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「アンコールワットを撮りたい、できればクメール・ルージュと一緒に。地雷の位置もわからず、行き当たりドッカンで、最短距離を狙っています……」フリーの報道写真家として2年間、バングラデシュ、ベトナム、カンボジアの激動地帯を駆け抜け、26歳で倒れた青年の、鮮やかな人生の軌跡と熱い魂の記録。映画化もされた感動作。
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Posted by ブクログ
内戦が続くカンボジアで戦場カメラマンとして活動し、憧れのアンコールワット遺跡の撮影を試みながらも、1973年11月に消息を絶った一ノ瀬泰造さんの日記と書簡からなる記録。
戦争の最前線に飛び込んだ、戦場カメラマンの生々しい手記と写真の数々。 常に銃弾や砲弾が飛び交う戦場と、ふとした瞬間に年相応の若者らしい顔を見せる兵士達と、戦争が日常の一部と化した国で生きる人々を撮った写真の迫力は凄まじい。
私がこの本で一番興味をひかれたのは、銃弾飛び交う中で撮影された緊張感あふれる写真ではない。カンボジアの風景のようにおおらかな泰造さんの独特の文章でもない。 では何が一番良かったかと言えば、時折挟み込まれる泰造さんと母親との手紙のやり取りだ。 母親の手紙を読むと、自由にふるまう泰造さんを好きなようにさ...続きを読むせながらも、随所で息子の体を気遣い、グラフ雑誌で息子の写真(と思われる)を見つけては一喜一憂する姿に、なつかしい気持ちがこみあげてきた。 ああ、これが日本の母なのだ。海援隊が母に捧げるバラードで歌ったように、「バカ息子」と母から散々言われ続けながらも息子が最後に「ぼくに人生を教えてくれた/やさしいおふくろ」とつぶやくような、日本がかつて誇り得た母の姿だ。 これがなければ、私にとって泰造さんは、ちょっとやんちゃでスケベで、写真で名を成そうと気持ちがはやりがちな戦場カメラマンの1人にすぎなかっただろう。 それにしても、泰造さんをアンコールワットへ駆り立てたものは何なのだろう? この本の一章を占める「カンボジア従軍記」が書かれた1972年は、日本では「あさま山荘事件」があるなど、国内でも動いている“現場”はあったはずだ。だが泰造さんにとっての真の意味の“現場”は、日本では見い出せなかったのだろう。泰造さんが求めたものは、雨宮処凛さんがイラクや北朝鮮に求めたのと同じ“当事者性”というものなのだろうか? 私は泰造さんがカンボジアへ渡ったのは、この母親あっての必然だと考える。つまり、この素晴らしいお母さんのもとで育った泰造さんは、人生の根本を母親から確かに受け取り、そしてそれを実践するとともに母親を超えるべく、本能的に未知の世界へと飛び出したのだ。 世界を舞台に危険を顧みず確固たる目的意識で(中村哲さんのように)事績を残すのはもちろん素晴らしい。しかし泰造さんのように、ひとまずカメラだけを持ってがむしゃらに“何か”を求めて飛び込む姿にも、私は大きなシンパシーを感じる。 だがこの本はサクセスストーリーではない。しかしいくら批判好きの現代人も、ここまでされるともう批判する気も失せるわというくらい、私たちの想像の上をいく数々のエピソードが詰め込まれている。 ここでRCサクセションの「ぼくの好きな先生」に触れたい。いつも1人でたばこを吸っている美術の先生。誰がなんと言おうとも清志郎はそんな先生が大好きだった。けれども今の校内全面禁煙の常識から見ると、評価はがらりと変わってしまう。同じように泰造や彼のお母さんについても、今の常識なんか蹴り飛ばして読まなければ真の良さは見えない。 願わくば、今の窮屈な常識押しつけ社会に息苦しさを感じているすべての人が、泰造さんの破天荒さに大笑いし、そしてお母さんの素朴な優しさに触れて、自分自身の母子関係にはいろいろあったとしても、「母親っていいな」としみじみ思い直せるように。
