【感想・ネタバレ】松永久秀と下剋上のレビュー

あらすじ

「戦国の梟雄」と語られた人物。だが主家や将軍殺し、信長との三度にわたる敵対など、その多くは事実ですらない。室町社会の家格秩序に挑んだ改革者として初めて正当な評価を下す決定版。

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Posted by ブクログ

これを読むと松永久秀の印象はがらりと変わる。自分が今まで読んだ参考書や、数年前の教科書の次のような記述とはかけ離れていた。

13代将軍義輝は、三好長慶の家臣松永久秀に殺されるという有様であった【詳説日本史研究1983年発行】

(明応の政変)、これを機に細川氏が幕府の実権を握ったが、その後の権力争いの中で、実権は細川氏からその家臣三好長慶に移り、さらに長慶の家臣松永久秀へと移った【詳説日本史2016年発行】

この本によると、実際に13将軍義輝を討ったのは、三好義継(長慶の次の次の後継者)や松永久通(久秀の子)であり、久秀は京都に出陣すらしていないようだ。久秀は長慶から権力を奪ったのではなく、長慶の死後に失脚させられた後、織田信長と組んで盛り返した経緯はあるが、畿内の覇者である「天下人」にはなっていない。三好宗家には忠節を尽くしており、主君を主君と思わない暴虐ぶりを発揮した人物でもなさそうだ。
ということで、精緻な研究の成果であると思えるし、大変に勉強になる本である。おそらく今までの教科書の方が間違っているのだろう。
ただ、読むには少し胆力が要る。とんでもなく多くの人物に言及しているからだ。急ぐ人は13大将軍が討たれる「永禄の変」の項目から、もっと急ぐ人は最後の「久秀の実像」の項目だけを読めば、主旨は分かるだろう。

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2026年03月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

三好長慶の忠実にして優秀な部下であった久秀が書かれている。その能吏っぷりは、梟雄として日本人の全ての人がもつ先入観を吹き飛ばした。
改元という重責を懈怠する、将軍資質に欠けたる義輝は、度重なる邪な動きをするものの、永禄元年には一応久秀と友好関係を結ぶが永禄5年には対立となる。
永禄6年には大和支配がかなうが直生に後見的役割をしてきた三好長興が若くして亡くなり、三好家は義継が後継となる。大殿長慶が亡くなり、久秀は息子の久通に家督を譲り、義継と久通の若い主従関係に後を任せるのだが・・・
永禄8年、実質幕府であった長慶・久秀の統治体制をさらに権威づけを試みたのか、三好三人衆と義継・久通は足利幕府を打倒として義輝を暗殺する。
目から鱗であったのが、他の兄弟は三人衆らが殺害していることから、義昭の命も風前の灯火だった・・・それを保護したのが久秀、つまり義昭の命の恩人だったこと。
この前提から、信長上洛により義昭将軍への道筋を作ったのは、(脱出した事実はあるが)義昭本人が、多くの大名に連携策を働きかけ、永禄9年には久秀も信長・義昭と同盟していた。(実現まで2年、久秀大丈夫か~)
(本文内容忘れたが)その情勢を見て義継・久通は三好三人衆と離反し親子対立は解消して手を取り合って信長に与力して、永禄11年大和支配認可される。
(5年ぶり、さすが久秀パパ)
久秀娘も信長へ接近させ、義昭妹も主君三好義継に嫁ぎ同盟は頑強なハズだったが、元亀2年、義昭は久秀のライバル筒井順慶にも養女を嫁がせ、バランスは崩れた。久秀離反・・・信長の敵となり悪名を受け現代に伝わる。

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2020年03月15日

Posted by ブクログ

詳細に資料に当たられた学術的な本であるが,とても読みやすく(名前は紛らわしいが)面白い.今まで信長側からこの時代を見ていたが,確かに三好側から見るとこのようで,久秀のあり方に深く納得した.下克上の意味の捉え方も意味深い.

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2018年11月10日

Posted by ブクログ

戦国時代の下剋上の代表ともされるその生涯を近年の研究成果を踏まえて辿り、その人物像に迫る内容。三好本宗家と一体ともいえる活動実態や、身分秩序への対抗という点での特異性、畿内勢力の視点で見る義昭政権の評価などが興味深かった。

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2023年12月07日

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