストテレス全集の今道友信訳があり、それから新版の朴一功訳が最近刊行されている。本書、光文社古典新訳文庫の三浦洋氏による新訳は手軽さにおいて群を抜き、小見出しのついた読みやすい訳文とともに現行の詩学解釈を提示する解説が付されている。
アリストテレスの『詩学』において有名なのはミメーシスとカタルシスをめぐる議論であろう。訳者解説で詳述されるように本訳はミメーシスを模倣と一貫して訳していることに特徴がある。他にも訳語を一貫して選択し、訳し分けていないことを訳者の解説に読み取ることができる。すると文章が読みにくくなるかと言えばそうではなく、小見出しが付いた本文はアリストテレスが論じようとしている事柄を小さな単位に分割して提示してくれている。読者が本文を読み進めて立ち止まるであろう所には周到に訳注が付されており、解釈の分岐点が明示されている。そしていつの間にか通読できてしまうことに驚かされるであろう。
古典新訳文庫の特徴とも言える充実した解説においてミメーシスとカタルシスの内容が詳しく述べられる。プラトンの『国家』と対比されながら提示されるミメーシスの議論はアリストテレス研究、ひいてはプラトン研究の深部へと読者を案内する。この言葉ひとつの位置付けが両者の読解の要となることを明示しているのである。そしてカタルシスもまた後代において様々に理解されてきたが、その細部を解きほぐし著者の読解を示すのは圧巻である。詩学研究そのものがただ単にある帰結を導き出すことではなく、アリストテレスのテクストの読み直しを迫ることを知らせてくれるのである。
本書はともすれば細部に拘泥しテクストの中で迷ってしまうかもしれない古典を明快な叙述を通して提示してくれる。そして読み進むうちにアリストテレスのテクストを読むことの醍醐味を感じさせる一冊と言える。一般に受け止められている印象を繰り返すことなく丁寧に紐解く本書は、詩学にまつわるテクスト内外の解釈の分岐点を明示し、読者を更なるアリストテレス読解へと招くものである。 -
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アリストテレスの政治学は言わずと知れた政治哲学の古典である。トマス・アクィナスの神学大全の人間論においてこの著作が頻繁に言及されており、トマスが豊かな洞察を得ていた書物であることがわかる。政治思想、政治理論を学ぶ上で重要な著作でありながらも、日本の読者が本書を読むには時々再版される岩波文庫の山本光雄訳か西洋古典叢書の牛田徳子訳を読むしかなかった。岩波文庫の山本訳は品切れが続いており、牛田訳は単行本のため持ち歩きには適さない。本書は光文社古典新訳文庫で詩学を訳した訳者による待望の翻訳と言えよう。
政治学は重要著作であることが指摘されていても、どこか研究がための書物であると思っていた。しかし訳者による詩学の翻訳がそうであったようにアリストテレスの政治学もまた現役の政治哲学の古典であることが知らされる。まず読み進めて目を開かれるのは、そこに記されたアリストテレス自身の瑞々しい観察である。そこには人間の生の営みを見極めようとするまなざしがある。わたしたちは政治学や政治理論はどこか机上の空論であると見なしていたりはしていないだろうか。この著作を読み進める読者は、今の現代政治において時に見失われがちな健全な政治のあり方と政治のあるべき姿とを見出すであろう。中でも印象的なのはアリストテレスのこの著作そのものがプラトンの国家篇を導きとしていることである。
先に詩学を翻訳された訳者ならではの最新の研究動向を反映した訳注は議論の所在を丁寧に解説しながら、読者をより深い読解へと導いてくれる。アリストテレスの他の著作のみならずプラトンの国家篇での議論を突き合わせる訳注は、本書を読み解くためにだけでなく、広くアリストテレスの著作を古典として享受しようとする読者にとって得難い導きとなるものである。
本書の解説は、本文の議論を拾いつつも、この著作が現代において如何に読み解かれうるかを正義論の文脈から読み解いていくものである。いまわたしたちが政治哲学において議論していることの根本に位置するアリストテレスの政治思想を明らかにするものといえよう。とはいえその解説は、読者に現代の書として政治学という著作そのものを今日という文脈に置こうとするものであり、むしろ本文を隅々まで読むことを求めている。2400年の時を超えてアリストテレスの肉声を響かせる待望の古典新訳である。 -