戦地でも、その土地全部が戦争しててどこもかしこも危ないわけではない。戦争中であっても、そこに住んで生活する人たちがいる。子供は遊ぶし、料理屋も営業する。当たり前なんだろうけど、そのことに気づかされた。いつ、死んでもおかしくない生と死が隣り合わせの中で、写真を撮る。いつ地雷を踏むやも知れない。さっきま...続きを読むで一緒に遊んでいた子供がロケット弾でこの世から去る。さっきまで従軍中行動を共にした兵士の額に穴があく。続々と運ばれてくる負傷兵と死体。いい感じで平和ボケしてピアノ線が緩みまくってるぼくには想像できない環境だ。 フリーの報道カメラマンとして2年間、バングラデシュ、ベトナム、カンボジアの激動地帯を駆け抜け、26歳で倒れた青年。戦場が1番の教科書と勇む青年。それを裏付けるように急激に写真の腕を上げ、駆け上がっていく軌跡が、まっすぐでものすごくかっこいい。ぼくと4歳しか違わない。ぼくはその状況におかれて同じようにユーモアを忘れずいられるだろうか。銃弾飛び交う中へ飛び込む勇気があるだろうか。負傷しても再び向かう勇気があるだろうか。マラリアになっても友人の結婚式へ行けるだろうか。日頃は闘志に溺れて前へ、前への意識に熱中しているが、たまにそれが剥離して、ものすごい孤独にかられるの同じような気がするのだが。 "求めよ、さらば与えられん。叩けよ、さらば開かれん。" 求めてます。だけど、まだ得ることができません。叩いてます。だけど、まだ開きません。 すごく印象に残っている。目の前の事に集中して、後悔のないように全力を投じようと思った。
前に後輩の宮嶋茂樹さんがあるテレビ番組で彼と同じシチュエーションで同じ場所を撮影していたものを見て、読んでみようと思いました。26歳で戦場に散った男の魂の軌跡です。 僕の記憶が定かではないので、なんともいえませんが、確かこれを大学時代に読んだような気がして、今回、これを紹介するというのと、後輩であ...続きを読むり、同じく戦場カメラマンである宮嶋茂樹さんが彼のことを紹介していたのと、あるテレビ番組で一ノ瀬泰造と同じ場所、同じアングルで写真を撮影していたこともこの本をもう一度読もうと思ったきっかけなのかもしれません。 あまりにも有名なのであらすじをここで書こうか迷うほどですが、この本はフリーの報道写真家として2年間、バングラデシュ、ベトナム、カンボジアの激動地帯を駆け抜け、26歳で斃れた青年の鮮やかな人生の軌跡と熱い魂の記録でございます。もっと具体的にいうと、この本は現地から家族や出版社に宛てた手紙や、取材ノート。そして圧倒的なメッセージ性を持つ写真で構成されていて、僕ものその一人なのかもしれませんが、『荒野を目指す』人間にとっての永遠のバイブルのひとつでございます。 特に一ノ瀬泰造が持つ『視点』。現地の子供たちに『カラテ』や『ジュードー』を教えながら彼らの生きるありのままの姿を見つめ続けていたのだということを彼の言葉から感じることができます。そして、彼が生涯を通してみたかったといわれるアンコール・ワット。今ではそこは世界遺産として、重要な観光資源となっており、彼が常駐していた町も、今では観光地として栄えているのだそうです。時の流れは残酷なくらいの速さで進んでいるということを痛感したということと、彼の残した言葉と生々しいまでの『息遣い』は今も、時代を超えて強く語りかけるだけの力を持っているのだなと改めてそう感じました。
思えば去る2007年4月、タイ~カンボジア~ベトナムへの一人旅に向けて情報収集する中で一ノ瀬泰造という人の名前だけは知っていたのだが、アンコールワットに行った時も、ベトナムの戦争証跡博物館でも私は彼に対してあまり興味を示さなかった。 ある時偶然めくった新聞記事で同郷出身で、アンコールワットに憧れ...続きを読む、当時の私と同年齢、26歳で倒れたことを初めて知る―。 それから興味が湧いてこの本を読んだのだが、写真に対する熱い想い、アンコールワットへの憧れ、母からの手紙・・・どれもこれもリアルな体験や気持ちが綴られていて、ぐっときた。 もっと早くこの本に出会っていれば、旅がまた違うものになっただろうと思うと悔しくてならない。 また、カンボジア、ベトナムに行きたくなった。
天真爛漫に戦場を駆け抜けた若きカメラマンの生き様。 何かに迷った時、勇気が出ない時、元気が出ない時に読むと前向きな力をくれる。 本の中に登場する「求めよ、さらば与えれん。叩けよ、さらば開かれん」というこの言葉を、私は座右の銘にしている。
別の本のあとがきで、一ノ瀬泰造さんのことを知り、もっと知りたくてこの本を手に取った。 なんでそんなにアンコールワットを撮りたくなっちゃったの。なんでそんなにクメールルージュと撮りたくなっちゃったの。って思いながら彼の残した記録を手がかりに一ノ瀬さんの人となりを読み取っていく。 本当に純粋で好奇心...続きを読むが強くて無鉄砲のまま大人になって、お会いしたらとんでもないオーラに溢れてる魅力的な方に違いなかったと思う。じゃなきゃあんな純粋無垢な写真を撮れないと思う。 アンコールワットもまた再訪して、彼の眠ってる場所にも伺いたい。
