鹿子裕文のレビュー一覧
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一万円選書で手にして、積読になっていた本。
はちゃめちゃでパワフルな人たちが特別養護老人ホームの開所にこぎつけるまでの話なのだが、介護の話ではなく、介護施設の話。
自分が普段手に取るものとはずいぶんテイストが違うので最初は読みにくさも感じたのだが、このへろへろワールドに馴染んでいくと、どんどんとページをめくっていくことになった。
話に出てくる人たちはどの人も個性的だし、ちょっと変わっているけど、多分、人として大事なものを持っている。そして、決してバカではない。
下村さんの「もらっていいお金」の発言や、村瀬さんの住民説明会での「これからの老い」の話だったり、その節々に、芯のようなものを感じる。
決して華々しくはなくて、憧れられるようなものでもなく、とても地道なもの。お金のつながりとは違ったつながりが、そこには確かにあると思えた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ制度があるからやるのではない。施設が作りたいからやるのではない。思いがあるからやるのではない。夢を実現したいからやるのではない。目の前になんとかしないとどうにもならないような人がいるからやるのだ。その必要に迫られたからやるのだ。それは理念ではない。行動のあり方だ。頭で考えるより前にとにかく身体を動かす。要するに「つべこべ言わずにちゃちゃっとやる!」のだ。
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介護に疲弊した家族が、涙を浮かべながら窮状を訴えるとき、施設はその存在意義と力量を問われる。専門職として、その専門性が試される。この仕事を生業とする者が、今、自分たちに何ができるのかを突きつけられる。
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自分が実際目にして、耳にして、鼻でにおいをかいで、そして心の奥で感じたもの。人と人とが顔を合わせ、たわいもない会話を交わしていく中で自然に育まれていく、情のようなもの——そういうものを大事に思う人たちがいる。
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もらっていいお金と、もらってはいけないお金がある。意味のあるお金と、意味のないお金がある。自分たちの力と呼べる力と、自分たちの力とは呼べない力がある。間違っていることと、間違っていないことがある。その違いがわからなければ、僕が何を間違おうとしていたのかはわからない——。
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臆病風に吹かれなければ、事は少しずつ動き出す。大切なことは、申し訳ないと思う気持ちを、ありがとうという気持ちに変えることだった。それができれば自然と腹は据わってくる。調子に乗ることもなければ、間違うこともなくなっていく。
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思えば「自己責任」という言葉が「老い」という不可抗力の分野にまで及ぶようになって以降、人は怯えるようにしてアンチエイジングとぼけの予防に走り出した。のんびり自然に老いて、ゆっくりあの世へ行く。それを贅沢と呼ぶ時代が来てしまったのかもしれない。とにかく国は生存権に帰属する介護問題を、サービス産業に位置づけ、民間に託して解決を図る道を選んでしまった。(中略)サービスとはつまり、手間という手間をひたすら金で買い続けるしかない代行システムのことなのだ。
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僕はとても個人的な人間だし、団体行動も苦手で、人の役に立とうと思ったことは特にない。今だってそうだ。僕が今も「よりあい」と付き合っているのは、そうした志があるからではない。単に下村恵美子や村瀬孝生、そして若い職員の人たちと仲良くなってしまったからだ。そういう友だちみたいな人に「ねぇ、ちょっとお願い!」と頼まれれば、僕は嫌とは言わない。それが友だちというものだからだ。
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地位とか名声とか、そういうものが欲しくてやっているわけじゃない。やるべきことがそこにあるから、それをやることでしか前に進めないから、ただそのことだけを懸命にやっている。そのシンプルさが、なぜか人を魅力的な顔にしていった。
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贅沢が言えるわけではないから、集まってくるのは年代もデザインもすべてバラバラのものたちだ。けれど不思議なことに、こうして集めてうまく組み合わせていくと、その雑多さが逆に落ち着いた雰囲気を醸し出し始める。人と一緒だ。同じような顔をした人たちしかいない世界は案外つまらない。それに居場所を無くしかけたものでも、集う場所がどこかにあれば、もう一度やり直すことができる。
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Posted by ブクログ