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ネタバレ■この本の中心問題
国家は、欲望、部分利益、不平等により共通善が失われ、容易に混乱・分裂する。このため、アリストテレスは現実の条件に応じ、いかに共通善を維持して「市民が善く生きること」を実現するかを問題とした。
■問題構造
アリストテレスの政治学における問題は、欲望や配分原理の対立といった原因によって、配分基準の異なる階層同士の派閥化・抗争が起き、それが内乱や国制の変動につながる一方、すべての市民が高度な徳と実践知に到達できないことや、歴史的に与えられた国制条件といった制約によって、理想国家を実現し、より善く生きることが困難であるという現実にある。
■核心概念
○共通善:国家共同体全体が徳を実践し、より善く生きるための共同目的であり、共同体の中でこそ徳を発揮して幸福になれる個人にとって、共通善は個人の善の前提条件となる。支配者が共通善ではなく私的利益(部分利益)を目指す場合、正しい国制から逸脱した国制となり、最終的に国制の変動に至る。
○配分的正義:価値が等しい人々に利益が等しく配分され、価値が等しくない人々には、価値に応じ配分されるべきだという配分原理のこと。価値を自由に置く民主制では人々は対等であるため等しく配分し、価値を富に置く寡頭制では、人々は財産の多寡により対等ではないため、財産の保有量に応じ配分するのが正義となる。構成員間で配分原理が対立する場合に、内乱を引き起こし国制の変動に至る。
○国制:国制に応じた配分原理に基づき、誰が何を善とし、どのように支配するかという国家共同体の秩序原理
■方法論
○単一の理想を絶対視せず、条件に応じて最善を探求した。
○先人の理論及び過去事例を比較分析して最善を探求した。
○理論知ではなく、個別の状況に応じて判断する実践知を重視した。
○何のために存在するか(目的)を明らかにして政治を理解した。
■プラトン『国家』との比較
プラトンは、無制限な欲望追求に陥るアテナイ民主制を批判し、理想モデルとしての市民が「善く生きること」を目的とした単一の理想国家を提示し、理想をもって現実を統御しようとした。この際、教育による有徳な市民の育成を重視するとともに、各階層の同質化の追求や支配層の私有制限等、国家の統一性を重視した。また、政治を理論知として厳密な認識可能と捉え、善のイデアを観照した哲人による統治を最善とした。
一方、アリストテレスは、「善く生きること」を目的とした倫理共同体としての国家観、そのための徳の涵養や教育の重視といった理念を共有しつつ、最善は単一ではなく、現実の条件依存的に実現可能な最善国家を探求した。また、最善国の探求だけでなく、現実の国制をいかに改善しより善くするかという探求も重視した。この際、プラトンの過度な統一性を批判し、国家には適度な複数性や私有による自己愛の保持が必要であるとし、適度な複数性を持つ市民共同体における関係性の構築を重要視した。
また、政治学を現実の異なる条件から適切に判断して最善を求める実践知であるとし、支配層の実践知による判断の必要性を重視した。
■現代への接続
○現代政治は国民の欲望に歯止めがなく、起業家など、むしろ名誉欲や金銭欲に関しては、欲望の追求が称賛される欲望開放社会であり、プラトンやアリストテレスが共有していた「善く生きること」のための共通善の共有は困難となっている。現代資本主義社会においては 、金銭的成功や自己実現、旺盛な消費といった価値観の中で、部分利益より国家全体の利益を優先する共通善の価値観を確立することは可能であろうか?
○現代社会は民主制であっても対等な配分がなされず、財産、家柄等への部分利益による配分的不正義が蔓延しており、財産や家柄のほか、支持政党や世代、アイデンティティといった、より多様な区分による蛸壺的な派閥化が起こっている。多様性社会で配分原理の共有は可能であろうか?
