一ノ瀬泰造のレビュー一覧
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私がこの本で一番興味をひかれたのは、銃弾飛び交う中で撮影された緊張感あふれる写真ではない。カンボジアの風景のようにおおらかな泰造さんの独特の文章でもない。
では何が一番良かったかと言えば、時折挟み込まれる泰造さんと母親との手紙のやり取りだ。
母親の手紙を読むと、自由にふるまう泰造さんを好きなようにさせながらも、随所で息子の体を気遣い、グラフ雑誌で息子の写真(と思われる)を見つけては一喜一憂する姿に、なつかしい気持ちがこみあげてきた。
ああ、これが日本の母なのだ。海援隊が母に捧げるバラードで歌ったように、「バカ息子」と母から散々言われ続けながらも息子が最後に「ぼくに人生を教えてくれた/やさしい -
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戦地でも、その土地全部が戦争しててどこもかしこも危ないわけではない。戦争中であっても、そこに住んで生活する人たちがいる。子供は遊ぶし、料理屋も営業する。当たり前なんだろうけど、そのことに気づかされた。いつ、死んでもおかしくない生と死が隣り合わせの中で、写真を撮る。いつ地雷を踏むやも知れない。さっきまで一緒に遊んでいた子供がロケット弾でこの世から去る。さっきまで従軍中行動を共にした兵士の額に穴があく。続々と運ばれてくる負傷兵と死体。いい感じで平和ボケしてピアノ線が緩みまくってるぼくには想像できない環境だ。
フリーの報道カメラマンとして2年間、バングラデシュ、ベトナム、カンボジアの激動地帯を駆け抜 -
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前に後輩の宮嶋茂樹さんがあるテレビ番組で彼と同じシチュエーションで同じ場所を撮影していたものを見て、読んでみようと思いました。26歳で戦場に散った男の魂の軌跡です。
僕の記憶が定かではないので、なんともいえませんが、確かこれを大学時代に読んだような気がして、今回、これを紹介するというのと、後輩であり、同じく戦場カメラマンである宮嶋茂樹さんが彼のことを紹介していたのと、あるテレビ番組で一ノ瀬泰造と同じ場所、同じアングルで写真を撮影していたこともこの本をもう一度読もうと思ったきっかけなのかもしれません。
あまりにも有名なのであらすじをここで書こうか迷うほどですが、この本はフリーの報道写真家とし -
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思えば去る2007年4月、タイ~カンボジア~ベトナムへの一人旅に向けて情報収集する中で一ノ瀬泰造という人の名前だけは知っていたのだが、アンコールワットに行った時も、ベトナムの戦争証跡博物館でも私は彼に対してあまり興味を示さなかった。
ある時偶然めくった新聞記事で同郷出身で、アンコールワットに憧れ、当時の私と同年齢、26歳で倒れたことを初めて知る―。
それから興味が湧いてこの本を読んだのだが、写真に対する熱い想い、アンコールワットへの憧れ、母からの手紙・・・どれもこれもリアルな体験や気持ちが綴られていて、ぐっときた。
もっと早くこの本に出会っていれば、旅がまた違うものになっただろうと -
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ネタバレ1970年代初め、カンボジア内戦下、アンコールワットの撮影を夢見るも果たせず倒れた
若き報道写真家、一ノ瀬泰造の手記および書簡と写真集。
飄々とした文体を通して浮かび上がる「生」と「情熱」。
お母さまとの往復書簡も印象的。
カンボジア、アンコールワットへの旅行にあたり、彼の地にちなんだ書籍として購入するも、
長らく積んだままだった本をようやく読んだ。
著者が戦渦のうちに亡くなったという事実を知っていたため
死というバッドエンドであることは明白なので読むのに覚悟を要した。
タイトルが「地雷を踏んだらサヨウナラ」である。
「地雷を踏む」という死を意味する語に、カタカナの「サヨウナラ」、
が -
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一ノ瀬泰造(1947~1973年)氏は、佐賀県生まれ、日大芸術学部写真学科卒の、フリーの報道カメラマン。
