デイヴィッド・ピースのレビュー一覧
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芥川龍之介が書いた作品と伝記的エピソードをコラージュし、この世という地獄を彷徨う作家の姿を描いた〈芥川版ドグラ・マグラ〉のような幻想怪奇小説。
日本在住のイギリス人作家が英訳された芥川作品を使って書いた小説の邦訳、というひねった成り立ちで、発売当時から気になっていた一冊。とにかく黒原敏行の訳文が格好良すぎる! この小説は芥川をそのまま引用してるところも多いけど、だからこそ芥川とピースの文体をつなぐ役割を見事に果たしている訳文に痺れずにいられない。
そしてやはり語りの声こそ、この小説の肝だ。芥川の文章を切り貼りしたコラージュが、いつのまにか呪詛のような、読経のようなグルーヴを持つピースの声に変わったかと思えば、また芥川に戻っている。描きだされるのは芥川が幻視したのかもしれない地獄の世界。そこは、幽界と二重写しになったこの世そのものなのだ。
物語は、「蜘蛛の糸」のカンダタを芥川に入れ替えた「糸の後、糸の前」から始まる。蜘蛛の糸を離した芥川は地獄へ戻り、次の章「地獄変の屏風」では、虚も実も取り混ぜた芥川の前半生が語られていく。ということは、これも地獄の続きなのか? 以降の章は一応時系列どおりに芥川の生涯をなぞっていくが、常に死と滅びの予感が満ち、幽霊はすぐ触れられるところにいる。いや、これはむしろ幽霊の芥川がふらふらと現世を彷徨いながらみている半透明な夢なのかもしれない。だから読んでいて『ドグラ・マグラ』を、胎児がみている夢を書いたあの小説の面影を感じるのだ。
芥川だけでなく、ポーのモチーフも繰り返し現れる。特に名前がでてくるわけではないが、私の頭には『大鴉』のイメージが何度も浮かんできた("ネーモー"にも通じている気がする)。もちろん、漱石をはじめとして、菊池寛、斎藤茂吉、内田百閒ほか明治大正の有名人たちも登場。芥川の創作キャラクターも現実世界に侵食し、ドッペルゲンガーを演じる。
オブセッションに駆られたような"騙り"の呪力が漲る「地獄変の屏風」、漱石のロンドン留学時代とジャック・ザ・リッパーを絡めた「切り裂きジャックの寝室」、〈芥川のキリスト教〉を描いた「黄いろい基督」「悪魔祓い師たち」は特に好きだった。
2年前に初めて芥川作品にしっかりと向き合ったにわかの私には、下敷きになっている作品のうち本当に有名どころのものしかまだわからないが、だからこそ芥川の魔力とピースの魔力のミクスチャーに幻惑され、その暗黒世界にどっぷりと酔い痴れる体験ができたと思う。好き嫌いだけで言ったら、今年読んだなかでは一番好きな小説だ。こんなふうに私好みの地獄に出会いたくて、私は小説を読んでいるのだ。 -
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ネタバレこれは凄い。芥川を愛する著者の二次創作的な作品集かと思っていたけれど、それだけではない。さらに芥川の生涯を追い、死に至るまでを描いていく。
この描き方が半端ではない。その時代、その場所で見てきたのではないかという位リアルでありながら美しく幻想的。
「本当にこうだったのではないか」と思わされてしまう。
彼が魂を擦り減らしながら小説を書いていくのを身をもって感じ、特に終盤、こころを病んでからは剥き出しになった神経を持て余して苦しむ感覚が身に迫ってきて、乾いた筆致でありながら辛くて堪らず、死によって解放される感覚までも追体験してしまった気がした。
断片的に知っていた彼の人生をここまで見事に、彼の小説や彼を取り巻くものを使って描く技は圧巻。とてもきつい読書体験だったけどこういうのが読みたかった、これからモチーフとして使われた作品をまた少しずつ読んでいきたい。 -
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『彼はある郊外の二階に何度も互いに愛し合うものは苦しめ合うのかを考えたりした。その間も何か気味の悪い二階の傾きを感じながら―芥川龍之介「或阿呆の一生」昭和二年(一九ニ七年)』―『地獄変の屏風 HELL SCREEN』
芥川龍之介の文章から受けるイメージは読むたびにその鈍色(にびいろ)の光沢が薄れるような印象がある。思春期の頃には、まるで外科用の刃物のような鋭い光を放っていると感じたものが、読み返してみると、私生活が半透明の薄皮一枚のすぐ下に透けるような酷く生々しいものに見える気がする。形而上学的な言葉と思えたものが単に陳腐な感情の吐露だと判明してしまったかのようでもある。作家に関する余計な知識を得てしまったことが悔やまれる。にも関わらすまたしても芥川龍之介を題材にした小説を読んでしまう。