お薦めで手にしたのだけど、良い本と出会った。
糞尿を垂れ流しながら、毅然と一人暮らしを営んでいる「とてつもないばあさま」と、下村恵美子が出会った時。
彼女が満足出来る暮らしとは何かを考えて、宅老所よりあいの種が埋められた。
老人ホームに入らずに済む老人ホームというコンセプトを基に、よりあいの森に施設を建てるまでの日々が描かれている。
この本を読んでいると、晴れた夏の日の朝の感覚を思い出した。
さあ、これから何をしようとワクワクする感じが、夏の空気やセミの鳴き声と呼応するような。
本気で苦しそうで、楽しそう。一筋縄ではいかなくても、えいっと踏み込んじゃう。そんな匂いがしたのだった。
筆者が描く「下村恵美子」の存在もすさまじい。
下村さん、でも、恵美子、でもなく、下村恵美子という呼び方は最後まで変わらなかった。
他には色んなことが面倒になって、端々に省略が忍び込まれているのに。
施設の前提となる人と人との関わりにおいても、読んでいて重くなりがちな所がある、のに、下村恵美子の笑いが響く。ああ、素敵だなと思う。
最後に。
臨床について私自身が学んだ時、寄り添うとはどういうことかを考える時があった。
ともすれば安易に寄り添うが使われていて、本当にその言葉を分かっているのか不安になった。
そのことをふと思い出し、あらためる文章があった。大切にしたい。
「『宅老所よりあい』の介護は、一人のお年寄りからすべてを始める。その人の混乱に付き合い、その人に沿おうとする。添うのではない。沿うのだ。ベタベタと寄り添うのではない。流れる川に沿うように、ごく自然に沿うのだ。自然に沿う以上、こちらの都合で流れをせき止めてはいけない。流れを変えてもいけない。ひとつひとつの川には、それぞれの流れ方がある。海に至るまでの道のりは、ひとつとして同じものはない」 -
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福岡にて、特別養護老人ホームを建てようとした人たちの奮闘を描いたノンフィクション。昨日読み始めて、面白すぎて睡眠時間を削って読んで、それでも読み終わらなかったので、通勤の行きの電車の中で読み終えた。
「志」というには、そんなに肩に力が入っていない人たちが、ゼロから特養を建ててしまう。最も大変なのは、当然だが、資金の手あて。何せ3億円以上の費用がかかる。行政の補助金も手にするが、それでも残りの2億円以上を自分達だけの力で何とかしなければならない。寄付を募り、バザーを開き、手作りの品を売り、行事の際にはテキ屋の売店をやらせてもらい、ありとあらゆる事をやって、とうとう特養を建ててしまう。
億単位のお金を普通の人間が、集められるとは、なかなか思えないが、でも、このひとたちは、やり始める。やり始めて頑張れば出来るというような簡単な話ではないのは分かっているが、でも、一歩を踏み出さないと始まらない。そして、最後にはやり遂げてしまう。元気と勇気をもらえた。
メインストーリー以外にも、面白い話が満載。お勧めです。 -
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ネタバレあーよみおわった。読みやすい。いっきよみ。おもしろいし、テーマも強いし、でも印象強かったのは、この著者の「気持ちのいい家」とか、(なんかもうひとつくらいあったけど忘れた)形容詞がものすごいしびれるのがあって、とにかく始終しびれていた。
谷川俊太郎の詩にも、お金集めの信念の話にも、号泣する。お金がないとき、その集め方でお金の価値も変わってくる。勇気をもらえた。
社会にとけこめないお年寄りを世話することからはじまった、ワケアリの人ばかりがあつまる老人ホームの話。介護や高齢化が問題化した、一昔前の事情や空気感が伝わりやすい。
しかし今の事態は、世の中の人たちがお金がないと何とも出来ないんだと思ってしまう、あるいは面倒なことはお金にさせると思ってしまう傾向が強くなってしまっているようにも思う。
施設がまわりにとけこむ、老人ホームに入らなくてもいいような老人ホーム。社会が隔離しようとする存在は、それ自体の問題というより社会の受け口が問われる問題なのだなと思う。しかし、普通に暮らしているとそのことをつい忘れてしまう。こんな施設が当たり前になったらいい。お金だけしか頼れるものがない世の中はさみしい、信頼できる人たちがいるかどうかが、安心して暮らすことにつながるのだなあと思う。
一点だけ、行政や政治にも、頭がかたいとか己の利益ばかり考えているとかいうのは、何かこれからどうにか出来ないものか、と感じた。私たちの国の組織なのに。 -
Posted by ブクログ
のっけからトップギアで笑わされ、始終、「ふふふふ……」「クククク……」と笑わされた。出てくる人は皆、個性的。内容といえば、個性的な人たちが、ボケても普通に暮らせる人生を叶えるための特別養護老人ホームづくりに奔走するノンフィクションで、そこだけ聞くと、高い志に満ち満ちた崇高な感じに思える。
思えるが、とても良い意味で、登場人物たちは肩の力が抜けている。志を大上段に構えてそれで満足するような人たちではなく、静かに燃えつづけ、地に足ついた活動を続け、楽しみながら、理想の施設を回し続ける金策に日々挑む。
笑わせてくることが多いが、むしろ7割くらい笑って読んでいたが、随所随所で施設が描く理想に心打たれ、介護や老いについて(鬱々とせずに)考えてみようと思えた。