一ノ瀬泰造(1947~1973年)氏は、佐賀県生まれ、日大芸術学部写真学科卒の、フリーの報道カメラマン。 1972年3月にベトナム戦争が飛び火して戦いが激化するカンボジアに入国し、以後ベトナム戦争、カンボジア内戦を取材、『アサヒグラフ』や『ワシントン・ポスト』などに多数の写真を発表した。「安全へのダ...続きを読むイブ」でUPIニュース写真月間最優秀賞を受賞。1973年11月、当時クメール・ルージュの支配下にあったアンコールワットに単身潜入し、消息を絶った。享年26歳。 本書は、一ノ瀬が残した多数の書簡などをまとめて1978年に出版され、1985年に文庫化されたものである。また、1999年には映画化され(主演:浅野忠信)、若者の間でブームとなった。 本書の題名は、アンコールワットに向かう直前に友人に宛てた手紙の、「旨く撮れたら、東京まで持って行きます。もし、うまく地雷を踏んだら“サヨウナラ”!」という絶筆から取られている。 私は(一般の会社員であるが)、従前より、世界の各地を取材する(フォト)ジャーナリストの活動に関心を持っており、(2018年に3年に亘るシリア武装勢力による拘束から解放された)安田純平、(2012年にシリアでの取材中に銃撃・殺害された)山本美香ほか、戦地・紛争地を取材した多数のジャーナリスト(長倉洋海、佐藤和孝、高橋真樹、橋本昇、川畑嘉文、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会など)の作品を読んできたし、そうしたジャーナリストの活動に対する世間の見る目が、現在とは異なっていた(と思われる)ベトナム戦争時の沢田教一についての本も読んでいる。 私はページをめくりながら、「なぜ、一ノ瀬泰造は殺される危険性が高いと言われていたアンコールワット潜入に最後まで拘ったのか?」をずっと考えていたのだが、一ノ瀬氏の残した手紙や日記は、温かいカンボジアの人びととの日常の交流の様子と、それとは正反対の、まるで映画のような(戦闘で死ななかったのが不思議なくらいの)戦場の様子がほとんどで、潜入の明確な理由についての記述は見当たらなかった。(写真が世界中のメディアに載ったり、賞を取って)有名になりたい、(クメール・ルージュに捕らえられても殺されることはないと)楽観視していた、(戦争の悲惨さを世界に知らしめたいという)使命感に燃えていた、等々は考えられるが、どれも正しいようで正しくないような気がする。。。二十代半ばの若者の「自らの行動により“何か”を成し遂げたい」という衝動とでも言うものだったのか。。。 因みに、本書の最後に収録されている、カンボジアで一ノ瀬氏と一時行動を共にしていたフォト・ジャーナリスト馬淵直城氏の手記の中にも同じ問いがあり、馬淵氏は、ロバート・キャパ賞への野心などにも触れつつ、「たとえそれが何であれ求めるものへと一歩でも近づきたいという思いに駆られたのではないか」と書いている。 (本書から何らかの示唆を得ることは簡単ではないが)カンボジア内戦を駆け抜けた、日本の戦場カメラマンの手記として一読の意味はあろう。 (2020年11月了)
今現在、アンコールワットの写真を撮るために必要なのはカンボジアのビザ約4000円、アンコール遺跡の入場券約3700円〜。あとはシェムリアップまでの航空券とホテル代。カメラにパスポート。それだけあれば誰でも雄大なアンコールワットの姿をカメラに収めることができる。 泰造さんがカンボジアで活動した1970...続きを読む年台前半、アンコールワットの写真を撮るというのは危険極まりない行為だった。後にカンボジアが経験する凄惨な歴史の元凶であるクメール・ルージュが支配していたからだ。そして彼自身、その犠牲者となってしまう。 何がそこまで彼を駆り立てたのだろう。金と名誉が欲しかったのかもしれないし、ただただ被写体としてのアンコールワットに惚れ込んでいただけなのかもしれない。本を通して受ける泰造さんのイメージは人一倍エネルギーに満ち溢れた人だ。まだ若く行き着くところも見えないパワーを、カンボジアという場所で試したかったのではないかとも思った。もちろん生々しい描写や写真も多々登場するけれど、一ノ瀬泰造という人にはとても親しみが感じられる。
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