例えばそれは、シャーロック・ホームズを愛する推理小説家によるパスティーシュとしての推理小説のようなもの。そう読むならば危うさはそれ程でもない。しかしシャーロキアンがパスティーシュとしてコナン・ドイルの後半生を推理小説的に描いたなら生まれるであろう悲哀(例えば降霊会の逸話など)が、芥川龍之介という作家を描くこの擬似的な小説には溢れ過ぎている。作家自身の境遇、時代の変化、虚ろな大衆、震災、友の病、義兄の死。そういう一人ではどうにもならないものばかりでなく、彼自身に起因する幾つもの悩みが作家を擦り潰していく。書き遺された文章には、作家には必然と見えてしまった破滅的な将来像といつの間にか傾倒していた「神」の遣わされた「徴」の解釈が溢れていることがじわじわと河童というメタファーを通して炙り出される。
その裏側を更に仔細にかつ作家自身が遺した文章を軸に再構築し、その上芥川龍之介を模した文章にされてしまうと、あの銀色の光沢と思えたものの正体がまるで言い訳めいた独りよがりの心情の吐露であったのだと強制されるようで拒絶反応が起こりそうになる。だが、この小説がその諧謔的な構図を二重の翻訳を経て立ち上げていることを考えれば、日本人である自分は立ち向かわざるを得ないとも思う。「文芸的な、余りに文芸的な」と作家が記したように、文章の芸術的価値が話の筋にはないのであればなおさらのこと。作家はこのパスティーシュの価値を大いに認めながら、出来れば放って置いて欲しいとも思っただろう。「水洟や鼻の先だけ暮れ残る」。結局のところ作家は自尊心の塊のような人であったのだ。
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ネタバレXと云う患者 龍之介幻想
膨大な芥川龍之介の作品を読み込み、交友関係を調べて書かれたのが本書です。
龍之介を主人公にして、その作品を織り込みながら人間関係を物語るというちょっと離れ業的な本です。
尚、驚くのが作者が英国人であること。
翻訳も原著にあたったりしながらで大変だったろうなと思います。
幻想譚としての出来は完ぺきではありませんが、龍之介が徐々に自殺という結末に近づいていく様子が良く描かれていると思います。
大正と言う時代の雰囲気、関東大震災、文壇と今まで漠然としか知らなかったことを改めて知ることになりました。
さて、デビット・ピース氏は次はどこにいくのでしょうか?ちょっと気になります。
竹蔵 -
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ネタバレ行き過ぎた福祉政策で赤字国家に陥ったイギリスは、強い大英帝国復活のため、鉄の宰相マーガレットサッチャー擁する国家陣営で、対外的にはフォークランド紛争に勝利し、国内ではエネルギー政策転換の阻害要因となっていた炭鉱閉鎖を進める。炭鉱の労働者組合は当然反発し、30週間にも及ぶストを敢行するが、国家の弾圧は激しく資産凍結や警察部隊の大量導入、スト潰し労働者の投入などで、次第にそのストと無効化していく。
国家が強いことが国民の幸せに直結するのか?政府のやり口が正義で歯向かうことが悪なのか?
時あたかも、複数の軍事大国家の無謀な行動でいつ世界大戦が起こってもおかしくないような様相を呈しており、わが国でも鉄の女もどきが宰相となり高支持率を維持している。
さて俺たちは、体制を支持してはしごを外されたユダヤ人のような不幸を味わうのか、抑圧の果てに崩壊していった労働組合員たちのような先細りの絶望を味わうのか?
どっちにしても明るい未来はちょっと読めないかぁ -
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下山事件は中学生の時、松本清張の「日本の黒い霧」になぜかハマってしまい、戦後日本のドロドロの原形質に触れた気がして、ずっと心の底に沈殿している謎でした。時々、この事件、出版物として目の前に現れるのですが、なぜか積読のままに放置してしまっています。例えば柴田哲孝「下山事件」もその一冊。「日本の黒い霧」のインパクトが凄かったからかな…そんな中、あるTV番組でで直木賞を取った佐藤究が超おススメしていたので、「テスカポリトカ」よりも先に読んでしまいました。たぶん、真相解明の本ではなく、フィクションだったので気易かったのかもしれません。でも、1949年、1964年、1989年、つまり事件発生、一回目の東京オリンピック、昭和天皇崩御、昭和の歴史の特異点で蘇る下山事件は、戦後日本の奥底を流れる誰も見ることのできない地下底流と化している気がします。その闇への好奇心はまったくリアルタイムでもなんでもない自分の深層にも入り込んでいる気がして、それが怖くなりました。本書に描かれる下山事件に関わった人々のモヤモヤ感への共鳴が、ちょっとだけ起こってしまいました。この小説をデイヴィッド・ピースという英国人が書いていることにも驚愕。出口のない気持ち悪さが、ノワールと言われるジャンルなのであると思いますが、訳者のあとがきで語られる日本文学や歴史上の人物、さらには自著も巻き込んだ気持ちいいまでの緻密な構成…この作者の只者でなさ感にさらにびっくり。今回、初めての作家ですが、これは本書を完結編とする三部作の第一作「TOKYO YEAR ZERO」第二作「占領都市」にも遡らなくちゃいけない、と思いました。また積読?
