広野和美のレビュー一覧
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原作はピケティ氏。表紙の絵がキャピタリズムの基本を象徴している。1980年頃まで政策論争の構造は階級闘争的なもので、左派は労働者、右派は資本家が支持していた。しかし、それ以降徐々に左派は高学歴の管理職や知的職業の人達からの支持を集めるようになった。この逆転現象は欧米のあらゆる民主主義国(日本は入っていないようだ)の投票行動に見られるという。確かにトランプ派やルペン派の勢いを見ると、右派は旧来型の資本家と、逆に現状の収入等に不満を持つ層からの人気が有るように見える。この本でも、庶民階級や中流階級の人々の思っている「自分達は見捨てられている」という気持ちを利用して、反移民とナショナリズムのイデオロ
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読むのにかなり根気が必要だったが、面白い箇所は非常に面白い。なにより平等への道が遠く険しい事、この200年の間に、想像される平等に近づいている事、過去の悲惨な出来事を経て平等が形成されているという事だ。個人感覚では税金を安く抑え、手元の残りをできるだけ残すことが正義に思われるが、社会全体で考えると、そりゃ税収が多い方が国として発展する。国同士の争いだって、国家にお金があるかどうかでも決まる。戦争の結果として、どのように資本が再分配されたか。
専門用語や前提の歴史知識が必要で、中々読み進めにくい本であったが、新たな気づきや視点を提供してくれる良書である。だからといって1000ページを越える過 -
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トマ・ピケティと言えば、私のイメージは『21世紀の資本』によって資本主義においては格差が縮まらないという事をエビデンスに基づいて明かした人。r > g の法則(資本収益率rが経済成長率gを上回る限り、富は労働者よりも資本所有者に集中する)という、格差拡大の根本的なメカニズムは有名だ。だが、この本は約1000ページと分厚く、ペラペラ捲るだけで購入するに至らず、解説本を購入した記憶がある。
これ以外にも、『格差と再分配』『資本とイデオロギー』という著作もあり、3冊合わせて約3000ページ。で、今回の本の凄さは、この3000ページだと読み切れないので、コンパクトに纏めて欲しいというリクエスト -
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ネタバレ北側諸国(残念ながら日本含む)が植民地から搾り取った資本をさんざん貯め込み、戦争が終わったり独立した後も補償をすること無く、復興のスタート地点から回復し難い差をつけた。
それにとどまらず、今度は自由主義と市場主義の名の下に、貯め込んだ資本をさらに投資して利益を吸い上げ、援助と言う名の投資すらも自らの利益として還流するシステムを作り上げてきた。
ついにはr>gが決定的となり、自己フィードバックでますます資本が集まるような強固な国際体系が完成しつつある。
これが、自由と平等を謳う民主主義が国際協調の美名のもとに行ってきたこと。ピケティの母国で、自由の国と見られがちなフランスも、例外ではないど -
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「r>g」で著名な経済学者トマス・ピケティ氏のこれまでの書籍のエッセンスを詰め込んだ一冊。総計3,000ページを250ページに凝縮(が、内容が簡単というわけでない)。
これまでの「不」平等の歴史や背景を数値で分析・解説。それを以って社会国家・累進税・参加型社会主義・公平な選挙や教育・新植民地主義からの脱却を主張する。本書を読むと、植民地政策や租税方針など、18-20世紀の欧州の悪影響を感じざるを得ず、フランス出身の経済学者だからこそ切れ味鋭く自己批判と推敲が出来ている印象。
現在の権威主義や保護主義が台頭し、分断が再度進む世界において、氏の論説は社会主義や資本主義と並ぶ大変革であろうが、 -
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長い歴史を俯瞰したときには、社会の「平等」が進んでいることがデータをもとに説明されている。著者によれば、本書は、過去の複数の著作のサマリとして編纂されており、そのうえで、未来への展望を加えた内容になっているとのこと。たしかに、他書のボリュームを考えると非常に見通しが良くなっており、「比較すれば」とても読みやすい。
読んでいて、感じたこととして、「社会の平等は善である」が当然の前提として議論が進んでいるが、それは「本音?実際?」の社会のコンセサスといってよいのかと思った。つまり、この「平等は善」について、幅広い実際的なコンセサスを図ること自体について課題を考えなくてよいのかと感じた。もちろん、 -
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Posted by ブクログ
「病気を感じる人たちがいるから医学があるわけで、医者がいるから人びとが彼らから自分の病気を教えてもらうのではない」(ジョルジュ・カンギレム『正常と病理』)
タイトルの「0番目の患者」とは、感染症学で、集団において初めて特定の感染症に罹ったと見なされる患者のことを「ゼロ号患者(ペイシェント・ゼロ)」と称することに由来する。
著者はこれを拡大解釈して使用しており、ある疾患や医学的な事象が広く社会に知れ渡る際に大きな役割を果たした「第0号患者」たちを19章に渡って取り上げている。
医学の歴史を語る際、得てして何らかの病気を「発見」した医師が大きく取り上げられる(そして時には、疾患に発見者の医師の名