高野史緒のレビュー一覧
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ネタバレ女子高生の夏紀と大学生の登志夫(年齢は夏紀と同じ)は異なる宇宙(並行世界)にいる。土浦に到着する飛行船グラーフ・ツェッペリンを介して出会う。この二人は量子の性質である情報のあるなしが同時に存在しているのと同様な存在である。この二人の関係は恋人になるものではなく、恋人でもあり兄弟でもあり本人でもあるような量子的存在だ。だからこそ、ラストに向かう現象は、シュレディンガーの猫のように観測されるまでは状況が確定しないことになる。量子の振る舞いを17歳の男女として表現したところが、あやふやな立場と相まってより揺れる心の不安定さが伝わってくる。さくっと読めて面白かった。
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『カラマーゾフの兄弟』はドストエフスキーが死の直前まで執筆していて、本来は続編が予定されていたという。これを日本人の著者が独自に読み解き、解釈し、勝手に続編を書いたのが『カラマーゾフの妹』だ。と言っても、ドストエフスキー自身が構想していたとされる設定も引き継がれている(アレクセイが革命家を志しているとか)
『兄弟』で描かれた「カラマーゾフ殺人事件」から13年後、捜査官となったイワンが再び事件の真相に迫る中で新たな事件が起こる展開。ミステリーとしても面白いし、多重人格者や異常なフェティシズムなどサイコな面も描かれつつ、更にはスチームパンク得意の”ディファレンス・エンジン”が登場し、その計算能力 -
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日本の小説家が『カラマーゾフの妹』という小説を出したとしたら、まずは日本を舞台にした小説で『カラマーゾフの兄弟』にアリョーシャ、いやいや、アリュージョンがあるようなもの、と推測されるではないか。それが『カラマーゾフの兄弟』の続編とは大胆不敵。なぜ100年以上も続編が書かれなかったのかといえば、ドストエフスキイ翁が亡くなってしまったからである。……のだが、翁の死後、続編の執筆に挑戦する者がいなかったのはなぜかといえば、それはドストエフスキイを凌駕する重圧に挑戦者たちが退けられたのだろうと作者は述べる。しかしドストエフスキイに互するものを書こうなんて思わなければ簡単じゃないかというのが作者の意見
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この表紙だけを見て面白そうと思った人を跳ね飛ばしそうな「パラレル」「史実」「茨城SF」
宇宙開発が進んだ2021年、インターネットが実用化されたばかりの夏紀と
量子コンピュータが実現している2021年、宇宙開発は発展途上の登志夫
2人の共通点は子供の頃に飛行船グラーフツェッペリンを見た記憶があること
と、この別の世界線に生きる2人の物語
ツェッペリン号は現実に飛んだ船であるし
つくば市の小ネタが挟まれとても面白いのだが
SFガジェットがしっかりしているのであまり噛んでいない人からすると「?」となるであろうことが残念(でもそういう人も手に取ったということはとても嬉しい)
ツェッペリン号が頭 -
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ネタバレこういった話に趣を感じるのは、やはり人間が過去から現在、未来へ流れていく『時間』の中に意味を見出す生き物だからなのだろうか?
『時間』は、人間の経験のなかでも取り戻したいと切望しても叶わない儚さがあるのに対して(青春)、サイエンス的にそもそも時間とはなんだろうか?存在しているのか?『流れる』ものなのか?という問いかけに真っ向から挑んで、時間の『流れ』を否定しねじ曲げ出会うはずのない線を交わせて物語にする(SF)から、ですかね。
「出会うはずのない出会い」っていい。この現象が起こらなかったらこのルートはありえなかった。日常一つ一つが選択の連続って誰かが言ってたけど、その中でも「選ばなかった方のル -
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短編集。世の中には無数の本がある。かつて出された本。これから出る本。自分には読めない言語で書かれた本。本になる見込みはなく本にしようというつもりで書かれたわけでもないけれど、いつか、誰かによって書かれた文章。読み尽くせるわけがない、全ての言語が理解できる者など存在するわけがない、読んだとしても理解できているとは限らない、なにかの賞をとったとして、その受賞にどれだけの意味があるのかもよくわからなくなっている。そのような諦念がどの作品にも充満している。無限に広がっていくような古書店のなかをさまよう『本の泉 泉の本』が一番好き。最後のほうに描かれている情景は、わたしも二〇一一年に経験しているので、
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ネタバレ本を主軸にしたSFチックな短編集。可愛らしい表紙とは裏腹に、重めで思考させるような作品が続く。本が好きな人には是非読んでほしい。
『ハンノキのある島で』は増えすぎた娯楽作品を制御するため「読書法」という仕組みができた世界。溢れかえる娯楽作品に翻弄されることに共感はするものの、こんな世界にならないことを願う。
『バベルより遠く離れて』は悩める翻訳家の物語。翻訳というものの妙や翻訳家の悩みが身に染みる。訳すとは何か、物語を受け取るとは何か、ということを考えさせられる。
『木曜日のルリユール』は辛口でぶった斬る系書評家の書評できない作品『木曜日のルリユール』という作品をめぐる話。書評家と『木曜