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国鉄三大事件のひとつ、初代国鉄総裁の下山定則の轢断死体が発見されたが他殺説、自殺説まみえて解決に至らなかった下山事件を扱った小説。
なのだが、昭和の東京で起きた事件を扱った三部作の最後ということは知らず、最後から読むことになってしまった。
三章構成になっている。
第一章の語り手はGHQの情報将校により、事件前、事件発生、そして事件後が語られる。
そして第二章の語り手は元刑事の探偵、下山事件を追っていた作家の行方を追い、事件から20年後の東京が語られる。
第三章は下山事件発生当時に対日工作のため来日し、現在は翻訳家のアメリカ人が、昭和天皇崩御の昭和の終わりとともに下山事件の真相にたどり着く。
二段組でページ数450弱。
気合い入れて読まなきゃ終わらないのに、まぁ文体が重苦しい。
繰り返しの描写表現からは、東京の昭和という時代と事件の重苦しさが伝わってくるが、頭に入ってこない。
特に第三章は、何が何やら。。。
下山事件を題材にしているが、各章の語り手たちには下山事件を通して、更に二重三重の事件構造が重なっているから、話がややこしくなってくる。
下山事件そのものよりも、昭和という時代の重厚感を感じる一冊だった。
古い町並みを残すロンドンやパリ、アメリカンドリームと近代が共存するニューヨーク。
世界の大都市と比較して、東京には一貫性のある街がない。
明治維新、関東大震災、太平洋戦争、高度経済成長、そのたびにスクラップビルドを繰り返してきた東京。
層が折り重なった歴史は可視化されず、ふとその片鱗を街にのぞかせる。
本書の最終章が昭和天皇の崩御で締めくくられるのは、昭和の終わりの象徴に他ならない。 -
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GHQ占領下の1949年に国鉄総裁であった下山定則が失踪し、礫死体で見つかり未だに未解決の下山事件。数万人規模のリストラを目前に控えて労組などから脅迫されていたことから、そうした心労が苦になっての自殺説、共産党などによる他殺説、ひいては”反共主義”を日本でも広げるためにGHQが起こした陰謀論的な他殺説まで、この事件は昭和史に残るミステリーの1つとなっている。
そんな下山事件を題材に、日本に在住する英国人作家が英語で描いた犯罪ノワールとも呼ぶべき小説が本作である。事件が起こった1949年から、昭和天皇が崩御する1989年まで、幾つかの時代を舞台としながら、その死は自殺だったのか、他殺だったのすれば首謀者は誰なのかを実在の人物たちを作品内で動かしていきながら暴いていく。
著者が日本人ではないということだからだろうか、占領下の日本や、昭和天皇の崩御などについても、一切の感傷を挟むことなく極めてドライに描かれており、その雰囲気が犯罪ノワールである本作には非常にフィットしている。日本人の作家であればこうはならなかっただろうし、まるで東京という既知の街が見知らぬところであるかのように見えてくるのも面白い。
本書は趣向は違えど、ノワール小説という点で趣味を同じくする『テスカトリポカ』で直木賞を受賞した佐藤究が絶賛していたことから手に取った。犯罪文学、ミステリーなどが好きな人であれば間違いなく楽しめる驚愕の一冊。 -
Posted by ブクログ
芥川龍之介の作品を使っての幻想文学(著者はイギリス人。ということでもちろん原書は英文なわけで、本書はそれの『翻訳本』)という点だけ知っていて、それ以上は前情報仕入れずに読んでみましたがこれがビックリ。
これは「芥川の人生」と「作品」を素材として使って、芥川龍之介を主人公に据え、史実と幻覚と妄想と文学の境界をあいまいにしてコラージュした結果、一級の幻想文学エンタメとして仕上がった作品でした。とても面白い。ドグラ・マグラなどが好きな人はハマると思う。
さらに、ほぼ芥川の人生を辿るストーリーなので、芥川龍之介の各作品だけでなく彼自身の人生も押さえた上で読むと何倍も面白い。史実と作品が渾然一体となって組合さった結果、芥川の人生がこんな風に「文学と狂気」に染まるのか、と。(もちろん、あくまでこれは「創作」であって「評伝」ではないです。なので彼の人生の中で色々な重要な出来事が描かれてないので、史実とはごっちゃにしないように注意……でも、そうかも?と思わせる魅力がある…凄い)