■私の結論
アリストテレスは、プラトンを批判しつつも、「善く生きること」を目的とした倫理共同体としての国家観を共有し、その現実での実現を探求した。彼は政治学を実践知と捉え、単一の理想国家や単一の実現方法に縛られず、現実の国制の比較分析に基づき、条件依存的な最善国家を探求するとともに、既存の国制の改善方法についても政治学の役割として探求し、現実におけるより善く生きる方法を模索した。
この読書を通じ、政治とは単なる制度論でなく、共同体が「より善く生きる」ために欲望や利害で分裂・対立する共同体を、その条件に応じて共通善に導き、現実に媒介する行為であると理解できた。また、国制もただの政治制度ではなく、富・自由・徳といった何を価値基準(善)とするかという配分原理に基づき、支配の在り方を規定する秩序原理であると理解できた。 -
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ネタバレニコマコス倫理学もそうだったが、やはり3回ほど通読してようやく輪郭がつかめてくるレベル。訳者の三浦先生の解説が本当にわかりやすく、これだけでも読む価値あるのではと思える。
近年のポピュリズム(いい加減、この名称も不適切になっている気がするが)やコミュニタリアニズムとの関連まで含めて解説されていて、非常に考察の参考になった。
内容は言うまでもなく古典中の古典であり、門外漢の自分がちょっと読んだ程度ではどうしても断片的な感想になってしまうのだが、それを差し引いてもニコマコスに比べると少し読みにくいと感じるのは、解説にあるような二重構造的な論理展開の故か。
自分は、4~6巻が結論的な方がおさまりが良いのではないかと思えるタイプの人間だったようで、7巻以降はプラトンの「国家」「法律」との既視感を覚える内容でかえってわかりにくかった。
本書の成立過程は諸説あるとのことだが、他者が後から編纂した、ということの方がこの一見奇妙(と自分には思える)論理構造の説明としては合っているような。
とりわけ考えさせられたのは、「(よき民主制/共和制には)善く支配することと、善く支配されることの両方を学ばねばならない」というところ。
民主制とは成員達が数の上で平等であり、それゆえに全員が平等な量を受け取ることを正義とする、という定義ならば、支配することとされることもまた平等に受け取り、支配者はなんらかのシステムに則って交代を重ねていかなければならない。
だとすれば、我々、今の民主主義国家の市民は、支配されることと支配することをセットで学んで、考えているのだろうか。善く支配することは言うに及ばず、善く支配されることすらも考えていないかも?
プラトンの「法律」には、犯罪を犯したものだけでなく、それを看過したものも罪に問われる、とあった。共同体の中にあってこそ人は真に善く生きることができる、とする考えを持ち、共同体を自分たちがどう作っていくか、という考えを、果たして自分は持てているだろうか。
また、メソテース(中庸)の意義もニコマコスに続いて説かれているが、こちらは国家にとっても中庸が最も大事であることが説かれている。
結局、右か左かではなく、どちらかに寄りすぎていないか、常に考え続けることこそが、イコール共同体と、その中で善く生きることを大事にすることそのものにつながるのだとすると、相手を非難することに時間を割く政治はなおさら空虚に思えてくる。
米国の(もしかすると日本も)のリベラルが支持を失った理由の一つは、もしかすると、「人権意識を基に行動する自分たちは常に正しい」という錯覚に陥り、相手を無知で野蛮と話の前から断じるような姿勢になったせいではないか。行き過ぎた人権尊重もまた、中庸から外れた姿勢には違いがないのに。
自分はどちらかというと左派かと思っているが、相手を守旧で野蛮と非難するだけの左派もまた、別の意味で醜い存在になりうることは心にとめておかねばならない。
それにしても、
・民主制は平等を求めるあまり富裕者の財産の没収を試みるようになり、やがて民衆指導者に導かれて体制を不安定化させ、最悪の場合、民衆指導者が独裁者と化す。
・寡頭性は民衆に対して自らが優れると考えるがゆえに数ではなく価値に比例した対等を求め、民衆を侮るようになり対立を深め、同士討ちや民主派との相克で体制を不安定化させる。
そのまま現代に当てはまると思うと暗然としてしまう。米国だと前者が「共和」党で後者が「民主」党に当てはまりそうなのが何とも皮肉。我が国も似たようなものだが。
