私がこの本で一番興味をひかれたのは、銃弾飛び交う中で撮影された緊張感あふれる写真ではない。カンボジアの風景のようにおおらかな泰造さんの独特の文章でもない。
では何が一番良かったかと言えば、時折挟み込まれる泰造さんと母親との手紙のやり取りだ。
母親の手紙を読むと、自由にふるまう泰造さんを好きなようにさ
...続きを読むせながらも、随所で息子の体を気遣い、グラフ雑誌で息子の写真(と思われる)を見つけては一喜一憂する姿に、なつかしい気持ちがこみあげてきた。
ああ、これが日本の母なのだ。海援隊が母に捧げるバラードで歌ったように、「バカ息子」と母から散々言われ続けながらも息子が最後に「ぼくに人生を教えてくれた/やさしいおふくろ」とつぶやくような、日本がかつて誇り得た母の姿だ。
これがなければ、私にとって泰造さんは、ちょっとやんちゃでスケベで、写真で名を成そうと気持ちがはやりがちな戦場カメラマンの1人にすぎなかっただろう。
それにしても、泰造さんをアンコールワットへ駆り立てたものは何なのだろう?
この本の一章を占める「カンボジア従軍記」が書かれた1972年は、日本では「あさま山荘事件」があるなど、国内でも動いている“現場”はあったはずだ。だが泰造さんにとっての真の意味の“現場”は、日本では見い出せなかったのだろう。泰造さんが求めたものは、雨宮処凛さんがイラクや北朝鮮に求めたのと同じ“当事者性”というものなのだろうか?
私は泰造さんがカンボジアへ渡ったのは、この母親あっての必然だと考える。つまり、この素晴らしいお母さんのもとで育った泰造さんは、人生の根本を母親から確かに受け取り、そしてそれを実践するとともに母親を超えるべく、本能的に未知の世界へと飛び出したのだ。
世界を舞台に危険を顧みず確固たる目的意識で(中村哲さんのように)事績を残すのはもちろん素晴らしい。しかし泰造さんのように、ひとまずカメラだけを持ってがむしゃらに“何か”を求めて飛び込む姿にも、私は大きなシンパシーを感じる。
だがこの本はサクセスストーリーではない。しかしいくら批判好きの現代人も、ここまでされるともう批判する気も失せるわというくらい、私たちの想像の上をいく数々のエピソードが詰め込まれている。
ここでRCサクセションの「ぼくの好きな先生」に触れたい。いつも1人でたばこを吸っている美術の先生。誰がなんと言おうとも清志郎はそんな先生が大好きだった。けれども今の校内全面禁煙の常識から見ると、評価はがらりと変わってしまう。同じように泰造や彼のお母さんについても、今の常識なんか蹴り飛ばして読まなければ真の良さは見えない。
願わくば、今の窮屈な常識押しつけ社会に息苦しさを感じているすべての人が、泰造さんの破天荒さに大笑いし、そしてお母さんの素朴な優しさに触れて、自分自身の母子関係にはいろいろあったとしても、「母親っていいな」としみじみ思い直せるように。