天野忠幸のレビュー一覧
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これを読むと松永久秀の印象はがらりと変わる。自分が今まで読んだ参考書や、数年前の教科書の次のような記述とはかけ離れていた。
13代将軍義輝は、三好長慶の家臣松永久秀に殺されるという有様であった【詳説日本史研究1983年発行】
(明応の政変)、これを機に細川氏が幕府の実権を握ったが、その後の権力争いの中で、実権は細川氏からその家臣三好長慶に移り、さらに長慶の家臣松永久秀へと移った【詳説日本史2016年発行】
この本によると、実際に13将軍義輝を討ったのは、三好義継(長慶の次の次の後継者)や松永久通(久秀の子)であり、久秀は京都に出陣すらしていないようだ。久秀は長慶から権力を奪ったのではなく、長慶の死後に失脚させられた後、織田信長と組んで盛り返した経緯はあるが、畿内の覇者である「天下人」にはなっていない。三好宗家には忠節を尽くしており、主君を主君と思わない暴虐ぶりを発揮した人物でもなさそうだ。
ということで、精緻な研究の成果であると思えるし、大変に勉強になる本である。おそらく今までの教科書の方が間違っているのだろう。
ただ、読むには少し胆力が要る。とんでもなく多くの人物に言及しているからだ。急ぐ人は13大将軍が討たれる「永禄の変」の項目から、もっと急ぐ人は最後の「久秀の実像」の項目だけを読めば、主旨は分かるだろう。 -
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ネタバレ三好長慶の忠実にして優秀な部下であった久秀が書かれている。その能吏っぷりは、梟雄として日本人の全ての人がもつ先入観を吹き飛ばした。
改元という重責を懈怠する、将軍資質に欠けたる義輝は、度重なる邪な動きをするものの、永禄元年には一応久秀と友好関係を結ぶが永禄5年には対立となる。
永禄6年には大和支配がかなうが直生に後見的役割をしてきた三好長興が若くして亡くなり、三好家は義継が後継となる。大殿長慶が亡くなり、久秀は息子の久通に家督を譲り、義継と久通の若い主従関係に後を任せるのだが・・・
永禄8年、実質幕府であった長慶・久秀の統治体制をさらに権威づけを試みたのか、三好三人衆と義継・久通は足利幕府を打倒として義輝を暗殺する。
目から鱗であったのが、他の兄弟は三人衆らが殺害していることから、義昭の命も風前の灯火だった・・・それを保護したのが久秀、つまり義昭の命の恩人だったこと。
この前提から、信長上洛により義昭将軍への道筋を作ったのは、(脱出した事実はあるが)義昭本人が、多くの大名に連携策を働きかけ、永禄9年には久秀も信長・義昭と同盟していた。(実現まで2年、久秀大丈夫か~)
(本文内容忘れたが)その情勢を見て義継・久通は三好三人衆と離反し親子対立は解消して手を取り合って信長に与力して、永禄11年大和支配認可される。
(5年ぶり、さすが久秀パパ)
久秀娘も信長へ接近させ、義昭妹も主君三好義継に嫁ぎ同盟は頑強なハズだったが、元亀2年、義昭は久秀のライバル筒井順慶にも養女を嫁がせ、バランスは崩れた。久秀離反・・・信長の敵となり悪名を受け現代に伝わる。 -
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ちょうど織田信長やら武田信玄やらの、有名な「戦国時代」の前日譚を、三好一族に焦点を当てて解説した本。三好長慶が地元にゆかりのある人物って所から手に取っただけだったけれど、応仁の乱から戦国大名が群雄割拠するまでの間の殆ど知らなかった穴が埋められて良かった。室町時代後期って思っていた以上にしっちゃかめっちゃか。前まで敵対していた勢力と手を結んで前まで味方だった勢力と対立したりしたみたいで、かなり面白い時代だなって思った。三好長慶はその評価が見直されて、最近の戦国シミュレーションゲームとかだと、能力値がかなり高く設定されているらしいのだけれど、その理由が良くわかった。
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三好一族と松永親子、足利将軍家のイメージが変わる本。通史なのでサクサク進み読みやすい。畿内の地名が次々に登場するので、巻頭の地図を適宜見返すと良い。