厄介なのはこれらの対立を仲裁して安定化させる、中庸の体現であり仲裁者である中間層が先進国で溶解していて、対立軸解消の動機がないことか。
アリストテレスは奴隷制容認とみなされて批判されることが多いが、意外とメリトクラシー寄りというか、真に優れた人間なればその価値に見合うものを受け取るべき(配分的正義)を肯定しているので、単なる時代精神というだけではなく、優れた人間にはそれなりに報いてよい、という考え方のように見える。
アリストテレスの「優れた」は徳と富を有した、まさに名士と呼べる存在なので、もし、本当にこのような存在が居るのなら、確かにその人にはある程度報いがあってもよいと思える。
人類がみな平等で、等しい権利を受くべきことに疑いはないが、だからこそ、時に立ち止まって悪平等に陥っていないかを検証することも、これからのリベラルに必要なのではないだろうか、と考えた。 -
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創作に関する世界最古のハウツー本。本書はアリストテレスが、古代ギリシア悲劇を定義したうえで、ホメロスやギリシア悲劇を分析して、そこから詩作においてポイントとなる要素を抽出する。特に第6章「悲劇とは、真面目の行為の、それも一定の大きさを持ちながら完結した行為の模倣であり、作品の部分ごとに別々の種類の快く響く言葉を用いて、叙述して伝えるのではなく演じる仕方により、憐れみと怖れを通じ、そうした諸感情からカタルシス(浄化)をなし遂げるものである」(p50)は、詩学に限らず、あらゆるストーリーに当てはまる普遍的な要素ではないだろうか。人間とは生まれた時代に関わらず、感情を持つ生き物であり、それを揺さぶる出来事に出くわすと、良い意味でも悪い意味でも影響を受ける。そのため、心を動かすための要素を、所々散りばめないといけない。このように、本書は人間の本質的な要素を突いたものだといえる。また解説では、プラトンとアリストテレスでは、人間の感情に対して意見の相違があることも興味深い。プラトンは喜劇や悲劇が、人間を理性で物事を捉えられないというのに対して、アリストテレスは感情によって理性を滅ぼすことはないという。
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ネタバレ国家とはどういうもので何を目指しているのか、そして最高の国家とはどういうものか、先人の見解も紹介しつつ考察していく本。
国家を「人が善く生きることを目指す共同体」と位置付けて、その発生過程や基礎となる家庭の運営について考えるところからはじめ、プラトンなど先人の国家観を検討・批判する。そして国家を構成する市民を「任期の限られない仕方で公職に就ける人々」として細かく検討し、さらに国制を「どのような人々が権力を持つか」に着目して王制・貴族制・共和制・独裁制・寡頭制・民主制の6種類に分ける。当時初期の小規模国家の体制ととらえられていたらしい王政について考察してから、現実的に成立できそうな中での最高の国家について検討を重ねていく。当時ありがちだった寡頭制と民主制をうまく混合した政治制度を作り、中間層を厚くするのが良いというのがアリストテレスの考えで、ここまでが上巻の内容。
女子供と奴隷は自然本性的に支配されるべき存在であるという前提から出発する序盤はさすがに少々面食らったけど、単純に権力を持つ人数の多さで国制が分類されるわけではなく、寡頭制は富を基準として権力を配分する正義を持ち、民主制は自由を基準として平等に権力を分ける正義を持つというのはなるほどと思った。
プラトンの「国家」「法律」から継承した部分もありながら、細かなところの批判がたくさんあるのは対抗心が見えて面白い。 -
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ネタバレ「悲劇(叙事詩)はどのようなもので、どんなストーリーが素晴らしいのか、どう作ればいいのか」を説いたアリストテレスの創作論みたいな話。訳が分かりやすくて、ホメロスやギリシア悲劇全集、プラトンを読んでいたのもあって前に読んだ「心とは何か」より格段に楽な読書だった。さらに解説がものすごく充実していて至れり尽くせりといった感じ。プラトンの詩人追放論との対比や、カタルシスの解釈の解説が特にありがたかった。