英文を翻訳するときに、あえて新規に翻訳するのではなく、元作品の芥川の文章を引き直すことで日本語へと戻していく様もお見事。これによってとても芥川作品味が増して、溺れるように濃厚な芥川ワールドになってました。
ドッペルゲンゲルに河童に歯車、そしてマリア観音はじめとするキリスト教…と芥川に詳しい人ほどこの作品の細部に散らされた構成の妙に感心すると思います。特に、芥川の作品の「○○もの」とされるアレをああいう風に扱ったのには感心しました。(ホント実際に読んで堪能してほしい……)
本書には漱石、久米、菊池、茂吉、川端、内田百閒、永見徳太郎等々も登場し、基本的に彼らの動きは随筆等で知られている通りの動きをしてますので(細部には創作がみられますが!)、近代文学ファン的にはそんなところにもゾクゾクする一品でした。 -
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面白そうと勧められ、なんとなく、これは読んだ方が良さそうだな、と思って購入。
「蜘蛛の糸」が芥川自身と重なって、下を見下ろすと、自分が関わってきた人々、モチーフ、登場人物の蠢きを知る。
このままでは、追いつかれてしまうな。
そう分かって、手を離す時の芥川が、なぜか鮮やかに思い浮かべられて、切なくなる。
明治天皇の崩御や、関東大震災、夏目漱石や文豪たちとの交流、自殺。
彼を形作った、様々な出来事。
「蜘蛛の糸」で見下ろした光景の一つ一つを、芥川の作品とコラージュさせながら、紡いでゆく。
作者と作品の関係性とは、何か。
人としての儚い時間を終えた彼だが、もう一度、他者の手によって、作品の中で存在し直す。
し直す、という言葉が適当かどうかは分からないけれど、誰かによって生み直されたのだから、まあ、そう言っても間違いではないとしよう(笑)
なかでも。
河童のトックが芥川に、芥川がトックに重なっていくシーンを、作品として落とし込んだ。
そんな、いつぞやの空想を現実に生み出してくれたことに、感謝したい。
さて。
デイヴィッド・ピースとは実は初めての出会いではなかったようで。
巻末に『それでも三月は、また』というアンソロジーに寄稿した「惨事のあと、惨事のまえ」が「災禍の後、災禍の前」と変更され、載せられている。 -
Posted by ブクログ
下山事件といえば日本史の教科書にも載っているような有名な事件。不謹慎だが、あまりにドラマチックな謎のため、フィクション、ノンフィクション問わず、たくさんの作品が発表されてきた。ご多分に洩れず、私もそれらの数冊を手にし、ああでもない、こうでもないと、いろいろ想像を巡らせたクチである。
本書はその下山事件をテーマに、戦後日本の、東京の闇に潜っていく。3部構成となっていて、おもしろいのは第一部がGHQの捜査官ハリーの視点で語られること。外国人を主人公に下山事件を扱った作品を私は寡聞にして知らない。
第二部には江戸川乱歩がモデルと思われる探偵作家も登場する。実際、事件後、乱歩はじめ当時の探偵作家たちが下山事件を推理した文章をこぞって発表していることを興味深く思い出した。しかし、これを海外の作家が書いたとは、驚きでしかない。
ただ、とても評価の高い本作だが、私は読むのに難儀した。文章は「、」で延々と続けられ、「。」で区切られることがあまりない。会話も「 」で括られることなく、地の文に組み込まれる。文章が途切れることなく続くので主語も判然とせず、また場面も唐突に変わる。原文は読んでないが、おそらく、これに近い独特の文体で、訳者の方が工夫を凝らしたのだろう。それも含めて評価が高いのだが、私には読みにくかった。
正直、もっとノンフィクション寄りの内容かと思っていた。ただタイトルにある迷宮感は大いに味わえた。陶然と、惑わされた。本作は〈東京三部作〉の掉尾だとか。前のニ部作は…どうしよう。 -
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テクノ/ハウスなどの音楽で一般的なリミックスという手法は、その後、”シミュレーショニズム”の文脈で現代美術にも派生するが、文学においてはそこまで一般的な手法ではない。本書はそうしたリミックスの手法を用いて、芥川龍之介の作品を英国人作家デイヴィッド・ピースが新たな文学作品に仕立てた一冊である。
芥川本人、芥川の作品の登場人物など、主人公が章ごとに移ろいながら、明治の世相が美しく、しかしどこか仄暗さを持って描かれる。どこまでが史実の話で、どこからが芥川の作作品のリミックスなのか、その垣根は極めてぼやかされており、幻惑的な時間が流れる、不思議な書物。