以下、印象
・ドラマやゲームと異なり、合従連衡激しい戦国時代では単純な君臣や敵味方で括れない関係性が多々ある。三好長慶がまさにそれで、親の仇である細川晴元に従ったり見限ったり、足利将軍を追い出したり戴いたり。
・松永親子は基本的に三好家に忠実で、信長離反についてもライバル筒井順慶の風下に立てないプライドが原因との分析。後世であれほど嫌われるポイントがどこにあったのかが気になった。
・三好松永を評価する本なので仕方ないが、足利義輝の評価が低い。他の将軍と比較しても責務を怠った云々。しかし無気力という訳でもない。大名たちに必要とされない焦りがあったのかと妄想。 -
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最近の中公新書は、歴史好きにはたまらないラインナップが続いている。2021年10月刊の一冊は、近年織田信長の先駆けといった評価もされている三好長慶を始めとする三好一族を扱った、タイトルもそのものずばり『三好一族』。
明応の政変以降の足利将軍家の分裂、加えて細川政元暗殺後の細川京兆家の後継者を巡る争い、敵味方が入れ替わり、信長登場以前のこの時代の歴史は人名を追うのに精一杯で、あまり良く分かっていなかった。
本書は、細川家の家来として台頭してきた、三好之長(長慶の曽祖父)、元長(長慶の父)、長慶とつながる三好本宗家を軸に、三好一族の動向を叙述していく。
将軍義輝を京から追い、将軍不在の中、将軍になり代わって禁裏の修理費用や改元費用を負担したり天皇の直轄領を回復したり、明使へ対応するなど、正に「天下」を制した長慶の時代、本書120ページに「最盛期の三好氏領国」の地図が載せられているが、大阪湾を挟んで近畿側の摂津・山城・河内・和泉・大和・丹波・淡路・播磨東部と、四国側の阿波・讃岐・伊予東部に及んでいる。
こうして地図で見ると、近畿と四国とが距離的に近いし、実は繋がりが深いことを感じさせられた。
長慶がもう少し長命であったならば歴史はまた違っていたかもしれないが、長慶死後、将軍義輝が三好三人衆によって殺害される(永禄の変)。なぜ義輝を殺したのか?将軍側近の排除を求める御所巻だったとする説があるが、著者はこれを排し、長慶の家督継承者、養子の義継が将軍家にとって代わろうとしたことが目的だったとする。長慶から家督を譲られた子の義興が長慶に先立って亡くなり、甥に当たる義継が本宗家を継承したのだが、将軍を討つことでその存在にふさわしいと主張したかったのではないかと言う。義継の存在はこれまであまり焦点が当たってこなかったのではないだろうか、興味深い説である。
三好三人衆と松永久秀の対立、義昭を擁した信長の畿内進出。この辺りからは信長包囲網と、関係者間の足並みの乱れ等、お馴染みの話となってくる。結局、三好氏は大名としては残れなかったが、一部は名族として旗本として残った者もいた。
終章は「先駆者としての三好一族」という標題で、足利将軍家の軛をいち早く断ち切ったこと、山城を居城とし、城下町を設けなかったことが城郭の発展段階として遅れた段階とのマイナス評価もあったが、大阪平野全体での発展を志向していたことなどの見解が語られる。
著者の捉え方自体も一つの見方だろうが、とても面白い考え方だ。 -
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織田信長が主役となる歴史においては、三好一族は近畿地方の土豪で足利義輝を殺害した三好三人衆が印象にあるくらいだが、本書によれば三好一族は信長や秀吉に先んじて京の都を含む畿内を統一し、将軍の責を果たさない義輝に成り代わって征夷大将軍の役目を果たしていたという。
いわば室町幕府後の世界を先取りした、当時の政治状況を踏まえると極めて先進的な勢力だったらしい。
楽市楽座や馬揃えといった信長の実績として知られる事柄も、実は三好政権が先んじて実施していたものが大半という。
本書は応仁の乱以後の複雑怪奇、有為転変な政治状況を追うのに忙しく、三好一族の先進性についてはごく控えめに総括されているに留まる。
三好も織田も豊臣も内紛や不運で敗れる中、徳川が天下を取ったのは示唆的。
奸物とされる松永久秀も本書によれば一貫した行動原理を貫いたように思える。