「悲劇とは、真面目な行為の、それも一定の大きさを持ちながら完結した行為の模倣であり、作品の部分事に別々の種類の快く響く言葉を用いて、叙述して伝えるのではなく演じる仕方により、憐れみと恐れを通じ、そうした諸感情からのカタルシスをなし遂げるものである」という長々した定義を作り、悲劇の肝はストーリーにありとして作劇の話を中心に書いてある。ご都合主義はいけないとか、キャラクターの性格を一貫させろとか、現代でもありがちな話があって面白い。
プラトンとアリストテレスの詩に対するスタンスの違いを読んで思ったが、全てを善のイデア、理想の国家などに還元していくプラトンと違ってアリストテレスは一個一個の物事を突き詰めて考えていくのが好きなんだな。あと実践的なハウツーも重視する。師であるプラトンの理論や定義をところどころ受け継ぎつつ、全く違う世界観を提示するのはやっぱりものすごいなと思った。 -
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のっけから、悲劇や喜劇を作ること(すなわち詩作)は総じて「模倣」である、とくる。模倣?訳注によれば、ストーリーの中で登場人物の行為を描くことは、言葉を駆使して行為を真似ること、すなわち模倣だと。ちなみに絵を描くのもアリストテレスにとっては模倣であるらしい。人は模倣が好きなのだと。言われてみればそんなものかとも思うが、現代人とはすこし違う観念を持ったひとが書いていることがよく分か
そんな違う観念を持ったアリストテレスであるが、丁寧に理詰めで論じていくので、訳注の助けもあり十分に読み進められる。そのうち、その理詰めぶりがなんだかおかしくなってくる。例えば、大きすぎて視野に収められないような生き物は美しいかどうか分からないだろうなどと言い出す(よってストーリーも適切な長さにすべき)。個人的には、当たり前に思われるようなことを無理やり理詰めに語りおこす町田康の芸風を彷彿とさせられた
全体の半分くらいは訳注と解説で、時代背景や後世への影響なども丁寧に解説してある -
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詩作について論じた古代ギリシャの哲学者アリストテレスの著作。文芸論・物語論・演劇論の起源とされている。
本書の特徴として自分が理解したのは、
1.ストーリーの創作論
2.西洋における芸術論の古典
3.アリストテレスの哲学体系の一部をなす著作
→後世の芸術家に与えた影響が絶大
ということなのだが……
正直、難解で大半は理解できなかった。見事に撃沈……。
説明に用いられている古代ギリシア作品は現存しないものも多く、意味が通じにくい。なにぶん古い著作ゆえ、原文の欠損も多い。よくわからないところ、読んでも自分には意味がないと思われるところはかなり読み飛ばした。本書の半分は訳者の解説になっていて、一応ざっと目は通したものの、こちらもかなりの研究心がない限り読み取るのは難解。とはいえ、詩学を研究している人には貴重な資料だと思う。カタルシスやどんでん返し、デウス・エクス・マキナなどストーリーの構造についても触れられているが、どちらかというと創作者よりも研究者・批評家向けなのではという気もする。 -
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政治学の概説書で良く紹介されるアリストテレス。云わく「人間とは政治的動物である」(本書では「人間は自然本性的に国家を形成する動物である」)とか、王制と独裁制、貴族制と寡頭制、共和制と民主制という6つの国制分類など。そうした概説書ベースの紹介でのみ知っていた著書『政治学』をやっと通読した。
ホッブス以降の政治学、また近代国家における国家像をイメージして本書を読むと、これが政治学の本かと違和感を持つかもしれない。
「善く生きること」が最も重要であり、アリストテレスによれば国家とは最高善を目指す共同体であり、人間は国家共同体に関わってのみ人間の自然本性を発揮できるということになる。
「自然本性的」という言葉はアリストテレスの議論ではキーワードになるのだが、現代の感覚では何故そうなのか腑に落ちないところが多々ある。例えば国政に参画できるのはリーダーほかの「市民」であって、奴隷や女性は除外されていることなど、その考察はなされているものの、あまり納得できない。
国制論では、各類型ごとの国制を論じ、併せて最善の国制について考察がされる。
公職への参加資格やその選出方法について考察がされるところは議論として理解できるのだが、共同食事のことが重要なテーマとなることが良く分からなかった。