1972年3月にベトナム戦争が飛び火して戦いが激化するカンボジアに入国し、以後ベトナム戦争、カンボジア内戦を取材、『アサヒグラフ』や『ワシントン・ポスト』などに多数の写真を発表した。「安全へのダイブ」でUPIニュース写真月間最優秀賞を受賞。1973年11月、当時クメール・ルージュの支配下にあったアンコールワットに単身潜入し、消息を絶った。享年26歳。
本書は、一ノ瀬が残した多数の書簡などをまとめて1978年に出版され、1985年に文庫化されたものである。また、1999年には映画化され(主演 -
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今現在、アンコールワットの写真を撮るために必要なのはカンボジアのビザ約4000円、アンコール遺跡の入場券約3700円〜。あとはシェムリアップまでの航空券とホテル代。カメラにパスポート。それだけあれば誰でも雄大なアンコールワットの姿をカメラに収めることができる。
泰造さんがカンボジアで活動した1970年台前半、アンコールワットの写真を撮るというのは危険極まりない行為だった。後にカンボジアが経験する凄惨な歴史の元凶であるクメール・ルージュが支配していたからだ。そして彼自身、その犠牲者となってしまう。
何がそこまで彼を駆り立てたのだろう。金と名誉が欲しかったのかもしれないし、ただただ被写体としてのア -
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単身カンボジアのアンコールワットに向かい行方不明になった報道写真家・一ノ瀬泰造さん。26歳で消息を絶って9年後、彼は両親の手によってその死が確認された。本書は生前一ノ瀬さんが家族や恩師に宛てた手紙のやりとりで進行する書簡体で綴られた戦場ルポ。
一ノ瀬さんが亡くなって40年、本書が刊行されて30年。彼の遺した写真からは、負傷で動けなくなった兵士や道路に放置された死体など、戦時中の物々しさや被害の大きさなど現地ならではの悲惨な現状が見えてくる。しかし中には兵士の笑顔やその家族の安堵の表情など人間味のある写真も多くあり、決して遠いどこか別の世界の話ではなく、あくまでも人対人の争い。その背後には家族 -
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古本で購入。
フリーカメラマン一ノ瀬泰造の日記と両親や友人に宛てた書簡などで構成された本。
激動のインドシナの戦場と日常が、「全身がシャッター」の男の目を通して見えてくる。
戦場の描写は時に滑稽で時に凄惨だけど、「戦争に対する怒り・憎しみ」のようなものはそれほど前面に出ていない。
理不尽な暴力や差別に見舞われる人々への同情・優しさを感じる箇所が多いだけに、少し不思議な感じ。
NHKの番組に出演した際、あまりに戦争を楽しそうに話すから放送されなかったこともあるとか。
戦場を駆け回って命がけで写真を撮る戦場カメラマンっていうのは、やっぱり常人では測り難い精神構造をしているのかな。
「アンコ -
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シェムリアップ(この本の中ではシアムリアップとなっているけれども、シェムリアップと書く方が、今では一般的なようなので、そのように書く)は、一ノ瀬泰造が写真を撮ることを狙っていたアンコールワットに一番近い街だ。カンボジアの内戦時代に、アンコールワット近辺はクメール・ルージュ側に占拠されたが、周囲の街までを制圧したわけではなく、シェムリアップ近辺は、クメール・ルージュと政府軍の戦いの前線でもあったようだ。
アンコールワットには一度だけ行ったことがある。
僕の住んでいるバンコクからは、アンコールワットへ行くツアーが沢山組まれていて、僕もそのうちの1つ、1泊2日のツアーに申し込んで出かけた。時期はず -
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ネタバレ想像以上に生々しい。
この日記や手紙の内容が、本当にこれを書いている時に 一ノ瀬泰造のまわりでリアルタイムに起こってた事。そ れがショック。
一ノ瀬泰造って人が大体どんな人で、この本が大体どんな内容なのか?
何となく入ってきてた情報で自分の中でイメー ジしてたけど、
それがキレイごとだったんだ な、、、と思った。
人って思ってるより強い し、でもあっけなく死んでしまう。
ベトナム 戦争がどんなものだったのか?カンボジアの内戦がどんなものだったのか?
調べてはみるけど・・・よくわからない。
何のために、誰と誰が戦ってたんだろうなぁ。